魔刻印のドーピング
辺りには肌寒い風が回る。異世界の太陽が午後の日蔭を作ると共に正も邪も明るく照らし出していた。
巨大なサーベルタイガーを有する山賊達の元へと向かう神流は、買い物にでも行くかのように気が抜けて見えた。軽い歩調で真っ直ぐと進んでいく神流の背中を見てレッドは呟いた。
「……旦那」
安堵と不安の混ざるその声は届いていた。
「レッド・ウィンド……命を危険に曝してまで此処を護ってくれたな。俺に任せてくれ。ミホマさん達とお茶でも飲んで、ヒヤヒヤドキドキしながら見ててくれ」
「ヒヤヒヤって……うくっ!」
神流の言葉に反して手助けに向かうレッドの顔に苦痛の様相が色濃く浮かぶ。足首の中を構成する腓骨がズキンと悲鳴を上げ激痛の波が拡がる。興奮が冷めた事によってアドレナリンが落ち着ついていた。鎖で絞められた足首は重度の捻挫をし外側の骨に小さな亀裂が入っている事に気付いた。それでも足首に力を込めて立とうとすると、
「頼むから座っててくれよ。保険下りないから」
「…………はっ?」
その一言で緊張の糸が解けたレッド・ウィンドは途中でへたり込み、動けなくなってしまう。
熱気を孕む戦場であるのに冷たい空気が首筋や肌に触れていくと毎年訪れていた冬の季節を神流に想起させた。
━━早速、山賊軍団がワラワラ動き出して来たな。視界がクリアだ。新作のコンタクトを入れてるみたいに感じる。もしかして視力が上がったかも知れない。こんな時でも熱いホットコーヒーが飲みたいと思うが思うだけにしておく。
吐き出す溜息は外気に触れても白くはならない。しかし、体に浴びる風は冷水のように冷たく神流の瞳に宿る戦意を引き締めるのに一役かっていた。
薄く聴こえるのは山賊達が持つ斧や剣や鉈が擦れ合う金属音とサーベルタイガーが長い牙を噛み合わせ骨付き肉を貪る不快な咀嚼音だ。どちらも命を刈り取る死神の旋律を思わせる。
━━奴等の数だけ殺意が有ると思うとウンザリしてくる。守るのが女性達というだけで物語の騎士のような感覚には……ならない。どちらかというと害獣駆除だ。
ダグブルは地べたに腰を下ろしサーベルタイガーの頭を乱暴に撫でている。脅した部下に事を任せ顔を斜めに上げ酒を呷り飲むと手下がドスドスと音を鳴らし近付いてくる。
「頭ぁ、何か小僧が向かって来てますぜぇ?」
鼻の穴に指を入れたダグブルは、見向きもせずサーベルタイガーが肉を頬張るのを眺め独り言のように呟く。
「好きに殺れ」
ダグブルは命令を下した。
「即殺でさぁ!」
野太い声で勢いよく返事をした中背で筋肉質の男は、太い首を鳴らしながら神流の方へ回すと歩きだした。
━━
五人の粗暴な山賊の男達が武器を担いでゾロゾロと前に出て来た。神流は片眉を上げ視認する。
━━殺ろす気満々だろうな。そのまま来てくれ。
だらしなく歩く山賊の獲物を狩るような視線が不遜な神流を取り囲んでくる。
「グッフッフ」
「もう逃げられないーー」
「怖いか? 怖いか?」
「アッアア、ぶっ刺す感触が堪らねぇんだ」
「…………」
━━山賊ってゴミの代名詞だな。未成年に何人がかりだよ。まぁそれが狙いなんだけどな。俺を避けて行かないように無防備でビビらない歩き方
各々、凶悪な殺意を持つ表情を色濃く浮かべ神流を威嚇する。命を奪う事に砂粒程の呵責も感じない無法者達が神流を完全に取り囲んだ。
「どこを的にして射っちまうか? 柔らかそうな目玉か? 教鞭漏らすなよ、グッフッ」
頭に熊の毛皮を被る山賊が手にしていたのは、ドズルが所持していたクロスボウと同型の木製のクロスボウだった。撃つ体勢を見せつけ威嚇している。
「おぅ待て! まず俺がやってからにしろ」
不敵な笑みを浮かべ前に出て来たのは目尻に深い傷痕を持つ男だ。肩を回しながら神流に近寄ると声を上げて乱雑に錆びたアイアンソードの剣先を神流の頭部に突き入れた。
━━顔っ!
