待ち望んだ背中
レッドの危機的状況は依然と続いている。置かれた自身の選択を葛藤しながら山賊と対峙している。眼下、正面、斜め後方と危険だけが増えていく。
(カンナの旦那は一体何をしてんですか?)
山賊達に対して辟易していた。薄い和紙が重なるように危機感と精神的な負担は増す。知らないうちに息の荒さが増していた。額を伝う汗が煌めき目に入りかけ、瞬きをしながら袖で拭う。ターバンの隙間から酸素をゆっくり吸い上げて吐く。
自分1人なら逃げ切れる可能性はかなり高い。
逃走経路は考えなくても頭に入っている。この状況なら逃げても神流に責められる言われはない。
繰り返し教訓として植え付けられた教えが脳裏に浮かぶ。
(自分の命を駒にせず、逃げる、離脱、退く、それが好手。敵意を見せず、近付かず、見極める。危機を察知する修行もその為の1つじゃ。儂等は決して獣ではないのだ。戦略を練り上げ算段し策を労し、戦術の先行きが曇れば見切りを付ける。裏切りの謗りに耳を貸してはならん)
頭の中では痛いほどハッキリと理解していた。頭が警鐘を鳴らし続け思考も受け入れている。
しかし、思考が導く答えに相反し疼く心が役割を放棄してミホマとマウを見捨てる所業を拒む。神流に見切りを付け約束を反古し関係を断絶する選択を否んだ。
(心臓の鼓動が高い、心と身体が強い抵抗を示している)
白昼に集結する山賊達を全て相手することなど、至難の業である事は明白であった。見えない罠を張る暇も無かった。己が活きる闇夜でもない。頼みの綱である神流の姿は未だに見えない。
━━レッドは思う。
谷の支配者である超高位悪魔、幾多の討伐の失敗や被害の大きさから軍でさえ放置していた。その場所で惨めに死んだ者や怪我をした相手からの手数料等で金銭を得ようとしていた、ちっぽけな自分。
その悪魔の谷に現れたのは、夜の林で気紛れに助力した自分より年下に見える少年だった。谷を支配する悪魔からの凄まじい炎や魔法や呪い等の攻撃をものともせず剰え倒して滅してしまう。
その光景に淀んだ心を引き剥がされるような衝撃が走る。目覚めた高陽感と心惹かれた引力のまま後を追跡していた。絶対に取り入る決意をしたまま。
逢ったばかりのその少年は警戒の色を見せたが、すぐ受け入れてくれた。不思議なのは悪魔を消滅させる程の巨大な実力を持ちながら、山賊ですら殺すのを嫌がる甘さがある事だった。
その少年から「俺に何かあったら頼む」と言われた。安請け合いしてしまったが依頼は依頼。頼まれたのは少年が世話になったという山小屋の住人の命だ。
幾人か倒したが状況は芳しくない。死角からの攻撃、闇討ちや暗殺が得意分野の自分にとって、現状は有利性が大きく削られる。体術、機動術等の教えを受けた祖父からは禁止されている戦い方でもあり、身を曝して要人を護る戦いが如何に難しく苦しいものであるかと思い知る初の経験でもあった。
「だからって逃げてなんかいられないのよ」
━━
レッドの投擲攻撃により出血し動けなくなった槍の山賊と長剣の山賊。その脇に出てきた手斧の男と睨み合っている。目下で怒号が響き足の裏には他の山賊が扉を破壊する振動が伝わっていた。
その膠着状態を避けたいレッドは打って出る。腰に手を回して押し込むと肺の中の空気を息吹きと化した。
下で発狂したように叫び出した手斧の男の頭部に向けて、3本の苦無を横並びに一斉に投擲する。男は長い剣を真横にして深く屈んで全て躱した。苦無が地面に突き刺さる音と共に勢いよく立ち上がり叫んだ。
「余裕で見えてんだよ! この野郎!」
━━!?
