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堕天使マニピュレイション異世界楽章   作者: 愛沙 とし
三章
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涙が俺の為に流れてくれるなら

 

 若い夕闇が大海の青みを残す空に干渉しようとしていた。血を含んだように紅い輝く夕陽が山小屋へと戻る3人の影を伸ばしていく。


 ようやく山小屋の集落の入り口に辿り着くと図太い無造作な声が3人を迎えに来た。


「御主人様ぁ、用事は終わったんだらですかぁ? 倉庫の仕上げを見て欲しいだらですぁ」


 白い髭の元山賊がドシドシと厳つい肩を揺らして神流に近付き頭を下げて話し掛ける。


「この俺の状況を見てよく言えるなお前……人員と体力余ってるならもう一個、隣に造っとけ」


「はいだらぁ」


 神流の負傷の様子にまるで気付かず、棒立ちで返事をする白髭の男をスルーした神流達は山小屋の入り口に向けて進む。

 ドアの前ではマホとマウが伏せて丸まるサーベルタイガーの背中に乗ったままジャンプし笑いながら手招きしている。


 ━━順応性高いな、何してても楽しいんだろうな。チョッと羨ましい。


「ママ~こっち」


「はいはい」


「ママ、カンナさん待ってたわ。お帰りなさ~い。レッドさんも、お帰りなさい」


「もってなんすか?」


「あぁ、ただいまただいま。身体がひぃひぃだから、先に中に入らせて」


 マホとマウに軽く手を上げて合図し、サーベルタイガーの横を抜ける。檜の匂いのする扉を潜り中に入るや神流はレッドの肩からスルッと手を降ろして離れ暖炉の脇に寝転んだ。


「ここまで助かった。チョッと辛い結構辛い、少し休ませてくれ」


「分かったすよ。アッチは、あの部屋でゆっくりとしてるんで用が有ったら呼んで下さいね」


「あっああ、気を遣わせて悪いな」


 レッドが慣れないウインクをして去っていくのを目で送る。息をつくと眠りについたように静かなベリアルサービル(ベリアルの軍刀)を覚醒させ柄を肩や腰に当てながら小さく簡易詠唱する。


「【治癒(ハイレン)】」


 魔刻印が浮かび上がると打撲傷の腰痛や打ち身による炎症の熱が少しづつ波のように引いていく。


「おふぅ、追加の魔刻印で楽になった気がする。やっぱり我慢は無理だった。最初、全身骨折したかと思ったもんな」


 ━━あぁ東洋医学でも西洋医学でもない魔洋医学といったところか。整体院を予約しないで良いのは有りがたい。魔法の乱用をしたくないが自分で身をもってしっかり実験しておかないと副作用も解らんしな。ただ集中すると魔刻印が力を発する瞬間をなんとなく感じる事が出来んだな。なんかブゥーンみたいな、だからなんだという訳では無いが、やはりこれが魔力というものなのだろうか?


 神流は答えの無い推察に考えを巡らせながら、自分に刻んだ魔刻印を眺め悪魔の魔法という無形の力を如実に感じとろうとしていた。


 充満する檜の香りを鼻腔の奥にまで吸い込み軽く瞼を瞑り思い浮かべる。落とし穴のような空間を抜けた先で対面した竜姫と呼ばれる女の蔑みを大量に含んだ視線と嘲笑する姿が克明に浮かんでくる。


「やっぱり腹立つ、見下した取引先を越えるムカツキ顔だ。この世界は完全アウェーだよ。解らない事や得たいの知れない奴が多過ぎる。……俺もそうなんだろうけど危険度が違い過ぎるだろ。俺、素人だぜマジで……」


 ━━悪魔、堕天使、骸骨、竜か、その中でベリアルは敵対行為をしてこない。何をされてるか分からないが協力的な気がする。セコ竜女は祠に行かなきゃ平気だろう。問題は……あの得体の知れないお鎌骸骨から皆を守るのが難しい。奴は俺を目掛けて殺しにくる。俺がピンチになったらミホマさんやマホ、マウが助けに近寄って来てしまうかも知れない。それは避けたい……避けたいな……。


