5.忠義者は愚直に沈む
身長165㎝で体重50㎏あるかないかの女性が、1週間で倍近い重さになってしまったらどうなるか。
病気か、さもなきゃ呪いとしか思えないわよ。
まったくこれほど恐ろしい消失技術もないんじゃなかろうか。
スレンダーな若い女性が、短期間で動くのも大変な肥満体になってしまうなんて。
ギンレー伯爵家の長女、シローネ嬢が世をはかなんで自殺を図ったのも当然だと思うわ。
助かったのは、彼女の重みに耐えかねて首吊りロープを掛けていた横木が折れたせい。その際肥えきった躰が落下した衝撃で、あっという間に事態は伯爵家全体、下女や馬屋番までが知るところとなったそうで。
救われないわ。
なぜか世間にも早々に広まった。伯爵が必死で隠蔽していたにも関わらず、だ。
もちろん婚約者の耳にも届く。駆けつけた侯爵家の令息は、彼女の姿を見て泡を食って逃げた。そして1か月後“真実の愛”とやらで結ばれた女性と結婚したいとほざいて、シローネ嬢との婚約を破棄した。
プラティネス侯爵シラケルド、最低な奴だと思う。
「シルヴァード卿、シローネ嬢――いえ、シローネ夫人は無事元の姿に戻って結婚なさったの。あまり気にしなくとも良いと思いますよ」
「お気遣いいただきありがとうございます。ですがそういう問題ではないのです」
シルヴァードは一瞬固く目を閉じて、カッと見開いた。
「そもそも兄があんな女に引っかかったせいです。何より、被害に遭ったのはシローネ様だけではありません」
「プラティネス侯爵夫人に有益な取引を強要して、断られれば妻や娘を醜い肉の塊にして脅す。確かに質が悪いわよね。女性にしか効用がないのは、良かったんだか悪かったんだか…」
誰だか知らないけど、作ったのはよほど体重と女性に苦労した奴に違いないわ。
「わたしは…いえ、プラティネス侯爵家は今後被害者の皆様に対して贖罪のために出来る全てを為す所存です。たとえ兄を廃し義姉を離縁したとしても、責任からは逃れられません」
いや、そこまで悲愴な決意を固めなくてもいいんじゃない。
「陛下、プラティネス侯爵家の存続をお許しいただき、恐悦至極に存じます。かくなる上は、この命尽きるまで力を尽くし、我が身が滅びた暁には、領地も財も王家に返上いたすことをお約束いたします」
ちょっと待って、言ってることが不穏に過ぎるわよ。
「なにを突然とんでもない…王家に返上ということは、プラティネス侯爵を終わらせるということですよ。そのようなこと、侯爵家に連なる方々が許すはずがないでしょう。貴殿はまだ妻帯していないようですが、今後娶られる奥方やお子様のことも考えて―」
「わたしは一生結婚はしないと決めました。養子も取りません。爵位と領地の返還とプラティネス家の断絶は、宣言と遺言にて明確に知らしめ、文句は言わせません」
んなアホな。文句が出ないはずがないでしょうが。
「シルヴァード卿、わたしは王としてそれを認めるわけにいきません。貴方自身の婚姻問題はともかく、プラティネス侯爵家を恣意的に断絶させることは、王命として禁止致します」
「陛下!?」
いやね、女王としても使命を持つ身としても、それはヤバいんだって。
そんなすがるような眼をしても駄目。
わたしの使命は貴方を救うことなのよ。生きてるんだか死んでるんだかわかんないような人生を送らせて、最期は何もかも消してしまうような昏い人間にするためじゃないわ。
「貴方の苦悩もわからないではありませんが、不幸に浸かって生きるような人間は、更なる不幸をまき散らすだけです。どのような運命が待つにせよ、幸せをあきらめて、更に周囲の人間にまでそれを強要する生き方はしないで下さい」
ああ、出来る事なら駆け寄って往復ビンタをかましながら――じゃなくて、手を握りしめながら物申したい。
でも、女王としての立場がそれを許さない。
シルヴァードは深く俯いた。肩が少し震えている。