長剣の男の視界に赤が混ざった。それは頭部から流れる己の鮮血だと気付く。躱した筈の三条の苦無の軌跡に触れた瞬間、男の頭部に傷を負っていた。頭上から垂れる己の血に驚きの叫びを上げる。
「ぐあっ! 避けたのに何で血がっ!?」
苦無に括り付けられた極細の鋼線によって男の頭部は裂傷を負い血飛沫を舞わせていた。握っていた鋼線を離し動揺する男に追撃の苦無を投げる。靴を容易に貫通して足の甲に容赦なく突き刺さる金属。
「足いぃーーーー!」
蹲り転がり叫ぶ山賊を放置するレッドは意識を切り替える。
「早く扉の破壊を食い止めないとっ」
━━
飛び降りようと脚に力を入れたレッドの身に、鎖付きの鉄球が空気を押し退けながら襲い掛かった。紙一重で躱すと屋根に直撃し屋根の垂木が大きく砕ける。鎖をたどり襲って来た方向を一瞥する。
モヒカンの山賊が鎖の端を握り余裕の笑みを浮かべている。癪に障る顔に不快感を示した。
「好き勝手にしやがって、てめえに安全な場所はもうねえよ。降参すんなら片腕切り落として許してやっからヒハハ」
「ふん」
これ以上屋根の損壊を防ぎたいレッドは屋根にめり込む鉄球を踏みつけて跳躍し、建物の後ろ側に着地する。モヒカンの鉄球使いの標的と敢えてなり、他の山賊をおびき寄せる算段だ。
技量を探る為に着地と同時に苦無を肩口に投擲していたが、モヒカン男が引き戻した鉄球を影にキンと弾かれる。
「そんなモン食らわねえんだよ! 野郎っ逆に食らえ!」
怒りに任せた反撃の鉄球が横殴りにレッドに襲い掛かる。後ろに軽く跳ねて鉄球の攻撃軌道を避けながら、レッドはある決断を決めようとしていた。
(扉が破壊されたら中の2人が人質にされてしまう。時間が無い)
「見られてても使うしか……」
レッドは鉄球を躱しつつモヒカンの山賊を牽制しながら、短刀を鞘から抜いて刃を自分の親指当て出血させ詠唱を……。
ーーその刹那
斜め後方から飛来する鎖分銅がレッドの右足首に絡み付いた。身を隠していたオールバックの男が建物の陰から身体を見せる。
「やっと捕まえたぜターバン野郎ちゃん、びびったかテメエさえ仕留めりゃ終わりだろうが」
「ーーくっ! いつもなら気付いたのに!」
思考する波の中の一瞬の隙を突かれ片足の自由を奪われた。レッドはターバンの奥に苦悶の表情を色濃く浮かべる。
山賊が立ち上がり跳ぼうとするレッドの足に絡まる鎖を思いきり引き戻し立たせない。何度も鎖を上に引き上げては地面へと叩きつけレットに苦鳴を上げさせる。
「くはっ!」
動きを抑制されたレッドにモヒカンの男が容赦なく鉄球を投げつける。レッドは苦痛に耐えながら叫んだ。
「なめんなって言ってんのよ!」
鎖分銅を持つオールバックの男へ切りもみ回転しながら跳躍した。螺旋状になる鎖を蹴って男の横顔へ鎖の波を鞭のように弾く。
「ぐああっ目があっ!」
眼前には膝をついて蹲るオールバックの男。足首に絡まる鎖を外そうと身を屈めようとすると後方から鉄球の鎖の音が迫る。上体を捩り回転しながら鉄球の直撃を避ける。
(あっ足やった)
鼓膜には右の足首の奥にある靭帯がプチブチと切れる音が確かに届いていた。
「はあっはっ!」
(深いとこの靭帯が切れた。でも命に替えは無いのよ)
「渾身の球を躱しやがって……御礼に手足を潰して人形にしてから、頭を潰してやるぜターバン野郎!」