 ━━


 眠りに強烈に誘導する瞼の重さに耐えていた神流だったが、唐突にギシリと上半身に力を込め闇を掴むように起き上がる。


 節々に痛みの残るその身体はミホマの部屋の前に訪れていた。


 ~**


 *** *** *** *** *** 



「ーー本当に色々と御世話になりました」


 神流(かんな)は満身の笑顔で別れの挨拶をする。


「ミホマさん御元気で、マホとマウも必ず健康で元気でいるんだよ」


 旅立ちの朝は、淡く白い光が降り注いだように明るかった。周囲の景色は神流が最初に訪れた時に比べ様変わりしていた。


 中心の少し改築された山小屋を守るかのように周囲に居住用の小屋や納屋が建てられている。納屋と連なる巨大な二棟の備蓄倉庫の隙間からは、山のように果実や肉や魚が積まれているのが分かった。そして裏手にポツンと在り枯れようとしていた菜園は、立派な畑となり青々と実った野菜達が絵画さながらの彩りを添えていた。


 神流はレッドの住む街が在るクワトロ永久要塞に旅立つ。動機は神流を襲った鎌を持つ骸骨、そしてべリアルが受けたという神託だ。


【全ての指輪をその手中に収める事で、汝の道は開けるだろう】


 ━━何となくだが、指輪を集めない限り元の世界に帰れないのだろう。まぁ探す当てもない。レッドの街に行けば、何かしら情報くらいは有るだろう。


「ブルルッ」


 傍で活発な鼻息を見せるのは山賊達の馬の内の一頭だ。旅の荷運び用の馬を1頭連れていた。その背には野宿用の荷物や食材が積み込まれている。


 神流は守護竜の祠から帰った後、ミホマにクワトロ永久要塞へ旅立つと告げた。そして、心置きなく発つ為に入念に準備を重ね進めていた。


「ミホマさん、バッチリオーケーな感じです。……えーと見たままですが、食糧の心配が無いように後々の手配もしっかりとしておきましたので安心して下さい。ハハハッ」


「何から何まで有り難う御座います。……旅立つと聞いた時は寂しさをとても感じました。でも、もう心の整理は着いています」


「ハハ……」


 元山賊達へ保存食の備蓄、菜園作りや畑の拡張等を含めた詳細な指示を済ませてあった。ミホマには谷の青い山羊悪魔を倒して得た宝石の一部を追加で渡していた。


 ━━悪魔から奪った事と、その悪魔が居ない事も改めて伝えてある。


「カンナさんはとても勇敢で、私達が困らないよういつも身体を張って助けてくれました。私の心さえも……」


「いやいや、ただの無駄飯食いの居候でしたよ」


「私達にとっては救世主のようなでした。……何故、私や子供達にこんなにしてくれたのですか? 何も御返しする事が出来ないのに」


「大げさですよ…………あのですね、林で傷ついて野垂れ死にするところをマホとマウがこの山小屋まで連れて来てくれました。狼の牙で傷ついた身体をミホマさんに治療して頂きました。何処の人間かも解らない俺に貴重な食事まで……だから命の恩人に自分が出来る事をしただけなんです」


 感極まる神流が服を下に引かれるのに気付いて振り返ると


「カンナ~ねぇ行かないで~」

「また来てよ。約束だよカンナさん!」


 涙でグシグシのマホとマウを一人づつ持ち上げた後、そっと頭に手をあてて優しく撫でる。


「急でゴメンよ~。必ず帰って来るから、いい子にして待っててよ」


「カンナさん身体にお気を付けて。降り注ぐ闇がその身を悉く避け、邪悪な暴魔の螺旋に巻き込まれず済みますように、守護竜の御加護がありますように、旅の御無事をいつまでも御祈りしています」


