子爵の聡明の行方
呼ばれた執事が歩く様は、豪奢な邸宅の品格に合わせたように姿勢良く滑らかだ。チョコレート色の髪を、肩で少し揺らす程度で全くぶれない。その青年執事の口から流暢な音色が響いた。
「サテュラ御嬢様、御用でしょうか?」
「マロンの恩人の方々です。御父様の部屋に連れていって差し上げなさい」
「仰せの通りに。お客様、どうぞ此方へ御案内致します」
執事は恭しく御辞儀をして神流達を、2階へ案内しファルナス・レティオス子爵の部屋の前に連れて行く。
「少々御待ち下さい」
バクスターが御辞儀をして中に伺いに入室すると、少し刻を置いてから出て来た。
「旦那様が、御会いになるそうです」
執事のバクスターは扉を開けて神流達を中に誘導してから、扉の外に立ち待っている。
━━レッドは生きた心地がしないのか、完全に固まっているようだ。暫く放って置こう。
神流は、部屋の中に入ると認知を早める為に顔をわざと見せてから頭を下げる。
「ファルナス・レティオス子爵様、お初にお目にかかります。雑用屋の天原神流と申します。隣に居るのが、店主のレッド・ウィンドです。お見知り置き下さい」
「やあ良く来てくれた。君達が息子マロンを救い出してくれたらしいね。ギルドにも十分感謝はしている。後で紅茶や菓子等を用意させよう。それで私に何か用かね?」
40代位の口髭が綺麗に整えられている恰幅の良い男性が、革張りのソファーに優雅に深く腰掛け机越しに友好的な眼差しを向けて聞いてくる。
「先日、私の命の危機を、御息女のサテュラ様に助けて頂きました。その御礼に参りました」
「わざわざ、御礼に来るとは心遣いに恐縮してしまうよ」
「これを御受取り下さい」
神流は、綺麗に包装された箱を机の上に差し出して下がる。ファルナス・レティオス子爵は、少し驚いた顔をしていたが直ぐに笑顔に戻る。
「開けてもいいかね?」
「どうぞお開け下さい」
ファルナス子爵は、箱を開けると目を大きく見開き驚いた顔に変化する。
「これは! えーと、アマハラ……」
「神流とお呼び下さい」
「カンナ君、本当に貰って良い物なのかね?」
「私の命に対する、御礼だと思っております」
箱の中には豪華に彫金され装飾された、大きいルビーのネックレスが入っていた。その宝石は室内の光のみで煌めく光彩を放ち続ける。
査定も済んでいる。相場は金貨250枚だ、神流は、この為に所持していたルビーの指輪を、彫金師に入念に頼み豪華なネックレスに仕立て上げて貰っていた。
ファルナス子爵は、緊張を含んだ面持ちで数秒の思案した後に、テノール調の落ち着いた声で語りだした。
「私の思慮が足りなかったようだね。……息子の命の重さが金貨100枚を支払って終わりと考えていた私は、少し浅はかだったようだ。改めてもう1度礼を言わせて欲しい。息子のマロンを救ってくれてありがとう。カンナ君もそちらの女性も言ってくれれば、出来る限りの力になろう」
━━聡明だ。
子爵の地位にあるだけあって、一つ一つの理解と判断が深く早い、発言に淀みが全く無い。
神流は御礼の品を渡しただけで、脅そうとなど全く考えてはいない。御礼の中に含まれてる意図を、子爵が拾い上げただけだ。気付かなければ、それも1つの結果だろうと思っていた。
子爵に無駄な時間を取らせないように、率直にお願いする。
「では御言葉に甘えさせて頂きます。書類を2枚融通して頂きたいのですが」
「私が口にしたことだ。言ってみたまえ」
「1枚は、子爵以上が保持している奴隷オークション前に奴隷1人を適正価格で購入出来る「業販優先許可証」です。」
「もう1枚は、エルネス・キュンメル伯爵様への紹介状です」
ファルナス・レティオス子爵の顔色が、ハッキリと変わった。戸惑いを隠すように口髭を撫でて、一呼吸の躊躇いを見せた後で口を開いた。
「伯爵はとんでもなく気難しいぞ。平民の君では命の保証も出来ない。それでも会うのかね?」
「是非お願いします。平民の私では会う事すらも出来ません。出来ればエルネス・キュンメル伯爵様の好みや嗜好品を、教えて頂けたら有り難いです」
ファルナス・レティオス子爵は、逡巡した後に真剣に神流に目を合わせる。
「了承しても良いが、私の方からも1つ条件を付けさせて貰おう」
「出来ることなら……いやっ何でも致します。何でしょうか?」
既に友好的な子爵の条件すら受けれないなら、この話が御破算になる可能性が生まれてしまう。受ける以外の選択肢は、存在しなかった。
「私の友人になって欲しい」
「はい?」
神流の誤算で2人は昼食に呼ばれている。
━━食卓の席に着いたが、異世界のマナーの知識がまるでない。西洋のマナーですら疎覚えだ。純銀製のカトラリーを見ると流石に緊張してくる。それよりもマナーゼロで白目を剥きそうなレッドをどうするか? こんな窮地に陥るとは思わなかった。どう乗り切ろう?
