クマと踊ろう
遠空が微かに赤みを帯びて明るみ始めた。もう少ししたら青白い夜明けの光を放つだろう。
神流は、夜狼の外ももをテールスープで煮込み、ミホマに分けてもらった香草で仕上げる。
熟睡してるレッドを起こして朝食を勧める。
「…………旦那、朝早すぎですよ……んっなんすか? この旨そうな匂い」
「熱いから、ゆっくり食べろよ」
「アッアフ熱っあちっ」
「子供か」
━━ブー垂れたくせに一瞬でガッついてる。相変わらずスプーンを全握りだ。幼稚園でも、あんなに汚さないだろう。昨日の感謝も何故か薄れてしまうような食べっぷりだ。
神流は昨日のパンの残りを食べ白湯を飲む。
━━インスタントコーヒーが恋しい今日この頃。 早く起きたのには理由がある。明るい内に進んだ方が、休憩を沢山とれると気付いたからだ。ペースで考えるとレッドの5日は、100km位だと思うが、俺は1日で20km歩くなどまず無理というか嫌だ勘弁してくれ。せいぜい10~15kmが限度、惰弱な俺にレッドも呆れてるだろう。
「日が登る前に片付けて出発しよう」
「何を片付けるんすか? シーシー」
「本気か? 焚き火の後始末とかだよ。マナーだよ、マナー。火事になっちゃうだろ」
座って小枝を爪楊枝の代わりにしているレッドを放っておいて片付け始める。
「よし、こんなもんで良いだろ。出発しよう」
大事な水をかけて火種を埋めてグリグリと踏み潰す。火を消す神流の目に繁みが不自然に揺れているのが映った。
「━!」
繁みから出て来たのは3メートル程の巨大な2匹の羆 だった。2匹とも全身茶色の毛に覆われ飢えた眼光を宿している。岩のような身体の胸元には、ブラシのような毛が雑に生えていた。そのデカい質量の塊の1つが神流目掛けて速度を緩めず疾走する。
「グオオオオォォォ!」
「うえぇっ!!!」
突進し襲い掛かるヒグマは、一瞬で神流に乗しかかり尻餅をつかせると鋭い牙と鋭利な爪で引き裂こうとする。その獰猛な姿は神流の度肝を抜いた。もう1匹の 羆の突進を跳んで回避したレッドが叫ぶ。
「旦那ーッ!」
「ガアゥ!」「ガウッ!」「ガァッ!」「ガルァ!」「ワオゥ!」
既に臨戦体制に入っていた夜狼達が放物線を描いて飛び掛かっていた。それに反応して立ち上がる羆が暗闇に響く咆哮を上げた。猛り狂い憤怒に満ちた羆の圧倒的なパワーが炸裂する。斜め下から勢いよく出されたベアクロウが、攻撃する夜狼の1匹を弾き飛ばした。顔の半分を爪で裂かれた夜狼は、空高く打ち上げられ地面に叩き付けられると絶命した。
夜狼達は怯まず連続して攻撃する。ブンブンと絶え間なく振り回されるベアクロウを掻い潜り背中や脚に噛み付いた。
「グアアォォォ!」
羆は空に向かって咆哮を上げる。大きな身体を振るわせ纏いつく夜狼達を振り解こうとする。
「!」
急に羆の動きが鈍くなりバランスを崩して前のめりに倒れていく。神流は襲われながらべリアルサービルで、麻痺の刻印を鳩尾に撃ち込んでいた。熊の身体の下に挟まれながら、尚攻撃を続ける夜狼達に指示を出す。
「オオカミ、今度は向こうの熊に攻撃しろ!」
神流が指をさして怒鳴ると夜狼達が攻撃を止めて着地する。そしてレッドと対峙しているもう1匹の羆に向けて疾走して行き、囲むように四方向から一斉に飛び掛かる。噛み付いた背中、腰、鼻先、左腕に夜狼達の牙が食い込んでいく。
「グオオォ」
堪らず吠えた羆は方向を変えて退散していく。
「もういい深追いするな。戻ってこい!」
羆の下から神流が声を上げると牙を解いて夜狼が戻って来る。神流が羆の下から這い出ると同時に、峠に異音が響いた。
「グオ"ァ"ァ"━━━!」
「━!!」
逃げていった方向から断末魔のような羆の悲鳴が暗闇に響き渡る。 夜明け前の暗がりに、新たな危機の予感と冷たい緊張感を孕む風が、2人の背中を撫でていた。