「はい、ありがとうございます」


 ━━みんな涙で濡れている。こんな俺の為に勿体無い感傷だ。


 釣られたように神流の瞳に涙が湧き、それに気付く。


 ━━悪魔に犯された俺に、こんな精神年齢がクソガキの俺に、まだ人並みの感情があったんだと自分でも驚いている。一応人間だという確信を持てる。


「ゲッゲッ旦那様、行ってらっしゃいませぃ、任せてくだせぇ御家族は、命に代えても守って見せますぜ」

「旦那様、オラ頑張って耕す、頑張って運ぶ、頑張って吊るす、頑張って戦う」


 人相の悪い屈強な元山賊達が周囲に並び大人しく見送っている中でグリルとドズルが前に出て来た。


「……グズとドロル! 此所を荒らす者から死んでも守れ!」


「「はい、旦那様グリルとドズルです」」


 グリルとドズルは深々と頭を下げて御辞儀を続ける。神流は他の山賊奴隷達にも手で答える。


「ゴロロロン」


 喉を鳴らし頬を寄せるサーベルタイガーの頭に手を乗せる。


「これからの飼い主はマホとマウだからな、お前の役目は番犬じゃなくて番虎な。大変だが護衛と狩りとお守りも頼むぞ」


 サーベルタイガーの額をゴシゴシ撫でてから手を離し立ち上がると後ろに振り向く。


「レッド」


「はい?」


「よく黙ってられたな」


「ハァ? 何言ってんすか? アッチの出る幕はねぇす」


 口元に呆れた表情を浮かべて戻したレッドが首を傾げる。


「そろそろ出発しようか、レッド」


「ハイッ旦那、何処までも」


 改めて見送るミホマ達の顔を見て頭を軽く下げてから歩き出した。


「じゃあ皆元気で……」


「行ってらっしゃーいカンナさ~ん、レッドさんもね~」

「カンナ行かないで~~!」

「2人とも御元気で……旅の無事を祈っています」


 神流はミホマ達に大きく強く手を振る。沸き上がる涙の衝動をかき消すかのように。


 たった数日だが慣れ親しんだ山小屋に必ず戻って来る事を神流は胸に誓っていた。それに呼応するかのように朝陽が山間から光の量を増やし2人の背中へと注ぐ。


 溢れる光に押されながら神流はレッド・ウィンドと共に永久要塞クワトロに向けて旅立って行った。


 新鮮な朝陽を煌めいて反射させる黄金の指輪は力強い金色の輝きを魅せていた。



 *** *** *** ***


 ~**



 日が落ちて月の光が細く差し込む峠の道。


 レッドと神流(かんな)は月明かり頼りの暗闇の中で松明を持ち疾走している。


「何匹居るんだ、コイツら?」


「だから言ったじゃないですか! さっきの洞穴で朝まで野宿した方がいいって。夜狼はしつこいんですよ」


「あんなムカデやゴキんちょだらけの所は、俺じゃ無くても無理だろ!」


 神流は松明とべリアルサービルを持って汗だくで走り続ける。


 足元と壁を這いずるゴキブリやゲジゲジに早急にギブアップした神流は早く峠を抜けようとレッドを説得して足を進めた所、運悪く夜狼の群れに遭遇してしまった。追ってくる夜狼達は大きい犬位の体躯で漆黒の毛並みを持ち、骨でも砕けそうな鋭い牙を生やしている。


「狼はもういいよ。逃げるなんて情けないが狼のディナーになりたくないのが本能の叫びなんだよ」


「いいからビシバシ魔法を使って下さいよ!」


「暗いし動きが早くてターゲットを取り難いんだよ。練習しとけば良かったかなマジで。それにしても多すぎないか? カミカミされて野生の狼の晩餐は勘弁、ヤベッ体力がもう……若さの限界」


「もうっ本当に仕方無い旦那っすねぇ! 代わりに手綱持ってて下さい!」


 2人と1匹は峠を越える道程の暗闇の中、夜狼の群れと交戦していた。


 月明かりを受けて心地好さそうに煌めく黄金の指輪は行く末を示すかのように瞬き続けていた。



三章終了になります。

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