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プロローグ 落としてやるんだから!(1)

 ガタガタと揺れる馬車の中で、二人の少女が向きあっていた。一人は黒髪黒目をしていて、きっちりとメイド服を纏ったいかにも真面目そうな少女。そしてもう一人は紫色のドレスを着て、波打つにんじん色の髪と新緑の瞳を持つ少女だ。彼女は手と足を組んで座っており、つり目がちな瞳がたった一人の自らの侍女を射抜く。


「……ねぇ、ユイリア」

「はい、何でしょう、アルテシア様?」


 アルテシアの苛立ちを押し殺した声に、ユイリアは冷静に返事をする。そんな態度に、アルテシアは片方の眉を上げた。……ムカつく。ユイリアはいっつも冷静なのよね。なんだか私ばかり焦ってて、馬鹿にされてるみたいに感じちゃう。

 ――それに救われることが多々あるから、彼女を優遇しているんだけど。


 さらにユイリアはアルテシアの乳母の子供、いわゆる乳姉妹だから、アルテシアへの物言いに遠慮がない。いつもアルテシアが何かしらいけない事をやらかすと、黙って後始末をするほかの侍女たちの代わりに、何がいけなかったのかこんこんと諭してくれる。それは普段様々な人から遠巻きにされるアルテシアにとって、とてもありがたいことだった。


(……って、そんなことを考えている場合ではないわ)


 あまりの現実に、思わず現実逃避をしてしまった。目を瞑って軽く首を振ると、アルテシアはユイリアを見やる。


「――なんで私たち、馬車の中にいるのかしら?」


 アルテシアの声が馬車の中に落ちる。つい先日まで、アルテシアはレーヴェン王国の王宮の片隅で静かに暮らしていた。十六歳になって社交界デビューの年になろうとも決して夜会に参加せず、十九歳にも関わらず婚約者を作らず、ひっそりと穏やかに生きてきた。

 ――なのに、一体全体、どういうことだろう?


「それはもちろん、シュミル王国の国王陛下に輿入れをするためです、アルテシア様」

「だから、どうして突然輿入れすることになったのかってことよ!」


 パチン、と苛立ち紛れにアルテシアは手のひらを振り下ろした。そのつもりはなかったのに太ももに手が当たってしまい、痛みに顔を歪める。だけど心の中の苛立ちが消えることはなかった。

 ――もうっ! 本当に、どういうことなのかしら! アルテシアはふてくされた表情を浮かべて、再び腕を組む。一生隠れて、誰とも結婚することなく死んでいくつもりだったのに……まさか、四十以上も年上のシュミル国王へ嫁がされるなんて!


 シュミル王国はアルテシアのいたレーヴェン王国の北にある国だ。レーヴェン王国よりも農地に恵まれており、少しだけ豊かだと聞く。そんなシュミル王国の国王は御歳六十五。王妃は既に亡くなっており、アルテシアよりも年上の王子王女が大勢いる。そんなところに嫁入りするなんて、正直拒否したくてたまらない。

 不満を露わにする自らの主を見ても欠片も冷静さを失うことなく、ユイリアは口を開いた。


「仕方ないでしょう。それが援助を受ける条件なんですから」


 ユイリアの言葉に、アルテシアはそっと目を伏せる。王宮から出る際に見えた寂れた王都の光景が脳裏に浮かび、きゅう、と胸が苦しくなった。


 王宮の隅でひっそりと生きてきたアルテシアだが、市井を知らないわけではない。昔、乳母が存命だった頃、何度か社会見学を兼ねてこっそり王都を歩いたことがあった。そのとき見た王都は活気に満ちていて、たくさんの人々が大通りを行き来していて、呼びこみの声があちらこちらから響いてきていた。だけど五年前に乳母が亡くなってからは王宮の外に出ることはなくなり、……そしてつい先程、城を出る際に久方ぶりに見た王都はかつての面影などなく、ひどく寂れていた。


 近年異常気象が多発しており、蝗害なども頻発していて国庫は減る一方だと、話には聞いていた。そのためにシュミル王国に援助を求め、その交換条件がアルテシアとシュミル国王の婚姻だとも。だけどあれほどまで衰えているなんて、アルテシアには信じられなかった。

