指環とワイシャツと少女
1時間程、透きとおる陽射しが降り注ぐ樹海のような道なき道を歩くと、木が伐採された広場のような場所に辿り着いた。そのエリアの真ん中に彼女達の家らしき山小屋が建てられていた。
それは自然の太い丸太を壁材や構造材として水平方向に井桁のように重ねて積み上げられたログホームと呼ばれる強固な建物であった。
━━ログハウスか?
「はぁはぁ……はぁぁっ」
━━もう死にそう。ビラミッドの材料を運んでる気分だ。いやもう、死ぬかも知れない肺の酸素が無くなって。既に肩と腰の筋肉がピキピキと悲鳴を上げてるよ。くっ殺せ、大人には格好悪い所を子供に見せれない見栄というものがあるんだ!
「ここが家です」
「ここーー。」
神流を見ながら2人が先に山小屋の中に消えていく。
━━俺は一宿一飯を頼むつもりだ。寧ろマンスリー契約とか住み込みアルバイトが望ましい。家主の御父様が恐いかどうか?あと……不審者扱いされるかな? 旅人とかより素直に営業部の主任補佐と言って置けば良かったかも。……不安だ。この林の中に1人で居るのは、もう無理。冷たくシッシッと断られても、此所から離れないようにして近くに居させてもらおう。……ハード過ぎて心が折れそう。というか既に何度もボキボキに折れてる。それを拾って繋げる企業戦士。今は狼を運ぶ下働きのような宅急便……なんて理不尽だ。
言葉に出したら下らないと定義されそうな考え事をする神流が息を肩でしながら近くで待機している。すると先に家に入っていったマホとマウが扉の外に出て手招きしているのが見えた。
「やっと呼ばれた」
神流は息を整えてから頭を下げて招き入れて貰う。部屋の中を見渡すと、家具も暖炉もある欧州のロッジのように見えた。台所の奥に灰色狼を置いて彼女達の親に頭を深く下げて挨拶する。
「初めまして旅人の天原神流と申します。バックパッカーしてましたが道に迷い荷物を無くし、切に困っています。雑務でも何でもします。物置でも給湯室でも納屋でも良いので泊めて頂けないでしょうか?」
━━俺のスキルである丁寧語を自然な感じで言えた。断られたらどうしよう。リアル野宿かもな……。なんか面接みたいで緊張する。危険動物が彷徨いているのに壁と屋根の無い生活は絶対無理だ。
頭を下げたままの神流が額に冷や汗を浮かべてモジモジと返事を黙って待っていると。子供達も成り行きが気になり見守っていた。
「随分若い……異国の方のようですね。この子達の母親のミホマと言います。娘達にナシの実を沢山譲って頂いた上に灰色狼からも助けて頂いたと聞いております」
母親ミホマの擽り撫でるような艶のある目線に仄かに戸惑いの色を見せる。
「ええ……まぁ……異国と言えば異国みたいなものですけど」
「お礼の代わりでは無いですが、夫が兵役で都に出ておりますので仕事用具を置く仮眠部屋のベッドが空いてます。お困りでしたら使って下さい」
━━有り難い。が……旦那さん、マホマウの父さんが居ないのか、俺だけじゃ心細い気持ちと緊張感が減って安堵が混ざった複雑な心境だ。若いのに人妻だと大人びて見えるなぁ。
「あっ有難う御座います。でも、泊めて貰えるだけで本当に有り難いんです。私は、そこの部屋の隅で寝かせて貰えれば十分な位なんで……」
神流は首を竦めて遠慮がちに答えた。
━━泊めて貰えるのは有り難いが、ベッドなんか使わせて貰って旦那が兵役から帰って来た時にバレたら不興を買うし、不倫を勘違いされてボコボコにされても困る。此所を叩き出されたら行くあてが無い。あてどころか生きてく希望を失ってしまう。
神流は上目でミホマをチラッと確認する。
━━口には出せないが見た感じは、どうにか日々を食い繋いでいるような様子に見えた。得体の知れない俺など普通は怪しくて泊めないよな。子供扱いされてもおかしく無いのに、年下の俺にも礼儀正しく優しい立派な人だ。うちの会社に就職したら理想のOLになると思う。
「神流さんこちらへ」
「はっはい、何でしょうか?」
神流は奥の部屋に案内され丸い木の椅子に座るように促される。
「上着を脱いで下さい」
「えっ?」
━━なんかドキドキする。思春期か?
