2話 デートをしましょう!(2)
澄み渡った青い空に、さわさわと揺れる草木、そして鼻腔をくすぐる甘い花の香り。あまり人が通らない場所にあるためか周りは比較的静かで、しかも庭園はかなりの大きさだから、まるで森の中に迷いこんでしまったよう。まさにデートには理想的な環境と言える。
けれど、庭園のベンチに並んで腰かけるアルテシアとオズワルドの周囲には、重たい沈黙が落ちていた。アルテシアはちらりとオズワルドの顔を見上げる。彼の左頬にはくっきりとアルテシアの手形が残っていた。
はぁ、と小さくため息をつく。衝動的にオズワルドを叩いてしまったことに、アルテシアは罪悪感を抱いていた。これでは今までの苦労がすべて水の泡であるとか思う前に、ただひたすら申し訳ない。
胸がズキズキと痛くて、アルテシアは自然と何度目かの謝罪を口にしていた。
「本当に、すみません」
「ん? ……ああ、別に大丈夫だ。これくらいすぐに治る」
オズワルドは何でもないように言う。だけどどこか上の空のような感じがして、アルテシアはさらに落ち込んだ。――きっと、私の処分でも考えているんだわ。もしかしたらこれを理由に追い出されるかも……。こんなことをやらかしたと広めれば、シュミル王国は一切評判を落とすことはないんだもの。
もう一度、アルテシアは重いため息をつく。すごく胸が苦しくて、正直追い出されたあとのことを考える余裕などなかった。
(どうにかしないと……)
だけど、どうやって? そもそも私はどうしてこの国にいなければならないのだろう? そんなことをアルテシアは考える。アルテシアが追い出されることが決まったのならば、すぐにでもこの国を出た方がいいのでは?
――……分からない。もう、どうすればいいのだろう?
そんなことを考えながらアルテシアが思考を放棄しかけていると、オズワルドが声を発した。
「……少し、話を聞いてくれるか?」
アルテシアが彼の方を見上げると、オズワルドは真剣な瞳でこちらを見ていた。その瞳に射抜かれて、思わずどきりと胸が高鳴る。何故だか、ここから逃げ出したくなった。
だけどそんなことは許されなくて。アルテシアは小さく息を吸って吐くと、「何かしら?」と尋ねる。
オズワルドはしばらくじっとアルテシアを見つめ、やがてゆっくりと口を動かした。
「……俺は、先王を殺して王位についた」
その言葉に、アルテシアはあまり驚かなかった。やっぱり、という気持ちの方が大きい。
先王の時代、王太子は彼の長男である四十代の男だった。もし先王が亡くなった場合、順当にいけば王太子が国王となる。しかし、そうではなかった。王座に就いたのはオズワルドで、それはつまり、順当にはいかなかったということだ。
何があったのかは正確にはわからなかったけれど、クーデターが起こった可能性が一番高いとは思っていた。だったら、もしクーデターが起こったとすると、そのあとに王になるのは大抵クーデターの主犯者だ。つまり――オズワルドがクーデターを起こし、王族を殺すまたは幽閉したのだと、アルテシアは予想していた。だから驚きはしない。
「……そう。予想はついていたわ」
「…………そうか」
静寂が二人の間に横たわる。アルテシアは視線をオズワルドから逸らし、景色を眺めた。美しい庭園。お金をかけて入手したのだろうと思われる多くの珍しい草花。
だけど現在のシュミル王国に、大金をかけてこんな生産性のない庭園を作る余裕などない。となると、おそらく先王か、それ以前の時代に作られたものだろう。確か先王は庭園などの芸術品が好きだと噂で聞いたこともあったから、……。
ふと、今まで意識していなかった疑問が湧き上がる。
(……どうして、この庭を散策するのかしら)
クーデターを起こして王位に就いた彼にとって、この庭園は憎むべきものなはずなのに。どうしてこの庭に訪れるのだろう。
アルテシアはそれを尋ねようと口を開きかけて、……押し黙った。なんとなく、聞いたらいけないような気がして。それに……何故だか、オズワルドがどんな反応をするのか考えると、怖かった。
「――……俺がここに来る理由でも知りたいのか?」
ハッ、とアルテシアは顔を上げた。オズワルドは変わらない真剣な瞳でアルテシアを見つめている。ここで下手にごまかすのも良くないと思い、アルテシアは「……はい」と頷いた。
するとオズワルドは苦笑して、視線を庭園に向けると、ゆっくりと話し始めた。
「別に……ただ、思い出しているだけだ。あのバカな父親は、全く政治をするのに向いていない性格で、芸術にばかり関心があった。だからこの国は荒廃して、民は苦しんだ。……今もなお、多くの民はその日暮らすのもやっとで、明日やって来るかもしれない死に怯えている。――……知ってるか? 地方では赤子が生まれたら母親がその場ですぐに殺してしまうらしい。俺は、そんな社会を変えたい。だから……その決意を確認するために、この庭園をそのまま残している」
それを聞いて、アルテシアは敵わない、と思った。彼のこの国に対する深い愛情は、国民に対する愛情は本物で、アルテシア以上に国のことを考えているんだと実感した。
(悔しい……)
アルテシアは何もしてこなかった。レーヴェン王国にいた頃も、ただ民を憐れむだけで、国のためになることなどしてこなかった。誰かが国を救ってくれるのを待っているだけだった。
だから、私は――。
「……ねぇ」
アルテシアがオズワルドを呼ぶと、彼はこちらを向く。一度深呼吸をして、アルテシアは言った。
「私、あなたに協力するわ。あなたがこの国を豊かにするのを手伝う。だから、お願い、豊かになったらうちの国にもその技術を伝えて。……救いたいの」
するとオズワルドは僅かに目を見開き、……そして口元を緩めながら頷いた。
△▼△
アルテシアは変人だ。そう、オズワルドは改めて思う。一週間もの間、ずっとオズワルドの執務室に押しかけてきて、何故か下手なクッキーをオズワルドに渡し続けて……おかげでオズワルドは、次第に彼女のことがもっと知りたくなった。
だから彼女から「二人で庭園で話しあいましょ。これはデートよ」と言われて、オズワルドは即座に頷いた。二人きりで話しあうのはアルテシアを知るいい機会だと思われたし、何より、オズワルドは彼女に自らの過去を聞いてほしかった。
……寝ぼけていたらしく、平手打ちをくらったときには約束などしなければよかったと少しだけ思ったが。何しろ、いったいあんな細い腕からどうしてこれほどの力が、と思うほど痛かった。一晩経ってもまだ痛い。
「……なんか嬉しそうですね」
「そうか?」
サインを書く手を止めて、オズワルドはレオンを見た。彼はにこにこと嬉しそうに笑っている。……嬉しそうなのはレオンの方だと思うのだが?
(まぁ、だが……)
――確かに、少しだけ嬉しい。彼女がオズワルドがしたことを知って、だけど拒絶をしなかったことが、嬉しい。王宮の使用人は何も言わないものの、先王を弑逆したオズワルドのことを恐れていて、彼のしたことを知っていながら恐れないのは今までレオンしかいなかった。
それが嬉しい。良かったと、本当に思う。
そう思ってオズワルドが口角を上げたときだった。
「失礼するわ! さぁ、作戦会議をするわよ!」
そう言って、アルテシアが入ってきた。オズワルドは無表情を取り繕って、「ああ」と頷いた。
ラブコメっぽくなくなりました。
【予告】
明日、1話と2話の間に1.5話を加えます。ラブコメらしさを出したくて……順番通りにいかず、すみません。1.5話の後は3話を更新します。