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堕天使マニピュレイション異世界楽章   作者: 愛沙 とし
四章
72/140

狂気の果実

 

 迷宮独特の湿った空気が肌に触れると、緊張感に拍車をかけていく。


 魔の大ワニ、ブラッドアリゲーターを仕留めた神流(かんな)達は、急いで右の扉に向かう。


 少し開いた木造の扉を覗くと、先に入ったリスト達3人が魔物達に囲まれる中で、手を繋いで陽気に踊っている異様な光景が飛び込んできた。


 石柱だらけのピロティ風の石造りの殺風景な広間に、人間や魔物の死骸が、無造作に散らばっている。


 少し離れた場所に聳える魔樹イービルプラントから混乱の花粉が飛散し、頭の上で乱れ飛ぶ魔蛾ポイズンモス2匹からは、幻惑の鱗粉が降り注いでいた。


 3人には、イービルプラントから蔓が伸びて幾重にも絡み付き、ポイズンモスが首を掴み千切って運ぼうと上昇している。


 セーリューとレッドの2人が、すぐさま救出に動いた。


 神流かんなは毒の類いだろうと当たりをつると、ベリアルサービルを起動(ファイアアップ)させ、後ろからセーリューとレッドに向けて狙いを定める。


「【脳防御ゲヒルンフェアタイディグング】【精神冷静(ニュヒターン)】!」


 刻印を背中に撃ち込む。


 ━━これで、ある程度は花粉と鱗粉に耐えられるだろう。2人を援護してから、後を追うように走る。


 セーリューは玄人ならではの軽妙な槍捌きで魔蛾ポイズンモスの羽根を切り落とし、2匹一緒に串刺しにした。


「手応えないのう、なぁ?」


 槍応えが無く不満そうなセーリューを余所に、レッドは魔樹の蔓を短剣で切断していき、リスト達3人を開放していく。


 その奥には、糸でくるまれたミイラのような繭が、無造作に転がっていた。


 それに群がるポイズンモスの幼虫達が、それを生きたまま食べているようだ、幾つかは既に残骸になっている。


 セーリューとレッドが、槍と短剣で瞬く間に魔蛾の幼虫達を殲滅していく。幼虫達は、小さな呻き声をギユーギユーと上げ絶命していく。瞬殺で、幼虫達を一掃し終えた。


 2人は急いで繭に近寄り、中の人間を傷つけないよう慎重に繭を切り裂いていく。


 神流かんなは、未だに混乱花粉を吹き、撒き散らしているイービルプラントの前に立つ。


 複数の枝や蔓が神流(かんな)に絡み付こうと一斉に伸びて襲い掛かる。


「【麻痺(レームング)】【麻痺(レームング)】」


 幹に重ね撃ちすると動きが止まり、混乱の花粉も止んだ。神流(かんな)は腰袋から、レッドに借りたランプの油をおもむろに取り出して幹にかけた。


 落ちていた木の破片を拾いジッポで焚き付けると、燃え盛る破片をイービルプラントに向かって投げた。


「ボァァァァーーーー!!」


 魔樹が奇声を発して燃え上がる。


 ━━かなりの広さだから一酸化炭素中毒にはならない。


「ブハッ」「ゲホッ」「プハッ」

「遅いよ」「!ワーン!」「パパーー!