 それと同時に、アルテシアは決意を改めた。このままではこの国に未来はない。私が嫁がなければ――と。

 ふぅ、と息をつき、顔を手で押さえる。


「……ごめんなさい、ユイリア、当たってしまって」

「いいえ、別に。私はアルテシア様に仕えているのですから、当たり前です。……それに、もう慣れてます」

「ふふ、ありがと」


 手を下ろし、アルテシアは微笑む。ユイリアもこのときばかりはいつもの鉄仮面を外し、淡く笑みを浮かべた。やっぱり心強いわね、とアルテシアは心の中で呟く。生まれたときから一緒にいたユイリア。彼女がいるのならば、見知らぬ土地に行く恐怖心も薄らぐ。

 そんなアルテシアを見て、ユイリアはくいっと口の左端をわざとらしくつり上げた。


「やっと私の有能っぷりが分かりましたか。さぁ、もっと敬ってひれ伏しなさい」

「いや、さすがにそれはできないから」


 くすくすと明るい笑い声が馬車の中に満ちる。アルテシアはひとしきり笑ったあと、少しだけ体勢を崩した。馬車の揺れがより体に響く。

 ぽつり、と呟いた。


「……これからどうなるのかしらね」


 アルテシアも、レーヴェン王国も。レーヴェン国王はシュミル国王とアルテシアの嫁入りの代わりに援助を受けるという条約を結んだらしいが、ちゃんと果たされる保証はない。

 重たい沈黙が、馬車を満たした。




 それでも馬車は止まらない。北にあるシュミル王国の王都へ向けて、ゆっくりと、確実に近づいていく。

 そして一週間後、馬車はシュミル王国の王都に入った。



△▼△



 ちらりと窓からシュミル王国の王都を眺め、アルテシアは顔を顰めた。……雰囲気が悪い。街往く人々の顔色は総じて青く、くたびれた服を纏っていた。呼びこみの声も張りがなく、露天に並ぶ食べ物は小ぶりで数が少ない。

 そのことに違和感を抱いたのはアルテシアだけではなかったらしい。対面に座るユイリアも、窓の外を眺めながらぽつりと呟いた。


「……想像と違いますね」

「そうね」


 レーヴェン王国から持ちかけたとはいえ、シュミル王国は他国の援助を受け入れたのだ。それならばシュミル王国はレーヴェン王国よりも豊かなはずだ。むしろそうでなければならない。

 なのに、これはどういうことだろう? シュミル王国の王都はレーヴェン王国と同じくらい……もしくはそれよりも衰えているような気がする。王都に来るまでにいくつかの村々も通ったが、そこもあまり活気がなかったようだし……。

 ――何かがおかしい。

 アルテシアの胸のうちにあった不安が、さらに大きくなった。


 馬車は王宮へ向けてゆっくりと進み、王宮の門へ着くと止まった。おそらく許可があるかどうかの確認だろう。すぐに終わり、中に入れると思ったのだが……これがなかなか終わらない。やがて何やら言い争いまで聞こえるようになり、アルテシアとユイリアは顔を見合わせた。

 アルテシアがユイリアに合図をすると、彼女は頷き、こっそりと馬車の扉を開けて外へ滑り出る。扉が開かれたことによって、声がさらに大きく、はっきりと聞こえるようになった。アルテシアは言い争いに耳を傾ける。


「帰れ!」

「そんなわけにはいかないだろう!? 中におられるのは貴国の王妃となるアルテシア様だぞ!?」

「そんなの知るか! そもそもその……アルテシア? 様を娶る予定だった王は死んだのだ!」


 聞こえてきた声に、アルテシアは目を見開いた。……シュミル国王が崩御した? そんなの聞いてないわ。アルテシアはきゅ、と胸元で手を握りしめる。それが本当ならば、条約はいったいどうなるの? レーヴェン王国の国民はどうなるの??


 アルテシアが呆然としている間にも言い争いは白熱する。それでも条約は結ばれたのだ、果たすのが筋だろう? そんなわけない、新たな王に代わったのだから条約は無効だ! 違う、何しろ条約は国と国同士で結ばれたのだから。いや、国王同士で結ばれたものだ! 声は徐々に大きくなり、ユイリアが馬車の中に戻ってきた。「……そういうことらしいです」と告げる顔には、アルテシアと同様に不安の色が浮かんでいる。

 そのときだった。


「――何事だ」


 場を咎めるような低い声が辺りに響いた。

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