黒い刃と白い騎士道
穏やかな日差しと緊張の消えた優しい風がどこまでも流れていく。
ドクドクと漏れる鮮血が酸化し、鼻につく金属臭の混ざる臭いを漂わす。鼻腔に届く不快な臭いの成分が神流の顔を少し歪めさせる。
「はぁ、疲れた」
うんざりするような目線の先には、空の旅から帰還し墜落の衝撃に首をくの字に横に向折り仰向けに倒れるダグブル。ショックと激痛に泡を吹き隻眼を白目にし失禁して意識を失うその腕に獸の牙が再び食い込む。
追加されたアンモニア臭に眉を寄せる。
「グロっ、臭っ」
━━どっかのやられ役みたいだ。保険を掛けてたとはいえ、あとチョッとで野菜みたいにスパッと斬られてたな。思い出すと、すげぇドキドキする。人の頭にいきなり刃物を降り下ろすとか、どんだけ気が短いんだ。薬でもやってるのか? まあ流石は山賊のボス、犯罪者の鑑といったとこだな。
「……おい虎モン、その辺で止めてやれ。もっと噛み噛みさせてやりたいが本当に死んじゃうからな。まぁ死んでも心がさほど痛まない気もするけど」
神流が手を振って翳すとサーベルタイガーは失神したダグブルの腕から牙を抜き血を啜るのを止めた。そして、唸ることもなく伏せて犬のような姿勢で頭を低くした。
その額にはベリアルのシジルゲートと同じ紋様が刻まれ妖しく輝いていた。
この刻印こそが、ベリアルに魔改造された山刀、ベリアルサービルの発動する魔法の証しだ。
相手の末端神経や細胞に至る迄に影響を与え、脳や心までさえ掌握する恐ろしい堕天使の力。神流は死を予感する困難の末に手に入れ山賊達を倒した。
「これで全員か? ならミホマさん達の安否を確認しないとな」
息をついた神流が腰に手を当ててグルッと周囲を見渡す。
━━
すると、不意に明るい声が聞こえた。
「カンナさーーん!」
林から出て来たマホが声を上げてヨタヨタと神流に向かって走って来る。
「えっマホ!? 何で外に?」
そのマホのずっと後ろには、見覚えのある騎士の2人が手と首を縛ったグリルを連行しているのが見える。
「あの人達は谷に居た……!?」
━━
驚きの状況に呆気にとられていた神流に嫌な予感が芽生える間もなく事が動く。マホがうつ伏せに倒れる山賊の傍を通過した次の瞬間、バッと起き上がる男が走るマホに飛び付いた。
「いやぁーー!」
腕を無造作にマホの喉に回して締め上げていく。手に握る黒刃の短刀の切っ先はマホの綺麗な栗色の瞳に向けられている。
━━しまった。詰めが甘かった。
マホを人質に捕らえ刃を向けていたのは、今の神流より若い少年だった。背は低く細身の体つきに、乱れた濃い茶褐色の髪。特徴のない平凡な少年だが、身のこなしは素人のそれではない。目付きは何処までも暗い犯罪者特有の禍々しい雰囲気を醸していた。
山賊少年は前のめりになって神流を威嚇する。そして、林から出ようとする2人の騎士に向けて黒い刃の存在をアピールして見せた。少年は暗い瞳の眼力を強くして2人を射抜き脅す口調で叫んだ。
「動くな! 少しでも変な動きをしたら刺すぞ!」
山賊の少年は林に要る騎士と神流を牽制しながらジリジリと後退っていく。死ぬほど動揺を見せる神流だが、敵意を顔に出さず穏やかな口調で交渉を持ち掛けた。
「用件、いや、要求を言ってくれ。俺に出来ることなら何でもする。お金も渡すし、俺を殺さない程度に殺してもいいし、君の親分も治療する。だから、間違ってもその子を傷つけないでくれ」
神流は自分のミスだと悟っていた。大きな力に過信して拘束もせず、止めも刺さなかった己を悔いた。力も知能も普通の凡人ならば、もっと安全に目を向けるべきであった。
ここで護るべき命を失えば、何の為に悪魔と契約までしたのかと、気が狂って精神は崩壊してしまうだろう。
━━御手上げだ。マジで。この山賊ジジイ、子供にまで悪事に手を染めさせてるのか。
神流は手に持つ山刀、ベリアルサービルを地面に置いてゆっくりと両手を挙げた。
「そんな頭なんかもう要らない。俺は捕まるのも死ぬのも嫌だ! このまま逃げさせてもらう」
「全然どうぞ、ど……」
━━
