8.母なるものは深遠をも孕む
ようやく更新できました。
前までのお話も結構直しを入れましたので、良ければ読み直してやって下さい。
山より高く、海より深い。
そう、それこそ母の愛。
それを否定するわけじゃないけどさ、現実に山だの海だのにかかっちゃ、敵うわけがないのよ。
「ほら、いきむんじゃ、気合を入れろっ!」
白髪交じりのおっさんが、こっちも目を血走らせて叫んでる。
「――っ!あああっ!っくっ!」
脂汗をかいて、力いっぱいいきんでいるその人は、常ならば丁寧に結い上げられている黒髪を振り乱して叫んでる。
丸い船窓から見えた水平線の向こうに、日の光がうっすらと昇ってきたのが見える。
ソレで気づいた――ああ、結構時間が経ったんだなって。
陣痛が始まったのが真夜中、でもって今は夜明け。太陽はまだ出てないけど、そろそろ海面が輝き始めてる。
「もう少しじゃっ!ほれ、頭が見えてきたぞい。嬢ちゃん、湯と布の準備は大丈夫か」
「出来てるけどっ!この状態じゃ、桶に入れた途端にひっくり返しそうよっ」
ざざん!と波が船体にぶつかる音がして、大きく揺れた。
これでも時化としちゃ大したことないっていうんだから、本格的に荒れた海って、どれほど過酷なんだろう。
でも、それよりも。
ガガガ、ドカン、ドタバッターン。
尋常じゃない破壊音と足音は、戦闘が激しい証。今や甲板は戦闘真っ只中だわ。
海戦、それも敵に乗り込まれての白兵戦の最中に出産とは…。ここまで来ると最早エラーだけとは思えない、ぜえったい呪われてるわよ、この子。
いや、考え方を改めるんだ。今こそが全ての関門。
このド修羅場を乗り切って命を繋ぐことができれば、後はもう約束された栄光への道よ。海の覇者と呼ばれるはずの彼だもの。
そのためには踏ん張ってもらわなきゃ。
「ちょっと、上の連中は大丈夫なんでしょうね、敵がここまで入ってきたらお終いよ」
「ふん、あんなヒョロヒョロどもに後れを取るようなら、海の男は名乗れんわい」
ヒョロヒョロって。
「アレでも一応、正規の国軍兵士…だと、思うんだけどね」
「なら、尚更大丈夫じゃろ。どう見ても陸の兵士だったからの」
あら、海軍じゃなかったんだ。
「そんなことより、今はこちらが重要じゃ。あと少しで産まれるぞ」
言われてハッとすれば、脚を大きく広げた女性が、一際大きな悲鳴を上げた。
「が、頑張って、あと少しよ。ここであなたが力尽きちゃったら、わたしは一体何のために」
そう、なんのためにこんなとんでもない目に遭ってるのか、わかんないわ。
「お願いだから、頑張ってぇ!」
今まさに子供を産んでいるのは目の前の女性なのに、わたしの方が必死になって叫んでる。
でも、当然でしょう。だって、生まれてくるこの子は、まさに攻略対象者。
わたしが命をかけてでも救わなきゃならない、大切な人たちの一人なんだから。
ドカッ!
その時、固く閉ざしてあるはずの扉が外から叩かれた。
「ひっ!」
まさか、もうあの連中が――。
ドカ、ドカッ――ドンドン、ドゴォッ!
扉の前に置いてある樽やら箱やらが、外からの衝撃にじりじりとずれる。
それに気づいているのかいないのか、産みの苦しみに呻く女性も、ソレを見据える老人も、扉を一顧だにしない。
「よし、産まれたぞい!」
彼女の股座に伏せていた老医師が、なにかを抱き上げて身を起こした。
と、同時に。
横の船窓から、さあっと光が差した。
――夜明けだわ。
朝日が、血まみれの赤子と医師を輝きの中に浮かび上がらせた。その様は――。
ドォン!
そしてついに、締め切られていた扉が弾かれるように開いた。
その時。
――オギャァアアア-
この世に命が誕生した証である声が響き渡って。
扉を全力で開けたであろう男が、その声に撃たれたかのように立ちすくんでいる。
「ダメ!来ないでぇっ」
他に何が言えただろう。
もうもう躰が勝手に動いたわ。両手を広げて、扉と母子の間に割って入った。
自分がどうなるかなんて、本当になんにも考えられない。ただ、彼らを助けなくちゃとしか。
覆面をした男は、唯一晒している目を大きく見開いて、部屋の中を見据えている――正確には、産声を上げる赤子を…。
「でんか…」
「え?」
その呟きが聞こえた、一瞬後。
ドカッ!
