一坪の空
神流はマウとミホマを抱き上げて寝室の前まで運んで来ると下を向いた。不安そうにブラウンの髪を触り、心細い栗色の瞳で見上げるマホに扉を開けるのを頼んだ。入室し寝台の前に立つと細心の注意を払いゆっくりと降ろしてミホマを寝かせる。
無言のマウは心細い表情のまま神流の瞳を見つめてからシーツに潜り込んだ。マホはミホマの横顔を眺めてから空いたスペースに力無くポンと腰を乗せ色を失いそうな瞳で心配そうな表情を浮かべる。
ミホマの首から垂れるのは白金に煌めく魔装具『再生のロザリオ』だ。負傷した身体の再生と修復の増進を補助している。そして、体のあちこちに見える回復用の魔刻印が薄く神流の瞳には映っている。
━━ベリアルの魔法の刻印も使えるが、呪いのアクセサリーを有り難いと感じるとは思わなかったな。マジ心から助かった。
「……カンナ……さん」
神流を見上げるミホマの瞳に虚ろに揺れる。魔装具とベリアルの魔刻印を使用してもダメージは重く、直ぐ回復とはなら無い。それでも神流には心なしかミホマの表情が柔らかく楽になってるように見えていた。
「そのまま安静にしてて下さい。何か食べれそうなのを作って来ますよ。後、向かいの仕事部屋のベッドをお借りしますね。マホとマウもミホマさんの傍で良い子で待ってて」
後ろ髪引かれる思いで部屋を出た神流。真っ直ぐに入り口へと向かい大きく損壊した扉を横目に外へ出ると地べたに座るレッドに歩きながら声を掛ける。
「どうだ、そろそろ治ったか?」
「治る訳無いじゃないですか!」
「そんなに怒んなよ。心配してるのに」
「言い方っすよ。可愛い置物みたいに放置しといて」
「……可愛い置物みたいに放置してすまない」
「……」
レッドが目を細めて恨めしそうに神流を見る。非難の視線を浴びる神流は無言で屈むと、レッドを抱き上げる。
「よっこらしょっと」
「ひゃうっ! 何するんすか怪我人に?」
「移送作業」
━━レッドが女性みたいな悲鳴を上げた。不謹慎だが少し面白い。一輪車もあるけど乗せたら怒りそうだしな。昔、はしゃぎ過ぎてバランスを崩して抱えた彼女を地面に落とした時は鬼神の如く怒られ平謝りし続けたな……。ヤバッ思い出すだけでチョッと背筋が震えてくる。レッドも落としたら嵐のように怒りそうだから新品の電化製品のように運ぼう。
「ミホマさんからベッドを借りた。治るまでそこで静かに休め」
ミホマの夫の仕事部屋まで運んで行くと硬めの仮眠用ベッドにポンと寝かせる。
「大人しくしてろよ。怪我人のハンター」
「……はいっす」
人差し指で安静にするよう念を押してから、頬が薄く紅潮しているレッドを置いてさっさと部屋を出た。神流は物憂げな表情を少し見せると台所に消えて行った。
ーー*
温かみのある湯気がシュワワと鼻孔を擽る匂いと共に立ち昇っていく。奥の台所では美味しい料理を作ろうと思案しながら料理をする神流の姿が在った。
塩を揉み込んだ魚を吊り手付きの中鍋で煮込み始める。葡萄酒をかけて香り付けをして蓬の葉を手で千切って散らす。
━━何か足りないんだよな。また沢蟹でも足そうかな……!
何かを思い付いた神流は、台所を出て暖炉のある部屋に歩いて行く。奥に縛られて寝ている男女2人の山賊を横目に見て床に横たわるドズルの体躯を跨いで外に出た。
遠目に彷徨く3頭の馬を見つけると手を上げてジャンプしながら呼び寄せる。
「ヘイカモン! 馬達は集合!」
神流の声に反応した馬達は駆け出した。鬣と垂れたロープを靡かせて倒れる山賊達を軽やかに飛び越えながら神流の元を目指す。
背に沢山の荷物が積まれている状態での軽い躍動で、身体能力の高さを神流にまざまざと見せつける。
━━早っ。
「ストップ、ストッ~プ、よしよし」
集った馬達は静かに鼻先を神流に向ける。其々の額や首には、サーベルタイガーと同じようにベリアルの刻印済みだ。
馬達は胸から尻尾まで大きな膨らみが流れるような繋がりを魅せた。
━━筋肉が織り成す自然の造形美が人間の荷物によって損なわれている事は否めないようだな。要するに格好いいな馬。
神流はその内の1頭の牡馬の前で屈み手を出す。
「お手! ……英語ならハンドかシェイクハンド?」
牡馬は従順で優しい眼差しのまま特に反応を示さない。
━━伝わらないか……動作を指示するのなら可能か。
「片足を上げろ」
シーーン……。
━━やっぱ教えないとダメか。動物側が察した動きじゃないとダメなのかも。おっと、こんなとこで遊んでる暇はない。
ゴソゴソと馬達の荷物を探り始める。
