襲撃の余韻
冷たい空気の満ちる林の一角にある山小屋周辺にも力強い暖光が差している。
不機嫌な表情をするレッドが唇を噛みながら右の脚のベルトを緩め短い革のブーツを外して裾を上げた。
━━
見えたのは擦り傷だらけで至る箇所で出血する褐色の脚と体内の血管を破裂させ赤紫に大きく腫れた足首であった。
「…………」
「すごい痛そーーっ」
「……痛いんすよ」
足首に大きな裂傷は見え無いものの、皮下組織や筋肉などが挫滅し内側外側全てにおいて微小な血管が破壊され重度の間接内出血を起こしている。
━━プラムみたいに腫れてる。血は止まってるけど痣だらけだな。……いくら強くても体のつくりは成長期の女の子だもんな。なんか流れで危険な事を頼んでしまって、すげぇ申し訳ない気持ちになる。
神流の想像よりレッドの右足首の症状は酷かった。外側靭帯、踵腓靭帯、後距腓靭帯の3つが損傷し一部断裂する程の重度の捻挫であった。
そして、何度も何度も鎖で締め付けられた足首。その足首が固定されたまま縦方向や横方向へ引かれたり叩きつけられて捻られた事により、腓骨と踵骨が圧縮と衝撃に耐え兼ね綺麗な亀裂が生じていた。
クッと片目を瞑る神流は小さく感嘆の息を吐き謝罪する。
「頼んだ張本人の俺が遅れてすまなかった。……すぐ何とかするからな!」
神流は屈む為にマホを下ろそうとしたが、ジロリと見られてしがみ付かれた。鼻で溜め息をついて断念し片手でベリアルサービルの切っ先をレッドの患部に向けて簡易詠唱を始めた。
「【止血】【治癒】【自然回復】【快活】」
脛や足首や脛に魔刻印が当たると、出血していた多数の傷口は血小板と凝固因子が一瞬で塞いだ。足首の濃い赤紫に腫れる患部には仄かなピンク色が生まれ内出血の色が少しづつ薄まる。内部では炎症が治まり、全断裂しかけた後距腓靭帯達が繋がり修復を忙しく始めた。
━━俺のこの刻印って結局本人の持つ身体の回復力に頼る力だよな。出来ればパパラパーーッと傷が消えて欲しい。
気丈なレッドが唇を歪めるほどの突き刺すような痛みもスッと潮のように引いて行き、のし掛かかっていた粘つく疲労感も氷解するように溶けていく。体内の血流や細胞が活発になる抑揚感を覚え、無駄な力が抜けて楽になっていくのをレッドは感じていた。
「旦那っこれって!?」
「少しは痛く無くなったか? 隠さず教えるが、負傷部位周辺の細胞を強制活性化と身体に本来ある自己再生能力を強化する魔力の刻印を付けさせて貰った」
「魔力の刻印……ほへぇっすね」
━━怪我の範囲が解らない時は、これが最適な気がする。レッドは大きいし鍛えてるみたいだから、魔刻印の2つや3つや4つ位は平気そうだ。医者も居ないし救急箱もない以上、魔法だろうが早く治るに越したことは無い筈だろ。てか治ってくれないと罪悪感に潰される。
「旦那の……魔力の刻印……」
(治癒してるのが解る。まるでポーションみたい。やはり旦那も魔法を使うんだ……)
鳶色の瞳孔が大きくなり驚きを見せていた。神流は何とも言えない表情をしていた。
━━江戸時代みたいな、あだ名が定着したようだ。俺の頼み事のせいで怪我して痛い思いをさせたからな。好きなだけ勝手に呼ばせよう。
レッド・ウィンドの挙動と安堵を見て、何となく満足する神流。
「レッド、治っていくと思うから少し休んでてくれ。山小屋のミホマさん達の安否確認をしてくる。それと……すげぇ感謝してるからな。ありがとう」
「足の痛みがちょこちょこ消えてくっすね。言われなくても静かに休んでますよ。それより動いたら腹減ったっす」
「早いな。リクエストに応えて飯にするから」
神流は軽く返事を返しミホマとマウの居る山小屋扉へ目を向ける。保父さん気分でマホを抱えたまま、倒れる山賊達に目もくれず跨いで歩く。
━━。
途切れ途切れに何か聞こえた。神流の鼓膜を鋭く突いたのはマウの悲痛な鳴き声だった。
「マウッ!?」
幽かに聞こえるマウの消えそうな声が三半規管を貫いて焦燥感を揺する。マホを地面に下ろす。上部が砕かれ半壊した扉の隙間に血の気が下がる後頭部ごと突き入れると室内を覗き込んだ。
━━!
