指輪への不信感
神流の眼球に奇妙な光景が流れる。
2人の背中から透き通る薄白い靄がズズズと浮き上がり、それが自分の方へ縒り紐のように緩い螺旋を描きながら流れて来るのを理解した。2人の身体の表面で何度も強く途切れるが糸に撚り
直すようにまた繋がり神流へと引き寄せる。
神流が身を捩って避けても方向を変えて流れを変えるだけで指輪との繋がりは途絶えない。
「くうっ!?」
温度の感じない汗が次々と背中に浮かび動揺する神流を湿らせていく。
「止めろ!!」
嫌な予感に神経を突き刺された神流は、嫌悪の表情を露にし黄金の指環を右手で覆い強く堅く握り締めた。
手首の血管が浮かび上がる程きつく絞め。
関節が外れそうになる程握力を入れ。
噛み締めた奥歯がミリミリと悲鳴を上げる程、指の靭帯を潰し。
突き立てた爪が割れ剥がれそうな程めり込ませていた。
「やっぱり呪われた邪悪のモンスター指輪かよ。余計な事をすんな!」
━━止まれ! 止まれ! 止まれっ! 頼む!止まってくれぇ!
意志が通じたのか、願いが届いたのか、その勢いは段々と治まっていき途切れる。深く息を吐き握り締めていた手を躊躇しつつゆっくり開いた。絞め過ぎて血流が急激に止まってしまった結果、親指が鬱血し青紫に変色していた。
望み通りになったにも関わらず、神流の頭の中で泡立つ泡のように増えた嫌な想像が網の目のように張り巡らされていく。何度も何度も目を擦り、輝かしい光沢を魅せる黄金の指環を睨み凝視する。
吸収する動きを完全に止めた指輪は鈍く薄暗く明滅を繰り返すだけであった。真剣な表情に暗鬱な陰影を落とす神流。
━━この指輪は一体何をしてたんだ? まさか映画みたいに寿命とか引き抜いたんじゃないだろうな……?
浮かんだ恐怖の疑念と拭いきれず滞る不安で刺繍された不快なヴェールが、心の表層を這いずるように覆っていく。背中を濡らしきった冷や汗が背骨を滑るように伝いスラックスを湿らせ始めると、口の中で声にならないような呟きが生まれていた。
「止めてくれよ。マジで本当に本当に本当に本当に…………」
目の前の事象を理解も出来ず、判別もついていない状態で神流は切に思い続ける事は1つ。
━━原因が自分であって欲しくないと。
異変に気付いたマホとマウの2人は不思議そうに心配そうに神流を見つめていた。
「ーー!」
その視線と表情に気付いた神流だが、芽生えた不安を払拭する術が見当たらず2人に謝る事も出来ないでいた。唾を飲み込み頷き見間違いだと無理矢理に自分を言い聞かせマホとマウに声を掛けた。
「わっ悪い悪い、放っておいてゴメンゴメン。えっと……そうだ。そろそろ戻ろうか……」
暖炉にくべる分の薪を担いで呼吸を整えながら戻ると少し遅めの昼食に呼ばれた。
━━見間違いでも、すげえ気になる。呪うなら俺だけ呪えばいいのに……クソッ。だが疑心暗鬼の状態のままじゃ、皆に不安が伝染してしまう。ここは仕事とプライベートと割りきって考えるのを止めよう。よしそれでいく。
弱冠浮かないかった神流は中に入る前に髭の無い顎と張りのある顔を撫でて気持ちを切り替えた。食卓には木を削って作られたスープ皿が並び、芋の粉を煮込んだ温かいスープが注がれていた。具には何かの茎や葉や木の実が色取り取りに入っているのが見え、神流の表情に高揚感が浮かぶ。
━━この世界に落とされてから初めてのまともな食事だ……。
「神流さん、冷めない内にどうぞ遠慮なく」
ミホマは薪割り等の重労働を率先してこなした神流を労うように食事を勧めた。促された神流は木造りのスプーンを熱い芋のスープに浸すと火傷しないようにゆっくりと口に持っていき啜った。
「あっ温かい。お芋のいい薫りがします」
━━超薄味で味はあまりしない。けれど素材の香りが食欲を後押しする。……量が少ないのは想定してたから平気……だと思う。
神流は噛むようにゆっくりゆっくりスープを胃に納めていく。
「…………」
神流は不意に胸が熱くなり、込み上げてくる感情を強く感じた。訳も解らず空から落下し、全く知らない異世界に辿りついた。独りで不安だらけだった。獣にも襲われた。知ってる者も助けてくれる者も居なかった。
自分は本当に1人なんだと心の底で認めてしまっていた。それを誤魔化すように現実を否定しながら、前向きに生き伸びようと足掻いた。
━━見ず知らずの自分を家まで連れていってくれたマホとマウ、見ず知らずの俺を普通に受け入れてくれ治療までしてくれたミホマさん、そして食事までご馳走になっている状態だ。
優しさという心に直に触れた気がした神流。香り立つ温かいスープが喉を通る都度、緊張の糸が緩み感謝と感動が混ざった気持ちが止めどなく溢れてきて胸がいっぱいになってしまった。
「神流さん、どうかされましたか?」
