魔術師の曾孫
レッドの瞳に焔の矢の揺らめきが映り続ける。眼前の炎に我を取り戻したレッドは、買い物の荷物を落とし鳶ず去る。
声の方に振り向くと、顔見知りの幼女が詠唱を終わらせようとしていた。
「炎よ矢となりて我が敵を貫け」
「炎矢」
収束した炎の矢が、再び3条の焔の線を描き殺人ピエロの横顔に次々と刺さり、殺人ピエロは顔を覆い苦しみ悶える。
「ブギゴォォォーー!!」
「ボーッとしてるんじゃないわよ!」
怒鳴られたレッドは一瞬で上空に跳ね飛ぶとピエロの怪物を飛び越えるように後頭部に短刀を突き刺した。
短刀を残したまま回転し着地する際に引き抜くと舞い上がっていた紅い編み込みのポニーテールがバサッと背中に落ちる。
殺人ピエロの怪物は痙攣し狂った声で呻きながら倒れた。
「顔に傷がついたらどうするのよ!
その大声で呼び掛ける幼い少女はアイボリーのローブを着用し紅い魔石のついた木の杖を握っている。頭の上には黒猫がチョコンと乗りアップルグリーンの髪を揺らした。その幼い少女がレッドに対してプリプリと怒っている。
「助かったっすルーニャ。お子様はこんな危ない所に来ちゃ駄目っすよ。大人しくアリューとお家で遊んでるっす」
「それが恩人に対する言い方なわけ? それより一撃で動かなくした今の何よ?」
「ナイショっす。ウィンド家の秘伝の奥義っす」
「何それ~」
2人は、周囲の惨状や緊張を余所に、ふざけながら会話していた。衛兵達や医者も駆け付けて生きてる被害者達を介護している。
元大道芸人のピエロであった怪物の背中から這い出た影が、ズルリと根を抜き動くと元大道芸人は動かなくなった、ふざけてる2人の後方へ影が忍び寄る。
「ユー・バー・ファー・レン…………」
亡骸となった怪物から宿主を代えようと紫色の【黒い小箱】の魔物が、植物と虫の中間のような足で跳躍しルーニャに襲い掛かる。
「ルーニャ!」
レッドがルーニャを抱き寄せて、躱しながら紫色の魔物を短刀で切りつけた刹那。
「━━━!?」
横から炎の犬が疾風のように駆けて跳躍し紫色の魔物に食らい付いた。
紫色の 【黒い小箱】は、顎に収まり炎の牙で噛まれながら、麻痺した足をビクンビクンとしている。ジャーマン・シェパードの形をした炎の犬は、黙って主人の動向を見ている。
レッドは、紫色の魔物からルーニャの身を完全に護った。
『曾「婆様!」
『嫌な魔力を感知して重い腰をあげて来てみれば……全く』
広場の入り口の屋台脇に、ホワン・ウネが顰めっ面で立っていた。
「また厄介なのが出て来たのう……滅して良いぞ」
ホワンが指示して杖を地面に軽くつくと炎の犬は、銜えた紫色の魔物を呑み込み腹の中で焼き尽くす。
焼かれた魔物は砂となり黒い靄を醸し崩れていった。魔物の消滅と共に炎の犬も空中に微光を放ちながら存在が薄くなり消えていった。
「気付いてたなら、もっと早く来てよホー婆」
「何言っておるか小娘が! 曾孫が心配で来たようなものじゃ。それとホワン様と呼ばんか」
ホワンにルーニャ・ウネが駆け寄る。
「曾婆様のお陰で、悪い魔物を退治出来ました」
「……魔法の使用許可は出しておらんぞ」
「テヘへ、アリューの御飯の時間なのでもう帰りますね。レッドまたね」
ルーニャは舌を出すと、黒猫を引き連れて逃げるように帰って行った。レッドは改めてホワンに話し掛ける。
「ホー婆……今の紫の【黒い小箱】って」
「そうじゃ、魔族の手が加わっとる」
ホワンは、片目を瞑りレッドを一瞥する。
「だとしてもウィンドの小娘、お主の出る幕は無い。ボルドーからも手を出すなと言われておったじゃろ」
「…………何でそれを」
「……お主は解っておってトドメを差しておらん。先ずは未熟な自分の葛藤を乗り越えるのが先決じゃ」
そう言い残すとホワン・ウネは衛兵達に事の顛末を伝えにゆっくり去っていった。
心に冷たい栞を差された気がした。
残された形のレッドは、釈然としない想いを胸にしまい落としてしまった野菜や果物を拾っていく。