「いつもこんな事してる気がする……おっデカッ! これは!」
山賊の荷物の中には、大きいチーズの塊と干し肉、塩漬け肉、そして、ブロックの生肉等が入っていた。
満足した表情で、それ等を抱えて運ぼうとすると
━━
ーードサッ
音を殆どさせず現れたのは鹿を銜えて来た巨躯のサーベルタイガーのシンバだった。獲物をスッと神流の足下に降ろして唸ることもなくどっしりと伏せた。
「鹿さん!? 狩って来たのか? こんのの何処に居たんだよ?」
━━意外とデカいな鹿、こんなの絶対持ち上がらない。
猫科の猛獣であるサーベルタイガーの体の上部は、薄く黄色いクリーム色で腹部は白い。口が大きく牙は長い、爪は収納して神流の前で静かに伏せている。
「凄いな牙……」
━━まだ慣れてないせいか近くに居ると怖いな。虎って野獣の王とか1日千里走るとかって話だよな。優しい猫みたいな目だけど魔刻印がもし無かったら……ゾッとするわ。
鬱蒼とする林の中で開けた空間に建つ山小屋。その前に神流と巨躯のサーベルタイガーと馬達が並ぶという大道芸でも始まりそうな奇妙な風景が出来上がる。
「うん、かなり有り難いが鹿を丸ごと持って来られてもキャンプとかの調理経験が無い」
━━とてもじゃないが解体など出来ない。技術の面ではなく精神的に生理的に無理だ。魚だって少し無理して生きる為に調理している位だ。部族や原始アニメのように丸太にドンと差して丸焼きとか……無理だな。
「ありがとな虎モン。大したもんだよ」
頭を下げて伏せるサーベルタイガーの頭と喉を指を毛に埋めて撫でる。心地好さそうな巨軀のサーベルタイガーが近くに居ても馬達に怯える様子は一切無い。
━━虎モンが馬達を食べちゃうかと思ったが、魔刻印を認識してるようだ。魔刻印仲間みたいなもんかな。 ……あ!?
「ヤベッ虎モン、そのまま動くなよ。ステイ、ステイ」
何度も手で押さえるような仕草を見せた後に、台所に食材を運び調理台に乗せた。
そして、山小屋を飛び出して大遅刻でもしたかのように急いで走り出した。神流は小屋の裏手から林の中へ急いで駆け入って進んでいく。
━━居た。
神流の視線の先に地面の草を呑気に食べる2頭の馬の姿が映る。
「ハァハァ、すげぇ走ったよ。良かったーー生きててくれて。虎モンに食べられたかもと心配しちゃったよ」
樹木の枝に縛られた最初の状態のままで、周囲の草を芝刈機のように食べている馬達に神流は駆け寄り手を当てて休む。
「はぁはぁ、ゴメン忘れてた。逃げたくなったら逃げてくれって言ったじゃんよ」
神流はベリアルサービルの柄頭を馬達に当てていく。
「【快活】」
━━元気になるし魔刻印が付いてれば、虎モンも手を出さないだろう。
樹木の枝から綱を外すと2頭の馬を引いて納屋に連れて行く。
「やっと馬房が空いたよ。君達は今日からここで過ごしてくれたまえ」
満足気に頷き納屋を後にすると山小屋の台所に戻る。徐に鍋を覗くと魚は煮えたようなので、吊り手付きの中鍋を火から降ろした。調理台にドンッと山賊達の荷物から出した生肉の塊を置く。塩漬け肉や干し肉と比べると、肉の色が明らかに濃く赤い。
━━何の獣の肉か分からないな。……あとコッチの肉に付いてるのは何だろう?
塩漬け肉の表面を少しだけ指でなぞり舌の先で舐めてみる。
「ブエッペッペッ! 塩だ。ショッペッ。舐めた所で肉の種類が分からん」
気を取り直すと大きめの肉切り用の包丁を手に取り生肉に当てて引いた。苦もなく刃が通る。それを適当に切り分けていく。
生肉に塩漬け肉を擦り付け軽い味付けをする。塩漬け肉は、そのままでは塩辛過ぎるので桶の水で洗ってから袖切りにする。
「肉って洗うと旨味抜けちゃうかな?」
フライパンに熱が通ったところで、塩漬けにされた肉と切った生肉を入れて焼き始めた。ジュワッと音を立てると肉から豊潤な薫りの油と肉汁が染み出てくる。強火で表面を焼いてから、火を弱めじっくりと火を通す。
理想であるミディアムまで焼き上げていく。仕上がり前に塩漬け肉を一切れ切り落とし味見の為に口に放り込む。
「…………」
沈黙し歩き出した神流。暖炉のある部屋まで行き、腰に手を当て屋根に空いた穴を見上げた。思わず目を奪われた遮る物の無いスカイブルー、神流は屋根から降りてくる蒼を瞳に総て反射し感慨に耽る。
「全く、やってくれたもんだ。………………肉ってやっぱり旨いんだな」
破壊され生まれた大きな天窓からの日射しに柔らかな暖かさを感じると濃い疲労を顔に浮かべ薄く笑った。