刻印の力によって神流に上流貴族の友人が出来たようだ。
~~***
ファルナス・レティオス子爵の別邸での昼食会も、終わりを迎えていた。
「いろいろ御手数をお掛けしました。ドレスは洗って御返します。いや新しいの買って持って参ります」
「いや気にする事は無い、久しく楽しい食事会であった」
ファルナス・レティオス子爵の笑顔が、唯一の救いとなった。 レッドはコルセットの無い、アイボリーのドレスに着替えていた。
レッドはコースメニューの殆どを、スープスプーンで食べる荒技を披露していた。たまにオードブルフォークを添える程度で完食を果たした。
極度の緊張で、ゆっくり食べるというマナーは出来ていた。だが、重力に逆らう事無く口元から落ちていく食べかす、それを伝うように垂れていくスープ達を防ぐ術は、レッドの世界に存在し無かった。
目の前で繰り広げられる衝撃の光景に、サテュラは終始、顔がひきつっていた。真似しようとするマロンを、 執事のバクスターが繰り返し嗜めていた。
神流は、帰る際に忘れていた贈り物をテーブルの上に置き、執事のヴィンセント監視の中で、サテュラ嬢に包装された長方形の箱と、装飾され包装した紙で包まれた3つの瓶を渡す。
サテュラが箱を開けると、金が主体の翡翠の玉かんざしが入っていた、使用方法を聞かれたので、髪を結わえて纏めるものだと説明する。
日本旅行に来た外国人に人気の土産だ。1つの瓶の包装を外すと、真っ赤な液体にイチゴが詰まっていた。不思議そうに眺めてからサテュラ嬢が質問してくる。
「これは何かしら?」
「イチゴのコンフィチュールです。私が作りました。他の2つは、ブルーベリーとラズベリーのコンフィチュールです。デザートに御使い下さい」
「コンフィチュール? 貴方は、もしかしてワタクシに気がお有りなのかしら? 剣術の腕をもう少し磨いたなら、話位なら聞いても良いですわ」
「無いです。滅相もない、助けて頂いた御礼の1つだとお考え下さい」
神流は即座に否定する。
━━サテュラの胸元を見ていないのに、視界の中に居る執事のヴィンセントの目が怖い。サテュラ嬢の目つきも険しくなっている何故だ?
神流は2人から目を反らしつつ1番偉いメイドに包装していない瓶を渡す。
「林檎のフルーツスプレッドです。皆さんで御賞味下さい」
メイド長が驚きを顔に表した、直ぐに表情を消しお礼をしてきた。
「……私達にですか? 有り難う御座います。御客様」
━━コンフィチュールとフルーツスプレッド、要するにジャムだ。
神流が取引先に行くときの手土産は甘いものと決めている。
━━新鮮な果物と砂糖が手に入った事で作ろうと思い付いた。主人と使用人とで渡す物の良さはわざと変えてある。
「素敵な昼食を御馳走様でした。では失礼致します」
「神流君、また来るのを、私は楽しみにしているよ」
神流とレッドは深く頭を下げる。
書状を手に入れた神流達は、ファルナス・レティオス別邸を後にした。




