黙祷
山小屋の中では掃除を命じられた2人が務めを果たしていた。木の香りが雰囲気を醸す暖炉の部屋を、せっせと掃除する山賊の2人。
レッドの親戚でもあるロスロットは、砕けた屋根や扉の破片を丁寧に拾い集め外に運ぶと一ヶ所に積み置く。
グラネリエは何処からか探してきたバケツと雑巾を使い、テーブルや水回りを磨くように拭いている。
ミホマから寝室の掃除は断られ暖炉の部屋と台所だけを集中的に片付けて掃除する流れとなっていた。テーブルや椅子、樽、棚、そして残りの家具を端に寄せて掃除をしている。そんな中、
「ロスゥ……ロス…………ロスロッ! 聞いてんのって言ってんのよ!」
松葉杖代わりに椅子を持ち歩くレッドがポジションを変えながら、山賊ロスロットに向けてせっかちに呼び掛ける。
下を向いて瓦礫を拾うロスロットが面白く無さそうに目を向ける。
「今さ、御主人様の言い付けで忙しいんだよね。いくら親戚でも邪魔をしないでおくれよ。大体、僕の名前を半分にして呼ぶなら、これからレッって呼ぶから覚えといて」
「誰が助けてあげたと思ってんすか?アッチはね、不審な山賊を見張るようにカンナの旦那から直々に頼まれてんすよ。図が高い、シャキシャキ働けっす」
「掃除の邪魔してるのレッドじゃないか」
うんざりした顔つきをするロスロットは、手で拾える限りの破片や瓦礫を外に運び終えた。手を叩いて、室内の壁に飾られていた立派な鹿の角を外しゆっくりとテーブルの上に置いた。それに気付いたグラネリエが埃を払って布で磨き始める。
ロスロットは手を休める事無く、部屋の隅に向かい、逆さで置いてある箒を手に取り丁寧に掃いていく。
「煙い、ロスッ!埃が立たない用にゆっくり掃いて!相変わらず気が利かないっすねえ」
レッドはターバンの布を口に当てながら文句を言う。ロスロットは横目でジトッと目線を送り聞こえるように呟く。
「何でさっきから真ん中に居るの? レッドが居ない方が掃除が早く終わるんだけどね」
電気が走ったようにレッドの神経質な片眉がピクッと上がる。
「ハァ? 良いんすか? そんな事をアッチに言っても? 旦那に言い付けてやるっすよ」
「小耳に挟んだ話だと、レッドは休んで怪我を治せと言われてたよね。僕とグラネリエさんが迷って聞いたら、教えてくれる役割なんでしょ」
ロスロットは正論めいた口調でレッドに告げる。
「それは盗み聞きっす。ロスロットが山賊になって襲撃して来たから、アッチがこんな怪我をしてんすよ! 謝罪しろっす。お金払えっす!」
「山賊って、僕は馬を引かされていただけだよ。……もう本当にレッドは僕の親戚なのか心配になるよ」
「キーッ●◀◆!」
レッドの甲高い声に鼓膜を刺激されたロスロットは居心地悪そうに黙々と床を掃いて小石や砂を扉の外へ掃き出している。
ロスロットと対照的に拭き掃除をするグラネリエの機嫌は良い。
「あの御方の御名前はカンナ様というのねぇ。何て素敵な御名前なのぉ。早くお帰りになられないかしらぁ」
柔らかい腰付きで雑巾を持ち、この場に居ない神流に主従を越えた想いを馳せている。息に熱を持たせ呟きながら、鹿の角を磨き終わり手際良く椅子の背凭れや脚を拭き上げていく。
なんとなく不快な空気を察したレッドがグラネリエを睨む。そんな視線等をまるで気にしていないグラネリエがレッドに一言忠告する。
「いけないわぁ、そんなに眉を寄せたら皺になっちゃうじゃない。若い内から女の幸せ逃がしちゃうなんて勿体ないわぁ」
「くっ、余計なお世話なんすよ。山賊年増女、蟻のように働けっす」
眉間を指で撫でて確認するレッドを気にも掛けず、グラネリエは靴を脱いで椅子に上がり天井から下がるランプを丁寧に拭き続ける。
面白く無いレッドは、仕事にケチをつけようと目を見開いて凝視するが、スムーズに部屋中を綺麗に拭き上げていく様子を見て早々に口を噤んだ。完全に飽きたレッドは、
「アッ、アッチは部屋に戻って怪我を治しに行くから。後はサボらないでシャキシャキやっとけっすよ」
「やっておくよ。お大事に」
片足で跳びながらレッドはベッドに戻って行った。荷物を避けながら棚を拭くグラネリエが口を開く。
「ねぇロスロット、あの子と余り似てないわねぇ」
「はとこですからね、普通は似てないと思いますよ。残念な事に交流も少ないですしね。レッドの家族とだって数える位しか、会った事無いんです。それより、僕はグラネリエさんが掃除出来た事に驚きましたよ。お酒を飲むのが仕事みたいなものでしたよね」
「お酌は上手いでしょぅ? 男なんて生き物は手玉に取ってナンボなのよぅ。それにアジトなんて掃除をする価値すら無いわぁ。女は表面が綺麗なだけじゃ足りないのよ。多才じゃないとぉ生きていくのが難しい世の中なのよぅ。覚えておきなさいねぇ」
