1話 掴むのなら胃袋から!(1)
シュミル王国にやって来た翌日の昼、アルテシアはユイリアから簡単な報告を受けていた。アルテシアは部屋の中央にあるソファーに足を組んで座り、ユイリアはそんなアルテシアの対面にあるソファーに座って、聞きこみしてきた内容を話す。
「シュミル国王陛下は執務の最中、いつもベリーのクッキーと紅茶をお召し上がりになるそうです。紅茶の種類はその日の気分によって指定されたりされなかったりするそうですが、クッキーの方は毎日同じもののようです。あとは――」
とユイリアは話を続ける。嫌いな食べ物は特になく、特にこれを料理に入れるな、などと言われることがないらしい。あと、趣味は散歩なのか、よく庭園を歩いている姿が見られていて、その度に侍従に連れ戻されるのだとか。
「ふぅん」とアルテシアは呟く。意外と真面目なのね。脳筋かと思ったけれど、実はそうじゃないのかも。
アルテシアが心の中の『オズワルドメモ』に新たな情報を加えたり訂正したりしていると、ユイリアが尋ねた。
「それで、落とすとおっしゃっていましたが、具体的には何をするのでしょう?」
ユイリアの言葉に、アルテシアはにやりと笑みを浮かべた。
「そうね、まずは――」
△▼△
アルテシアがユイリアを連れて王宮の厨房へ行き、料理長を呼ぶように言うと、料理長がびくびくとしながらやって来た。五十ほどの、恰幅のいい男性である。だけど中身はなかなかの小心者なのか、瞳に怯えた色を見せながら引きつった笑顔を浮かべ、アルテシアに尋ねる。
「そ、それで、なん、なんの御用でしょう? りょ、料理に関してなら、へい、陛下に言ってくださらないと……」
「ああ、そうじゃないわ。食事は別にいいの。ただ、少しお願いがあって……」
アルテシアがそう言うと、料理長はさらに身を震わせた。――もしかして、脅されるとでも勘違いしているのかしら? そんなこと他国でしたら大問題だからしないわよ。……自国ではたまにやるけど。
そんなふうに思いながらアルテシアが料理長を見つめていると、彼はよりいっそう身を震わせた。びくびくとアルテシアの次の言葉を待っている。
少しだけ面白くなってきて、アルテシアが何を言わずに料理長を眺めていると、後ろからユイリアに肘をぶつけられた。どうやらユイリアは料理長が可哀想だと思ったらしい。もう少しだけからかっていたかったな、と思いながらアルテシアは口を開いた。
「そんなに難しいことじゃないと思うわ。ただ、少しだけ材料と調理場の一角を貸してほしいのよ。ほら、簡単でしょ?」
そう言ってアルテシアが微笑むと、料理長はあからさまにほっと胸をなでおろしながらも、視線を僅かに彷徨わせた。何か言いたいことがある様子。アルテシアがにっこりと笑いながら次の言葉を待っていると、料理長はこれまた怯えた様子でアルテシアに尋ねた。
「えーっと、そのぅ……王女様がご自分で、何かを作るのでしょうか?」
「ええ、そうよ。私が作りたいと思っているのはベリーのクッキーなんだけど、材料はあるかしら?」
それを聞くと、料理長は「ベリーのクッキー……」と呟く。そういえば、とアルテシアは思った。料理長ならば自らの主が執務中につまむものも把握しているだろう。だったらアルテシアがベリーのクッキーを選んだのには何かあると察するだろうし、怪しみもする。
納得しながらも、念の為ただ思いついただけだと言い訳をしようとして、はた、とアルテシアは止めた。……そもそも、否定をすることに意味はあるのかしら? どうせシュミル国王の元へ持っていくのだから、もう最初からばらしちゃった方がいいのかも。
そう思って、アルテシアは口を開いた。
「ええ、そう。実は陛下に差し入れをしたいなと思ってね」
すると、ユイリアに後ろから肘つきをかまされた。抗議をしようと振り返ると、彼女は半目でこちらを見つめている。……何かやらかしちゃったのかしら? アルテシアは身を震わせる。こういう目をするときは大抵、アルテシアがやらかしたときだ。後で説教が待っている。
嫌だなぁ、と思いながら視線を前に戻すと、料理長がなにやら考えこんでいた。ぶつぶつと一人で呟いていたかと思うと、唐突に「わか、分かりました」と言う。
「それならば、た、たぶん大丈夫です。では、こちらへ……」
