クワトロ永久要塞
宮殿には、豪華主義と言われてもおかしくない一際絢爛な装飾が、至る所に施されていた。重力など関係なく象牙の柱が空中にトラス様式で組まれている。
『まだ覚えられないのかい? フーッ』
「耳はやめろ! 首も駄目だ! ソコは1番ダメ! 禁止禁止! お前のせいで緊張感が台無しだよ。集中力が消滅したわ」
『なんて君は我が儘なのだろう、驚いてしまうよ、この僕が』
「お前にだけは、言われたくないセリフの1つだよ」
神流は、べリアルサービルの刻印の再説明を受け、頑張って記憶していた。神流自身に力が無く、呪具のべリアルサービルに頼る以上、コマンドワードの種類と効果は1つでも多く覚えたい。
━━べリアルが創り出した紙と鉛筆の久々の感覚は嬉しいが、覚える事が多過ぎて魔法使いは神か?とも思える。
神流が詠唱をする事など、夢のまた夢だろう。
『この僕の力を使役出来るんだ、もっと誇りを持ち王のように堂々とするがいい、感謝をして僕を崇めてもいい』
ソファーに座る神流の方を向いたまま、膝の上にチア服の悪魔が堂々と腰を降ろす。
━━恩着せがましいと思いつつ無視していたが、正直邪魔でしかない。邪魔以外の何者でもない。邪魔だ。
「前が見えねえよ邪魔。いい加減訴えるぞ」
ベリアルは神流の鼻の頭に、か細い人差し指の爪を当てた。その鋭く尖る爪が毒々しい紅色に艶めいて光を反射している。
『何に訴えるか知らないが、僕はイエス・キリストを告訴した事もある。敗訴だったが、君が僕に裁判で勝つには何万年かかるやら』
━━ひたすら腹立たしい、よし無視継続だ。
『君は何してるんだい? 脳に手帳があるとでも思っているのかな?』
「……」
『脳に電気信号が有ることも知らないのだろう? フッフッ』
「…………」
『一万年前の猿と同じ行動原理なのかい? 笑わずにいられないなフーッハッハ』
「うるせぇ! 雇われ悪魔! ちゃんと教える気があるのか? コッチは一生懸命覚えてんだよ! お前なら何とか出来るのかよ?」
『僕は堕天使だ。今の僕は精神体でいると話したと思うが、アストラル体やセレスティアル体になれば、君の脳に触れ直接情報を入れられるんだ。それには、僕の主である、君の許可が要る』
「危険極まりないな、御断りだ! You know?」
『もう1度言おう。僕は契約によって君に危害を加える事を禁じられている。誓おう』
「…………」
神流は、かなり躊躇った後に口を開いた。
「…………クーリングオフは出来るのか?」
『いつでも、消去しよう』
「…………………………やってくれ」
━━拒否した手前、カッコ悪いし恥ずかしい。
そんな神流の心の挙動など気にする事もなくべリアルが神流の額に口付けをする。存在が薄くなり、溶けるようにべリアルは透けていく。透過した白く細い手が、スルリと神流の頭に滑り込んでいった。
「んんっっ」
━━頭蓋骨の中に手が入っているのが解る。麻酔無しで手術をされているようだ。物凄く気持ち悪いし吐きそうだ。どうせ額に口付けする必要も無いんだろう。俺をからかう為にしている気がする。
そんな事を考えてる神流を余所にべリアルの施術は進行していく。
『君の「神経細胞核」に記憶をプリントする。念の為、「シナプス」にもプリントしておこう。……処理は無事完了だ』
此方に掌を見せる。
数十秒で施術は終わった。
「!」
━━もうコマンドワードは効果までも解る。ベリアルの言いなりになってるようで悔しいが、覚える必要がないのは有り難い。
「早かったなサンキュー」
『それだけかい? 対価は?』
━━腕を組んで首を傾げるべリアルは無表情だが、不満そうに見える。
「聞くだけだからな、試しに言ってみろ]
『朝まで、僕とベッドで添い寝してくれ』
「基本、お触り禁止だから」
* * ** ** *** ***
「くそっガードとディフェンスで、全然寝れなかった」
シジルゲートから疲れて出ていく神流の脳には、べリアルのシジルマークの刻印が、ベッタリと脳を覆うように深く刻まれていた。
べリアルは神流が、出ていった扉を怪しく見つめながら
『愛なら赦される』
べリアルは、紅毒色の小指を咥え虚空に囁いた。
*** *** *** *** *** **
ある少年少女の会話
「ねえあそこに見えるブライア島に幽霊が出るんだって。恐いでしょ?」
「恐く無いさ、この名剣レイピアがあれば魔物なんてイチコロさ。僕の先生は、王宮剣士の指南役ヤハルア先生だよ」