「……それを僕に言います? グラネリエさん、掃除が終わらないと僕等は休めないですから、レッドが戻って来る前に頑張って進めましょう」
箒を持つ手に力を入れたロスロットはゴールを見据えて掃除を再開した。
***
時折吹く魔物が咆哮するような風音が悪魔の谷に響く。それと共に訪れる冷たい風が谷底へ新鮮な空気を届けていた。
陽光を反射する赤茶色の巨大な岩壁が、雄々しく神流を身下ろしている。
強靭な意志を持って開かれた戦闘の幕は壮絶な屍の山を築き幕を下ろした。高位悪魔という存在の暴魔を、生き残った騎士達の網膜に烙印のように焼き付ける結果となった。からくも戦場から逃げだし、幾多の窮地を乗り越えた神流は存命している。
冷たい風の吹き下ろし谷底の墓標の群れを抜ける。手を合わせ黙祷するのは神流であった。
悪魔と戦い生き残った騎士達が作ったと思われる墓は、殆どが石を積んだだけのとても簡素な造りだった。所々で流木の十字架や花が添えられたり剣を差してあったりと様式は様々だ。しかし、放置されてる死体は1体たりとも存在せず墓標の下で永遠の眠りについてると思われた。
━━俺は…………唯々、殺されていく姿、死んでいく姿に怯え見ていただけだった。何も出来ず最後には逃げだしてしまった。あの時、飛び出して参戦してれば何かが変わっていたかも知れない。……後から戻り救助する事で、その気持ちを誤魔化していたんだ。勇気が無かった。助ける事が出来なくて申し訳無い。成仏して天国に行って下さい。此処には居ないだろうけど、俺を逃がそうとしてくれた青年騎士のスチュワールトも安らかに眠って下さい。
暫く深々と頭を下げ続け顔を上げた。
「ずっと引っ掛かっていたんだよ。日本式だけど、これでよしっ! 今日は怪しい生き物が全然出て来ない。透明チョウチョとかは捕まえて山小屋に連れて行ってマホ達に見せたかったんだけどな」
━━もし青山羊悪魔メンが蘇って出て来たら今度こそ……いやっ俺にはまだ早い、体が大人になってからじっくりと考えよう。
神流は川辺に歩いていき清流の煌めく川から柄杓で水を掬って喉に流し込んだ。
「うう~冷たい芯から冷える。流石、水だ味がしない」
「へへ旦那様ぁ、この立派な剣なんかは、どうでしょうかねぇ?」
山賊の副頭グリルが神流へ近寄って伺いを立てて来た。抜けた前歯の隙間から息が漏れて間の抜けた声になっている。
「俺に聞くな。金物や金属類は向こうの崖下に持っていけ」
「うへっへい!」
ショボくれたグリルは言われた通り黙って崖下に運んでいく。
山賊達と悪魔の谷へ赴き、谷底の戦場跡地で収集作業を進めていた。
神流は山賊達に落ちている剣や鎧そして破片や残骸、夜営用の鍋や壊れたフライパン、木の食器等を集積させている。
━━勿論、目の前に広がる騎士達が弔われた墓標に近付く事は最初から厳重に禁じてある。
ふと、場違いな小さな女の子の人形が添えられていた墓標が神流の目に止まった。思いの外、墓標の下で眠る騎士への想像が膨らんでしまい居た堪れない想いに駈られてしまう。大きく首を振り意識を作業に戻し、山賊達に向けて声を上げる。
「もう、そんなもんで良いぞ」
「「「「「へい」」」」」
崖の真下には騎士達が使って放置されていた武具や食器類が山となり、その横には水の汲まれた樽、そして、魚や川海老や沢蟹が満杯に入った籠が置かれていた。
それ等を上から垂らされたロープにくくり付けると、崖の上で待機していた山賊達が順番に引き揚げていく。
ロープに結ぶつけている山賊達は、ずぶ濡れのビショビショになっていた。食材採りと収拾の仕事が終わると、直ぐに服を脱いだ山賊達は落ちてる石や流木などを使い身体を徹底的に洗い、発酵した酸っぱい臭いのする服と履き物を念入りに水洗いしていた。
━━そうするよう俺が命じた。ムサい野郎達のスメルハラスメントは許さない。汚した清流に謝罪したい位だ。…………いつまでも山小屋に居る訳にはいかないだろうな。出て行ったとはいえミホマさんの旦那さんが帰ってくるかもしれない。どんな男だろうとマホとマウのお父さんだ。争ったり攻撃等を出来ればしたくない穏便に済ませたい。べリアルの力が有る内に旅立つ準備をしよう。勿論ミホマさんの旦那が帰って来て暴力や略奪が出来ないように山賊共に護衛を命じるつもりではいる。
「…………寒くなってきたな。とっとと帰ろう」
━━
親指に嵌められた黄金の指環に微光がうっすら生まれる。
━━!
肩に目を向けると白い何かが咬みついていた。




