霊宮ラァストゥ
太陽の光を反射した海面の照り返しのお陰で、潮風の肌寒さは気にならず心地好い。
ベレー帽を大海に置いたような島の港に到着した。上陸すると、すぐ目の前に建物が建ててあった。建物の裏には、砲台が迷宮方面に向けて六基据えられていた。
━━場所がおかしい気がする。波が来たら建物ごと、さよならの可能性もある。
「何でこんなとこに建てたんですかねぇ? セーリューさん」
「この先に行けばすぐ解るが、ギルドで登録ついでに聞いた方がいい、なぁ?」
━━どっちなんだよ? 取り合えず迷宮に入るには、ギルドで登録してから行くのが決まりらしい。
全員で、2階建ての石造りの建物に向かう。建物の中に入ると、内装は木で造られていて、暖かみがある趣向だ。一番奥のテーブルには常駐の兵士が数人座って居る。
神流が物珍しそうに見回していると、戦闘系ではない、ふくよかな女性の職員から、黒板の前にある椅子に座るよう薦められた。
セーリュー以外が着席するのを確認すると、職員の女性は指し棒を持ち、直ぐに初心者講習を始めた。
「早速、説明会を始めるわね。私は担当のセツメね。迷宮に入る人達は書類に名前と押印するのね。救援の時や残念ながら死んだ時の身分証明の為ね。迷宮だけど本当の名前は霊宮ラァストゥね。この先の結界は霊宮ラァストゥから張られてるのね。それを越えると中に閉じ込められてる霊達のエリアね。憑依されると自我が保てなくなるから注意ね。塩、御札、御守り、数珠、御経、お祓い、気合いとかで乗りきってね。霊宮は、怪物さんとトラップだらけだから注意ね。72時間経ったら一応救出部隊が編成されるけど深くまで入れないからご理解ね。ギルドからは以上になります」
━━━━酷すぎる。頭に何も入って来ない。説明下手か? 気合いって何だよ?
他の席で聞いていた船の乗り合いの探索者達も、同じように呆れてポカンとしている。
因みに、神流のポケットには前に使った塩の袋が入っている。街でこの島にお化けが出ると聞いていたから、念の為に携帯している。
「旦那~」
訴えるような目で、レッドが神流に声を掛けてきた。
「言いたい事は解るよ、ここは堪えて許可書貰って出ようぜ。セーリューさんもいいですか?」
「……うっ婆さんや……あぶないあぶない、逝くとこじゃった、なぁ?」
「…………ええ、そうですね」
━━オンとオフが、激しいな……この島が爺さんの棺桶になりそうだ、とは思っても言えない。
島のギルドから許可証を貰って建物の外に出ると神流は、豪快な海の景色に少し黄昏る。何処の世界でも、海は偉大な存在のようだ。
「セーリューさんは、前も来たこと有るんですよね? お化けとかは大丈夫なんですか?」
「ワシは、体に塩もんで布で擦ると、温かくなるから平気だ、なぁ」
「……レッドはどうなんだ?」
「御守りがありますよ。死んだ父ちゃんのゴーグルです」
━━否定しずらい。
神流達は建物の外に出て、霊宮の位置を確認してから結界の中に入った。
「ウエッ来なきゃ良かったかも……」
普通に見ると草原のような芝生が一面に拡がり、一本道が滑らかに霊宮まで続く庭園のような光景だ。しかし、神流の眼には、まるで違う景色が映っていた。
神流は職員の『霊宮』という言葉が引っ掛かり、結界の前でベリアルサービルを覚醒させ、【霊視】を発動していた。
目の前は、まるで海中の魚群のように幽霊で埋め尽くされている。彼らに自我は無く、あてもなくうろつき、所狭しと蠢いていた。
霊の集団が結界を抜けた探索者達と神流達に気付くと、一世に群がり出した。神流は逃げたが、早くも乗り合いの探索者達とレッドに異変が起きる。
「アッ!」「うああっ」「ううう」「旦……那」
神流以外が、肉体を求める幽霊の大群に呑まれ溺れていた。神流は、憑依させないように即座にべリアルサービルを構える。
