セーラー服とヴェネチアンマスク
黒色の年季の入った、レッドの父親の外套を羽織った神流は、クワトロ永久要塞の城の入り口に来ている。城の入り口と言っても、平民街にある軍需物資の搬入と搬出が、メインの衛兵用の出入り口である。
「旦那様、此方の受付で手続きの方をして下さい」
ドーマが、要塞の中を慣れた感じで、スムーズに案内してくれる。神流が、ドーマと共に受付に身分証とメダルを預けると、能面な衛兵からキツク睨まれるが、いつも通り刻印の力で友好的に変化し忠告を促される。
「中で余計な事をしないでくれよ、俺が怒られるから」
「勿論しません」
奴隷商の資格を持つ者は、オークション前に奴隷の下見が許されている、一般より準備する金額が多いからだ。ドーマを同行させて来た理由は、身分証書が赤縞の神流では、単独での奴隷の引き取りが出来ないからだ。予想通り釘を刺された、刻印の力が無かったら、機嫌次第で駄目と言われかねない。
━━ファルナス・レティオス子爵の書状で、ゴリ押しを出来るかも知れないが、その手段を取る事は得策ではない。
身分証書が赤縞で平民の神流が、スッと子爵の書名の入った業販優先許可書を添えると衛兵達は、あからさまに驚きの顔を見せた。手続きを終えると、横にある威厳を醸す重厚な扉が開き神流とドーマは通される。身形の良い獄卒兵の後に付いて行く。
通路の先の簡易扉を抜けると薄暗い中にボヤけた通気孔の光と少ないランプの灯りが、下に降りる内部階段を心細く照らしていた。牢獄独特の湿気ある空気が漂い鼻腔を擽る。1階と2階が、軽犯罪者用の簡易留置場所らしく奴隷もそのフロアらしい。神流は率直な感想を漏らす。
「こんなに物々しい雰囲気出すと行きたく無くなるな」
「旦那様、足元が見えにくいので、お気を付け下さい」
ドーマが注意を促す中、地下2階の入り口に着いた。獄卒兵が解錠して少し錆びが浮いた鉄格子の扉を開ける。 神流は、血糊が付着した鉄格子を一目見ただけで暗鬱な気持ちに侵されそうになった。
「オークション待ちの奴隷達はこの中だ。人族の女は1番奥の檻に居る。此所に居るから、何か有ったら直ぐ私を呼べ」
獄卒兵は階段の方を向いて沈黙をしている、中でのやり取りには干渉しないようだ。
「心得ております」
ドーマが獄卒兵の手に中銅貨を握らせた。チップ的な意味合いなのだろう。神流は用意してきたヴェネチアンマスクを装着する。
━━佇まいと口調は奴隷商人を雇う悪い貴族的キャラで行こう。
薄暗い廊下を奥へと進む、人や獣人の酸っぱい臭いに噎せそうになる。牢の中には白い虎の獣人ばかりだが、人間とのハーフやクォーターも一緒に入れられている。
2人は恨めしさが籠った沢山の陰鬱な目から、憎しみの対象として睨み付けられる。慣れてるドーマは品物としか思ってないせいか、全く気にも止めていない。
━━俺は、外套とマスクのお蔭で、直視しないで済むが、何とも言えない気持ちになった。
2人は廊下の突き当たりまで来た、目の前の部屋を覗くと薄暗い牢屋の中で、手を縛られボロボロに擦れたセーラー服の少女が、艶を失った長い髪を茣蓙を敷いた床に付け寝ていた。
人の気配に目を覚まし軽蔑した黒い瞳で此方を睨む。神流は、声色を変えて話し掛ける。
「オイ女、後ろのアレはなんだ?」
━━此方を睨み付ける少女の後ろに薄くシジルゲートが浮かんでいた。べリアルの物でもアスモデウスの物でもない。鍵と交通標識が交ざったようなマークだ。
ただ、数秒で形を保てず消えようとしている。神流の指環は、どれ1つ反応を示さず沈黙を保っていた。良く見ると少女の左の耳朶についたラピスラズリのピアスが、極僅かな燐光を放って見せた。