「どうしたレッド?」
聞き慣れた声に顔を向けホッとする。
「旦那~見てないで一緒に拾って下さいよ」
「拾うのは良いけど何か有ったのか?」
神流は、広場の凄惨な状況を見て質問する。
「炎のワンちゃんが、暴れて行っただけっす」
「魔物か?……お前は無事なようだし終わったのなら、まぁいいけど」
神流は、それ以上は聞かず黙って食材を拾い抱える。
「……じゃあ帰るか」
「帰りましょ旦那」
夕闇のオレンジ色が、荷物を抱えて帰る2人の後ろ姿を焼くように染め遠くから眉を顰めて見送る魔術師の老婆に影を落としていた。
レッドは心の奥底に根付いた黒い焦燥と在りし日の恐怖が、無意識下で鎖のように絡まり縛られている事を知らなかった。
長年積み重なってきた向き合いたくない思い出したくない気持ちが作用し心の奥に奥に押し込んだせいで、いつしか記憶から消え思い出す事も無くなっていた。その悪夢の記憶の扉が開かれてしまった。
幼き日のレッドの心の底に張り付き蠢き続けた恐怖心は、時を越えて浮かび上がる機会を伺っている。
━***
神流は、ドーマと食事をしながら奴隷の件で相談をしていたが、そろそろ倉庫に客が来るとドーマが言うので早めに切り上げた。
帰る途中で調度食材を拾ってるレッドを見つける。神流は、周囲の物物しい雰囲気に気付いたが、レッドから話して来ないし冗談を言う位だから気に掛けなかった。
━━街には宵の帳がいつの間にか降りていた。
神流達は、新居で小さい引っ越し祝いの用意をしていた。神流は台所の釜戸でトマトをグツグツ煮込んでいる。まな板の上でレッドが買ってきた魚とイカの内臓をとり除き塩で揉み鱗と滑りをとってから、トマトの鍋に入れ暫く煮込む。
もう1つの鍋から、茹で上げたパスタも鍋に入れて調理完了。皿に盛り付けエントランスに置いてある場違いなテーブルに並べていると扉が開いた。
仕事を終わらせたレッドが外から戻ってくる。
「言われた通りにやっときました」
「そうか夕食にしよう」
テーブルに並べられた料理を見てレッドが、質問してきた。
「また赤いですね、何すかコレ?」
「スープパスタだ。不味かったら残せ」
「オッウメッ旨いですねぇ。コレも食べづらいですけどウマイですよ」
全握りのスプーンをスープの器にガッと入れて豪快に掬うと口を近付けて頬張った。
━━どんだけ一生懸命ガッツくんだ?
「フォーク有るんだから、フォークを使え」
「何とかイケるっす平気です。て言うか旦那は何飲んでるんすか?」
「ワインだ、酒屋で買ってきた」
皮革の袋からガラスのコップに注ぐ、貴族御用達の店で高いガラスの食器類を買ってきていた。
奮発したワインには、少し荒いが味わいがあり香りも良い。飲み過ぎて仕舞いそうで心配になる。
「旦那は貴族のボンボンみたいですねぇ。ワインなんか平民連中は、中々飲めないですよ。普通はピケット飲んでますよ」
「ピケットって何だ?」
「ブドウの搾りかすに水を入れて作るワインみたいのです。貧民街では、水に酢を入れて飲んでますよ。旦那~アッチにも下さいよ」
「子供は駄目!」
「ええっ!?だったら、旦那だって子供じゃないですか」
納得いかず膨らましているレッドの頬を指で押す。
「俺は良いの」
「ズルいっす~」
「御馳走様、もう食い終わったろ? チョット付いてこい」
神流は食事を終わらせてレッドが仕事をしていた裏側の2階の部屋に連れていく。
『何処に行くんすか? アッチはドキドキしていいんすか?」
「しなくていい、さっき下で薪を焼べてきたろ? その成果が見られる」
2階の寝室の先にある装飾された扉を開くと更衣室があり、その奥には大理石の浴場があった。
「何ですか? 此処は?」
「浴場だ。水浴び場だ。水の代わりにお湯で汚れを落とせる。冷えた体をお湯で温められる。ドットに浴場付きの物件を探させていたんだ」
「贅沢っすねえ、貴族みたいです」
レッドが感動し恍惚の表情をしている。
「見たろ? じゃあ俺は風呂に入るから」
「アッチは?