「リタムなんかの剣より、この俺の杖を見ろよ。凄い退魔の力が宿ってて、悪霊や死霊も寄ってこれないってパパとママが言ってたから、俺は平気だ」
「僕だって新品の船のキャラックを好きな時に乗っていいってパパから言われてるんだ。それに僕の銀の鎧は魔虫の攻撃も防げるから、リティーナを魔物から守ってあげるよ」
「あの島の地下にはお花畑や空のような景色があるんだって。私1度見てみたいわ」
「じゃあ連れてってあげるよ」
事の発端は些細な会話だった
***
「━━━━では、ぼっちゃま。後で御迎えに上がります」
「パパとママに言ったら怒るからね」
背筋のしっかり張った老執事がお辞儀をする。
「心得ております。マロンぼっちゃま」
キャラック船がアグアの港に向けて去って行った。
「最初はギルドに行くのかしら?」
「僕らは貴族だよ、平民の許可など要らないよ」
「簡単さ、向こうの奥にキレイな建物があるからあそこに行けば、いいんだよ」
「そろそろ僕のレイピアの出番かな?」
子供達は霊を見えないので、退魔の杖の力に気付く事もなく、難なく霊宮に着いた。
「リタム! はやくやっつけてよ!」
「こんな大きいの無理だよ!」
「戻って逃げよう!」
「階段の方に魔獣がまだいるから、奥に逃げよう!」
奥の右側の扉を開けて逃げ込んだ。そこに拡がるのは。
「有ったわ素敵なお花畑。綺麗ね、嬉しいわ」
「地下に滝がある。空も雲も太陽も」
「ペガサスがいるよ」
「リティーナ、僕と踊ってくれないか?」
「いいわ、踊りましょう」
地下で子供達の舞踏会が始まった。
*** *** *** *** *** **
神流がシジルゲートから外に出ると、光の加減か木々の葉が朝陽で青く輝いていた。夜狼を連れて戻るとレッドも起きてきた。
「旦那~、気配まで断って何処行ってたんですかぁ?」
「チョッと夜間授業と寝技のディフェンストレーニングをしてきた、必殺技からのKOが狙える」
「また訳の解らない事を……もういいですよホントに」
━━頬っぺたが膨らんでるが、怒っては無さそうだ。朝食を作る間オルフェに水をやるよう頼んだ。
神流は、塩で揉んだ牛肉をスライスして、小麦粉にまぶしてから焼き仕上げにチーズを削ってかける。残った夜狼のテールスープに葉野菜を入れて煮込む。最後の仕上げに塩胡椒をかけて完成だ。肉の良い匂いが周囲に漂う。
神流には昨日から気になる事が1つあった。白色の猫にストーカーされている事だ。
━━少し離れた林の中を進んでいるのが何となく解っていた。今は更にはっきりと認識出来る。周囲の獣とも上手く戦わずに、木に上がったりしているようだ。此方に敵意は全く無いようだが距離を保って追随してくる。
━━べリアルサービルが当たる場所に出てこない。今なら捕らえられるが、あえて放置している。 少しだけ見えた白い猫の種類は多分『アシェラ』だ。ベンガルヤマネコとアフリカンサーバルと家猫を掛け合わせた高級猫だ。ちっちゃいホワイトタイガーのようで、日本でなら1000万円近くはするだろう。あの高級猫が襲って来ない事を祈ろう。
神流は、朝食をレッドに出して2時間眠らせてくれと頼んで眠りについた。少しの睡眠でも、眠ると眠らないは全然違う。
~***
神流の目がやっと覚めた。つまらなさマックスで待ちくたびれたレッドに声をかける。
「朝練しよう」
「へっなんすか?」
第一回「朝練で想定シミュレーション」に付き合って貰った。べリアルサービルという山刀を持ってはいるが、今の俺は刻印シューターだ。
夜狼を前に居させて敵の直線上にレッドがいる時の合図と囲まれた時の入れ替わりの仕方を試す。
レッドが攻撃に入る時に、サポートの効果付与と支援の攻撃を入れる事で、危険を減らすと伝える。危険な時は、身体に刻印を撃ち込むと前以て話しておいた。
「旦那からの愛の効果付与なら、いくらでもドウゾ」
「残念、愛は、効果付与されない」
━━レッドは、シミュレーション自体が珍しいのかノリノリで付き合ってくれた。何パターンか試しておいた。活用出来る格好良い場面が来るかは運次第だ。
「さぁ、ここまで準備して企画に取り組んでも、上手くいくとは限らないのが、世の中だ」
「何を言ってるんすか? 明るいのに酔ってるんすか?」
━━心の声が言葉に出てしまった。恥ずかしい。
「いい天気だな、と言ったんだよ」
━━さぁ、クワトロ永久要塞への今日が始まる。
***
━━丘を越えたら要塞街の入口が見えるらしい。周囲には行商人達や街の住人もちらほら行き交う。前まで読めなかった立て札が今は読める。脳を弄られたからか?
