愛しい我が娘よ
残酷な描写、残虐な描写があります。
戦局は動いた。 ヴァーミリオンの脇腹の下側に展開していた影から音も無く現れたボルドーは片手で肘を支えつつ肋骨の死角を縫い、ヴァーミリオンの躍動し続ける心臓に輝くナイフの切っ先をズーッと滑り込ませ差し込んだ。ヴァーミリオンは狂ったように悶え叫ぶ。
「グロアァァァァァ!」
ナイフの先から伝わる息子のまだ強く脈打つ心臓の鼓動にボルドーは腕が震え力が抜けそうになるが、気をしっかり持ち直し堪える。
「グルロロロロゥゥゥ」
「ヴァーミリオン……信頼に任せ助けに行かなかった思慮の浅いこの父を恨むがいい…ぬっ!?」
叫び苦悶の表情で影の刃を壊したヴァーミリオンの歪になった腕が内側に旋回しボルドーの左手首を掴んだ。
ボルドーが凝視した一瞬で捻り切り、力任せに引くと腕が吹き飛び、肩から血が咲くように炸裂し散らばる。
「グルゥロォォォォォ!!」
「がぁぁっうっ、ヴァーミリオンよ……遠慮無く父の腕を冥土に持って行くがよい」
ボルドーは口から血を垂らし堪える、輝くナイフの柄を離さず力一杯握りしめ被った血液と指の血で精霊印を描きナイフにその力を注いだ。
精霊術秘奥義『枯木華開』
周囲に展開していた影鎌の刃が消滅した刹那、ナイフの先で影鎌の刃が生まれ花が開いていくように爆散した。
狂ったように吠えるヴァーミリオンの胸に風穴を空けた。意識を戻すヴァーミリオンの顔は和らいでいく。
「ごふっ、殺してくれて……ありがとう。……レッドの事を……頼むよ親……父」
意識を戻したヴァーミリオンは、異形になった腕と共に自分が育った思い出のリビングの床に倒れ込んだ。
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「ーーセー爺! 急いで、急いでよ!」
槍を携え走るセーリューは遅くは無いが、空気を避けるように疾走するレッドに全く追い付けないでいた。
「ハァハフッ全力で走ってるだろ、なぁ」
「もう少し、もう少しだから!」
全力で走る2人がウィンド家に辿り着いて見たものは、半壊した家屋と血塗れで倒れる祖父、そして見るも無惨な物言わぬ父と母であった。
騒ぎを聞きつけた住人が、周囲に集まり怪訝な顔をして見物している。
「母ちゃん!」
レッドは大好きな母に縋り付いた。既に心臓は動く事を断念し事切れていた。涙を流し何度も揺すり抱きついても母は動かなかった。
呻き声を上げ鼻水を垂らし泣きながら、変わり果てた物言わぬ父の傍らに行き寄り添うと、父の顔の砂や埃を優しく払った。
「父ちゃん起きて、心配無いって言ったじゃん、心配無いって言ったのに~~うぅぅ」
セーリューはボルドーを見つけ即座に走り寄る
「ボルドー平気か? なぁ? ……なぁ?」
セーリューは血みどろでうつ伏せに倒れているボルドーを抱えて起こし、腕の付いていない肩口にポーションをぶっかける。乱暴に口を開き無理矢理ハイポーションの瓶口を口に突っ込み飲ませる。
ボルトーの出血は止まり、青白い顔色が血色を取り戻していく。
「……ああ…セーリュー来てくれたか……また死に損なってしまったようじゃ、友よ」
「……そうか……ヴァーミリオンなのか……!?」
何度と頷くセーリューが無くなった、ボルドーの左肩を痛わしげに視線を向けると。
「息子にプレゼントしてやったんじゃ……身体も軽くなって、せいせいしたわハッハッハ…」
2人は、ヴァーミリオンに覆い被さり泣きじゃくるレッドの傍らに行き、ボルドーは黙ってヴァーミリオンの空いた胸に上着をかけた。
ヴァーミリオンの首の裏側から、紫色の影がズズズッと動きだし、涙に濡れ続ける幼女の方へスライドしていた。
「セーリュ――!!」
遺体となったヴァーミリオンの首の後ろにある紫色の【黒い小箱】から、一気に植物と虫の中間のような足がわらわらと生えた瞬間に飛び上がりレッドの顔を目掛けて躍りかかった。
ーーズブリッ
肉を突き抜ける音が周囲に弾けた。わずかに身じろいだレッドの眼前に貫かれわらわらと動かす異形の魔物の足と、その魔物を貫通した銀鋭の槍が光を反射して光っていた。
セーリューは紫色の邪悪な魔物から、泣きじゃくるレッドの身を完全に護った。
「セーリューよ……よくやった……感謝に尽きぬ」
「朝飯前だ。今は夕飯前だのう……なぁ」
「ギ、ギィ、ィィィ……」