言われた通りワイシャツを脱ぐとミホマが濡れた布で灰色狼に噛まれた肩と手首を丁寧に拭いていく。神流が恥ずかしく少し痛痒い思いに上半身をぴくぴくと反応させる。一通り拭き終わると擂り潰して湿らした葉っぱを薄く塗って傷口を防いだ。
「なんか、すみません」
「フフフ、神流さんは育ちの良い方なのですね。子供達を救って頂いて負傷されたのですから、コレくらいするのは当然ですよ」
「心から感謝します。本当になんて言っていいか……」
━━上目遣いでチラ見したミホマさんはマホマウ同様かなり痩せていた。まだ10代にも見えるキメの細かい肌と肩まで掛かる赤茶色の髪は艶があり、対の瞳は淡い栗色だ。袖から見える肌は色白でキメ細かい、強いて言えばドストライクだ。今の俺より5歳以上年上だろう。写メを撮りたい気持ちにはなるが、手は出したりはない。恩人だし不倫は不幸の始まりと、昔の俺が言っていた。
「この上着は洗っておきますね」
「色々すいません。有り難う御座います」
「大した事じゃないわ。お礼など言わないでいいんですよ」
重ねて頭を下げた神流は、何か手伝う事が無いか尋ねてみる。
━━暖炉の薪がもう少ないらしい。
神流はマホとマウに薪の棚がある裏手に連れていってもらう。裏手に簡素な菜園があったが、収穫出来るものは何も残って無かった。山小屋を振り返って改めて眺めると屋根にうっすら苔が自生していた。
━━衣食住全てにおいて、ほぼ手作りの生活か。厳しい自然や天災、野生動物とかの困難や危険と隣り合わせの生活を乗り越えて生き抜いて美しく暮らしてるんだな。感動するよ。……ああ、腹が減った。唐揚げ弁当買いに行きたい。コーヒーが飲みたい格安インスタントでもいい。
山小屋の横には立派な納屋が併設されていた。
「以前は馬か牛を飼っていたのかな」
神流が古びた納屋の中に入る。色々な農具が壁に立て掛けられ浅く積まれた飼い葉の上に錆びた斧や山刀を見つけた。斧を手に取り2人に合流する。
━━人生初めての薪割りイベントだ。斧を握るのも初体験。しっかりと握るとズッシリとした重みが手にくる。早速試し割りをしてみるか。頭の上まで振り上げて一気に
「とあっ!」
サクッパカッ
━━あれっ? 何故か力を込めなくても難なく割れる。
違和感を覚えながらリズムよくサクサク薪割りをしていく。
━━俺に鬼神でも宿ったのか?
割った薪はマホとマウが木で造ってある棚に積んでいく。ふと、無表情の2人の事が気になった。
━━顧客の……いや恩人のお子さん。連れて来てくれた、この2人も恩人だよな。学校とかどうしてんだろ。楽しく仲良くしたいものだね。
笑顔で声をかける。
「声出してやると楽しいよ、エイッとかヤアッとかフォルテシモとかさ」
2人は少しづつ声を出して楽しく薪を棚に積んでいく。
「えいっ」「ヤァッ!」「ふぉるてしもっ!」「アハハッ」
途中から神流も加わり、薪割りしながら遊び出した。置き方のフォームをふざけながら教える。神流がバカにされながら笑われる。
親指の指環が弱く光る都度、2人の少女から何かを吸い出して蜘蛛の糸を引くように吸収していく。喜び興奮している神流が、それに気付く事は無い。
━━やっと2人の笑顔が見れて良かった。しかし、自分の精神年齢の低さが心配になる。やっぱり小学校に入るの遅れたせいなのかなぁ。いやっ違う、子供に合わせてるだけだ。歌のお兄さんは尊敬されてキャーキャー言われている。俺にその才能の片鱗が備わっていただけだ。
神流は納屋に入るとボロボロの鍬を出してきて菜園を確認していた。
「菜園? 農園? ガーデニング? まっ、何でもいいや」
自分の知ってる畑を思い出し、近くで枯葉を集めて土に混ぜてみる。
━━流石にここで用を足すのはアウトだ。流行り病の危険を家の近くで起こす事は出来ない。離れたところで腐葉土を作るのは有りかも知れないな。
「カンナ~」
「カンナさん何をしてるんですか?」
神流のやる事を不思議に思い、マホとマウが質問しに寄っていき質問する。
「土をムキムキに元気にしたいなと思ったんだよ。生ゴミ有ったら持って来て」
「はーーい」「ハイハーイ」
2人がタッタと競争して山小屋の中に入って行くと、すぐに戻って来た。
「カンナゴミ~」
「カンナさんはゴミじゃないよ」
「持ってきた? じゃあ畑に撒いて混ぜるから」
2人が撒いた生ゴミを土に混ぜていく。そこに食べた梨の種や要らない野菜の種を植えていった。それが終わると、折れた柵に当て木をして拾ってきた蔦で縛りつけた。
「素人農業とDIY完了」
━━納屋にロープも有ったが、ミホマさんの許可もとらずに勝手に使う訳にいかない。蔦は無料だし失敗して切っても怒られない。何かの役に立たないと直ぐに追い出されるかも知れない。居候の肩身は狭いのである。
やることが無くなり、つまらなそうに見てる2人に気付い神流は呼び寄せる。
「ここら辺に町とか村ってあるの?」
「近くには無いけど暖かくなるとお父さんが、海が見える大きい町に買い出しに行っていたの。私とマウは、まだ行った事が無いです」
「カンナ、まちいきたい!」
「そっか……」
━━気分直しに……よし、いっちょ行ってみるか。
神流は身振りをつけて歌い出した。
「とんこつ山の~♪たぬきさん~♪おっぱい飲んでねんねして~♪」
「「!?!?」」
マホとマウの表情が一気に明るくなった。目を輝かせ食い入るように神流を見上げていた。
~~**
「とんこつ山の~♪」「たぬきさん~♪」
神流が歌い終わった後、2人はフレーズが気に入ったらしく歩き回りながら口ずさんでいる。神流は、ほのぼのした空気に心が癒される気がしていた。
━━セルフ企画は成功だな。
少し浮かれた気持ちになる神流の目に、ようやく奇妙な光景が映り込む。
「ふぇ!? なんだ?」
2人の背中から少しづつ透き通る薄白い靄が緩慢にせり出して浮き上がり神流の指輪へゆっくりと吸い込まれていく。
「………………」
━━何が起きてるんだ?
浮かれた気分は粉微塵に消し飛んでいた。目の前に起こる光景は神流の胸に疑心と不安の混ざる暗い帷帳を降ろしていった。