父と母と
残酷な描写があります。
毛程の躊躇いも無く、司会者の首をくびり折ったピエロは、異常な長さの腕で3m近くまで持ち上げている。
メイクされた顔は、異常な角度に変形し、眼球は半分飛び出し、肌は紫色と緑色の斑に変色し始めている。
「魔物だーーっ」「逃げろ!」「早く衛兵に報せるんだ」
大道芸の見物人や屋台で、賑わいに包まれていた広場は、怒号や悲鳴が谺し、人々は散り散りに逃げ始める混乱の様相を呈していた。
元人間であろうピエロは、近場の人間を捕まえては、握り潰し、地面に叩きつけ、頭を半分齧り血溜まりに投げ捨て、血化粧をしながら、次々に物言わぬ犠牲者を量産していく。襲われた者は、苦痛の呻く時間もなく意識を断たれた。
見物人達は、声にならない泣き声、悲鳴、怒号を上げて広場は、阿鼻叫喚の場と化していく。その中で、たまたま場に居合わせた、屈強な獣の騎士2人が槍を持ち勇敢に立ち向かうも、1人は、槍ごと腕を引き抜かれ、もう1人は顔を握られ潰される。
圧倒的な凶悪ピエロの犠牲者が、また1人また1人と虐殺されていく、目を覆いたくなるような惨状が、ただただ広場に拡がっていた。
人では無くなった怪物が、目立つ赤いマフラーの女を見付けて、口を裂いて顎を大玉のスイカ位に開いた、歪んだ歯を見せると一気に襲い掛かる。
怪物モドキなど、手練れのレッド・ウィンドなら、余裕で避けてトドメを刺せる。
しかし、彼女は恐怖で硬直し動けない。
怪物モドキの首の後ろに根を張る、こぶし大の紫色に変色した【黒い小箱】を見付けてしまったからだ。
それはレッド・ウィンドには見覚えのある忘れることの出来ない恐怖の象徴であった。
*** *** *** *** *** ***
◇10年前
「こりゃ!レッドしっかりやらんか」
白髪が混じる茶色い短髪の頭を掻きながら叱咤する腕を組んだ初老の男は、孫娘に厳しい目を向けていた。目の前には何ヵ所にも柱と柱にロープが繋いであり6歳のレッドは、ロープに立ち上のロープへ跳び移る練習をしていた。
「ええ~まだやるの~ボルドーお爺ちゃん。友達のマーサちゃんが、そんなこと誰もやってないよって言ってたよ」
「何を戯けた事を言っとる。代々陰忍機動屋としてのウィンド家に生まれたからには諜報活動、破壊活動、浸透戦術、謀術、暗殺、戦では夜討ち朝駆け奇襲撹乱 を請け負うのが定め、陰忍機動の体術会得は避けては通れぬ道なのじゃ」
「難し過ぎて解んないよ~格好悪いし、みんなは修道院でお勉強したり農家を手伝ってるのにアタシだけ遊んでるなんて」
レッドは頬をプーッと膨らまして抗議する。
「お義父さん、その辺にしてお食事にして下さい。レッドは女の子ですよ。もっと御淑やかに育てないとお嫁さんに貰って頂けなくなります。私は心配です。……本当に」
母親のハーティ・ウィンドが、ボルドーを非難するように発言する。ハーティの髪の色は、レッドと同じで紅く艶めいていて後ろ髪は肩で揃えてある。
「ハーティさん、レッドが男だったらこの才能を十二分に活かせるのにのう。フグフグこれは旨いですな。魚に芋は合いますなぁ。流石ハーティさんは料理が上手じゃ」
口を汚しながらボルドーはスープを啜る。
「誉めても何も出ませんよ。それとお義父さんその話はレッドの前でしない約束ですよ。……もう」
そんな様子をレッドは不思議そうに見上げて見ていた。
「レッド食事の前に此方に来なさい」
「はーーいっ!」
レッドがハーティの近くに行くとしゃがんでレッドと目線を合わせる。
「動かないでね」
「うん」
乱れてしまった赤い髪を櫛で優しく梳かしていく。レッドは心地好い幸せを感じていた。優しくて綺麗な母親が大好きだった。
「終わったわよ、テーブルに着きなさい」
「うんっ」
レッドはテーブルで、まだ食事中のボルドーの横に座り食べ方を真似るように口に魚を放り込む。
「キチンとしなさい。そんな食べ方をしてたら、お嫁さんにいけないんだから。……知らないわよ」
ハーティは呆れながら注意する。
「お嫁になんか行かないもん。アタシは父ちゃんと結婚するの」
モグモグしながら木のスプーンを立てて主張する。
「全くこの子は……」
「ハーティさん子供は元気が1番じゃよ」
「私はそうは思いません」
ピシャリと言われたボルドーは、目を反らし誤魔化すようにスープを口にする。