「ぐうっ!」
どさっ!
「ひいっ!」
鈍い音と断末魔の声。倒れた男の背に、血まみれの短刀。
思わず悲鳴を上げたわたしを、誰が責められるかっての。
「無事か、ルー!?」
駆け込んできたのは、短い黒髪までべっとりと血にまみれた男。野性的な風貌と、シャツの胸元から見える鍛え上げられた筋肉が相まって、正にザ・海賊だわ。
「オルガス、なんでここまで入られてるのよぉ」
「すまん、陽動に引っ掛かった。だが、生まれてるようだな」
後ろで、赤ん坊が泣いている。
己で命を繋ぐための、初めての動作。産声と呼ばれるソレを、力の限り上げている。
「は、入っちゃだめよ、まだ」
「あ、いや」
「ちゃんと処置が済むまで男は禁止。なにより、まだ片づけが残ってるでしょう」
そう、襲ってきてるのは、ここで死んでるコイツだけじゃない。
「さっさと全部始末してきてよ、船長」
ホギャホギャと泣く赤ん坊の声は、もうあちこちに響いてるはず。連中がここを目指すのも時間の問題だ。
「ったく、本当に人使いが荒れぇな」
やれやれと、足元の死体から短刀を引き抜く。
「それとも、王様なんてぇのは、皆そうなのか?」
「当たり前でしょう。そうじゃなけりゃ、国を治めるなんて面倒くさいこと、出来るわけがないじゃない」
言ってやると、彼は一瞬天を仰いで、なんとも複雑な笑みを浮かべた。
「承知いたしました、女王陛下。あの狼藉者どもは、この下郎にお任せください」
返り血だかなんだかを顔にべったりと付けた男は、荒っぽい礼と共に、その瞬間だけ壮絶なモノを見せた。
他の――普通の娘だったら、腰が抜けてもおかしくない。でも、わたしはそんな事にはならない。
だって、そういう者を抱え込んで使いこなすのが仕事だもの。
「任せます」
再びあの笑みを浮かべて、男は走り去った。わたしはこじ開けられた扉を閉じ直す。
「さぁ、早いところ済ませましょう」
後ろで固まっていた老医師と、なりたての母親が、大きな息を吐いた。
なんでこんなことになってるのかなぁ。
仮にも一国の女王よ、わたしは。
だのに、このデカいだけのボロ船で、出産の後始末に必死になってるなんて、あり得ないでしょう。
レースたっぷり絹のドレスじゃなく、ガサガサの綿でできたシャツに裾をめくりあげてるズボン。髪は結い上げて宝石たっぷりじゃなく、首の後ろで括ってバンダナで包んでる。
いっそ切っちゃおうかとも思ったけど、後々を考えて、それはやめておいたわ。
出産の血にまみれたアレコレを必死でまとめながら、まだ肩で息をしてる母親の女性を伺う。
「ご苦労様、ゆっくり休んで」
「子供は、子供はどうなったんです?」
かすれた声ながらも、なんとか絞り出した質問は、実に母親らしいわ。
「大丈夫じゃよ、ほれ、抱いてやんなさい」
老医師が赤黒い肌をした赤ん坊を、彼女の上に乗せた。
「立派な男の子じゃ、よくやった」
「ああ…」
涙ぐんで我が子を抱きしめる彼女は、なんて言うかとても美しかった。
もうね、こっちまでじーんと。
ドタバタ、ガッターン!
