第4話 称号
ある日、この世界は崩壊した。
きっかけは小さなことだ。人が、少しだけ神に近づいた。ただ、それだけのこと。
その傲慢な願いがもたらしたものは、全ての命が消え去るなどという結末。
誰が想像しただろうか。 そんな滅びの未来を。
世界が壊れる前に来られたら、私は鳥と共に飛べたのだろう。まだここに人が在るのであれば、私は優しき歌を共に歌えたのだろう。
人に『風』と呼ばれた彼女は、そんなありえない光景を思い浮かべる。
「こんな想像をしても、むなしいだけ」
短い溜め息は海を渡る風となって、空っぽの世界を揺らす。
今はただ、自分の役割をこなすとしよう。
釈然としない気持ちを抱えたまま、彼女は右手を振り上げる。その腕に、柔らかな風がまとわりついた。
その手を小さく振る。次の瞬間、彼女の体は空にあった。白い雲の下、溜め息が去っていった方角を見やる。
小さな島が見えた時、彼女の心は妙な感覚に囚われた。
「あれは?」
その違和感を確かめるために、海を渡ってその島に降り立つ。
「うっ」
瞬間、異質な空気が取り囲んだ。思わず、彼女がうなるほどに鬱屈とした雰囲気。
周囲を散見し、一番目立つ塔の上に飛び乗る。
窓から中に入り、島を見渡した。目に映るのは人が生んだ建造物だ。島に森は無く、土も少ない。
感じるのは、石と鉄の臭いだけ。それは、この崩壊した世界では珍しくもない。
しかし、冷たい石に触るとますます大きくなっていく、彼女の違和感。
「読み取れない。拒絶されてる」
いつものように、残された人の記憶に触れようとした。が、できなかった。
「どうして?」
「それはボクの影響が強いからだろーね」
予期せぬ返答に体を震わせた。振り返ると、窓枠に腰掛ける少年の姿があった。
彼は驚く彼女を、にやけた笑みで眺めていた。
「あなた、なんでここに?」
彼は『闇』。『光』と対を成す、仲間の中でも最上位の存在。しかし、自らが動くことは皆無に等しく、彼の領域で無ければ姿を見ることすら稀である。
彼女も色々とそんな彼と、下の世界で出会うことになるとは想像もしていない。
「なんとなく?」
狼狽する彼女とは対照的に、彼は自分の調子を崩さない。
「あなたは、あなたの仕事があるでしょう」
「う~ん、ボクがやらなくてもいいんじゃない? 黙ってりゃ『光』の奴がやってくれるよ」
ケラケラと笑う彼を見ていると、『光』が頭痛を感じる意味がわかったような気がしてくる。
『光』が第三世界の世話を果たして行うだろうか。それは無理だろうと、すぐに察する。
「彼は、第三世界を触ることもできないわよ。潔癖症だから」
おそらく、『闇』が改心して仕事に戻る可能性のほうが高いだろうと彼女は結論付ける。
「あぁ。確かに」
笑い声が高くなる。どうやら、彼女の言葉が彼の腹をを大いにくすぐったようだ。
「それで、あなたの影響が強いって」
「うん? そうそう。君が気にしてるみたいだからさ。これは言っとかないと、と思って」
階段を下って、大きな広間に出る。その中央に、一枚の絵が掲げられていた。黒が多く使われて描かれている人物は、誰かに似ているように感じる。
そう、この絵の前で彼女の反応を眺めている少年の姿に似ているのだ。
「ここはボクを祀った神殿なのさ。島全体が、ね」
神殿という単語に、彼女は目を丸くした。
ここ以外で、人の住む世界はいくつか知っている。そして、そこでは彼女の仲間達を信じてくれる人が建てた神殿の姿も何個か覚えている。
その中にはもちろん『闇』の神殿もあったのだがだが、彼をを祀ったものでこれほど大きいものは初めてだ。
「ここだけじゃないよ。この世界の人は、ボクしか信じちゃいなかったのさ」
だから余計に『光』に嫌われてるんだろうね、と彼は笑った。
ここに来て、彼の言葉を聞いて、やっと彼女にも理解できた。
『光』があれほど急いで、この世界を再利用しようとしているわけが。
「君は、どちらかというとボクとは真逆の力を持ってるから。今でもボクの力が満ちてるし、君が何かしようと思っても、どうしようもないかな」
彼はぐるぐると腕を回した。それが一周する毎に、彼女の体を取り巻いていた異質なものは薄れていく。