 取り合えず依頼の子供達を含めて、生き残った6人を救出する事が出来た。リスト達には刻印を撃ち、回復させている。


 ━━混乱と幻惑のコンボは悪辣過ぎる。魔物自体は弱いが、どっちから吸い込んでも認識が遅れたらアウトだ。初見で見破るのは、かなり難しいだろう。


 その時の神流(かんな)は気付かなかった。左手の小指の指輪が、鉛色から青い銀色へ変わっていき、明滅し始めている事に。


 ━━目的は済んだ。早く戻ろう。


「セーリューさん、急いで戻った方が良さそうですね」


「まあ何とかなるだろ、なぁ」


 リスト達に子供を任せ、一行は洞窟を駆ける。神流(かんな)達は追い縋るサソリ魔獣を蹴散らしながら、時間を労する事なく、無事に螺旋階段まで辿り着く事が出来た。


 階段を登り終えると神流(かんな)は振り向き、2人に声をかける。


「レッド、セーリューさん、チョッと忘れ物したから取ってくる」


「了解ですよ」


「その歳でもの忘れじゃ、先が思いやられる、なぁ?」


「先にギルドに戻るなら必ず走る事。殿(しんがり)はセーリューさん、お願いします。一応、セーリューさんに塩を渡しておきます。直ぐに戻って来ますよ」


 神流かんなは踵を返すと、薄暗い螺旋階段を降りていく。


 暫く降りていくと、階段の途中にべリアルのものでは無いシジルゲートが、凶兆を告げるように浮かんでいた。小指の指輪は、悪寒を誘うように青く、そして不気味さを強調するように妖しく白い明滅を繰り返し続けた。



 ***


 ※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※




 …………

 ━━━━━━「旦那っ!!」


 意識が白濁の点となって浮かぶと、目の前にレッドの泣き顔が見えてくる。


 神流(かんな)は、雑用屋ハイドの2階にある温かいベッドの上で寝かされていた。


「……………………俺は死ななかったのか? ホントに死んでないのか? 俺の首は何処? うっイテテッ」


 身体のアチコチが痛覚神経を呼び覚ますように訴えかけてけくる。


 ……背筋の震えが残っていた。……ブツブツと鳥肌も立っている。


 刻み付けられた恐怖に奥歯が哭きたがっていた。


「旦那~っ心配してたんすぅァゥァゥ」


 泣いてるレッドがガシッと力強く抱き付いてくる。


 頭を撫でてやり、霊宮に居た俺が何故此処に居るのかを訪ねる。 


 ━━いつまでも戻って来ない俺を心配して迎えに来たら、螺旋階段の下に倒れていたらしい。


 ━━しかも、丸1日眠っていたという。身体のアチコチにあるアザは階段から転落した時のものだろう。


「旦那! 聞いてるんですか? アッチは本当に心配してたんですよ」


「解ったよ。身体が痛いから離れてくれよ」


 レッドは、まだ目尻に涙を浮かべている。


 状況を理解すると、申し訳ない気持ちが急激に膨らんでいく。


「悪かった……心配かけたな。助けてくれてありがとよ」


「そうですよ、じゃあ、こういう時は、ご褒美のチューですよ、ンッ」


「…………いい加減にしろコッチは怪我人だろ」


 レッドをデコピンで突き放す。


「イダッ酷いっす」


「……狂ってる、狂気だよ化け物だよ」


「えっ何すか?」


「イヤ、何でもない。セーリューさん達は、どうした?」


「セー爺は昨日、旦那を此処まで運んだ後に報奨金を貰ってとっくに帰りやした。リスト達はクワトロの総合ギルドに行くって言ってましたよ」


 ━━アグアの港に親の貴族達が迎えに来て、かなりの修羅場だったらしい。子供達は容赦なくビンタやゲンコツ等々で怒られた上に、しばらく謹慎らしい。庶民的に見えるが、親からしたらそうだよな。そういう話を聞くと貴族にマトモなのが居そうで安心してしまう。


「旦那~今回の報酬はこれですよ」


 レッドが金貨200枚を見せてきた。報奨金の内訳が全部で金貨400枚だという。


 ━━破格だな。リスト達は、助けてもらった上に足手纏いだったからと、100枚だけ受け取っていったらしい。残り300枚はセーリュー爺さん、 レッド、俺とで3等分だそうだ。


