【堕天使融合】
音の無い宮殿には、軋むような緊張した空気が流れていた。
神流は立ち上がると、ぐるりと向き直り、無表情なのに興味津々に見えるベリアルに告げた。
「お前が、俺と交わしている必要最低限の契約以外で、過剰に行使している魔法や刻印を解け」
『━━━━━━━━』
神流には、確信があった。
意味もなくベリアルが頭に浮かぶ事やシグナスや薬物ミイラの言葉が、ささくれのように心に引っ掛かっていた。
ベリアルは目線だけ、神流に向けて沈黙していた。
「何故、黙っているんだ」
『…………僕は、君の事を考えて刻印を施した、そのままで居てくれれば僕の力の使い方に戸惑う事も無いだろう。記憶術の壁に悩み続ける事を避けて、その選択の全てを僕に委ねたのは君だ。それを僕は嫌な顔1つせず了承した。君を護り君を助けて君の願いを叶えた。これは愛以外の何物でもない。君の為の愛だ君だけの愛だ君を救う愛だ。誓って害意は無い。僕を受け入れてくれるだけでいいんだ。総ては君の為だ、ただそれだけだ。この僕を疑わず信じてくれ」
ベリアルは、両手を拡げて伸ばし、自分に非がない事を神流に説いた。
━━論理が破綻している。何かがズレている。悪魔だから仕方無いが、人間を自分の欲求を満たす使い捨ての人形とでも、思っているのだろうか。
━━多分べリアルは愛を知らない、愛の意味が解らないのだろう。
ベリアルの言葉は、彼の心に少しも入って行かなかった。寧ろ神流を更に冷静にさせた。
神流は静かに口を開く。
「ベリアル……この世界に投げ出された、無力な俺の力になってくれた事に感謝しているよ。ありがとう」
『……』
「お前が居なければ、とっくにスタート地点の林で野垂れ死にしてたよ。悪魔や山賊、そして貴族に殺されていた……俺を助けてくれてありがとう」
『…………』
「俺は、そんなお前に無理矢理命令したくない。もう1度言う俺に影響を与える過剰な刻印は全て外してくれ。だから頼むベリアル」
『━━━━━━━━』
ベリアルの表情が崩れ、物質的な無表情から微笑みを含む表情に変わる。
『堕天使に感謝だなんて、君には敵わないな。僕の横に座ってくれないか御主人様……僕は君に嫌われたくないんだ』
神流は、言われた通りベリアルの横に腰掛ける。人間味を、垣間見たベリアルに対して心を赦しそうになる。
ベリアルは、胸を神流の顔に押し付けると、白く細い手を透かして頭蓋骨の中にゆっくりと挿入していく。
「━━ッ」
脳の表層を優しく軽く弄る。手で絡め取るように刻印を鋤いて剥がしていく。神流は小さな脱力感を覚えた。
━━何かが外れたな……脳の刻印は消えたようだ。
『完了だ。僕が、君に意地悪してると思われたくないからね。これでも乙女なんだ』
「そうか、それで何か変わるのか」
『ベリアルサービルの射程距離が、1000キロメートルから1キロメートルになった。僕が君の意思を誘導出来なくなる。魂が僕の色に染まらない。君が、僕を放置していても頭に僕の事が浮かばない、気になったりしない。僕を無理矢理に求めたり、欲したりしない』
━━その距離要らないな。引きこもりが部屋で南極や北極を弄くる位に必要の無い力だ。
ベリアルは少し残念な様子を口元に見せていた。神流は解呪の対価にベリアルに軽くハグをして声をかける。
「お前と俺は契約で深く繋がっている。そこが1番大事な事なんだろ」
ベリアルが照れてるのか胸元の文字を見せてくる。
━━ポーカーフェイスをしてるようにも見えるが、悪魔への詮索はしない。
ベリアルが思い出したように口を開く。
『左手を貸してくれないか?』
ベリアルが、神流の左手を持ち上げ、親指を口に咥えて舐める。指先が急激に熱を孕んでいく。
「エッオイッ何だよ急に」
神流が手を引き抜くと、親指の爪にベリアルのシジルマークが紅く煌めき光りを放った後で、ゆっくり薄くなり爪の中に沈んでいった。
━━今までの話は何だったんだ?