「【霊苦痛】【霊苦痛】【霊苦痛】【霊苦痛】・・・・」
手当たり次第に連打して霊達を引き剥がしていく。霊達は口を開け痛そうな表情をしてから、撃たれた順に口惜しそうに離れていく。
━━俺が実際に撃っているのは普通の【苦痛】だ。霊に呑まれたセーリュー爺さんは、こそばゆいのか、身体をはたいている。流石、経験者だ。
「キリがない、援護するから霊宮の入り口まで走れ!」
霊達に亀裂が生まれ隙が出来ると、神流たちは一丸となって走り出した。神流は一行をサポートしながら、幽霊を避けていく。
入り口に辿り着くと少し遅れて、セーリュー爺さんも追って来た。霊達は霊宮の入り口の近くには、寄って来れないようだ。
ふと、貴族の子供達が、どうやって入り口まで辿り着いたのか気になった。
ついでに助けた冒険者達も一緒に走ってきたようで、その3人のうち背の高い1人が神流に話しかけてきた。
「兄さんは、凶払者とか霊能力者の類いなのか?」
口には出せない神流は、返事に戸惑い沈黙した
「……悪かった、余計な詮索をしたことは謝罪する。俺達もギルドから派遣されたんだ。神官や魔術師がパーティーに居ないから、こんな不様な姿を晒してしまったよ。助けて貰ったお返しに協力させてくれ。俺の名はリスト」
「よろしくフーンだ」「レイゾよ」
神流達も自己紹介をして、合同で霊宮の中に入っていく。
霊宮の内部は、直ぐに階段で下に降りていく造りだ。螺旋階段を降りきると、ぽっかりと口をあけた入り口があった。
神流は、閉められている重厚な扉を少し開けて覗く。少し先にまた同じような扉がある。中の壁や柱には光る魔石が埋め込んであり内部の通路は明るい。
後ろから、セーリューが軽い説明をする。
「知恵の無い魔獣や結界を抜けられない魔物は、外に出れないようにしてある、なぁ」
扉を少し開け中を覗くと柱だけの空間が拡がっていた。後ろが待っているからと、神流は意を決して扉を開け放った。中に入ると早速、人間の匂いを嗅ぎ付けた魔物がザワザワと迫りくる。
「普通に居るんだな」
50センチくらいの不気味な斑模様のサソリが十数匹と、2メートル位の牙付きのトカゲが、奥からゆっくりと獲物を求めて迫ってくる。サソリの毒針付きの赤黒い尻尾は根本から2本生え、即死の一撃を狙っている。
神流は無闇に突進せず、ベリアルサービルを握り直すと自然体で構えた。
リスト達は手慣れたようにサソリの群れに恐れる事無く突っ込んで行く。リストは片手の長い剣を大きく振りかぶり、眼前の魔物を縦横無尽に斬りつけ、移動しながら攻撃を繰り返している。鎧の女性剣士は、死角から襲おうとする魔のサソリを見事な剣さばきで牽制し、隙を見て斬りつける。
フーンという大柄な男は、ゴツい鉄塊が先に付いた大ハンマーの一撃で魔のサソリに致命傷を与え難なく倒していく。
━━向こうのチームは息がピッタリ合っている。戦闘においては、プロの戦い方を熟知しているようだ。
迫るトカゲの口からレッドに向けて毒液が吐かれた。レッドはすばやく飛び退いて、難なく避ける。レッドが居た床が少し溶け、煙を上げている。
「【麻痺】【睡眠】」
神流が巨体の牙トカゲに刻印を撃ち込んだ。麻痺によりトカゲの行進は止まったが、まだ若干動いている。
━━鼠魔獣の時にも思ったが、人間と魔物では差があるな。大きさや質量が影響するのか、抵抗力があるのか。心臓も何処か解らん。解らない事だらけだ。
「楽過ぎるのう、なぁ」
魔トカゲ達は、セーリューの軽く伸ばす槍の一撃で胴を順に貫かれると、簡単に息絶えた。呆気ないが、霊宮初戦は圧勝で幕を閉じた。
「ーーん!?」
リスト達とレッドが、魔物を真っ二つにして何かを取り出していた。
━━心臓では無さそうだが、あまりいい趣味とは思えない。魔物の心臓だとしたらなおさら悪趣味だろう。それはうっすら発光する2センチ位の黒く四角い物体で生きてるのか脈動しているように見えた。少し気持ち悪いから、俺は近寄らないで遠目に見ることにしよう。