「レッド、俺はまだ体調が優れないから、今日は休んでていいか?」


「全然いいっすよ。寧ろ今日も明日も明後日もゆっくり休養してて下さい」


「悪いな、レッド。また来年な」


「もう何を言ってるんですか? アッチは、ちょっとギルドと不動産屋に行ってきますよ」


 レッドは舌を出してイーッと神流(かんな)にしてから、出掛けて行った。


「……あれが本物の、死と恐怖ってやつか」



 神流(かんな)は、胸や頭に傷が無いのを確認する。


 傷も無いのに全身がひきつる感覚に戸惑いながら、横になって思い返す。霊宮での出来事は、恐怖の残滓として鮮明に記憶と魂に焼き付けられていた。


 *** ***


 ◇


 霊宮に漂う空気は生暖かい。階段を1つ降りて靴の音を鳴らす度に神流(かんな)は、不快感と不安を掻き立てられていた。


『ジャ…………ナ』『…………クソ……オ』『……ド……………ガ……ガ』


 子供達を救い霊宮の出口に向かう途中から、ずっと耳障りな声が頭の中で繰返し反響していた。


 ━━間違いなく俺1人に向けられたものだろう。


 螺旋階段を降りる途中に顕現したシジルゲートは、ベリアルのモノとは質感も紋様も違っていた。


 ━━気になるのが頭に響く声が呼んでいる、というよりは喚き散らしてるノイズのように感じる事だ。


「そっちから、来てくれて探す手間は省けた。……うーん、雰囲気が怪し過ぎないか? ……俺の事を必要無いのにゲートを開けたりしないよな。此処に来てなんだが、すげぇ迷う」


 ベリアルの指輪がきつく締まって光を発している。


 周囲の階段を見渡しても、ベリアルのシジルゲートは見当たらない。


 ━━ここでノンビリしていると、上に居るレッド達が心配しだすし、頭に響く声も消えないだろう。


「ハァーッ断る権利が欲しいよ。帰る為には仕方が無い、とっとと話を聞いてサッサと戻ろう」


 神流(かんな)が嫌々シジルゲートに触れると、いつものように簡単に引きずり込まれて行った。


 周りは前と同じく暗闇だが、時間が無いから小走りで、頭に響く声に従い向かって行く。しばらく進み続けると、ベリアルの時と同じように遠目に灯りが見えてくる。


 近付くにつれ異様な光景が鮮明になっていき、眼球に映り込んだ。



 巨大な蝋燭の明かりに囲まれた中心の十字架に磔にされてる主は、ボロボロの薄汚れたミイラだった。



 ━━まるでリアル版のゴルゴダの丘だ。磔にされてる主は、何かの呪文を書かれたの包帯でグルグルに巻かれてる。

 


「かなり近寄り難い雰囲気だな。さっさと終わらすか」


「ハァァ、おいミイラマンお前が呼んだのか?」



「━━━!!」



 ボヤきながら十字架に近寄ろうとした刹那、神流(かんな)の左手首が血煙をあげて千切れて弾け飛んだ。


  血を撒き散らしながら後ろへ吹き飛んだ左手の切り口は、蝋燭の灯りに照らされて鋭利な刃物で切り落としたように綺麗な骨と血管と筋肉の鮮やかな断面図を見せた。


 酸化していなかった血液を大量に吹きこぼして床を血溜まりにしていく。左手に付けられた指輪は流れ出る血液に沈み光りを失い沈黙した。


「えっ?」


 神流(かんな)の意識は全く付いて行けなかった。近寄ろうと歩を進めた刹那、左手首に一瞬の熱と冷気を感じただけだった。


 血肉が爆ぜ神流(かんな)の左手首から先を失った左腕の切断面からは止めどなく血がこぼれていく。


「えっ」


 暗闇に慣れ始めた筈の視界が白黒に明滅し、目の前に赤と黄色の光が交互に駆け抜ける。手首から先が消えたと認識した瞬間、痛覚が全身を支配した。痛みで呼吸がままならない。


「俺の左手があああグッゥハッァァァイゥゥゥ」


 ━━苦しい痛い苦しい痛い苦しい痛い苦しい痛い苦しい痛い苦しい痛い苦しい痛い苦しい痛い苦しい痛い苦しい痛い苦しい痛い苦しい痛い苦しい痛い何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で俺がこんな目に……