神流は唖然としていた。
『気にすることは無い。これは単純に指輪の力を助ける補助機能のようなものだ。そろそろアスの、アスモデウスの事で話をしたい』
『━━━━━!』
「……………………………………」
神流は、アスモデウスについての話を聞かされてから、シジルゲートから出ていった。
ベリアルは、自分の顔が微笑んでる事に気付くと高らかに笑い続けた。
*** *** *** *** *** *** **
夜霧は、クワトロ永久要塞周辺を包み込んでいる。
深夜で、城門も閉まり人通りの絶えた街道には、獣が彷徨いてる位だ。
神流とレッドは、クワトロ要塞の城門を出た北側の奥にある林の茂みに身を潜めて居た、神流の周囲に迷彩の布を張り、更に見えないようにする。
「旦那……人の気配は全くしませんが、アッチは周囲の警戒してきますから用事を済ませて下さい」
「解った。出来るなら手短に済ませる」
夜の森の闇を含んでいるかのような、清涼な空気をスーッと吸い込んだ。レッドが夜霧の陰に消えて見張りに行った。神流は、ベリアルサービルを静かに覚醒させた。
━━新しいシステムを発動させる為にまず
「【並行起動】」
コマンドワードを詠唱して、発動経路を2つに分岐する。
「【堕天使融合】」
神流の身体を取り巻く、靄のようなエーテル体が、隆起して頭上でベリアルの形を造形していく。
エーテル体が神流とリンクする。
完成すると目が赤く光りを放ち、クワトロ永久要塞の1キロメートル上空に、10キロメートル四方の巨大なべリアルのシジルマークが描くように形成されていく。
親指の指輪と共に指先のシジルマークが、輝いて熱を持ち忙しく極光を放ち点滅している。
街の外壁には、対魔の結界が張ってあるから、それを避けるように微調整する。
━━準備は整った。
「行くぞ!」
ベリアルの形をした、エーテル体が咆哮した。
「【友好】」
共鳴させるかのように、上空の巨大なシジルマークに撃ち込み効果を付与する。
響くの咆哮、そして微かな反響と共に、巨大な魔力を内蔵したシジルマークが、深夜の永久要塞クワトロに落下していき魔力の刻印がされた。
着弾を確認して発動を解くとベリアルの造形は夜霧に消えていった。
クワトロ永久要塞は10分経たずに神流の手に落ちた。
【堕天使融合】の発動を解くとベリアルの造形も夜霧に溶けて消えた。
神流は、レッドを呼び寄せる、音も無く現れた彼女に終了したことを告げる。
「終わったんですか? アッチにも見えましたよ、夜空に向けてシュバッとデカいバッタみたいに魔法が飛んで行くのを、相変わらず旦那は規格外ですね」
「見えたのか? そのバッタのお陰で、この要塞に俺達の敵はもう存在しないかもな」
「へっ?」
「魔法でクワトロ永久要塞にいる全ての貴族や住人と友達になったんだ、レッド、もう貴族に怯える事は無いんだ安心しろ」
━━レッドは、口を開いてぽかんとしている。ヨダレが今にも垂れそうだ。
神流は声を掛ける。
「城門が開いたら帰るぞ、俺達の街に」
「はっはい旦那」
クワトロ永久要塞の砲台棟が夜空に聳える幻想的な光景に神流は改めて異世界に居る事を自覚した。
城門に向かう2人の背中を有明の月の光が優しく押していた。
***
◇前日
シジルゲートを出て来た神流は試案を始める。
人間を相手に大袈裟にも思えるが、ベリアルの主張も一理あると考え作戦を練り始めた。
━━もしものリスクを考えてる間に家族や仲間が死んだら取り返しがつかない。魔法の使用が元で俺が捕まって死刑になっても後悔はしないと思う。それしか出来る事が見当たらない。寧ろ捕まる前に全速力で逃げるのが正解だ。
神流の脳から刻印を外した事でベリアルサービルの距離性能は戻ってしまった、というか射程距離100キロメートルなど見えないし攻撃したいとも思わない、使うことはまず無いだろう。
元々、神流の刻印は鉱物、金属、石、木、ガラス等には貫通しない。
それを【堕天使融合】でベリアルの巨大な力の1部を外界に引き出し、範囲、ターゲットの仕分け、そして完全透過の効果設定をクリアし建物を貫通させた。
クワトロ要塞街の住人約5万人から、面識があり友好的な人物は、【友好】のターゲットから外してある。
ベリアルサービルだけでは別コードの超強化上乗せである【堕天使融合】は使用出来ない。
ベリアルが神流の爪に施した刻印のブースト効果が指輪からの急激な魔力放出を助ける事でやっと【並行起動】が可能になり神流のエーテル体をベリアルの形に造形出来る仕様だ。
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━━ベリアルは溜め込んだへそくり魔力をかなり使ってしまったようだが、またゆっくり溜めていけばいい手当たり次第につまみ食いしてるしな。まぁ後で慰労を兼ねて宮殿に顔出しに行くか、土産に鳥の骨でも拾って持っていけば良いだろう。骨とか悪魔が使ったり食べたりしそうだしな。
神流とべリアルの感覚は天と地の底ほどにズレていた。絶対に怒るであろう選択が、簡単に浮かぶ辺りに神流が踏む地雷の多彩さを露呈している。
後日、神流は落ちていた骨を拾ってべリアルを呼んだが、骨を所持してる状態でシジルゲートが現れる事はいつまでもいつまでも無かった。
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