同じように傍で眺めて立っているセーリュー爺さんに、何をしているのか聞いてみる。
「なんじゃ【黒い小箱】も知らんのか? なぁ?」
「はぁ、そうなんです」
レッドが助け舟を出してくれる。
「セー爺、旦那は変な記憶喪失なんですよ」
レッドが、取り出した内臓のような物を神流に見せて説明する。
「旦那、この黒いプヨプヨには、魔力が宿ってるんですよ。肉体を持つ殆どの魔物が持っています。放って置くと迷宮に吸収されるか、他の魔物が食べて強くなったり、時間が経つとアンデッド化したりして、また戦わなきゃいけなくなるんです。なので、厄介防止の為に回収するんですよ」
リストも笑顔で教えてくれた。
「兄さん、それが魔物をやっつけた証拠になるから、持っていってギルドで換金してもらうんだよ。ギルドは迷宮の魔物を間引いて欲しいし、黒い小箱から魔力を抽出したい。俺達は金が欲しいから、利害関係はバッチリ一致しているんだよ」
「ワシ等にとっては、悪魔が欲しがる魂液と同じようなものじゃ、なぁ」
「!」
唐突に青山羊悪魔メンとべリアルが、神流の頭を過った。神流は、頭を振って気を取り直す。全員で捜索を再開し、霊宮の奥へ進みだした。
━━やはり、人数が多いと気持ちに余裕が出来る。リスト達が先陣を切って進んでくれているので、迷宮初心者の俺としてはとても有り難い。レッドは周囲を警戒しているが、セーリュー爺さんはアクビをしている。もう飽きたのか?
6人は順調に霊宮の中を進んでいく。離れた所に斑の魔サソリや、目が無数にある魔物カエルが見える。だが、何かを貪っていて、此方を襲ってくる気配は無い。
「ーーーー!」
進んでいたセーリューの足が止まった。口の端で銜えた葉巻を地面に投げる。
「こんな浅い層におかしいのう、なぁ」
体長8メートルはある、化け物ライオンが、柱の奥から此方に余裕ある歩調で迫ってくる。邪悪な鬣に守られた頭が2つ有り、太く強靭な脚も6本生えていた。2つの口から、はみ出す凶悪な牙が獲物を恐怖に誘う。
「グールルルル」「ゴァルルルル!」
「俺、デスレオ用の装備じゃねえよ」
リストが嘆いたが、多重音の唸り声を上げなからデスレオと言われる魔獣はそんな事などお構い無しにゆったりと距離を詰めてくる。
「レッド、リスト! 左右2手に分かれよう」
神流が声を上げると、リスト達は右の柱へ、神流達はデスレオの左側面に回る。
デスレオの巨体は恐ろしく俊敏だった。様子を伺う素振りを見せたと思ったら、リスト達との間合いを一瞬で詰め飛び掛かった。リスト達から見ると、ライオンの波に押し潰される感覚に陥った。
「「「!!!」」」
デスレオは刃物のように鋭利で重量のある前足の爪で、レイゾを切り裂こうと振り降ろす。
「【麻痺】」
右後方から神流の刻印がデスレオの右の後頭部にへ撃ち込まれた。デスレオが痙攣し前足の動きが鈍ると、レイゾは一息で斬りつけて身を躱し、そのまま懐に潜り込むようにして駆け抜けた。同時に、セーリューは右脇腹へ槍を深く突き刺した。
デスレオの巨大な背中にレッドが飛び上がり、短刀を突き立てる。短刀は根元まで刺さり、麻痺の効果を与える。レッドは躊躇うことなく柄を深く握り直して力を込めると、更に切り傷を広げた。
まだ動くデスレオのもう1つの前足の爪は、鉄塊の大ハンマーを両手で握り締めたフーンが受け止めていた。
「グルル……ルルル……」
レイゾが躱した前足に、ここぞとばかりにリストが片手剣を突き刺した。しかし、デスレオの骨にガギンと当たり折れてしまった。リストが恥も外聞もなく声を上げる。
「なんとかしてくれ兄さん!!」
「もうしている!」
神流は、更にデスレオの左後頭部へ麻痺の刻印を撃ち込んだ。前足の動きは完全に止まり、セーリューが槍を引き抜くと大量の血が滝のように流れ出し、デスレオは絶命した。
