代償
山小屋の屋根と入り口からは食欲をそそる匂いが漂う。台所では灰の奥で燠火がパチパチ爆ぜ変幻自在に揺らめく炎が酸素と結合し薪の水分を蒸発させながら燃え盛る。
「俺の味蕾が肉から溢れる旨味の存在を再確信した」
春さながらの熱気に包まれる調理場では、焼き上げた塩漬け肉とは別の肉の小片を毒味と称して舌に乗せた神流が悟った風に頷いている。
━━そんなに硬くないし旨味は凝縮してるし脂も美味しい。ざらついた塩が良い仕事をしてるんだよな。若干、獣の癖があるが蓬の微塵切りか葡萄酒を少し振って調整すれば問題ない。
「だが」
咀嚼する神流は首を微妙に傾げる。
「……もしこれが狼や犬や猫の肉だったら、パッタンと倒れるかも知れない」
━━うーん、牛肉じゃないのは解るが何の肉かはまるで分からない。今更感だが、それを食べてる俺。でも美味なんだよな。綺麗なブロックだったし表面削いで焼いたから衛生面もクリアな気がするしな。
持ってきた肉のブロックと一緒に入っていた小袋を取りだし黒色の粉をほんの少し振ると、もう一欠片を放り込んだ。
━━!
口の中がカッと熱くなり目が開く。
「倍旨っ!? 雑味があるが、このスパイシーな香りと辛みは胡椒だ」
その感覚が一種の中毒症状を神流に呼び起こす。
「久々の当たりだ。胡椒すごいぞ。生きてきて、こんなにも胡椒に注目する日がくるなんて」
━━ローマで黒胡椒で戦争起きた歴史があったな。金や銀とは全く思わないが、今なら少し理解出来るかも知れない。山賊には勿体ない代物だ。
幸福な毒味を終わらせた神流は料理を済ませると竈から溢れて冷たくなる炭を拾った。
「さてと」
まだ熱い魚を煮込んだ吊り手付きの中鍋や料理皿等を、お盆に見立てた屋根の板に乗せてバランスを取りながらミホマ達の元へ運ぶ。
「おっとっと、出来ましたよ~」
「カンナさんその顔?」
「ああーーっ!? カンナネズミーー」
「あら、ふふふっ」
神流は炭で頬に髭を六本書いていた。瞬く間に元気の無かった皆の顔が笑顔に変わると、すっかり自分も嬉しくなった神流は得意そうに胸を反る。
━━ほんとに辛く嫌な事ばかりだったよな。誰でも気が滅入るよ。そんな空気を少しでも変えたかった。
「チューチューレストランのランチセットですよ」
足取りの軽い神流はテーブルにお盆の板を置き、取り皿に魚とスープを装いチーズを削ってかける。元気を取り戻したマホとマウが覗きに来る。
「カンナ、サカナ~!」
「うわぁ、魚もチーズも大好きなのよ」
「こんなに……マホから山賊達を倒してくれたと聞きました。本当に……有り難う御座います。神流さんは魔導師様では無いのですか?」
「……その話はまぁ置いといて、まずはシンプルな魚のスープをドウゾ」
魚のスープが装われた皿をササッと配り終えると台所に戻って行く。少しするとお盆に湯気を上げる肉を乗せた神流の姿が現れる。
「ーーお肉ぅ!?」
「にく~?」
「あの、ミホマさん何の肉か分かります?」
「えっ? ……こっちは猪で、こっちの赤身の肉は鹿だと思います。こんな肉を何処から……」
━━猪と鹿? 部位の違いじゃなくて別の生き物の肉を一緒にしてたのか。鹿の冷製肉はコース料理で食べた事あるがさっぱりだった。猪は食べた事自体が無いから不明で妥当。
「一応、味見と毒味はしときました。衛生面はバッチリです。まぁ出所は気にしないで御召し上がり下さい」
魚の切り身を銜えるマホとマウが、新たな皿をらんらんとした目で見つめている。得意顔の神流は湯気が見えるように大きく動かし焼き上げたカットステーキのお皿を差し出す。
「まだ熱いからゆっくり食べてね。ゆっくり」
煮魚の切り身を急いで飲み込んだマホとマウが、皿の小さいカットステーキにフォークを刺してフーフーしている。覚悟を決めたマホは一気に口に運ぶ。その様子を見ながら戸惑ったマウも更に小さい肉に切り替えてから口にバクンと持っていった。
「熱っ、でも匂いもお肉もすごーーく美味しいよ、カンナさん」
「アヂッアチ、にく~モグモグ~」
「塩と香辛料の味わいがとても染みています。……お肉の脂身がほどけて風味が口に拡がって……とっても美味しいです」
━━声が全然違う。噛み切れてるみたいで良かった。鹿や猪の肉は紅葉や牡丹て呼ばれて重宝されてた気がする。戻れたら御歳暮は肉の詰め合わせかハムにしよう。
「口に合って良かったぁ。今日の功労者である新人アルバイトの所に行って来るんで、ゆっくりと食事してて下さい」
神流は中鍋を持ち上げて廊下に出ると隣の部屋の前に運ぶ。軽く叩いてから扉を開けるとレッドが憮然としていた。
「埃臭えっす。ここは物置っすか? ふざけてんすか?その落書き」
「文句を言うな、向こうに聞こえるだろ。お前は思った事を全部言うロボットか?」
袖で顔の炭を擦って落とした神流が見渡すとレッドの言うとおり不思議な器具や変な形の石が棚に並べてあるのが目に入る。
━━全然気にして無かった。仮眠室とか言ってた気がするが確かに物置っぽいな。占い師か祈祷師でもやっていたのか?
