夜の向こう側へ
濃度を満たしていく夜闇が、黒書をインクで埋め尽くすように地上を覆い夜の領域を無情に征服し終えていた。
既に振られた漆黒の鎌刃の軌道はレッドの横顔に吸い込まれる。
「なろぅがああああーーーー!」
レッドの腰に向けスピアータックルをかまして体を抱き寄せると地面を転がり横倒しになった。
黒曜の鎌が後頭部を掠め髪を散らし摩擦熱を起こす。それを感じた神流は胸が竦み慄然とする。
「旦那アン、こんな所じゃアッチも心の準備が……」
「馬鹿かよハゲたらどうすんだよ! 見えない敵が居るんだよ!」
「へっ敵?」
レッドから腕を離してし振り向くと、黒鎌を構え直したローブの骸骨はスライドしながら移動し神流の眼前で足を止める。
次の瞬間
高く高く振り翳す黒曜の鎌刃の切っ先が上空から高速で降下していた。咄嗟にベリアルサービルの妖しい刀身を振り上げた。
「どりゃああっ!」
━━
神流の左肩には鋭利な黒曜の鎌刃が深々と突き刺さっていた。突き立つ黒刃が月光を反射し噴く血飛沫を輝かせていく。顔の間近でカチカチと歯を鳴らす血に濡れた黒曜石の髑髏達の表情は自分を死に誘う凶兆に見えた。
レッドの鳶色の瞳が映し出す違和感は少年の肩。不自然な異音と共に鮮血が吹き出し、とろろと流れ背中に滴ってレッドの足に紅血が溜まる。
レッドの鋭敏な嗅覚が大量の血の匂いを拾い、危機感を伴うフレーメン反応を起こす。
「ーーうえっ!?」
無情の月はもうひとつの事実を照らし出す。
ベリアルサービルの刀身で、黒鎌の柄を受け止め黒刃が体への進入してくるのを辛うじて防いでいた。
体内にズルンと滑り込んだ刃先の感触が肉と神経を伝い直ぐ側の脳に辿り着く。ラップのように突き抜いた皮膚から噴いた血飛沫は頬に紅色の雫模様を色濃く描いていた。
「━━こ、ふぁ」
固い鎖骨に刃が当りその衝撃でビキンと亀裂が生まれる。
「んぐぁっ!」
「旦那! 血が……」
危険を感知したレッドだが、神流の流血を目にした刹那、見咎められたように一瞬で色気を失い青ざめた。
ローブの骸骨が見えないレッド。それを庇うように黒曜の鎌を押し返す神流は、指先を斬られ、肩を貫かれ、滴り落ちる血の雫が学生服を赤く濡らしている。
「ぐっ、ぐぅおおおっ!」
「こんなに、こんなに血が!? 早く手当てを!」
レッドが手当てしようと起き上がろうとする。
鎌刃の侵食に耐える神流は、口元に浮かぶ唾液に泡が混じり嗚咽と苦鳴を漏らしながら叫ぶ。
「ぐうっ、パニくるな! 俺の前に敵が居る。武器を投げろ!」
「えっはいっす!?」
懐に手を入れたレッドが複数の苦無を一瞬で取り出し投擲した。
ガキキキッキン!
数本が硬い物に当たる乾いた音を立て、数本は貫通して後方に消える。
「!?何かに当たったす」
神流の肩へ黒刃を押し込みながら、髑髏の首が臼のように回りレッドを捉えると鋭い指の切っ先をレッド喉元へ向け腕を伸ばし攻撃を開始した。
━━!?
「レッド、攻撃が行った! 後ろに離れろ!」
「!」
神流の必死な叫びに呼応したレッドは瞬時に後方に回転して5メートル程も跳ね上がる。レッドの居た場所へ髑髏の指先が突き刺さる。
「俺の事はもういい! 近くに居ると標的にされ見えない刃に切り裂かれる! 守れないから距離を取ってくれ! 早く山小屋に戻れ!」
「良く分かんねえす。……けど、解ったっす!」
駆け出したレッドは山小屋の手前まで到達して振り向いてしゃがみ苦無を構えた。臨戦体勢で見えない敵と戦う神流の様子を真剣に見守り始めた。
「ぐうっ」
━━ピンチに代わり無い!