━━この少女のゲートなのだろうか聞きたい事は山程ある。
「旦那様、どうなさいました?」
「後ろ? こんな所に何もないわよ。そんな事よりこの縄をほどいて!」
━━ドーマは勿論、少女にも見えないようだ。ゲートが薄いからなのか、魔力が有るかどうかが問題なのだろうか、甚だ疑問だ。
直ぐにシジルゲートは形を保てず薄れて消えて行った。
「望みは叶うだろう」
神流は、少女にそう言い残して後にする。2人は、廊下の入り口に居る獄卒兵の所に戻り購入する旨を伝えてから、1階の受付に先に上がって行く。暫くすると縛られた少女が、獄卒兵に連行されて受付まで上がって来る。
受付で確認した後に支払いを済ませ、サインされた業販優先許可書と身分証を返却された。
因みに少女奴隷の値段は、中銀貨1枚で手続き費用が金貨1枚だ。オークションでのセット価格の方が、かなり安いかも知れない。
━━業販優先許可書は、貴族の余興の1つなのだろう。想像もしたくない事だ。
奴隷商の資格を持つドーマに乱暴をしないように言い付けて、購入した少女の縄を引かせ屋敷に向かう。
平民街では日常的な風景なのか、誰も此方を気にすることはない。疲れが見える少女が、不安気にドーマに聞いてくる。
「ねえ、何処に連れていくの?」
「旦那様の屋敷だ。黙っていろ」
ドーマは、奴隷の少女に厳しい口調で言うが、扱いにはかなり慣れていた。神流は、ずっと沈黙している。少し重い空気が漂うが、大通りを抜けて直ぐに神流の新居に辿り着いた。
「おっお帰りなさいませ、新しい御主人様? と前の御主人様」
ヴェネチアンマスクを着けたままの不審な神流とドーマを緊張感たっぷりのイーナが、出迎えにくる。
レッドは用事で出掛けてるらしい。
「旦那様に迷惑を掛けてないだろうなイーナ?」
「はっはい、掛けてません1回も」
ドーマの神流に対する忠誠心が口の端に厳しく出る。
「ならいい……旦那様、御用がお済みでしたら、私は倉庫に戻りますが宜しいでしょうか?」
「色々助かった。そうしてくれ」
貴族でもないのに我ながら偉そうな物言いだなと思いつつ、ドーマを帰す。今度、美味しい物を御馳走しよう。
屋敷の中を無機質に眺めてる少女に暴れる行為と暴力行為を口約束で禁止する。その後にべリアルサービルで、腕の縄を切り自由にした。
横で此方をずっと見てるイーナに言い付ける。
「彼女を浴場に案内してくれ。入浴が終わったらレッドの着替えをどれか渡して広間に連れて来て欲しい」
「はい、新しい御主人様!」
イーナに先導され謎の少女は、2階に上がって行った。浴場と聞いた少女の顔に軽い驚きと微笑が浮かんだ。神流は、厩舎に行きオルフェに餌と水をやると鬣を撫で話し掛ける。
「居心地はどうだ? 中々構ってやれなくてゴメンな。お前の出番は必ず来るから待っててくれ」
神流は、屋敷の中に戻ると台所で料理の仕込みをしてから軽い軽食を作り広間に持っていって並べる。ダイニングテーブルに座り2人を待っていると、レッドの部屋着を着た黒髪の少女を連れてイーナが広間にくる。
「言われた通りにしてきました。新しい御主人様」
「ありがとうイーナ、後で呼ぶから仕事に戻って欲しい」
「はい、新しい御主人様」
イーナはトテトテと自分の仕事に戻って行った。神流は幾分か表情の柔らかくなった少女を見て声を掛ける。
「席について貰えるか」
少女が黙って席につくと神流は、外套とヴェネチアンマスクを外して少女に顔を見せる。
警戒心の混ざった無機質な感じだった少女の顔が、驚愕の表情に変わる。
自分が受けた驚きと同様のリアクションに神流は、間違いなく彼女が日本人だと確信した。




