昼•花盛りの草原で
この作品は、独立した短編ですが、香月よう子さんの企画を応援する、互いに関連性のないハッピー異世界恋愛のシリーズの第三作としてもお楽しみいただけます。
花輝水売りのジャスパーは、世界を旅して材料となる花を集めていた。茶色の癖毛に菫色の優しそうな眼差し。鼻や口はこれといった特徴もなく、善良な一般人である。
花輝水は、花を浸した特殊な水を蒸溜して冷やしたものだ。種類ごとに、香り、美容、薬味、薬用と、様々な用途がある。
商品を売るだけの行商人も多いが、ジャスパーは昔ながらの自作品を売り歩く旅の職人であった。
ジャスパーは夏の盛りに、とある国を訪れた。前から来てみたかったお祭りがあるのだ。
その国では、花祭りというお祭りが有名だった。国内からの観光客だけではなく、外国からのお客さんも数多く訪れる大きなお祭りだ。
その国には、夏の盛りに鮮やかな色の大ぶりな花々で埋め尽くされる草原があるのだ。多くの花の花びらは大きく肉厚で、茎も太く葉っぱも大きい。
釣鐘状、コップ状、平に開くもの。赤、青、黄色の原色から、オレンジや紫、眼に痛いほどの純白に至るまで、それはそれは豪華な花が咲き乱れる草原なのだ。
お祭りは、まさにその草原の真ん中で行われる。とにかく花だらけなので、踏まないように避けることはできない。踏まれてちぎれるものも確かにあるが、大抵はお祭り屋台の車に轢かれても、逞しく立ち上がりまた新たな花をつける。
そんな生命力に満ちた花々の中でも、一際逞しい花があった。明るい黄色の大輪で、尖った花弁の先端はくるりと反り返っている。
キバナセイタカソウという名前の、とても目立つ花である。
ジャスパーがその草原に着いた時、お祭りはまだ始まっていなかった。
真昼の太陽はギラギラと強い陽射しを大地に投げる。汗はじわじわと滲んで来た。
ジャスパーは、派手な花々と草だけが風にそよぐ開けた場所を驚きを持って眺めていた。
中でも、大人の男の身の丈ほどもある、キバナセイタカソウには圧倒されてしまう。
ジャスパーは見ているうちに惹きつけられて、ふらふらと近寄って行った。
「おや、妖精さん、ご機嫌よう」
キバナセイタカソウの花陰に、美しい乙女が立っていた。花と同じ明るい黄色のワンピースを着た、金髪碧眼の若い娘だ。
華奢な足には可愛らしい緑の布靴を履き、束ねた髪にはつばひろの麦藁帽子を載せている。
帽子に巻かれた黄色と白のギンガムチェックのリボンが、風すら熱い夏の昼に、そこだけ爽やかにたなびいていた。
「まあ、あたしは人間よ?あなたは夏の精霊さん?」
乙女の声は朗らかだ。
「違うよ、しがない旅の花輝水売りだよ」
答えるジャスパーも明るいテノール。
「素敵ね。花祭りにお店を出すの?」
「出すよ」
「それは楽しみね」
「ぜひ来てね。僕はジャスパー。よろしくね」
ジャスパーの差し出す手を無邪気に取って、乙女は軽く上下に振った。
「よろしく、私はミーナって言うの。花染め糸の職人よ」
「それは素敵だ」
花染め糸とは、この国の特産品である。上質な木綿を特殊な処理をした花の汁で染め上げる。糸から染めて薄く薄く織り上げた布は、それでも木綿なので普段着だ。絹より贅沢品と言われる由縁である。
「私は素材も自分で探すの」
花染め職人も、多くは材料となる花や色止めの原料を別の行商人から仕入れて定住している。
しかし、素材から集めるタイプの職人は、大抵世界を旅していた。
「君も旅人?」
「ええ、そうよ。季節毎に良い花の咲くところで作業するのよ」
「嵐の国には行ってみた?」
ジャスパーの質問に、ミーナは声を弾ませた。
「ええ!あの国のガンペキノオキナは素晴らしい色を出したわ」
「ガンペキノオキナは、香りも高いね」
「残念ながら、花染めに香りは残らないの」
「織った布にガンペキノオキナの花輝水を染み込ませて、香りの継ぎ足し用のミニボトルとセット販売したらどうかな?」
「まあ!素敵。ちょうどハンカチとスカーフがあるの。花祭りで一緒に売りましょうよ」
2人はすっかり嬉しくなった。そのままキバナセイタカソウの下で真昼の太陽をさけ、時の経つのも忘れて話し込む。
ぐう、と2人のお腹が鳴った。
2人は話を中断し、弾けるように笑い出す。
「ひーひー、あはは」
「あー、おかしい。笑い過ぎて息が苦しい」
ようやく笑いを収めると、それぞれが地面に置いていた荷物から携帯食を取り出した。
ミーナは、四角い金属の缶から干した果物とナッツを摘む。まるでこの草原のように、赤や黄色の鮮やかな干し果物は、甘酸っぱい香りをふわりと放つ。
「ジャスパーもどう?」
果物を摘んで差し出す節くれだった職人の指先は、染色業特有の黒ずんだ色をしていた。爪の奥まで染まってしまい、もう落ちないのが良い職人なのだ。
その指先を認めたジャスパーは、じんわりと胸に温かなものが広がるのを感じた。
ミーナが摘んで差し出すオレンジ色の乾燥果物をそっと受け取り、口に含んで微笑んだ。
ミーナは、とても幸せな気持ちになって、なんとなく居心地が悪くなる。そわそわするのを誤魔化すように、シンプルな革の水筒から一口水を飲んでみる。
視線を戻すと、ジャスパーがミーナを見つめていた。2人は軽く頬を染め、恥ずかしそうに小さな笑いを漏らす。
「これ、お返しに」
ジャスパーが差し出してきたのは、花のジャムと真っ白なチーズを塗ったきめの荒い黒パンだ。
ジャムとパンの酸味が、ほんのりと甘味のあるペースト状の白いチーズによく合う。
「ありがとう。とても爽やかね」
一口かじって笑顔を見せるミーナの唇に、ジャスパーは思わず指先で触れる。
驚いて少し身を引くミーナに、ジャスパーは慌てて謝った。
「ごめん」
「ふふ」
ミーナは決まりが悪くて笑いを溢す。
その様子が可愛らしくて、ジャスパーは思い切って聞いてみた。
「キスしていい?」
ミーナははにかんで俯いてしまう。
でも、嫌そうな素振りは全くなかった。
2人はしばらくそうしていたが、やがてミーナがチラリと目線を上げる。
絡んだ視線は離れない。
暑い暑い夏の昼、鮮やかな花と緑の草原で、大きな黄色い花の下、若い2人は初めての口付けを交わした。
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次回は午後早くのお話
来週土曜日15時頃に投稿予定です