これなら、彼女は存分に力を振るえるだろう。
しかし、彼女には仕事よりも優先したいことがあった。先程、彼が口に出した言葉について確認しなければならないのだ。
「あなたしか信じていなくて、それで何で滅びるたの?」
滅びを生むのは、どちらかと言えば私の力だと彼女は思った。そこに在るものを、徐々に、急速に、失わせる。それが、彼女の力であり『風』の役割。
彼は腕を止めて振り返った。
その眼に、少し悲しみが映ったのは気のせいだろうか。
「あのさ。君はボクの称号って覚えてる? 『闇』とは違う、別の名前」
彼が言っている称号とは、それぞれの役割から類推して人が名付けた名のことだ。彼女が『風』であり『運命』であり『自由』であるように、他の仲間にも様々な名前がある。
ちなみに人の名前のような称号もあるのだが、どうやら記憶の仕方が違うのか私達には使いこなせない。『水』だけ特別で、彼女だけは人間らしく、というよりも子どもっぽく仲間達を呼ぶ。
(たしか、私は『ふー』で彼は『にぃ』だったか)
ちなみに『風』を慕っている『水』は彼女を「ちゃん」付けで呼んでくる。
「『混沌』?」
「惜しい。もう一つ」
「『創造』?」
彼は大きく頷いた。
「ここに住んでた人は『創造』しか信じちゃいなかった。作って、作って、作って、作って、それが幸せに繋がるんだと作りまくった」
いつしか、物は溢れ、人は豊かになったようだ。ただ、それが終わりにつながるなど誰も気づかなかった。
「でもさ、作るための力と作ったものを置く場所は有限なんだ。世界は、そんなに広くない」
「それで、どうなったの?」
「分かるでしょ、結末は。君はここの世界に残ってる記憶を見てきたんだから。高すぎる塔は崩れる。小さな器に注ぎ続ければ溢れる。膨らみまくった風船は弾けちゃうのさ」
パァン! と、彼は両手を叩いた。
「結局、ボクだけでも『光』だけでもダメなんだ。無から有を生み出し、有を無にしないと世界はバランスを崩しちゃう。ここに住んでた人は、それを分かっちゃいなかった」
彼は背中を向ける。そして、先程していた作業を再開した。
ふぅ、と小さく溜め息をつく。
「あぁ、もう。面倒だなぁ。ここの人が『光』を信じてくれてたら、こんなことしなくていいのにさ」
できるなら、さっさと帰りたいのだろう。愚痴りながらも仕事を続ける彼の後ろを、彼女はついて歩いていた。
彼が全ての力を回収し終えたのを見届けて、共に外へ出る。
「じゃあ、後はよろしく」
彼女は去っていこうとする彼を見送っている。
彼の足が止まった。しばし固まっていると、思い出したように振り返る。
「そうそう。『月』に言われて来たんだ。忘れてたよ」
ひょこひょこといった足取りで再び彼女は近づくと、彼はにんまりと笑った。
「言いたかったのはさ。君の仕事も大切だってことだよ」
「えっ?」
「君が、前に住んでた人の記憶を消してくれれば、影響受けなくなって次に生まれる人は間違わないんじゃないの」
そこで、普段は話すことさえ億劫に思っている彼が饒舌だった理由が腑に落ちた。
彼は彼女を励ましていたのだ。自分なりの言葉で。
その似合わない行動に、彼女は彼とよく似た表情で笑った。
「ありがとう」
「何でお礼? ボクは真面目な君が仕事しなくなったらおまえの仕事が増えるって『月』に脅されただけだよ」
「それでもね。ありがとう、よ」
訝しげな表情を彼は見せていたが、彼女が本心からの言葉を告げると嬉しそうに微笑む。
「そう? どういたしまして。じゃあ、ボクの仕事も手伝ってよ」
私は満面の笑みを崩さずに言い放つ。
「それはあなたが頑張って」
「ちぇ」
その後、更地に戻った島をぐるりと一周して、彼女は頷いた。少しだけ、少しだけなのだが人が存在した痕跡を消した後に襲ってくる寂しさが薄れた気がする。
「私が頑張れば、人は間違いを起こさない」
とはいえ、そう上手くはいかないだろう。それが人間という存在だ。
(それでも、私は私のやれることをしよう)
人が、私を信じてくれるように。自分が、自分を信じられるように。