えいくそっ、折角の感動シーンに、邪魔な連中ねぇっ。
「さっさと済ませなさいよ、トロトロしてたらまとめて海に叩き込むわよ、グズどもが!」
ああ、わたしって、こんなに状況に慣れる人だったのね。
わたしの最推し、ルノワールと初めて会ったあの謁見から、まだそんなに長い時間が過ぎたわけじゃないのに、ここまで事態が激変するなんて、誰が想像しただろう。
あの日、ゲインズ侯爵夫人とともにやってきたのは、ルノワール本人――では、もちろんなくて。
いや、本人は夫人に抱かれてたわけだけど。
とにかく、大人のルノワール君じゃなくて、その兄、シャガールだった。
宰相ゲインズ侯爵の長男、次男とは大きく年の離れた後継ぎ息子だったわけで。
叫ばなかった自分を褒めてやりたい。
「お初にお目にかかります、ルーシェリア女王陛下。ゲインズ侯爵が長男、シャガール・デュマ・ゲインズと申します」
完璧な所作で自己紹介をした彼は、髪色こそ父親譲りだったけど、他は全て母親似だったわ。
その美貌も、瞳の色も。
ああ、でも。時折見せる、なにもかも見透かすような視線は完全に父親と同じ――いえ、それ以上かもね。
「お目にかかれて、光栄至極。なにとぞお見知りおきくださいますようお願い申し上げます」
はい、もちろん喜んで。
じゃなかった。
「よい、楽になさい」
「は、ありがとうございます。この度は我が領地での騒ぎに、多大なご恩義を頂き、恐悦至極でございます」
「気にすることではありません。ゲインズ侯爵領は宰相殿の領地と言うだけでなく、我が国にとっても重要な位置に在るもの。よからぬ輩に蹂躙されることは、女王として許せることではありません」
ほんとにねぇ。あそこは色々とメンドクサ…いや、気を付けないといけない土地なのよ。
「ゲインズ侯爵ロートレックは、しばらく宰相職を休んで領地の鎮静に当たるとかで、わたしが許可をだしました。当面は宰相補佐官たちが代理を務めることになるが、貴公もこれを機に宮中にて働くように」
「拝命いたしました。父には未だ遠く及びませんが、身命を賭してお仕えいたします」
芯の通った体躯で、見事な礼をする。
この男、結構鍛えていると見た。そう言えば、領地の軍を率いているとか聞いたっけ。侯爵家の嫡子でも、案外体育系なのね。
「女王陛下、お久しぶりでございます」
そこで、ゲインズ夫人が声を上げた。
「覚えてはおられませんでしょうが、十年程前に一度お目にかからせていただいております。ゲインズ侯爵の妻、ラファエロでございます」
「ああ、貴女が」
侯爵夫人にして宰相夫人、ラファエロ。
社交界のトップに君臨していてもおかしくないのに、領地に引っ込みっぱなしで、まるっきり姿を見せない女性。
巷では、霧向こうの令夫人と呼ばれているとかいないとか。その辺の事情は、なんとなく察しているけど。
しかし、噂に違わない美女だわ。
結婚前は、そりゃもう大変な求婚者があったってのも頷ける。それで選んだのがあのロート―ってんだから、出世しそうな男を見る目があったのか、ただ単に顔面重視じゃないだけか。
いや決してロートレックが不細工ってわけじゃないんだけど、女受けする甘いマスクじゃないのよねぇ。なんて言うか、いわゆる強面タイプ。今のモテ男主流は、女性と見まがうばかりの優男だから、体型も文官のくせにガッチリ系だし、丸っきり逆方面ね。
――一体あの男、どうやってこんな美人を口説いたんだろう?
それに計算すると、結婚した当時は十五・六と三十くらい…。
美女と野獣だわ。
はっ、もしかして、なにかろくでもない手を使って、彼女の実家を標的に…。
「陛下?」
「お、オホン、なんでもないわ――ゲインズ夫人、貴女も災難でしたね。とんでもない状況で出産する羽目になったと聞きました。無事に生まれてなによりでしたけど」
「ありがとうございます。女王陛下の寄越してくださった軍のおかげで、なんとか荒くれどもの中でこの子を産まずに済みました。心から感謝しております」
そう言って、おくるみの布を少しずらした。
現れたのは。
ポワポワの金髪、深い深い蒼の瞳。
ああ、ルノワールだ。
シャガールを見た時も、えっと思えたけど――やっぱり本人は、違う。
幼くて、滝のような金髪の彼とは全然違うけど、彼は確かにわたしが夢中になったあの人なんだって、すうっと理解できたわ。
あ、ダメ――涙が出そう。
「陛下?」
「かわいいわ…本当に、とても、とても、かわいい」
ねぇ、わたしは貴方を救うために生きてるのよ。
貴方にこの世で生きてもらうためなら、わたしは――。
「まぁ陛下、ありがとうございます。では、次は陛下こそがどうか御子をお持ちくださいませ」