「ヴァーミリオンは何をやっとるんじゃ? 朝イチで出て行く時に「昼前には帰る」と言っておったのにもう夕方じゃぞ?」
「お義父さん、もうそろそろ帰って来ると思いますよ。 肴のスープ温め直そうかしら?」
ハーティは冷たくなった肴のスープ皿を、テーブルから台所に持っていくと、玄関から音がした。
ーーーードッガタッ
「あっ父ちゃんだ!」
扉の方から音がした。
父親のヴァーミリオンが、やっと帰宅したのだろうとレッドは走って出迎えに行く。
玄関に行くと、倒れて蹲り身体中が傷だらけのヴァーミリオンが其処に居た。
トレードマークの赤茶色の髪から血が滴り落ちていた。焼きゴテで焼かれたような痕が顔中を埋めて尽くしている。片方の眼は潰れてるのか開かない。
「父ちゃん! ううっ父ちゃん! 大丈夫っ?」
「レッド心配ない。親父を呼んで来てくれ」
レッドは顔が青ざめ泣きそうになったが、急いでボルドーを呼びにいく。
「ボルドー爺ちゃん! 父ちゃんが死んじゃう! 父ちゃんが呼んでる!」
「何事じゃ!? 直ぐ行くぞ!」
ボルドーは、扉に寄り掛かかり絶命寸前の息子の凄惨な姿を目にする。
「……何て事じゃ。これを口に含め」
「ヘマして捕まっちまった…拷問がキツくて逃げ出すのに時間がかかった……ゴメン親父」
愕然としながら持ってきたハイポーションを飲ませハーティに包帯を巻かせる。
貴方、なんて酷い……今直ぐ、お湯を沸かします」
「ううっハーティ、悪いな」
「ーー!!」
ボルドーは首の後ろに根を張る紫色の【黒い小箱】を見つけた。すぐにナイフで深く根付く変色した【黒い小箱】を削ぎ取ろうとしたが時は既に遅かった。
ヴァーミリオンの肘から腕のような触手が枝のように伸び包帯を巻いてるハーティを持ち上げると。紙のように壁に叩きつけて潰した。
「ハーティさん!!」
「うわぁ母ちゃん! 母ちゃん!」
ヴァーミリオンが口を開く。
「ハーティ!……レッド逃げろ逃げるんだ! 何で俺の身体が…俺は何をされたんだ?……親父お願いだ、最後のお願いだからグウ! 俺を直ぐに殺してくれウググウ!」
意識を持っていかれそうな、ヴァーミリオンは涙を流しボルドーに懇願する。ボルドーは重い口を開いた。
「レッド命令じゃ! 今すぐ城門脇の衛兵詰所に居るセーリューを呼んでくるんじゃ!」
「だって! 父ちゃんが母ちゃんも……」
レッドは涙声を震わせて、か細い声で応える。
「いいからワシに任せて行くんじゃっ!」
「うわあぁーー!」
レッドは裸足で走り出す。父が、母が、祖父が心配で不安で悲しくて心細くて心が痛くて苦しくて、その想いに潰されないように平民街の路地裏を滑走していく。
ボルドーは息子に呼び掛け続けていた。
「ヴァーミリオン! 意識をしっかり持て!」
「戻って来てすまない、早く殺しグロてくれ……ゴガァォァ」
ヴァーミリオンの意識がほぼ消え体は黄土色に変色し眼球が眼窩から落ちそうに窪み、二股の腕を振り回す怪物と化して狭い屋内で猛威を奮い出した。
触れるだけで破砕されていく家具や壁が、狂気の力を解放している事を物語っていた。
「ヴァーミリオン!? ヴァーミリオンッ!!」
「ぐはっ……グッルロッロッ」
「……息子よ。 ワシも後で天に召される。先に待っていてくれ」
ボルドーは、ナイフの刃に親指を当てこすり血を滴らせ詠唱し始める。
「ウィンド一族に繋がりし闇の精霊様よ。影を霧散させこの我が身に纏わせたまえ!【黒霧】」
家の中に黒い霧が現れ天井近くに静止し、それがボルドー・ウィンドの背中で一瞬で拡がり食べるようにボルドーを覆い隠した。
「続いてお願い申す闇の精霊様、このボルドーの血肉と魂を糧として、影を鋼とし敵の命を刈り取る鎌刃の顕現を願ひ奉る【闇鎌】」
ボルドーの周囲の空間から鎌の形をした何十もの影が顕現し、ヴァーミリオンに狙いを定めボルドーをサポートし始めた。ヴァーミリオンは身体中を影の刃に刻まれて尚、暴れ続け鎌の刃を弾き返していく。
「グロォォォーーーー!!」
戦局はすぐに動いた。
ヴァーミリオンの脇の下側に影の塊が膨らんでいく。音も無く影から現れたのはボルドーであった。片手で肘を支えヴァーミリオンの肋骨の隙間を縫い脈打つ心臓に悲哀に輝くナイフの切っ先を滑り込ませた。