黒目に映ったのは屋根が砕けて落下した丸太から、マウを守り下敷きになっているミホマの姿だ。ミホマの身体の下ではマウが身動きを取れずに泣いている。
「ママーーッ!」
「マウッ! 今行くっ!!」
神流が内包する熱を全て放出するように叫ぶ。必死に隙間から縛られている閂に手を伸ばすが全く届かない。
「くそおおっ!」
息を大きく吐いて首を回すと、朦朧と彷徨くドズルを見つけた。喉が切れる程の声を上げて呼びつける。
「こっちに来い!急げ!」
目を狂気の光で血走らせるドズルが身体に鎖を絡ませて地面を踏み鳴らし走ってくる。不安そうな顔をするマホを優しく後ろに下がらせると神流は叫んだ。
「この扉を開けろ!」
「ウォッ!」
命令するや否やドズルがゴツゴツした手を扉にグンと当て押し始める。押した瞬間からミキミキと音を立て軋み始める。
強固で重厚な丸太で造られた扉がドズルの異様な怪力に悲鳴を上げて僅かずつしなり変形していく。
「ぶっ壊せーー!」
「ウゴルゥグアアーーーーッ!」
神流の命令に頭を撫でて呼応したドズルのこめかみに太枝のように流れる血管から、力の波紋のように血が噴き出る。扉に添えるグローブのような両手に超圧撃が加えられるその姿はダンプカーやブルドーザーを彷彿させた。。
ーーベギリリリッ! バギャッ!!
樫で出来た太い閂を扉ごとへし折り破壊した。強烈な力で解放された扉は崩壊し形を維持してすらしていない。
「ミホマさん! マウッ!」
飛び込むように駆け寄る神流はミホマにのしか掛かる丸太の梁に手を当て鼻息を鳴らすドズルを呼びつける。
「これを安全に退かせ」
太く浅黒い指を丸太の側面にメリリとめり込ませる。こめかみに浮く血管から血が吹き出すが持ち上げたまま300キロを超える梁を横にずらし床にドズンと転がした。
そこでドズルの意識はパチンと断ち切れて痙攣した後に崩れ落ち埃を巻き上げて倒れた。
「ママッ!」
「ミホマさんっ! マウ!」
ミホマの傍らに膝を着き呼吸の確認をし安堵する。
━━よし生きてる!
「ふう、まだ安心出来ない……」
木屑や埃で髪と衣服が汚れ意識の定かでないミホマの上半身を起こすと、下で泣きじゃくるマウの背中を擦って撫でる。
「もう大丈夫だからもう大丈夫だから……」
「ああぁん、カンナーー!」
━━
「う……マホ……カンナさ……ん……」
「ママっ? 大丈夫? 痛くない?」
「ミホマさん気をしっかりと持って下さい」
マウを護った代償は軽いものでは無かった。ミホマは首の付け根から出血しており、頭蓋骨の一部と肩甲骨に亀裂が入り折れていた。更には肺も損傷し、腰や腕や腿が圧迫され筋肉細胞が障害と壊死を起こし始めようとしていた。放置すれば腎臓も限界を迎えるだろう。
肩に縋る幼女マウは力強い生命の証明のように涙と鼻水を垂らし、更に声を大きく上げて泣いた。神流は木屑と埃と鼻水で汚れた彼女の顔を指で優しく払うと何かに気付いた。
━━?
マウが泣いて自分の名を呼ぶ度に、身体の奥底から力が沸き上がってくる。神流は確信的な違和感を感じてマウの裸足の指に目を向ける。
ーー小さな足の親指に姉を真似したように銀の光沢を見せる流線型の指輪を嵌めているのを目にする。それはベリアルが呪いを吸い出し解呪した魔装具『エール(叫び)の指輪』だった。
「これは!?」
神流は思い出す。
━━ベリアルの端的な説明では……確か触れたり相手の名を呼ぶ事で鼓舞し、対象者の身体的な力や精神力や魔力を一時的に増幅する特殊魔道具だったような。
━━!?
そして幸運は重なる、ミホマの首元に白金に淡く輝くのは特殊魔装具『再生のロザリオ』だった。
その効力は対象者の身体の再生能力や修復能力を2倍に増進させる。
「たっ助かったかも……」
神流の推測では、落下してきた丸太からマウを庇ったミホマが怪我をする。魔装具『再生のロザリオ』が効果を発動し開こうとする傷口と負傷箇所を修復し始めた。更に身体の下に居るマウの魔装置具『エールの指輪』が、その治癒力とマウを庇う精神力や体力を強めていたのだろうと。
━━相乗効果があるのか? 谷の青山羊悪魔から手に入れた魔道具。子供達に持って行かれたが、巡ってこんな形で助けてくれるとは……。
マウは泣き叫び過ぎたせいで顔が紅潮し目も鼻も赤くなっていたが、ミホマに守られていたお陰で大きな外傷も無く小さな腕を少し擦りむいていた程度で済んだ。多少汚れた額や頬は血色も良く健康である事を物語っている。
━━緊急事態に変わりない。
神流はベリアルサービルを少し抜いて柄頭をミホマの身体に複数回当ててソッと簡易詠唱していく。
「【止血】【治癒】!【自然回復】!【快活】!」
首筋や背中と腰に神流が知る限りの魔刻印全てが施された。まだぐったりとしているミホマの表情が柔和に変わる。
━━重傷にどこまで効くのだろう? 再生のロザリオとの相乗効果があれば有り難いんだが。
神流は自分の肩に縋るマウとミホマに手を添える。負担を掛けぬように、いたわる気持ちを込めるようにゆっくり抱き上げた。