「カンナ、泣いてる?」
「いやっスープの熱い所を飲んでしまって……アチチアチチ……」
━━受けた恩は……必ず形にして返して見せる。
神流の心に、この世界で最初の目的が力強く胸に芽生えようとしていた。唇を噛み締め涙が溢れないように上を向いて食事を続けた。
「御馳走様でした」
神流は頭を下げて食事のお礼をする。食後の片付けを手伝い、そそくさと1人で裏手に回り納屋の片付けをすることにした。使える物を探しながら土埃を舞わせ片付けをしていると棚の上に背中に背負う籠と皮革の水筒を見つけた。
「うん、これは使えそうだな」
~~~***
「ーー栗でも落ちてないかな」
━━マホとマウは昼寝をすると聞いた。
神流は1人で山小屋の近くを散策している。その姿は籠を背負い片手に木の枝、その反対の手には錆びた鉈を握る不恰好なフォルムだ。左手に持つ木の枝を軽く回し周囲を眺めながら拾えそうな物が無いか少しづつチェックしていく。
━━ふん、格好悪くてもいいよ。狼や野犬対策の護身武器を手に入れた俺は無敵。……とは思うが、もう怪我したくはないから遭遇しても戦わず逃げると心に固く誓っている。学生服に籠ってさ、学校とかに在った薪を背負って本を読む銅像が浮かぶんだよな。農業高校の生徒と言えば通じるかも知れない。
神流は手に持ってる鉈をブランブランさせている。
━━鉈とはいったが、日本の鉈と違い少し長くスペインで使われるマチェットに近い。錆びてるとはいえ、コレを狩りや農作業で普段持ち歩くとしたらかなり物騒だ。銃刀法に引っ掛かるんじゃないのコレ?
「法は破ってしまうかも? だが鉄だからな鉄の安心感。武器になるから無防備では無くなった。盾や鎧とは言わないがヘルメット位は欲しがったかな」
━━危険がある場所では、物騒な分だけ心強いという事実に気付いた。肉食獣の被害者になって初めて理解出来る心情になる。素手とは比べ物にならない安心感だ。
神流は腹の辺りを眺める。
「ハァ、マジで腹減った。こんな台詞をリアルタイムで言う日がくるとは……労災も貰わず昼休憩を返上して初日からサービス労働……」
そして、大きく息を吐き出して空を見上げた。
━━さっき昼食をご馳走になったが、とにかく腹と背中がくっつきそうなほどの空腹を感じている。かといって近くに買い食い出来るコンビニやファストフードの店が在る訳もなく自分でどうにかしなければならない。生きてる内に半サバイバル生活から抜け出せる日が来るのか心配になるよ。
━━仮に苦労して運んだ狼を調理して出されても食べれる自信がない。むしろ吐く可能性まである位だ。なるべくアレを食べないでどうにかしたい。せっかく文明の利器を手にしたんだ。動ける内に食えるものを自分で探してみよう。と俺の中では結論が出ていた。狼と再遭遇の危険は有るが、食欲という原始時代からある欲望には勝てない超空腹なら尚更だ。
意識を空から現実に戻す。
「……取り合えず地球の植物に近い最初の梨みたいな木の実がベストで、第2候補が山菜とかだな」
━━自生してる訳解らない植物が多過ぎて、どれが安全かさっぱりだ。ちゃんとした異世界山菜の知識が無いのが悔やまれる。
「うーん、一応これ試してみようかな?」
神流は近くに薄い緑の葉をつけた自分の背丈位の木に目をつける。枝を地面に置いて柔らかそうな葉を一枚千切るとズボンで擦る息を吹き掛けて口にしてみる。
「おっ意外とイケ……! ブエエェッペッペッ苦ぇ。駄目だ身体に悪い、これハズレ」
ガッカリしながら一通り周囲を探してみるが、食べられそうな物は特に何も見つから無かった。捜索範囲を拡げていく。
「━━!確かあれは平気っぽい筈」
神流の視線の先に黄色や橙色の花がひそやか咲いていた。近寄って花弁を千切ると口に放り込んだ。
「うあ、クレソンの匂いがしてチョッと辛味があるな」
━━えっと金蓮花だっけ? 昔、婆ちゃんに無理矢理に、食わせられた記憶がある。今は、こんなんでも大事な食材だ。
金蓮花の花と葉を有るだけ摘み取って籠に投げ入れる。
「これだけじゃ全然だな、野うさぎとか猪とか生息してるのかなぁ? 犬や狼より全然マシ」
━━まあ、居たとしても捕まえる手段が無いし、狼に全部喰われてる気がする。あの狂った狼は、やっつけれたけど武器を振るうのはまだ抵抗感がかなりある。
神流は新たな収穫物を探し歩き始める。
「んっ!? おっ、有ったよ」
30分ほど歩いただけで、自生する野生のヨモギとタンポポを見つける事が出来た。
「ここなら車の排ガスやペットの小便も気にせず採取出来る」
収穫して周辺を回るとアチコチに生えているのが解っていった。神流は少しでもカサ増しをしようと手当たり次第籠に入れ奥へ奥へと進んで行く…………。