こういう人だったんだな、この男。
だから三十路過ぎになって、国が滅ぼされた時――つまりゲームの時には、ああなってたんだ。
シルヴァード・プラティネス。
名門侯爵家当主にして宰相補佐の筆頭。
クリステラ王国の中でも、政治の中枢で辣腕を振るっていた彼は、攻略対象者の中では1番の年嵩で、いわゆるナイスミドルな大人の男。
いやー、彼を推すファンは結構コアなお嬢さんたちが多かった。
20歳過ぎの大人女子より10代半ばの学生、JCだのJKだのと呼ばれる娘たちに人気があったってところがまたねぇ。
ゲームのファンにささやかれていた彼の攻略は、影の宰相ルート。または腹黒官僚這い上がり行程。
それで大体察してもらえるんじゃないかしら。
ゴルト帝国に蹂躙されてもうダメだって時、慌てふためく宰相や王婿をよそに彼だけが冷静に行動して、王位の証である玉璽を含めた色々な品を確保したの。
逃げのびたヒロインが葛藤の末に国を再興するべく行動を起こして、玉璽を持つ元侯爵と邂逅するってのが、シルヴァードルートのストーリーなんだけど…。
会ったその瞬間から、もの凄くメンドクサイ奴だった。
『貴女様に国を再興するなど無理です』
だの
『一体なにを成し得るというのでしょうか、無力なわたしが貴女と共に在ったとしても』
だのと、とにかくまぁ否定するばかりで、こいつは一体なにがしたくて生きてるんだろうと頭を掻きむしった覚えがあるのよねぇ。
でもその苛立ちを抑えて進んでいくと、中盤以降、その本性というか、恐ろしくも目が離せない独特な魅力が出てくるの。
『ああ、これでもう煩わしいこともなくなりますね』
と言って、それまで笑顔を向けていた相手を瞬殺するシーンのスチルときたら…。これをネタにして投稿された2次作品のイラストや小説は山ほどあったもんよ。ただし、半数は“R-18”プラス“G”だったけど。
あの仄暗い人格の根っこは、この融通の利かない真面目さなのね。
「シローネ嬢、いえ、シローネ夫人に対しては、直接面会などを希望するつもりはありません。然るべき筋を通して、ギンレー家経由で謝罪をお伝えするつもりです」
「それがいいでしょうね、わたしからも口添えしておきましょう。当主交代とシラケルドの処遇も伝えておきます」
今は外国の高位貴族と結婚して、文字通りの貴婦人となったシローネ夫人。
1度は死を覚悟したほどの彼女だが、おぞましい消失技術の効果を打ち消す手助けをしてくれた男性と幸せな結婚をした。
あの男も要注意人物なんだけど、おいそれと手が出せる相手じゃないのよね。
その辺りは今後の課題だわ。
「シルヴァード卿、爵位就任と同時に宰相の下で、文官として働いてもらいます。遺憾とは思いますが、貴方を騎士団に――軍関係に置いておくことはできないの。理由は、わかっているわね」
彼の首がますます下がった。
悔しいでしょうね。今までずっと騎士団で実力を発揮してきたという彼だもの。たとえ家督を譲られるとしても、騎士としてのキャリアを捨ててまで欲しくはなかったはずだわ。
ゲームのスチルにはなかった頬の傷が、別の意味で痛々しい。
「拝命いたしました。どうかよろしくお引き回しのほどを、お願いいたします」
悔しさを秘めた従順さ。いつ壊れてしまってもおかしくない忠誠と、決して曲がることのない誠実さ。
ああ、ヤバいな。
シルヴァードにハマったお嬢さんたちの中にあったものが、わたしにもあるみたい。
今はまだいい。
だけど彼がなにかのきっかけで禁忌の楔を取り払ったら、底の見えない深淵がぽっかり口を開けそうだ。いけないのに覗かずにはいられない、そんなものが…。
恐怖を知らず、でも知りたい。そんな年頃の女の子がふらふらと寄ってしまうなにか、が。
「陛下、いかがなさいました?」
声を掛けられるまで、わたしはシルヴァード卿の綺麗な頭を見下ろし続けていた。