「待てっマホっ!?」
神流の制止も虚しくマホが少年の腕に力一杯に噛みつく。歯が素肌に食い込む緩んだ少年の腕を振り解き背を向け駆け出した。
「クッ、このっ!」
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手に持った黒い短剣の刃がマホの後上腕を掠め血が飛び散る。噛まれた腕を押さえると身を翻して逃げ出した。逃げながら山賊少年が叫ぶ。
「俺の……俺のせいじゃねえ! それには獣殺しの毒が塗ってあるんだ! なんとかしろ、もうすぐ死んじゃうぞバカ野郎!」
それを見ていた神流の背筋から首筋にゾワゾワと邪悪な感情が滲む。逃げる山賊の少年が茂みに飛び込む瞬間に拾い上げたベリアルサービルの切っ先を向け簡易詠唱していた。
「【苦痛シュメルツ】!」
異様な紋様をする山刀の切っ先に一瞬でベリアルの紋章が浮かび上がり、山賊少年に向けて飛来し右腕にしっかりと刻まれる。
「うぎああーー!」
山賊少年は叫び声を上げバランスを崩し茂みの向こうへ倒れ落ちた。
ハッとした神流は騎士達が介護するマホの元へと急いで駆け寄る。
マホを抱える騎士を見た神流は場違いにも陽の光を受ける2人に暖かい安堵を感じてしまう。
神流の知る騎士とは、騎士たる者が従うべき情緒、風習、習慣を備えた法の守護戦士であった。そのイメージと合致する騎士が再び目の前でマホを介抱している。
白い女性騎士の腕の中で、両目に涙を浮かべるマホは唇を噛み苦痛の表情を見せる。
「マホっ平気か?」
マホを抱き抱える騎士を見た神流は場違いにも陽の光を受ける凛々しい2人に安堵を感じた。神流の知識にある騎士とは、騎士たる者が従うべき情緒、風習、習慣を備えた法の守護戦士であった。そのイメージと合致する騎士が再び目の前でマホを介抱している。
「……うん、カンナさん痛いけど平気よ」
マホをか抱えた白い騎士が、迷いも見せずに兜を脱いで腕にある傷口に口を吸い付けていた。肩からこぼれた金色の長い髪がハラリとマホの顔に掛かっている。髪を掻き上げた騎士は地面に血液を吐き出すと口を手の甲で拭った。
「一応、傷口からある程度の毒は吸出したけど獣殺しの毒ならまだ残ってと思うわ。それに足を折られる寸前だったから重度の捻挫してるかも知れない」
━━!?
「あっありがとうございます。度々救って貰って申し訳無い。心から感謝します。」
「いいのよ。貴方には、その価値と資格があるもの。それよりこの子を早く……」
頭を下げマホを受け取ろうとした神流だったが、マホへの心配よりも傷口の奥で、ほんの微かに輝く光に違和感を覚える。
━━
マホの小さな靴が片方落ちて地面に転がる。すると神流は合点がいき納得をした。小さな足の親指に嵌まる金色のギザつく指輪の光を見ながら、心配そうにマホを抱く白い騎士に安心するように告げた。
「良かった。毒が緩和されたかも。マホは魔装具とかいう「アンチポイズンリング」を装着してたみたいです。俺も初めて効果を見たんですけど多分平気かなと……」
神流の発言通りマホの体内にある毒の要素をリングの力で無毒化していた。
「えっ!? 何でそんな貴重な特殊アイテムをこの子が……」
驚く白い騎士だったが、優しく神流にマホを抱えて引き渡す。そして、改めて自己紹介を始めた。
「詮索しても仕方ないわ。とりあえず良かったわね。初めましてではないけど、私は王都の騎士アーリーン・ブレストンよ。覚えておいてね」
白い胸当てに陽差しを反射させ、凛と背筋を伸ばす佇まいは騎士その物であった。
「はい、俺は天原神流と申します。重々ありがとう騎士のアーリーンさん」
「アーリーンでいいわよ。帰都の途中で悲鳴が聴こえたから、この子を助けただけなのよ。……では隊に戻るわ。その子はお大事にね。さようなら不思議な少年カンナ」
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たっぷりとした金色の癖の無い長髪を翻し、颯爽と帰ろうとする白い騎士アーリーンを止める者が存在した。