「俺の剣が、トホホ」
「命の方が大事でしょ! みっともないね」
デスレオの死体から苦労して【黒い小箱】を取り出すと、一行は捜索を再開した。迷宮攻略と違い、階段を降りる前にフロア全てを確認しなくてはならない。
光が弱まる柱の先に、奥へ進む為の2つの扉が見えてきた。扉の10メートル手前には、長い牙で威嚇する魔獣の巨鰐が悠然と待ち構えている。セーリューが、眠そうに神流に話かける。
「あのブラッドアリゲーターはワシ等だけでいいだろ、なぁ?」
「そっそうですね、セーリューさん。リスト! ワニはコッチで任された」
「そうかい兄さん。じゃあ俺達は、扉の先を偵察してくるよ。邪魔な魔物は、ついでに蹴散らしておくよ」
「剣が折れてる癖にデカい事を言ってんじゃ無いわよ」
「デスレオなら他の剣でも折れるよ。そこは、リーダーを立ててくれよぅ」
リスト達は、ブラッドアリゲーターを神流達に任せて扉に向かう。見える扉は、左は石造りの小さい扉、右側は木造の重厚な扉だ。リスト達は少し迷っていたが、右の木造扉を選び勢いよく開け放つと突っ込むように走って入って行った。
*
━━━━━7メートル以上ある魔のワニの威圧は半端無かった。
ウシを丸呑みできそうな口もそうだが、牙も大き過ぎて広角からはみ出しまくっている。人間なら丸呑みだろうな。
「カロロロロロロ」
「ブラッドアリゲーターは、牙に毒を持っとるから噛まれると危険だ、なぁ」
「毒? 毒というか、あの口に噛まれたら毒を感じる前に死にますよね」
「ノロマなら亀と変わらないっすね」
神流とは対称的に、余裕があるレッドとセーリューは臆する事無く近寄って行く。
勿論、俺は近寄らないで、べリアルサービルを起動させた。
「【麻痺】【睡眠】!」
調度、威嚇で口を開けたブラッドアリゲーターの喉に撃ち込んで刻印する。
2人には悪いが、近寄る前に動きを止めさせて貰った。
殆んど動かないブラッドアリゲーターの頭をセーリューの槍が垂直に貫くと、ブラッドアリゲーターは無言のまま絶命した。
レッドが苦労しながら背中を裂いて【黒い小箱】を取り出し、専用の袋に入れていた。レッドは、ワニの皮を取ろうか悩んでいたが止めたようだ。
***
ーーーー先に入ったリスト達の目の前には、予想外の景色が拡がっていた。
そこには、余す事無く太陽の光が降り注いでいた。青々した草が芽吹き、小高い木々が生命力を誇示するように並び立っている。白く可憐な花や木々に彩りを添える黄色や藍色の華々が、光の中に埋め尽くされていた。
極楽のような花畑を印象付けるのは、天空に存在する庭のように錯覚させる雲だった。幻想的に漂い続ける雲の群れが突き抜けるような空の青さを際立たせ、遮る物の無い神秘的で壮大な風景を創り上げていた。
木々の隙間から滝のように清流が流れ、せせらぐ川を造形して生命の育みを彷彿させる。そして、水辺には純白を基調とした様々な幻獣達が集い生命の息吹を魅せていた。
これでもかと眼球に焼き付けられていく、天界を思わせる幻想的な風景。まるで、神の敷地に導かれるままに辿り着いてしまったかのような神秘的な光景が視界を埋め尽くしていた。自分の終焉の地は此所なのだろうと、全員が確信するほどであった。
「おお、壮観だ。空気が心地好い。身体に染み渡る」
「ねぇリスト、楽しくなってきたわね」
「そうだなレイゾ! 楽しいな! フーンも感じないか、神の息吹を」
「少しなら休憩もいいだろう。此所が天空の庭と呼ばれる場所に違いない」
「じゃあ、踊ろうか」
まるで神の居住域のような神々しい場所であった。神の息が入り、神のみぞ知る秘密の庭。神秘性を醸し出す幻想的な天空の庭に入り、高揚が頂点に達した3人は軽やかにステップを踏み、楽しげに踊り始めた。




