決着の風
巻き上がる風が半壊する扉を揺らして吹き抜けた。冷気を含む空気が、顔に巻いていたターバン布を外したレッドのこめかみに染み透る
神流に「来るなよ」と穏やかに告げられたレッドは、山小屋の前で戸惑いながらも静かに座っている。痛みを抑えるように負傷した足に手を添え事の成り行きを眺める。
信頼する黒髪の少年は、まるで買い物にでも向かうように黒鼬党の頭達の元へと歩いて行った。予想通り手下達に周囲を囲まれるも近接戦闘を危な気に制し山賊の手下達を退けてしまう。
今、鳶色の瞳が遠目にハッキリと映すのは、血迷うダグブルが振り上げた凶刃を棒立ちの神流の頭上へと降り降ろす絶望の場面であった。しかし、レッドは目を背けたりはしない。自分の価値観を、人生観を根刮ぎ吹き飛ばした少年の力を信じていたからだ。
狂暴に猛る黒鼬党の大頭ダグブルが神流の頭蓋骨を顎まで粉砕するように長剣を力任せに激しく振り下ろす。狙いは頭蓋骨の接合部分でもあった。直撃すれば命が有っても、頭骨が砕け破片が脳に刺さり甚大な損傷をする事は間違い無かった。
「ごらぁ!!」
一方的に無二の信頼を背中に受ける神流は新しくなった山刀、ベリアルサービルを右手に握っている。しかし、頭部に斬り下ろすダグブルの攻撃に対して棒立ちで防ぐ素振りすら全く見せない。
頭頂部に迫る刃の反射する陽光を凝視して冷ややかに感情を消した声で呟いた。
「詰みなんだよ」
━━
ダグブルが降り下ろした長剣の刃は神流の前髪を揺らして急停止する。
凶刃を止めたのは音を立てずダグブルの後ろに擦り寄っていたサーベルタイガーのシンバの牙であった。長剣を降り下ろしたダグブルの上腕に食らいついて腕ごと凶刃を止めていた。
鮮血が飛び散り鋭利な牙が根本までズブリズブリと肉を抉り突き刺さっていく。文字通り抉られた肉はボタボタと血液をぶちまける。周囲に強烈な金属臭の混ざる血の匂いが漂い神流の鼻をついた。
首を横に向けたダグブルは驚きに顔を歪めながら、自分の飼っていたサーベルタイガーの牙が腕に貫通する様と無心に齧る獣の表情を見ていた。
「ーーおまっ!?」
「己の罪を噛み締めて行ってこい」
サーベルタイガー特有のしなやかで力強い首が反動をつけて勢いよくダグブルを空高く放り投げた。
「シンバァ!? 俺の腕が……何でだああああーーーー!!」
神流は清涼な空気を感じて見上げる。
「アディオス、空の旅を楽しめ」
冷気を含む風はいつの間にか緩やかになっていた。暖かな陽が神流の横顔を照らしていた。
*** *** ***
ーー閑静な林の中では山賊の副頭グリルの凶行が続いていた。
狩られた兎のように首の後ろを掴まれて持ち上げられたマホの小さな喉から再度苦悶の悲鳴が上がる。
「いやぁ! 痛い離してぇ!」
「ゲッゲッゲッ手こずらせやがって、覚えてるか? 大人しく出てきたら痛い事をしないって言ったろ。約束ってのは大事だ歳は関係ねぇ」
首を左右に鳴らし歯茎を見せて嗤う。
「痛い痛い! 止めてよーー!」
「約束は約束だ。罰として逃げれないように足の骨を少し折るが泣くんじゃねえぞ」
「あぁんママぁーーーー!」
髭を赤い血と唾で湿らせたグリルが、首を掴む逆の手でマホの足首をがっしりと掴んだ。マホが逃げる為の一縷の希望の扉が、泥と崩れ絶望の汚泥となり果てる。
「痛い痛い! カンナさん助けてーー!」
「足が折れても死にやしねえ。自業自得ってやつだ。ゲッゲッ誰も助けに来ねぇのよ」
口角の上がるグリルは足首をゆっくりと捻り力を込めていく。足首の静脈と靭帯が徐々に捩れて潰れていき、腓骨と脛骨が狂ったように悲鳴を上げて砕けようとしていた。
「売りもんだからな。ちょとだけ折るのがミソってもんだ。もう少しでポキンといくから静かにしやがれ」
「いやぁぁーーーー!」
━━
ーーグァゴガーーンッ!!
後方から風を裂いて飛んで来た上半身の鎧がグリルの後頭部に直撃し炸裂した。
「ゴゲッ!」
グリルは受け身も取れず顔面から倒れ地面の土に顔ごと埋まる。その衝撃で握られたマホの拘束が解かれ横にポテンと転がり地べたにペタンと尻餅をついた。
グリルの悍ましい凶行は飛来した鎧によって間一髪で防がれた形だ。
ボロボロの所々錆びた鎧は勢いのまま地面を跳ねて転がっていき樹木の幹にぶつかり更に損壊する。
「…………」
泣き腫らした顔は赤く、涙と鼻水でくちゃくちゃのマホ。その瞳に映ったのは、こちらに歩いてくる大柄な中年の騎士だった。髪には白髪が混じり顔の側面に大きな斬り傷を負っている。
「ブオエエッ、誰だぁ!何しやがる殺すぞーー!?」
猛る憤怒の表情で地面から顔を抜き唾を吐き出して起き上がるグリルは、土で汚れた眼光に強烈な殺意を込めてガバァ!と振り向こうと……
━━
「ーーッ」
グリルの首筋に流れる動脈に、銀色に輝く細身のレイピアの刃がピタッと当てられていた。ピィーンと伝わる冷たい金属の感触と共にツツゥと刀身を伝って自分の血液が地面に垂れていく。
剣を当てているのは長い金髪を風に靡かせる凛々しい騎士だ。その騎士は白を基調とした装備をする細身の女性でもある。
マホの窮地を救ったのは、奇しくも悪魔の谷で神流を凶刃から護った騎士であった。
「子供に何て事をするの生ゴミ」
「そういう台詞、俺も言おうとしてたんだぜ」
「!?。ゲホッゲホッ殺す……いやいや騎士の方々、いきなりひでえじゃねえですか? 何か大きな勘違いしてなさるぜよお。こりゃあ俺様の娘ですぜ。ちょっくらイタズラのお仕置きをしてたんですぜぇ何処でもよく見る躾ですぜゲッゲッ。この怪我は許すから早く何処かに行ってくだせえよゲッゲッゲ」
「……お嬢ちゃん一応聞くが家族じゃ無いよな?」
安堵に震え下唇を持ち上げ涙するマホは、小さな乳歯を食い縛り新たに涌き出る涙を堪えて首を横に振る。
「ううん、悪い山賊達の1人」
「そうか……そうかそうか、ふんっ!!」
グリルの後頭部を重厚な軍靴で踏みつけ地面に再度顔をめり込ませた。
「グゲボガッ!!」
「これも騎士の努めだぜ」
グリルの服を裂いて後ろ手に縛り付けていく。
「こんなもんだぜ、お嬢ちゃんよ、もう安全だから泣くんじゃねえぜ」
「何泣かせてんのよ! 自分の顔の凶悪さ位は自覚しなさいよねバカ」
「そりゃあねえぜ。誰が見ても俺は悪くねえぜ。いい加減、俺が可哀想だぜ」
顔にある大きな斬り傷の痕を撫でて呆れたように嘆く大柄な中年騎士。その背中を緩やかな風が吹き抜け暖かな陽が照らしていた。




