第1話 砂の城
地平線に夕日が沈んでいた。陽光は世界を朱く染め上げている。
「綺麗だね」
彼はそう呟くと、どこかへ行ってしまった。その手前勝手さに多少の苛立ちを覚えるが、眼下の光景を眺めているとどうでも良くなった。むしろ、上向きになった気分で囁く。
「うん。私もそう思う」
少女は一人、天に届きそうなほどに高くそびえる塔にいた。その最上階に開かれた窓から身を乗り出すと、目の前には砂漠の海が広がっている。手を伸ばすと風が纏わり付いてきた。
「……」
少女の瞳が暗く淀んだ。
風の音に聞く。
かつて、ここには大勢の人で賑わう小さな国があった。まだ大地は緑に包まれ、この静かな場所は喧噪に支配されていた。各地を巡る旅人はここに立ち寄ると詩を歌い、ここに住む者は動かずして世界の全てを手に入れていた。
そう、ここには確かに命の輝きがあったのだ。
しかし、栄華は長く続かない。人が生み出した富は人によって奪われた。この街の所有を主張した勢力がぶつかり合い、長く続いた戦乱はこの地から輝きそのものを奪ってしまった。
それから、幾重も時を重ね、栄光の象徴であった塔だけがこの地に残っている。
「私には何もできない」
いつのまにか、塔から降りていた少女は下からそれを見上げていた。ここで命を失った人間を思い、語りかける。
「貴方達の信じる神なら、貴方達を救うことができた?」
「いや、無理でしょ」
少女の独り言に誰かが応える。振り返らずとも、彼がそこにいるのが分かった。
「だって、誰も彼もが自分を助けてくれって願ってるんだ。それでいて、相手は滅んでほしいと思っている。そんな奴らを救う? ……誰がそんな酔狂なことを?」
「分かってる」
そんなことは重々承知している。何度もそういった場面に遭遇しているのだから。
誰かを救おうとすれば、誰かが傷つくことくらい。 もう十分に彼女は分かっていた。
それでも、と何かしら考え込む彼女に彼は苛立っていた。何をそんなに気に病むことがあるのだろう。
そもそも、どんなに考えたって彼も彼女も滅んだ世界に干渉はできないのだ。
「ほら、早く仕事に戻って。ここが終わっても、まだ残ってるんだから」
「分かってる!」
声を荒げる。
あと何度、滅んだ世界を見なければいけないのか。胸が痛む。できることなら逃げ出したい。
そんなことはできないことも、彼女は彼女自身が一番良く理解していた。
彼は腕を組む。そして、分かりやすく不満な気配を漂わせた。
「そんなんじゃ、君の役割は果たせないよ」
「大丈夫。大丈夫、だから」
肩を震わせながらも、強い口調で言い放つ少女に彼はうなずいた。
納得は、していないようだが彼もそれ以上突っ込む気力もない。
「君とか『月』とかさ。なんで、人間なんかにそうもこだわるかね。まぁ、別にかまわないよ。役割を果たしてくれれば、ね」
彼はそれだけ言い残すと気配が消す。
彼女は振り返った。陽が落ちて暗闇が広がっている。もう、彼の時間は終わりだと思うと面と向かっては言えない言葉を口にする。
「貴方には分からない。人の、混沌の価値なんて」
彼が去った景色に背を向け、目を閉じる。しばしの沈黙。
そして、ゆっくりと目を開く。すると視界にそびえ立っていた塔は、跡形もなく消え去っていた。
少女に託された仕事。それはこの世界を真っ新にすることだ。
こうやって、人が残したものを世界に還す。新しい命を生み出すには、不純物を無くさなければならない。そうして、次の命の土台となる世界を再生するのだ。
自分の役割は承知している。それが大事なものだということも。
しかし、これだけ消して、消して、消し続けては自分自身も消してしまいそうになってくるのだ。
「なんで、私にはこういうことしか許されていないんだろう」
彼女達に託された役割。
それは世界の万象を生み、育て、維持し、滅ぼすこと。世界の維持の為にだけ動き、そこに生きる者に力を貸すことは限定的であった。
さらに言えば、他の仲間は生む力は強いのに対して、彼女は滅ぼす力に偏っていた。
だからこそ思うのだ。
「なんで、人間は自分達で奪い合うのだろう」
人は役割を限定された彼女よりは生み出す力が強い。それなのに、なぜ滅ぼす方に偏っていくのだろう。
異界からの侵略になら力を貸せるのに。彼女はかつて、人を助けるために動いたことを思い出す。
その有事には、あの石頭も参加せざるをえなかった。時間なんて少女には存在しないというのに、懐かしく感じる。
ああ、あの時ほど人を近く思えた時はなかった。 人を理解できたと、思ったのに。
脆い土台から必死に築いて、襲ってくる波から守ろうとしても、その内部から壊される。そんなことを何度も繰り返してきた。
それでも、簡単に壊れるものだと知っていても、少女達は世界を生み、人を生むことも止めないだろう。
それは彼のような使命感だけではない、もっと強い思いから生まれる決意。
「私は信じてるから」
どれだけ滅びを繰り返していようとも
人は私達を、世界を愛してくれていると。