「オルフェに水をあげて来てくれ。俺が終わったら入っても良いよ」
レッドは怒りながら足を踏み鳴らして階段を降りている。
「何なんすかねぇ、旦那のあの態度、酷くないっすか? アッチの魅力に気付かないなんて、旦那は見る目が無いっすよね。ねぇ馬っ子オルフェ聞いてるんすか?」
オルフェに水をやりながら愚痴る。レッドが、エントランスに戻るとテーブルの横に何かを見付けた。
「!?」
たっぷり葡萄酒が詰まる未開封の皮革の水筒が置いてあった。
~**
神流は、掛け湯をしてから頭にクラバッテのタオルを乗せて湯面に身体を肩まで沈める。左手には特注の手袋がしてあり脇には、念の為に布に巻いたベリアルサービルが置いてある。
「この世界で湯船に浸かれるとはな、柚子湯や菖蒲湯なら出来るかも知れない。石鹸やシャンプーは無いのか? 調べる価値はあるな」
浴室の内装は土壁の部分と石壁の部分に分かれている。空調用の窓も複数取り付け施工されており湿度も調整出来る。
「~♪」
神流が、気持ちよく鼻唄で唄っていると浴室の扉が乱暴に開けられた。
「!!」
神流は、咄嗟にベリアルサービルを手に取る。
入って来たのは一糸纏わぬ素っ裸のレッドだった。
神流は瞬時に目を反らす。一瞬だが見えたのはアスリート系の絞られた褐色の肉体美だ。しなやかな肢体の獣を想起させる。
脂肪が少なく筋肉も割れていて、しっかりと発育している。身体能力に見合う運動と成長期でよく食べるからだろう。
━━かなり平気だと思うが俺の理性よ頼むから壊れるなよ。
「何で入って来るんだよ? 俺が終わってからと、ちゃんと伝えただろ?」
真っ赤な顔をしたレッドが、手に持っているのは、神流が買ってきたワインの入った皮革の水筒だ。殆ど空になっていた。レッドは神流に構うこと無く湯船に飛び込む。
「何で旦那は~、駄目駄目言うんですかあ~? アッチの事を~良く見て~少しは考えて下さいよお~!」
「おい大丈夫か?」
神流はベリアルサービルを置いた。レッドからワインの水筒を取り上げると投げ捨て、頭の上のタオルを渡して酔っ払ったレッドに声を掛ける。
「ほら、レッド酔って風呂に入ると溺れちゃうだろ、おバカ!」
レッドが、ガバッと神流にしがみついて来た。流石の神流も完全無防備なのでドキッとする。
「じゃあ、旦那がアッチを支えてて下さいよおずっと~」
━━━━完全に酔っぱらい愚痴ババアだ。せめて掛け湯をして欲しかった。今度、しっかりと教えよう。
レッドは背中を神流に当てて寄りかかる。
「はぁ……なぁ? 何で飲めもしない酒を飲むんだ?」
━━そういえば、レッドは、みなしごだったな……。家族の温もりを求めているのだろうか。ワガママらしいワガママも言って来ないしな。混浴くらいでガタガタ言っても仕方無いか。
神流は、黙ってタオルを頭に乗せて目を閉じている。レッドが溺れないように気を使いながら、まったりとした時間が流れる。
気が済むまで好きにさして、ガクッと一気に大人しくなったレッドを脱衣所に連れて行きバスタオルで簀巻きにしてから、寝室まで担いで行く。ベッドの上に優しく置いてシーツを掛けてから、部屋を出ようとするとベッドから声がした。
「旦那……ゴメンナサイ」
「気にするな相棒、おやすみ」
神流は扉を優しく閉めた。
神流は、タオルを首に掛けてテーブルの椅子に座る。残りのワインを袋から出したグラスに入れて眺める。葡萄が紫がかったような濃い色をしている。少しづつ口を潤し風味を味わいながら大事に飲んだ。
「自分に言い訳ばかりして…………理由ばかり探してる俺もまだガキだな」
神流の答えの出無いボヤきが、漂う酒気と共に広いエントランスに儚く消えていった。