嗤いながら射出される鉄球により、地面が抉られて大きな穴が次々と空いて土を撒き散らす。当たればトマトのように関節ごと砕かれ潰されるだろう。
「くぅっ!」
蹲っていたオールバックの男がいつの間にか立っていた。レッドが身を捻り再度立ち上がって跳躍しようとしたタイミングで大きく体の後ろまで足首に絡む鎖を引いた。
「いつっーー!?」
足首の関節が外れ痛覚が悲鳴を上げている。激痛に身体をくの字にし、地面に転倒するレッドの頭部を目掛けてハンドボールのように鉄球が投げられる。直撃すれば頭蓋骨は粉砕し脳も無事では済まない。
「うぁ」
片方の脚に力が入り切らず精彩さを欠き始めついには
(ごめんじいちゃん、こんなとこで死ぬかも)
「ヒャハッ、やっと終わりだなターバン野郎。果物みてえにぶっ潰れれちまえや!」
━━
レッドを叩き潰す筈の鉄球は頭部の直前で停止した。止めたのは巨漢山賊のドズルだった。走り寄った怒りの形相のドズルが片手の掌で受け止めた鉄球をみしみしと握り締める。
(……誰!?)
「さっき出て来た大男!?」
他の山賊より頭を2つ抜ける巨躯、その頭には戦いに飢えた獣の面構えが張りついている。そしてドズルの肩からは、丸太のように太い剛腕が伸びる。相対するだけで敵に無言の圧力を掛けるほど、ただひたすら戦いに特化した肉体だ。
鎖を持つオールバックの男がドズルに声を荒げる。
「おっおいドズル居たのかよ、何してんだよ! 邪魔すんじゃね……!?」
返事をしないドズルの目が血走り、マグマのように煮え滾る怒りの狂気に染まっている事に気付いた。
ドズルは豪腕でレッドの足に繋がる鎖と鉄球の鎖を無言で持った。するとミシミシと腕の筋肉が異様に膨張し血管が枝のように派生して浮き出した。
「ウボオオオオオッーーーー!」
雄叫びを上げながら、鎖をビギンと張り一瞬で引き抜き持ち上がる山賊を空中で交錯させた。
「うわっ!?」「げぇ高い!」
モヒカンとオールバックの山賊を空中に舞わせ一気に大金槌のに地面に叩きつける。地面にめり込んだ1人はピクピクと痙攣し気絶していた。
ドズルは空に向かい遠吠えを上げる。
「ウゴァァァーーーーーーッ!!」
「ーー!?」
状況が飲み込め無いレッドだったが、猛るドズルを警戒しながら足に絡まる鎖を外した。扉の破壊を食い止めに足を引きながら走りだした。
「んっ!」
身体を半身にして振り返り、地面に身体を埋めるオールバックの山賊の尻に向けてトカゲの痺れ毒付きの木串を勢いよく打ち込んだ。痙攣の止まった身体が一瞬だけビクン跳ねると動かなくなった。
「乙女を傷つけた罰っすよ」
絞められた鎖によって足に出来た擦り傷を摩ると足首を地面に押し込み外れていた間接を強引に戻した。
「くぅっ痛い!」
(……痛むけど少し動く。骨にも亀裂が入ったかな。靭帯も軟骨もやっちゃったみたいっすね)
「あと1人は仕留めないと……」
ズキンとくる根深い痛みに眉を少し歪めるが無言で真顔に戻し鳶色の瞳の眼光強める。
━━
「えっ!?」
回り込んだレッドは信じられない光景を目にする。扉に群がり破壊していた山賊達全てが地面に不様に倒れていた。
「どうして?」
瞬時にサーベルタイガーと山賊のボス達の方へ首を向ける。レッドの鳶色の瞳に色濃く映し出されたのは、巨躯のサーベルタイガーと山賊の集団に向かい一直線に歩いていく神流の背中だった。




