治癒の魔刻印
葭月の暖かい午後のような脆い陽射しが穏やかな山小屋周辺にも降り注ぐ。
「さようなら不思議な少年カンナ」
颯爽と帰ろうとする白い騎士アーリーンに驚愕した中年騎士は、アワワと慌てて遮り引き留めた。
「もうっ邪魔なの! 私の前に出ないでよバカ」
「おい俺はよ? 勝手に終わらして帰ろうとしてくれるなだぜ」
何の事?と言わんばかりに振り向いたアーリーン・ブレンストンは棒読み口調で紹介をする。
「あら、うっかり忘れていたわ。コッチに居るのは、粗野で野蛮な顔をした中年騎士イグアイン・ブラッドベリーよ。無理して覚えなくてもいいわ」
顔に大きな切り傷を負っている中年騎士イグアインはアーリーンに向いて顔を顰めてから、神流に向き直り肩に手を掛けて自分で喋り始める。
「そりゃないぜ、俺の立つ瀬はよ……もう自分で話すぜ。ボウズ、ボウズじゃないか、カンナって言うんだろ? 内緒の話でロークスから、あの恐ろしくて憎たらしい高位悪魔を倒したかも知れないと聞いたぜ。さっきの魔法と此所の状況を見て、それが眉唾じゃないと俺は確信したぜ。一体何者だぜ?」
━━内緒の話じゃ無いのか?
急に面倒臭くなった神流は飽きた顔して脱力して答える。
「俺は山小屋の村人A。それ以上でも以下でもない。あの鳥マントの騎士ロークス?にも言ったけど、倒せたのはラッキーセブンのまぐれで偶然だから。マホを助けてくれた事は一生忘れないよ。ありがとう正義の騎士イグアインそしてさようなら」
「……これだけの状況にしてて、ただの村人だと?しかも話を即切り上げて帰らせようなんて……。正直こんなに驚かせる男を俺はもう一人位しか知らないぜ」
口を半開きで呆れる壮年騎士イグアインは白髪の混じる額の生え際を押さえる。
「ほらよっ」
後ろから前歯の殆ど無くなったグリルを乱暴にグイッと突き出して笑った。
「こんな山賊達でも街に全員連れて行けば金になるだぜ」
「バカね、どうやって連れて行くのよ。少しは考えなさい」
「バカねって、少し考えるのはドッチだぜ……」
白い騎士アーリーンはスラリとした細い首を僅かに回し、青み掛かるブラウンの視線を神流へ向けた。
「もし、命を奪う事に余り慣れてないのなら、私達がこの輩達全員に止めを刺して上げてもいいわ。それに、褒賞金を貰いに行く町や領が決まっているのなら、円滑に手続きが進むように連絡を入れておくわよ。どう?」
表情に迷いの無い女性騎士が、腰に装着するレイピアの柄に柔らかな手を沿える。
「……心遣い有り難う。でも、それは遠慮しておく。後の事は心配しないで軍隊の方に戻って下さい。あと、2人に御礼のおもてなしでもしようと思うんですけど?」
アーリーンは僅かに顔を左右に振った。
「いいえ、その必要は無いわ。貴方は公にしたくなさそうだけど、あの谷を100年以上支配下に収めていた超高位の悪魔を退けた件だけで膨大なお釣がくる位よ。もう行かないと、今度こそ急いで隊に戻るわね。さようなら」
「礼など気にすんな。うちの騎士共が名も知らぬ少年が一生懸命介抱してくれたって感謝してたぜ。それより見込みのある男、カンナよ。将来、王都に来る事があったら、このイグアインを訪ねて欲しいぜ。美味しい食事と酒を約束する。ではな御互い元気でいような」
金髪を翻して去っていく騎士アーリーンと太い腕を上げて律儀に振り返り小走りに去る騎士イグアイン。
神流と腕に抱えられるマホは手を振り騎士達を見送り別れを告げる。
「本当に助けてくれて有り難う。アーリーンとイグアイン、お元気で」
「さようならーー、ありがとうございました騎士様ーー!」
騎士達は薄い笑顔を浮かべ小走りに歩を進め去っていく。
━━警官とも武士とも全然違う感じだな、やはり騎士は騎士だ。青山羊悪魔メンとの戦いで、あんなに怪我してるのに……。何も御返しを出来なかったのは心残りだ。
神流に迫る邪な剣を阻み、拐われ危害を加えられるマホの身柄までも救ってくれた勇敢な2人の騎士。
感謝と敬意を表して神流とマホは姿が林に消えて見えなくなるまで手を振った。
徐に放心状態のマホへと顔を向ける神流、腕の傷を見てから脚の擦り傷と腫れを見つける。
「……大変だったんだなマホ」