そう言って料理長はアルテシアを案内しようとする。その途中ではた、と立ち止まり、恐る恐るとでもいうように尋ねた。
「し、失礼ながら……お、王女様は料理をなさったことがおありで?」
その質問に、アルテシアはふん、と鼻を鳴らした。
「そんなこと決まってるじゃない。私を誰だと思っているの?」
料理長は「お、王女様です……」と言う。あら、よく分かっているじゃない、と心の中で呟きながら、アルテシアは自信満々に告げた。
「だったらないに決まっているでしょう? だけど私は王女。きっと一発で成功させるに違いないわ!」
アルテシアの言葉に、料理長は呆然としている。ぶふっ、とどこからかこらえきれない笑い声が聞こえ、ユイリアのため息がやけに大きく聞こえた。
調理場の一角を借り、料理は重労働だからドレスではちょっと……と言う料理長の助言に従って、アルテシアはユイリアのメイド服を着て立っていた。そんなアルテシアを見て、メイド服を貸した本人は必死に笑いをこらえている。だけどそんなこと気にせず、アルテシアは料理長がありがたく作ってくれたレシピを元に料理を始めた。
金属製のボウルにバターと砂糖を入れ、すり混ぜ始める。ここからもうかなりの重労働で、アルテシアは料理長の助言に感謝した。ドレスだったらひらひらと揺れる袖が中に入ってしまうだろうし、何しろ動きづらい。
ある程度混ぜると、アルテシアはふぅ、と息をついて泡立て器を置いた。ポケットからハンカチを取り出し、額に滲んだ汗を拭う。厨房は火を使うから熱気がこもってしまうし、普段使わない筋肉を使って運動をしているから、自然と暑くなってしまう。
ハンカチをしまうと、アルテシアは材料の入ったボウルを見た。少しまだ塊が残っているように見えるけど、まぁ大丈夫だろう。満足げに頷きながら、料理長がアルテシアの代わりに割ってくれた卵をかき混ぜる。本当は全部自分だけの力で作りたかったのだが、卵の割り方が分からなかったので頼んだのだ。ちなみにユイリアにも手出しは無用と言ってある。
そんなことを考えながら溶いた卵を少しずつボウルに加えて混ぜていく。ある程度混ざったかな、というところで腕を動かすのをやめ、アーモンドパウダーと薄力粉をふるいにかけたあと、ボウルに加えた。そして今度は泡立て器ではなくゴムベラで混ぜ始める。
「あの、アルテシア様……」
ユイリアが後から話しかけてきた。その声はどこか案じるような響きを帯びていたが、アルテシアは背を向けたまま拒絶をする。
「だめよ、ユイリア。口出しは無用って言ったでしょ?」
「……そうですか。では、私はどうなっても知りませんから」
そう言うと、ユイリアは再び黙りこくった。どうしたのかしら? とアルテシアは思いつつも、作業を進める。
しばらく手を動かし続け、もう大丈夫かな、というところで手を止めると、絞り袋に生地を詰めこんでいく。そして薄い紙のシートを敷いた天板の上で、丸を描くように生地を押し出した。
けれど。
「あら?」
上手くできなくて、円というよりはいくつかの点になった。直さなくちゃ、ということで円を繋げるように隙間に生地を絞り出す。
けれど。
「あらら?」
今度は出すぎてしまい、一部分だけ盛り上がってしまった。うーん、と唸ったあと、仕方なしにそのままにして、今度はもう一つの円を作る。
けれど。
「あららら?」
またもや綺麗な円は描けず、継ぎ足すことに。そんな感じにぶきっちょな円を十個ほど描くと、丸の中央にベリージャムを落とした。全体的にたっぷりとなってしまったが、きっとこっちの方が豪華に違いない。
やっぱり私には才能あるわね、と思いながら、次にジャムの周りにまた生地をぐるっと絞り出す。また円が途切れてしまったので継ぎ足しながらやっていくと、五個目を終えたところで生地がなくなってしまった。
(まぁ、これでも十分でしょ)
ふふん、と鼻歌でも歌うように、アルテシアはオーブンへと向かった。天板の上のクッキーを見て料理長は顔を真っ青にしたが、アルテシアは気にせずにオーブンに入れる。
「それじゃあ、よろしく」
「は、はい……」
危ないから、と言われたためオーブンを料理長に任せ、アルテシアはユイリアの元へ向かった。
そして二十分後。アルテシアがオーブンから天板を取り出すと。
「あら?」
その上には、クッキーと思わしきボロボロの物体が乗っていた。