レッドを逃がし安堵するも黒刃が体内に潜る不快感と怨嗟の調が耳に媚びりつき耳鳴りのように反響している。
「たかが標本骨野郎に負けるかよ!」
━━肩が痛えよ、おっ母。難易度高くね? 俺が弱過ぎるだけか。
鎌刃が刺さるのと同時に掴んだ鎌の柄。これ以上刃が入らないように握り締め抵抗を続ける。
「ぐううっ、カルシウムの癖に生意気に武器なんか使いやがって。うおらっ御返しだ!」
声と共に身体を引きローブの骸骨の鳩尾を蹴り上げた。下から下腹部に靴の先をぶつけるトゥキックだ。ローブに固く鋭い靴の先を思い切り深くめり込ませ巴投げの要領で後方に投げた。
骸骨は黒鎌を落とし間接が可動する玩具のように吹っ飛んだ。ローブを羽織ったまま受け身も無く樹木に激突し、そのまま地面へガラガラと崩れ落ちた。
「ぐっ、謎が1つ解けたかも」
神流は肩に刺さる鎌刃を引き抜いて後ろに投げ棄てた。
「グアアッ痛あっマジ痛い!鎌って厄介」
━━あっ! 指からも肩からも血が出てる。視界が狭いな。体重が減ったらダイエットと呼べるのか? 次の健康診断何時だっ……。
━━!
髑髏の残骸が深淵の闇に吊り上げられるように緩慢に浮き上がり始めた。再び骸骨人形が構築され血濡れの髑髏の虚空の眼窩が神流を睥睨している。ローブを羽織り直したその手には新しい漆黒の鎌が握られていた。
「どこから出した? 大鎌を使い捨てって100円カミソリかよ!?」
肩から流出する血液が背中を朱色に染める。生温かい血が踵まで流れ靴に溜まる。焼き付く痛みとは別に血液を無駄に失う喪失感というものを漫然に感じていた。
━━沢山、献血出来たのにな。ムコウは出血しないのに俺だけ血が出る不公平感が許せない。
ローブの骸骨は再び黒鎌を構え神流を視認しターゲットにすると機械のように無機質に迫り襲い掛かる。
「くっ、こっちは覚悟を決めてんだ。もっと近く迄、寄って来い。ハロウィン野郎!」
━━まだだ、もう外さない。
再び振られた死の鎌刃を下がりながらギリギリで避けると、ベリアルサービルの切っ先を骸骨の額に向けて簡易詠唱した。
「【麻痺】! 【麻痺】! 【麻痺】!」
刻印の連弾が胸とこめかみと額に当たる。すると、初めてローブの骸骨の動きに変化が起こる。骸骨は息を吐くように呻き、当たった部位にクラックが入る。しかし、握られた黒曜の鎌が再び振られる。
「うおおおぉぉぉ!!」
鎌刃を越えて跳躍し懐に入るように飛び付き額の刻印にベリアルサービルの鋒を渾身の力で突き入れた。
「グッガガ……」
黒鎌と両腕が力を失い地面に落ちる。ローブの骸骨は頭部と鎖骨と背骨と両腕だけの造りだった。額の亀裂が拡がり足元に出来た黒渦の影に沈んで行く。
「だぼだぼ服はカモフラージュかよ」
髑髏の顎関節が震えながら動いた。
「……及……首を……私…………だ……」
影で出来た黒渦にカタカタと消えていく。
「うるせぇよ舌も無いくせに骸骨が喋んな。血抜きダイエットさせやが……って…………また……意識落ちん……かよ……」
大量の血液に身体を濡らす神流は視界が白く明滅し強烈な血の匂いに頭蓋の内部がクラクラし足が覚束ない。意識を揺らし朦朧とする神流は後ろに身体を投げ出すように倒れ気を失った。
***
……
……………
……………………
黒檀のような、か黒い闇から意識が水面へ向かう。頭は起きているはずなのに肉体との回線接続が上手に出来てない、にも関わらず全身を過剰に駆け巡る細胞達が、無理矢理エンジンをかけようとしていた。
「━━」
瞼を開くと朝日の光量が加速度を増して角膜を通過した。すると、レッドが寝ていた部屋の天井が眼球の水晶体にはっきりと映った。神流には随分と眠った感覚があり、体全体が心地よく重い。
眠りと覚醒を往き来するメトロノームの針を止める。すると、脳が正常に働きだし通常業務に復して記憶の引き出しを開ける。
━━また生きてた。
「……生き、いつっ!」
とろんと揺蕩う眠気の残る声で呟こうとすると、ズキンと肩に走るこもる痛みに視線を向けた。
━━肩と指に包帯が巻かれている。
苦みのある薬草の匂いが鼻孔に触れる。首に触れるとミホマに渡した『再生のロザリオ』が掛けられているのに気付いた。更に左手の小指の先に『アンチポイズンリング』が装着されているのを確認した。
「……」
神流はそーっとシーツの中を確認する。
「神よ……居るなら嘘だと言ってくれ……パンツすら穿いてねえ、素っ裸かよ」
━━いくら俺でも生まれた姿の丸出しは恥ずかしい。裸族特性などは持ち合わせている筈もない。堂々と見せる男気も生憎所持していない。意思とは無関係に起こる朝のあれとか……もう考えるのを止めよう、辛くなるだけだ。
傍らにはベッドに突っ伏して小さなイビキをかくレッドが熟睡中だ。その指には銀の光彩を放つ 『エールの指輪』が嵌められていた。
「助けられてばっかだな」
神流は情けない顔で笑った。




