弱肉強食
神流の肩に咬みつく白い靄。
それは白い霧の塊がピラニアを形どる魔物だった。僅かに質量のある魔物が、ベリアルが発動したであろう魔力障壁の網を食い破れず身体をビチビチとくねらせていた。
「なっ新種か!?」
「失礼しやす」
ザンッ!
霧のピラニアが山賊の長剣で真っ二つに斬られてビッと身をくねらせ消失した。見渡すと周囲を浮遊する霧の魔物だらけであった。その大群はピラニア、クラゲ、ダツ、ウツボ等の魔物で神流と山賊達を囲み襲っていた。
━━俺がフラグを立てたからか? カワウソは居ないようだな。浮くのかよ。霧の魔物?
「随分多いが倒せるか?」
神流が少し警戒心を強めながら言った。
「低級雑魚の魔物ですぜ御頭、群がられて噛まれると生気を大量に吸われやす。殺るのは黒パンを斬るようなもんなんで余裕でさぁ、お任せ下せえ」
━━誰がお頭だ。普通にいやだ。
「……何でいきなり出てきたんだコイツら?」
長剣を振り回して神流を護る山賊が剣で霧の魔魚達を牽制ながら説明する。
「谷を縄張りにしてる悪魔が住み着いてるんで、アチコチに濃厚な瘴気が出来て媚り付いてても不思議はねえです。日が陰った上に夕暮れが近いから魔物が息づいて活動始めたんでさぁ。夜になればもっと強力な魔物も出て来るかも知れませんぜ」
━━悪魔の次は魔物かよ。伝記とかではお化けと妖怪は夜に出るらしいから当然か。ベリアルも「瘴気」とか言ってたがイマイチさっぱり何なのか良く分からん。地縛霊の油汚れみたいなものか?
「主格の悪魔に遭遇したらお仕舞いでさぁ。そん時は死んでも食い止めるんで一目散に逃げて下せえ」
「もし出て来たらな」
周囲では興奮する山賊達の怒号が飛び交う。擦り傷や切り傷を負いながらも目が生き生きとしている。
「グッハァ、仕留めてやる!」
「八つ裂きだぁヒッヒ」
しゃがれ声を上げた痩せた山賊は空中を泳ぎ攻撃してくる霧ダツの魔物に飛び掛かり短剣を食い込ませ引き抜いた。身体を半分に裂かれた魔物は地面に落ちて呻きながら消えていく。
短剣や長剣の届かない所にいる霧ウツボを、レッドにやられた山賊が槍の穂先で貫いていく。
神流も負けじとベリアルサービルを抜いて食い付こうとする霧ウツボの魔物の胴体に刃を突き入れる。
ゼリーのような感触に戸惑うが、そのまま地面に投げ付ける。
━━倒せるなら何とかなる。幽霊みたいに切っても駄目なら、どうしようかと思ったよ。今度、幽霊とゴースト対策を練るか。
山賊達に一切の怖れは無い。手にした鉄の武器で斬りつけ、グローブで殴り付け、ハンマーでひしゃげさせて、次々と手慣れた手腕で退治している。中には複数の霧クラゲの触手に絡まれ痺れて倒れた者も出たが、周囲を漂う魔物は全て倒された。
━━慣れてんな。
まだ物足りなそうに周囲を探してる山賊達に神流は面倒そうに切り上げろと指示を出した。
~**
神流達が崖の上へ登りきる頃には、沈み始めた夕陽が林の木々を夕闇に連れて行こうと茜色に染め始めていた。連れてきた5頭の馬達への積み込みは既に終わろうとしている。
━━食材と飲み水の補給の為だったが、思ってた以上に使えそうな物が散らばって残っていたから使える物は持って帰る事にした。
物量が多過ぎて馬3頭に乗せきれず、残りは山賊達が分担して担いで運んでいる。
「ゴロゴロゥ」
「待たせたな虎モン、ターザンやらしてくれ」
喉を鳴らし頭を低く下げるサーベルタイガーの背に神流がよじ登り帰途に就いた。暫く進んでいくと、
「ん?」
見知った大岩の所まで進んだ所で進みが遅くなり列が詰まった。
━━先頭がざわついている。
神流が目を凝らして前方を覗くと、見覚えのある大きなフォルムの獣達との戦闘が勃発していた。人間と同じ大きさの肉食獣、灰色狼の群れが進路を囲うように塞ぎ、剥き出しの牙で山賊達に襲い掛かっている。