無力に座る紅い髪の幼女に、追い打ちを掛けようとした紫色の魔物は、悪魔のように砂になり黒い靄を醸し崩れていった。
「ボルドー気付いてくれて助かった。コイツは魔族の仕業だ、なぁ」
「助けられたのは此方じゃ…………やはり魔族が拘わっておったか……ヴァーミリオンが潜入していた場所は、ルーゲイズ子爵の……」
「ボルドー今は言わぬ方が良い。人に聞かれると厄介だ、なぁ」
憲兵や衛兵が集まって来た。2人の遺体を並べ泣きはらしたレッドにボルドーが促す。
「レッド……立派な父と母にさよならを言うんじゃ……」
次から次へと流れ出てくる涙が心を突き刺すように締め付け涙が止まらないレッド。
いつまでも涌き出る涙を袖で拭く……すると、何処からか聴こえてくる優しく強い父の声に気付いた。
(……レッド)
横を見ると父と母が立っていた。白金の微光を放ちレッドに微笑みを向けている。
(誇らしい俺の娘よ、何故泣く? 笑え)
「父ちゃん、生きてるの?」
(これから満天の星空へトレジヤーハンターをしに行くのさ)
「レッドも、アタシも行く」
(レッドは広大な大地でトレジヤーハンターをするんだ)
「待ってよ! 父ちゃん大好き! 母ちゃん大好き! 行かないでよ~!」
(レッド幸せになるのよ。いつまでもいつまでも愛しているわ)
「うん、うんアタシも愛してる」
(愛しい俺の娘よ。いつでも見守っているよ)
(私達は傍に居るわ。ずっとレッドの傍にいるわ)
「行かないでよ~お願いだから~アタシを置いて行かないで~!!」
父と母の光は空に流れて行き煌めいて光の余韻ごと消失する。
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「……レッド……別れの祈りは済んだか?」
「うん大丈夫、もう沢山さよならしたから……」
街の離れの共同墓地に在るウィンド家の墓に父と母の亡骸を弔った。家が半壊しボルドーも重症を負い、ウィンド家の裏家業は廃業した。
住まいの倒壊してレッドとボルドーは、2階建ての狭い家に引っ越して細々と雑用屋を営む事となった。
ーーボルドー・ウインドはレッドに修行をつける日々を送ったが、5年後に削った魂と傷が元で、65年の裏家業人生の歴史に終止符を打つ事となった。
「泣いてはいかぬ。レッドよ、お前の分までヴァーミリオンを叱っておくぞ。疾く志し高く生きよ!」
それが最後の言葉だった。
「アッチは1人ぼっちになっちゃった」
「皆が天に居るだけで独りでは無いぞ、なぁ」
ボルドーの墓を見つめ、呟くレッドの肩にセーリューは優しく手を置いた。
父に非道で残虐な拷問をした悪辣な「貴族」。そして父を怪物にし母の命まで奪った魔物、紫色の【黒い小箱】。
この2つが幼いレッドの心の底に逆らえない恐怖のトラウマとして根付き、レッドに悪夢を見せ続けヘドロのように心の底に残り続けていた。
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◇時は戻る
城下街アグアの広場では、我先に逃げ惑う民衆が叫び混沌を生み出していた。人間では無くなった怪物ピエロは、口を裂くように開き涎を垂らす歯牙で狙いを定めたレッドに齧り付こうと襲いかかった。
「ルガァァァ!!」
いつもなら飛び退いてトドメを刺す事さえ訳ないレッドだったがレッドの状況が急変する。 牙が襲い来るその刹那、レッドは、ピエロの怪物の首の後ろに根を張る紫色の【黒い小箱】を見付けた。
目に入った瞬間、頭蓋骨の中に氷柱を入れられたように体が硬直していく。心の奥底で蠢く心を潰す闇が、モゾモゾと背筋を這いずり上がる。嫌悪感と恐怖の虜となり心が芯から凍っていく錯覚に囚われた。
━━!
動きが鈍り精彩を欠くレッドは、避けるのがコンマ数秒遅れてしまう。怪物男の涎が滴り落ちる歯先がレッドの鼻先に齧りつこうと醜悪な歯を見せるがレッドの動きは精彩を欠いていた。
「!?」
怪物が齧ろうとする横から3条の炎が頬に突き刺さった。
「ウゴロァァーーーー!」
怪物男は両手を口に当てて苦しみの悲鳴を上げて喚き散らす。矢の形を保ったまま、殺人ピエロの口内で燃え続けている青白い焔がレッドの瞳に鮮明に映り込んだ。
歯と涎が触れる寸前であったレッドは、棒立ちのまま大気に揺らめく焔の矢を茫然と眺め美しいとすら感じていた。




