派遣の初心
茜色の空は、何処までも何処までも、終わらない夕暮れを演出している。
アルマンドの負傷は、想定外だったが大凡の目的を果たし、新居に戻る2人。
その遠目に映ったのはパサついた栗色の髪を無造作に伸ばし、裸の上にボロボロの継接だらけの麻の服を着けた奴隷の幼女だった。
その幼女は、ひた向きに門を隅々まで掃除している。
「おいチビッ子、アッチの家に何してるんすか?」
早足で少女に近付いたレッドが、後ろから声を掛ける。
「えっ、あのぅすみません」
レッドに凄まれた幼女が、手に汚れた布を持ったまま戸惑いを見せ眦をウルウルさせ怯えて謝るとレッドは頭をグイッと押されて退かされる。
「もう来たのかいイーナ、手が空いたらでいいと言ったのに」
「直ぐに役立つようにと御主人様が送ってくれました」
幼女は、神流を崇拝するように茶色がかった黒い瞳で視線を反らさず見つめる。神流は少し困った顔をして少女を誉める。
「門の掃除までしてくれたのかい、其にしても門の前に置き去りにするなんてドーマの奴は叱ってやらないとな」
「ワタシが、置いて行って下さいと御願いしたんです。この布も御主人様に頂きました」
「旦那~何時までアッチを放ったらかしにするんすか?」
頬をハリセンボンのように膨らますレッドを余所に神流は紹介を始める。
「家事手伝い見習いで来て貰ったイーナだ」
「御主人様から、御主人様の御主人様の召し使いになるよう命令されて来たイーナです。今日から命を懸けて働きます」
握った布を力一杯キュッと握り自己紹介を済ませる。
「アッチに何の断りも無く何でですか? アッチに不満すか?」
良く解らない主張に対して神流の顔には目を細める呆れた表情が浮かんだ。
「お前は家事を殆ど出来ないだろ? それに家の事は手が足りてないから良いの。ハイ終わり、もう中に入るぞ」
夕暮れが3つに増えた影を長く伸ばして扉へ誘った。
神流は、ドーマと奴隷の細かい処遇や業販優先許可書について相談をする中で、肉体労働専用の奴隷達を購入した際にオマケでイーナが付いて来たという話を聞いた。
どう見ても肉体労働に向いていないのが、明白なイーナの事が気になりドーマに手が空いたら、新居での家事を手伝いに来させて欲しいと話をしてあった。
「わぁ、綺麗で大きなお家ね。掃除するところなんて全然見当たらないわ。でも頑張る、御主人様の御主人様。ワタシに何でも命令して下さい」
「解ったよ、じゃあ命令する。レッドと薪を焼べてお風呂に入って来て欲しい。レッドは、入浴の後イーナに着替えを渡してくれ入浴の際は掛け湯してから浴槽に入る事」
「はい御主人様の御主人様」
「ええ~仕方ないですねぇ。チビッ子、付いて来るっす。泣くんじゃねぇっすよ」
「はい泣きません」
ガキ大将のレッドが、イーナを引き連れて外に行くのを見届けた神流は、台所で、いつものトマトスープを作り始める。
細かく切ったトマトとスモーク・サーモンを入れて煮立たせる。仕上げにパリッと割れそうなレタスと紙のように薄く切って水でさらした玉葱を乗せて飾り付け角状に小さく切ったチーズを散らして完成させた。
新しく買ったアイボリーの陶器皿に盛り付け鼻唄まじりに広間に運ぶ。
食卓テーブルの上では、皿の中で泳ぐ熱々のトマトとスモーク・サーモンが、その香ばしさを迎えるように広げていた。並べた大きな皿には、カットして軽く焙った胚芽パンと白パンが添えてある。
暫くすると入浴を終え着替えた2人が階段を降りてきた。
「……やり直し!」
神流は眉を寄せる。レッドの上着を着たイーナは、袖が余りまくり上着は垂れて膝までスッポリ隠れている。その下は素脚だ。
下はノーパンやパンツじゃないだろうな。
「何でっすかぁ? 奴隷に気を使い過ぎですよ!」
口をキツツキのように尖らせたレッドが抗議してくる。神流は冷たく開いた口で質問する。
「イーナのズボンはどうした?」
「履いても長すぎて歩けねぇですよ」
「切れ」
「勿体無ぇすよ」
文句の声の大きさに反して、イーナを連れて悄悄と2階に戻っていく。
━━確信犯だろう、どっかの継母かアイツは。
「ワタシ、お湯に入るの初めてでした。幸せでした。フワフワの布服もとっても嬉しいです。有り難う御座います。御主人様の御主人様、ワタシは命を懸けて働きます」
━━イーナは全ての事に御機嫌らしい。袖と丈を調度良く切られたブカブカの上着とズボンを着て満面の笑みで喜んでいる。流通倉庫に居たときより目がキラキラしているのがハッキリ解る。
こんなに喜ばれると思わなかった神流は、服を買いにいこうと決めていた。
「柔らかいパンなんて2回目です。2回とも、御主人様の御主人様のお蔭です。命を懸けて働きます」
━━まあ気持ちは受けとろう。
「有り難く味わって食べるんすよ、チビッ子」
「お前が言うな、イーナは俺の事は好きに呼んでいいからな」
「はい……新しい御主人様。」
「旦那~なんすか? その野良犬のように、だらしない顔は?」
相手にしてられないと神流は、2人にレッドの部屋で就寝するように言って入浴しに上がっていった。
広い浴槽の縁に寄りかかり瞼を閉じる。リラックス効果で体がほぐれてくる。体が芯から温まってきた神流がゆっくり目を開けると浴室に場違いなべリアルのシジルゲートが朧気に浮かんでいた。
「断る」
裸の神流が、絶対零度の低音口調で言い放つと不服を示すかのように存在を薄め変形しながらゲートは消失した。
━━変態悪魔め、魔力が余りまくってるのか。魔力遮断の手袋を越えて出せるとは達が悪い。
完全に覆い隠さないと100%の魔力遮断にならない事が此処で解った。
「用が有るなら後で出せ」
その日シジルゲートが出現する事は無かった。
神流は、入浴を終え部屋着に着替えて部屋のランプを消すと早めの就寝に入った。
━━!
━━━━部屋に人の気配を感じる。
月明かりが薄く差す暗い部屋を見渡すと扉の脇の床にイーナが丸まって寝ていた。
━━甘やかすつもりは無いんだけどな。
黙ってイーナをベッドに寝かせ潰さないよう間を空けて寝る。
もう一度就寝に入ると間を置かず隙間の空間にレッドが音も無く滑り込んで来た。
━━卓越した体術や泥棒技の無駄使いだと思わないのか?
ベッドが狭いが修学旅行みたいで怒るに怒れないのが神流の本音だ。
一時の平穏に安らぎを覚えると共に分不相応な人望と寝るスペースに悩む神流だった。