ラファエロが満面の笑みで告げた言葉に、わたしは更に泣きたい気持ちになった。
ただし、今度はさっきみたいな感動の涙じゃない。
またか。
って、ウンザリ気分で泣きたくなった。
十八歳までは断じて結婚関係を受け付けないと宣言しているにもかかわらず、あっちこっちからその手の話が湧いて出るんだもの。
いや、そりゃあねぇ。
現状のクリステラ王家の状況を鑑みれば、わたし自身が子供を作るのが最善っていう理屈は分かるわよ。でも、逆に言えば、ここでもし“女王の夫”、引いては“女王の息子”、ができたら、それはそれで面倒くさいことこの上ないってのも、事実なの。
良くて属国扱い。下手をしたら、簒奪だの征服だのをされかねないんだから。
後継ぎができたって、国が消えたんじゃ意味ないわ。
――こういう状況、元の世界で聞いたことがあるわ。ほら、イングランドのエリザベス一世よ。
彼女は結局独身を通した。あの時代に未婚の王族だなんて、考えられないにもかかわらず。
まぁそれができたからこそ、貧乏を極めてたイングランドを、大国に育て上げたとも言えるわね。
彼女が結婚しなかったのは、誰かを選ぶことによって起きるだろう騒動を嫌がったせい。
それこそ夫と言う名の簒奪者から、イングランドを守ったのよ。
とは言え。
ある程度深掘りしてみれば、気づきもあるわ。
彼女の前半生を思えば、結婚や色恋沙汰に、なにか思うところがあったんじゃないかしら。
母親が父親に殺されて、幸せとは程遠い大勢の義母、弟が早死にした挙句の王位継承のドタバタ、果ては姉女王のドツボ人生。
紐解けば、全部“結婚”が根底にあるわ。政治的な事情だけじゃなく、そういう拒否感があったのかもしれない。
それに権力を狙う有象無象だけじゃない。当時こじれにこじれまくってた宗教問題もまた、女王の悩みの種だったから、そこに直結してる”結婚”はヤバいネタだったに違いない。
ある意味わたしもエリザベス一世と似たような状況にある。
違うのは、国内だけじゃなく、外国にも次代を任せられる人材がいないってことなの。
エリザベス一世の死後、イングランドは親戚筋であるスコットランドの王様を迎えて、同君連合として再スタートを切ったけど、クリステラ王国に、その未来はあり得ない。
何故なら。
「ですからね、子供を産むとなると、準備するものがそりゃあもうたくさんありますのよ。産着とか、生まれた後に使うものは別として、出産時に要るアレコレが問題でしてね」
「…はぁ」
ゲインズ侯爵夫人ラファエロは、とにかくおしゃべりだった。
今は自身の経験談をベラベラしゃべってるけど、ここに行きつくまで、そりゃもう世界を一周せんばかりの話題を振りまきまくってた。
わたしの結婚問題から始まって、国内の若者たちがいかに嘆かわしいか語りだし、周辺国家との関係がどうのと言い始めたかと思えば、やたら詳しい国内外の貴族のスキャンダルを暴露し始め。
領地に引っ込んでるご夫人が、どうしてここまで世論に強いんだろう。
あ、もしかして。
ロートレックが妻を社交界に出さないのは、この際限のないおしゃべりが原因なんじゃない。
言っていいことと悪いことの区別がついてないってのもあるけど、極秘にしなきゃならないことも、つるっと口に出してそう。
いや、ここまでの勢いだと、重要機密なんだか四方山話なんだかわからなくなってくるんだけどね。
それにしても、大した情報収集力だわ。
「そういうわけですので、是非ともお産の知識と素晴らしさを女王陛下にも知っていただきたいんですの」
と言ってラファエロは、妊娠出産についてのアレコレを滔々と語りだし、そこから結婚についての愚痴なんだか惚気なんだかわからない話へと展開していく。
…正直そこまで赤裸々な、側近の私生活を聞きたくなかったわ。
彼女のおしゃべりがようやく終わったのは、息子のシャガールが戻ってきたおかげ。
彼は明日以降の宮廷での仕事について大臣の一人と話し合いたいからって、中座してたの。そのせいで母親の暴走を招いたと気づいた彼は、恐縮しきり。
「…気にせず結構。大変、興味深いお話でしたわ」
女王の矜持でなんとか絞り出したセリフだったけど、以降はあの怒涛のおしゃべりに対抗する技を身につけなくちゃって決心したわ。
だけど。
まさかまさか、ラファエロ夫人の話が役に立つ日来ようとは。
しかも、こんなに早くに、こんな状況で。
ああ、今日も海はとことん広く、豊かで――そして残酷だ。
母の愛と、張り合うほどに。
前回以降、書き直しに次ぐ書き直しで、結局物凄い場面転換になってしまいました。
一番書きたかった所までジャンプしちゃいましたが、許してもらえますか?