「……いいからほら、昼飯持って来たぞ」
中鍋を置いて魚のスープを皿に装いチーズを大量にかけてレッドに差し出す。スープに沈む木のスプーンを引き抜いたレッドは口に滑り込ませる。
「ーー!? チーズうめっ! 魚は旨いし旦那は一体、何者なんすか? 内緒でアッチにだけ教えて下さいよ」
「ベッドを汚すな。食べながら喋んな。まず自分で皿を持て。まだ他の料理もある大人しくチッと待っててくれ」
━━俺が洗濯すんのかシーツの汚れ? うーーん、魔刻印の事がミホマさんもレッドも気になってるみたいだな。自分から悪魔の手先ですなんて言って、嫌われるマゾ性癖は持ち合わせていない。核心だけはムニャムニャと誤魔化し通そう。
先程と同じように台所に戻り皿に盛られたカットステーキに刻んだ金蓮花の赤い花とオレンジの花、そして胡椒を余分にサービスしてかける。
「仕上げ完了」
それをレッドの所まで持って行くと、普通の塩漬け肉のカットステーキの皿を差し出す。
「食ってみ」
レッドはスプーンで肉を掬うと一気に頬張る。
「熱ぅぅっ旨っ! 頭を棍棒で叩かれた位に美味しいっす」
━━文化の違いか。
「コロコロサイコロステーキ神流風だ」
「ムグッ、肉汁が旨いす! 焼いただけなのに焼いただけなのに……ん?こっちのは変な黒い粒々とか毒みたいな赤とかオレンジの花が入ってるっすね。なんか匂いは旨そうですね」
「……だろ」
大きめの肉をスプーンで掬いかぶりついたレッドは目をカッと見開き雄叫びを上げた。
「辛あぁーーっ!」
「子供か?」
響き渡る絶叫が笑顔で耳を塞ぐ神流の髪を揺らす。
「なぁレッド、俺に用件か頼み事が有るんじゃないのか?」
「アヒィ、ハんでそんな事を聞くんんすか?」
舌を出して目線だけを神流へ向ける。
「俺だって馬鹿じゃない。何の見返りも無しに手練れの泥棒が怪我をしてまで俺に協力するとは思わない。俺の国には「恩」という文化がある。出来る出来ないは別として聞くだけは聞いとく、俺が生きてる内に」
「トレジャーハンターすよ。最後のはなんすか? ……では遠慮なく、━━━━」
レッドは浮かんだ怪訝な表情を消すと話し始めた。
━━
ーーー*
瓦礫の散らばる暖炉の部屋に戻って来た神流は台所で摘まんだ焼き猪肉の欠片を口に放り込むと改めて大きく壊れ穴の空いた天井を見上げ呟く。
「モゴモゴ……来たみたいだな。限界の二文字が……」
部屋の壁際に気を失い倒れたままのドズルを一瞥し肉を飲み込むと、ずっと頭の隅にあった予兆が現実化していく。 徐にベリアルサービルの束をそっと触れ吐息と同じ位に小さな声で簡易詠唱した。
「【解除】……もう遅いのは解ってるけど」
身体に施した魔刻印の効果がフッと消える。力が抜けると共に鉛の沼に呑まれていくような重みを感じ、本格的に身体感覚がぼんやりし始めた。
ベリアルの亜空間で負ったダメージ、そして体に自らに刻んだ魔刻印で酷使した脚や腕の関節が棒のように収縮し骨に染みるような痺れを覚える。全身を張り巡る筋肉や腱はオイルを切らしたエンジンのように熱を孕み炎症の症状が浮き上がり始める。
━━眠い……眠いんだ。望んだ目的は遂げた。このまま……目が覚めなくても
「文句は言うつもりは無いからな……ベリアル…………」
宇宙の闇に沈められたような壮大な眠気の渦に呑まれようとする神流。精神を保ち支え続けた糸がみるみる途切れていく。ゆったりと地に還るように倒れていき床に身を預けた。
既に意識の無い表情には、ある種の達成感で満ちていた。
二章終了です。