一気に表情が緩み目に涙を溜めるマホが神流に頭をつけた。頭を優しく撫でて労う。
「頑張った、頑張った」
~~*
穏やかな陽光が等しく照らし写し出すのは、弱者から兇悪に奪い凌辱し残忍非道の殺戮を繰り返し続けた黒鼬党の輩達が不様に倒れ地面に転がる様相であった。
「……」
神流は泣き止んだマホの機嫌を伺いながら真面目な顔を向ける。
「ーーマホさんあのね」
「えっカンナさんどうしたの?」
きょとんと目を向けるマホ。
「家に居てって言ったのに……俺の忠告を聞いてくれないと危ないから、本当に……」
「ワタシね……カンナさんが助けてくれるって、ずっと信じてたから平気よ」
━━はぁ、敵わない。
「…………えっと、ちょっと痛いかも?」
神流は出血の収まりつつあるマホの傷口にベリアルサービルの柄頭を軽く触れさせる。
「うっ」
疼く傷口の痛みに声を上げたマホは神流の瞳を見つめて微熱を含む愁いの表情を見せた。
「もう血も出て無いようだね。心配しなくていいよ」
「【治癒】」
斬られた傷口に刻印が浮かび上がるとプクプクと活発に再生活動を始める。擦り傷だらけの脚や腫れている足首にも同じ刻印を施す。
━━マジで【治癒】なんてのが有って良かった。理屈はよく解らないがチョッとした見習い医者を気取れそうだ。診療報酬貰って異世界開業医で、ボロ儲けのトキメキストーリー展開もあるのか? 悪魔の魔法じゃ、どうせ魔女裁判にかけられて監獄にぶちこまれて吊るし首やギロチンになるのがオチだろうけど。
神流は不謹慎な想像をしながら、刻印という悪魔の力の効果を繁々と見つめ実感し無形の納得をする。
━━解毒の刻印も在るけど、あくまでマホの身体にある解毒作用の強化に過ぎないんだろうな。それが何倍だとしても、元々持つ効果が低ければ強力な毒には太刀打ち出来ない。信じ過ぎるのも良くないが、毒に対して直接撃退効果のあるチートアイテムの方が、人間のそれより強いに決まっている。小さな身体に複数の刻印を当てるのも負担を考えたら出来ない。
「これって魔法なの?」
「そんな感じ、マホの身体に頑張って貰って強制的に傷口を閉じてる。少し疲れが出るかも知れないけど、感染症とかあるし命には代えられないから我慢しような」
「うん、我慢する」
頷いたマホを見て神流は別の話をする。
「出来ればマホを山賊から助けてくれたあの二人の名前を忘れないように覚えといて欲しい」
━━俺は忘れそうだ。スマホが無いからメモれないしな。そもそも紙やボールペンをまだ見てない。よく考えるとやはり色々と大変なんだよな。
「ええ~!? あの二人の騎士さんもカンナさんも私の命の恩人よ。私は一生忘れないよ」
「……ハハ、ありがとう」
マホは神流の顔をマジマジと見つめて質問する。
「ねぇカンナさんは私の名前を忘れちゃうの?」
━━しまった。少し軽率だったな。無駄な会話は控えよう。
「そんな事は絶対にないよ。100パーセントないよ」
「本当?」
涙を浮かべそうになるマホに神流は絶句する。
「忘れたら針千本飲みますっ」
「本当に?」
━━俺、子供に弱ええ。もう話を反らそう。
「早くミホマさん達にマホの顔を見せて上げないと心配して、大変になっちゃうよ。急いで山小屋に戻ろう。大変だ大変だ」
マホを抱いて山小屋の近くで座るレッド・ウィンドの近くに寄る。見上げるレッドは神流を恨めしそうに見詰めて口を開く。
「旦那が遅すぎて待ちくたびれましたよ。この足じゃ大赤字っすよ。もう……」
「まぁそう言うなよ。その足……結構痛そうだな」
「何言ってんすか。痛そうじゃなくて痛いに決まってるじゃないすか! 労りと優しさと愛が足りてないんですよ」
何気ない神流の発言が、レッドの導火線に触れ鬱憤が小爆発する。
「怒んなって、子供も見てるだろ。なぁマホ?」
「子供じゃ無いもん」
腕に抱えられるマホから、同意すら得られずプイッと外方を向かれてしまう。
━━何だかなぁ。居心地が……何がダメなんだ?
「レッド、靴脱いで足を見せてみろ」
「もう、痛いんすよ。優しく脱がして下さいよ」
「マホを抱っこしてるから無理だから」
不機嫌なレッドが痛そうに短いブーツを脱いだ。
━━!?
露になった褐色の脚は見るも無惨になっていた。