今の神流の服装は、ミホマの旦那の平民服だ。サイズはデカいが、目立たない。
━━べリアルが見たらなんて言うかな?
ここまで働いてくれた礼として、夜狼達に食事を与えてから、茂みに隠れて【帰巣】と【解放3日間】を撃ち込み解放した。
刻印を応用して時間を付与出来るのは使い勝手が良い、因みに3日後=72時間後に契約解除される。
徐々に海が見えてきた。
無限に波打つ大海原が太陽の照射を跳ね返している。
━━巨大な船が何隻も見える。かなりインスタ映えする風景だ。
「もう見えてきたな。要塞はあれか? ところでレッド、この要塞の王様は誰だ? 後、この国の名前も記憶喪失なんだよ」
「そうすか、国はトリュート王国といいます。王様の名前はリンク・アルフレット様で此処には居ませんね。というか見たことも無いですねぇ」
「クワトロ永久要塞と城下町アグアは、城伯、都市伯を兼ねたエルネス・キュンメル伯爵様が、王国の辺境と一緒に統治してるんですよ」
もう慣れたように説明される。
「おお、そうか。確かそんな気がする。有難う」
城門へ近付くにつれ、要塞の巨大さが解る。高さが10メートルの要塞の上に、40~50メートルの砲台までついてる巨塔が、4本も建っている。デザインもそれぞれ異なり、屋上に植樹されていたり、窓の形や砲台の位置が違ったりし、1本、1本に特徴がある。
━━細長い直方体を高く建造することは高い建築技術が有るのだろう。これらは、王や貴族が財力や権力を誇示する為に建てるのが一般的なようだ。よく見えないが、崩れて根本しか残っていない塔も見える。戦争でも有ったのか? 10メートル付近の上のエリアにはパラスと呼ばれる居館も建っていて圧巻だ。
街を囲む城壁も右に見える森の中まで続いてる。
━━小規模なディズニーワールド位の広さが、有りそうだ。というか、掛かったであろう莫大な人件費を考えてしまう。
「壁長いな、万里の長城かよ?」
「万里? 距離は、10キロメートル以上有りますよ。壁には、魔物避けの対魔の結界が、張ってあるんで、魔力砲も効きません」
「手が込んでるな。やべっ緊張する、緊張してきた」
━━跳ね橋を渡り城門に進むと少し胸がドキドキしてきた。城門には格子の鎧戸が付いている。普通ならスマホ出して写真撮りまくりだろう、門衛棟も間近だ。
神流がソワソワしていると、門番の衛兵に声をかけられた。
「おいッお前はコッチだ。レッド・ウィンドの小間使いだろ、婆さん視てくれ」
「次に婆さんと呼んだら許さんぞえ、ホワン様と呼ばんか!」
「いいから視てくれよ魔術士殿、後がつかえてんだよ」
神流は、せかされて木の椅子に座らせられる。すると目の前で小枝を振ってるお婆さんにキッと睨まれた。
━━何故だろう? 心当たりはまるで無い。
老婆の魔術士は、口元でボソボソ独り言を喋っていた。
「ボソッ、……イネ……パー…ン…!?」
「なんじゃ?……………………………………肉体レベル3魔力レベル1赤縞」
「レベル低いのに赤縞か? おいお前、この赤縞の書類2枚に名前と年齢を書いた後、インクを付けて親指で押印しろ。街で悪さするなよ、即牢屋だからな」
神流は1枚の紙と鉄のメダルを貰っただけで、あっさり中に入れた。関税の小銅貨2枚はレッドに借りていた。
「やっぱり旦那は赤縞かぁ、初めてこの街に入るんだから仕方ないですね。犯罪を犯すかも?の紙の模様ですよ。人殺しとかの犯罪を犯したら、押印で魔力の追跡調査をされますよ。けれど10日間犯罪を犯さなければ、紙から赤縞が消えます。紙を見てもいいすか?」
レッドが、神流の紙を覗く。