 頭の中で警報が鳴り響いた。痛みで視界が定まらない。涙が滲んで流れ出る。


 転がった左手の指輪が光を完全に失った。


「………………・・・×××ガハッ」


 右手で手首から血が出ないよう押さえつけて、十字架を見上げた。十字架から夥しい数の鉄の杭が包帯の主を身体中、絶え間なく串刺しにする。


 串刺しにされる度にビクンビクンと身体を反らせる異様な状況を見せられる。


 ━━痛みで吐きそうだ。光景に狂いそうだ。


 神流(かんな)が人生で初めて全身全霊の力で食い縛った奥歯には、縦に亀裂が入っていた。手首を必死に押さえて声を絞り出す。


「ゥゥゥ何でこんな事を、お前が呼んだんだろ! 左手返せ慰謝料よこせ! クソったれ悪魔野郎!」

 

 口の包帯が裂けて串刺しのミイラが吠え出した。


『ガッガ泥クズがホザクな! 言ッテモッガグックズ泥のテメエに解ルカヨ! 俺のウブッ邪魔スンジャァねぇウッ』


 ━━言ってる意味が一ミリも解らない、本来の意味での悪魔がそこに居ただけなのかも知れない。


「何をしたいんだよお前! 動きたいんじゃないのか? 封印とか魂とか契約とか」


『手なんざ無くウギッてもテメエ如きは細エグッ切れに出来んだよ! 人形が俺に憐れみをグギャかけた危機感がねぇクズ泥が俺を侮った! 悔いろグッゲッ』


「!」


 何もない空中に手術で使う金属のメスが何百本もリアルに出現し、蝋燭の灯りに照らされると乱反射して怪しく煌めいた。


 その総ての切っ先を神流(かんな)に向けている。


 恐怖を感じる間を置いた後、無情に射出された。


 神流(かんな)の身体中に突き刺さるメスの刃先が骨に当たり、削れる音と振動が右の鼓膜を破った。


「うぐあおおおおおおおぉぉっーーーーーーー!!」


 理解の外だった。


 神流(かんな)は人形のように倒れると、ショック死してもおかしくない痛みでのたうち回る。気絶した方が遥かにマシだろう。


『物を投げるゲッガッだけならクズ泥人形と変わらねぇだろ。テメエの体のおかしさにゲッガッガッ気付きもしない愚図でノロマのゲグッ泥人形が俺をドウシテクレんだ? グッゲッ地獄が住み処の俺が串刺し如きの痛みで、ドウニカ出来るか擂り潰すぞ泥クズガァーーーーガアアアアッ!!』


 磔のミイラは今度は十字架から突き出す焼けた鉄の杭で身体を串刺しにされ、焼かれ続ける。


『ゲッガッガガッガ解ッタカ痛みを解ったか苦しみを俺を哀レンダロ俺を侮ったろガッガ』


『悔いろ悔いろガッガ悔いろ悔いろ悔いろガッ悔いろ悔いろガッ悔いろグッ悔いろ悔いろグッが悔いろ悔いろ悔いろ悔いろ悔いろ悔いろゲッガッガ悔いろ悔いろ悔いろ俺の復活の邪魔をするな!』


『ガッガ泥クズ悔いたか? 解ったのか?』


 焼けるような、気がおかしくなる程の痛みが身体中を支配している。思考の出来ない状態で神流(かんな)は立ち上がる。


 口から溢れる血液を床に吐き捨て、この世から消えようとする欠片の意識の中で、ハッキリと答えた。


「……殺せ」


 青い液体の入った巨大な注射器が3本、空中に現れた。それが神流(かんな)を目掛けて急加速する。


 ーーズジュ"ッ!


 神流(かんな)の両目と額に根元までしっかりと突き刺さり、首が果実のようにもげて落ちた。



『グッガッガ泥クズ人形がァァ!』



 更に串刺され焼かれる磔のミイラの咆哮は、蝋燭の炎を激しく揺らめかし、闇を狂気に染めあげた。


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