危なげに首を回して反らし冷たい刃を避ける。フォンと鼻腔に銅の金属臭が触れる。
「んっ!」
━━危っ、身体が軽い重さも反動も殆ど感じない。
「おっとおぉ!」
バランスを崩した傷痕の男は一瞬無言の溜めを作る。
「避けた……生意気だぞ!」
━━そう来る!?
傷の山賊は神流の影を見ながら、振り向き様に神流の首を深く薙ぐように錆びたアイアンソードを振った。避けれる間合いでは無く刃先は必ず喉元を気道ごとパックリと切り裂く速度だ。しかし、神流は眼球に刃筋をハッキリと映し、背を反らして切っ先を鼻筋の寸前でまたもや躱した。
「ヒャア!! お次は、こっちだジャリっ!」
後ろから髭面の山賊が甲高い声を上げて細長い海賊サーベルの刃を背中の肩口に浴びせていた。
━━それは予想してた。
その剣筋も一瞬で目端に捕らえた神流は、身体を起こしながら半回転させるように開いてまたもや避ける。
「こんにゃろめ!」
声を上げて下に降りた剣先を踵で踏みつけ地面に埋めるとグリッと体重を乗せる。
━━
間髪入れずサーベルを踏みつけた神流の脇から、小柄な山賊が唾を跳ばして厚身のある磨かれた銅製のダガーの刃を突き入れて来る。
「死にてぇのか? 調子に乗んなーー!?」
━━生かす気ゼロだろ。腹立つわ。
サーベルを神流に踏まれバランスを崩す髭面の山賊の服を掴んだ。そのまま足を軽く掛け横に回すように押して小柄な山賊にぶつけ踵で鼻先を蹴りつけて潰した。
「ぐげぇっ!」
━━鼻は急所だったよな……!?
━━
ドスッ!
鮮血が舞い、色濃く鉄と血の臭いが生まれる。
それは神流の血液では無かった。
海賊サーベルを持つ山賊の太股にクロスボウの矢が貫通し血がドクドクと噴いて地面へと流れていく。
傷痕の男の二撃目を躱した際に、熊の毛皮を被った山賊が神流に向け矢を発射していた。身体を半回転した神流に当たらず髭面の男の太股を貫通し突き立っていた。
「ヒンギャアアアーー!! 俺の足から矢がーー!!」
「生意気なガキめ!」
髭面の山賊が叫ぶ最中、傷痕の山賊が錆びたアイアンソードを上に振りかぶり神流の脳天に振り落とす。しかし、それも半身に戻した神流は見事に躱すと手首を拳で殴りつけてから鳩尾に靴先をめり込ませて蹴飛ばした。
「ぐへええっ!?」
後ろにステップして山賊達から距離をとった神流は肩で大きく酸素を吸い込み自分の動きに満足し身体の様子をチラッと見る。
━━攻撃は見えてるけどヒヤヒヤする。うん、素直に凄いな魔刻印ドーピング。俺っどうなっちゃうんだろ?
神流の身体には肉体の動きを加速し早める【加速】と山賊ドズルにも刻んだ強化系の【肉体強化】【剛力】の刻印が施されていた。
「そろそろ俺のターンだな」
神流が新しい山刀ベリアルサービルの柄を握ろうとすると、視界に大きな影が掛かった。
巨塊のような頑強な大木槌を振り上げていたのは、上半身裸で鎖を首に掛けたドレッドヘアの大男だった。赤黒い全身の筋肉を震わすように唸らせ、血管の浮き出る両腕の力を解放するように振り下ろしていた。
ーーズドオォッ!
━━
大きな地鳴りと土埃が空中を舞う。山賊の大男が首を上げると地面にめり込む大木槌の上にジャンプした神流が乗っていた。
「うへっ!?」
大男は髪を揺らして驚愕に口を開ける。
「サッカーのトゥキック!」
大男の赤黒い顎へ靴の爪先をめり込ませて蹴り上げた。
「グフエッ!!」
血を空中に吐きながら首を後ろに曲げた大男は仰け反り腰から人形のようにゆっくりと倒れていく。大木槌の上に着地し鼻から冷たい空気を吸い込み頷いた神流は大木槌の後ろに飛び降りる。
「よっとっ気分は達人」
少し息を吹いた。
すっと腰からベリアルサービルを抜くと小指からしっかりと気持ちと共に握り締めていく。冷気を含む風は強まり神流の表情を引き締めていた。