神流を襲った時と同じように頬の顎間接の軋音をゴリゴリと鳴らし、歯茎を剥いて鋭い犬歯を見せ威嚇しながら本能に任せ攻撃を繰り返していた。
体重を感じさせない跳躍で山賊に踊り掛かり牙を獲物に食い込ませようと涎の溢れる顎を開ける。
「待ち伏せでもしてるのか? 本当に暇なんだな狼って。ワンパターンだし」
神流は、まるで他人事のように呟き成り行きを眺めていた。
━━あの牙で噛まれた時、マジで肩が亡くなったと思った。今は人数が居るから全く怖くない。それにしても餌を探し過ぎだろ草とか木でも食べてろよな、籠の中の食材目当てか? 如何に大きい狼ブラザーズ達でも武器を持ってる山賊達に敵わないだろうな。
「フッ昔の古傷が痛むぜ」
肩を触り、ふざける神流の予想は的中する。早くも鮮血が飛び散る。野生ならではの狂気の咆哮が木霊し響いた。
先頭に居たモヒカンの男の上腕に研磨されたような鋭い牙達が食い込んでいた。肉を容易に貫通し痛覚神経を抉って掻き回し噛み千切ろうと揺さぶる。
「ぐっげぇえっ!」
ーードスッ
叫び声が響く前に灰色狼の後頭部から長剣の先が生まれる。
「いでぇよーー!遅いだチオグーー!」
「タダなんだから文句言うなっイテエなら後ろで傷口縛ってくりゃいいだろ」
頭部を串刺しにされた灰色狼は空気が抜けるように吠え地面に崩れ落ちた。
それを見た灰色狼達は跳躍し放物線を描いて飛び掛かる。しかし、身構え舌なめずリしていた山賊達にの武器の餌食となる。鎖の鉄球を身体にめり込ませ吹き飛び血飛沫を上げる。こん棒やハンマーで叩き潰され跳ね上げられ次々と血祭りにされる。
鋭く頑強な牙で獲物を蹂躙してきた狼の息づかいが次々と消えていく。周囲には血に含まれる濃厚なヘモグロビンの鉄の匂いが立ち込める。それが鼻腔についた神流は何とも言えない表情で片側の目を瞑り監察している。
「これも、自然の摂理のようなも……」
━━!
「ガグルゥアッ!」
突如、木の影から灰色狼が飛び出した。それは神流の見知った目に傷を持つ灰色狼だ。飢えた牙を見せながら綺麗な弧を魅せて無防備の神流の首筋に狙いを定めて襲い掛かる。
━━またかよ。俺ばっか狙いやがって。
灰色狼が何故神流を襲い続けるのかは本人にも分からない。神流は自分の事が美味しそうに見える狼に間違いだと伝えてやりたいと思った。不摂生をしていた頃の脂の乗った中性脂肪などは微塵も無く、ボリュームの無さに後悔するぞと。
神流を口に入れる餌としか見ていない灰色狼の双眸は、飢えた野性の欲望に染まり、牙の並ぶ口からはみ出す長い舌は涎に濡れていた。
避けるのがほんの僅かにでも遅れれば、研いだように鋭い牙が甲状腺やリンパ節を太い舌動脈ごと食い千切るだろう。避けたとしてもバランスを崩して転落してしまう。
神流の命を刈り取る狼の顎が更に大きく開き荒ぶる牙という凶器を浴びせかける。
「ギャインッ!」
━━残念賞。
神流の喉笛に牙が触れようとする瞬間、サーベルタイガーの爪が高速のテニスラケットのように降り下ろされた。
三条の大きな裂傷を負い、弾かれ螺旋に半回転しながら地面にめり込むようにバウンドする。太い前肢で腹を押さえつけ灰色狼の首筋に太い牙をズッと突き立てる。その杭のような牙が根元まで埋まると唸る間もなく灰色狼は絶命した。
━━猫パンチ恐るべし。その左で世界を狩れる。
灰色狼の軀の数が20を越えた所で残りの灰色狼は退散して逃げて行った。
神流は指を立てて呟く。
「チッチッチッ甘い。昔のチョロい俺じゃ無いんだよ君達」
重なるように積まれた灰色狼の死体は、追加の食料と毛皮の確保として担がれ持ち帰る事となった。
自分を執拗に襲い続けた灰色狼の死体が山賊達のに担がれ並ぶのを感慨深く見やる。
「弱肉強食のピラミッド、生きていくのって何処の世界でも大変だな……」
改めて呟いた言葉は誰の耳にも届かず林の空気に消えていった。