「旦那がレベル3で魔力1ですか? 旦那の強さで、有り得ないですよね? しかもアッチより1つ年下、これからはレッド姉さんとアッチを呼ぶといいですよ」
「俺の年齢は大体だ。俺が、怒る前に早くお前の店に連れて行け」
━━鉄のメダルは平民階級の証明用らしい。証書が燃えたり水で濡れてもメダルが残ってれば、再発行の手続きは金額も安く簡単になると言う。
昔の欧州的な街並みが続いている。街中の導線は街の中の城壁から離れているが、沿ったように真っ直ぐ街の奥に続いていく。
━━パッと見は千葉にあるアミューズメント施設より全然デカい。門の近くで屋台や出店みたいのも見える、荷物の受け取りや小物を渡してる人、そして獣人が多い。
━━獣人は確かに居たが、殆どが奴隷か重労働者だった。兵隊に成れれば平民階級に上がれるらしい。入口から近いこの辺りは平民が住んでるエリアだろう、菜園や畑そして厩舎まである。RPGなら真っ先に武器屋と防具屋を探すだろうが、俺は1Gも持っていない。取り敢えず、この街での拠点を早く確認して落ち着きたい。
神流が、歩きながら道沿いの八百屋や雑貨屋等を眺めていると、圧倒的に魚屋がデカい事に気付いた。
━━海の恩恵をかなり受けて居るのだろう。籠城してもしばらく食料を賄えそうだ。
歩くこと30分で目的地であるレッドの店舗に辿り着いた。看板の横に「雑務雑用お困り事ご相談下さい。ハイド店主まで」と書いてある。
「旦那、情報とか秘密と書くと官憲が来ちゃうんで、偽装ってヤツですよ。アッチはチョッと出掛けて来ます。大人しく2階で休んでて下さいよ」
「解った」
中に入って内装を見回して見ると、店舗の1階は、カウンターと物置だけだった。2階に上がると、ワンルーム位のスペースにベッドと小さいテーブルが置いてある。
━━何故かべリアルの事が、気になる。何故だろう?
神流は部屋を見渡し終えると、レッドに借金が有る事を思い出した。
街の探索を兼ねて、用事を済ます事にした。
「向こうは来た道だからな、奥に行ってみるか。今後の為に、知ってるエリアが増えた方が良いだろ」
━━手帳もなく行く当てもないのだが、この街を知っておくのは、有益だろう。気分は名探偵。もっともっと小さければ、あの少年主人公の真似をしているところだ。
━━依然として気温は上がらず肌寒い。自分の腕時計では八月だが、夏という表現も存在しないのだろう。言うなれば冷夏と言ったところだろう。懐の寒さも相成って素寒品の心に冷夏の風が吹き荒ぶ。
━━平民街は、商店や物作りの店が多い。思っていた程、汚い感じでは無かった。
後方へとゆっくり消えて行く街並みを眺めながら、神流は周囲を観察している。建物や住人の視線を避けるようにして、歩いている。見るもの全てが、元の世界と違い新鮮な景色に見える。建物の造りは、木造というより石や土壁なのだろう。
━━金も無いが気分が高揚している気がする。せっかく街に来たのだから、繁華街を探しておきたい。
街を見渡しながら、しばらく歩いていると1本の街路樹の側に興味をひく、ひっそりとした路地が神流の目に入った。
神流は掘り出し物が有ったりなんて、と思いつつ路地に入る。すると場違いな美貌の占い師が、こんな狭いところで商売をしていた。
━━知らない街の醍醐味を、味わってる感じがする。
神流が、邪魔にならないよう通り過ぎようとすると
「そこの方、此方へ」
呼びかけられ目が合った瞬間、占い師の月のような美貌と圧倒的な存在感に引き込まれ、神流は身じろいだ。
気品ある美人の占い師から、光り輝くオーラが出てるような錯覚に襲われた。
「ようこそ占い屋ノーザンクロスへ」




