賭けたのは
巨塊の足に踏まれる神流の腰から下は車の下敷きになってるかのように動けない。巨大な質量がゆっくりとのし掛かり始める。神流の靭帯を間接を胸骨を骨盤を肺を内蔵を押し潰す圧力が増していく。
「侵入者ハ抹殺スル」
「うぐおぉ……!」
サラリーマン、その道を選んだ神流は社会の歯車としての在り方を何の疑問も持たず受け入れていた。そこそこ有休を使い 、そこそこのボーナスを貰い、そこそこ出世して、そこそこの出逢いをして結婚し、そこそこの家庭を築いて子供に恵まれ、そこそこの家族に囲まれて眠ったように死んでいく。
自分が歩み辿り着く未来とゴールが其所にあった。だが現実は残酷だ。眠っている間に次元の遥か彼方に道を見失った。右も左も分からない異世界。頼れる人も居なかった。この世界の人間から見れば出自も怪しい得体の知れない不審な人物である神流。
それを温かく迎え入れ、傷の手当てをし食事をさせ団欒の喜びまで分かち合うミホマと娘達。その人達に死の危険が迫っているのに今の神流では手に負えないと悪魔に嗜められる始末。
━━最初から何も出来なかった。なんとか出来ると錯覚していただけだった。そしてここで悪魔の石像に踏まれて惨めに命を終えるのか。
「ハハッ」
狂乱する激痛の最中、唐突に笑いが溢れた。
「ぎぐううっ…………間抜け過ぎて笑わずにいられるかよ」
━━!?
ベリアルの言葉がひとひらの花弁が舞い落ちるように脳裏に過る。
━━『君は資格を得て使えるように成っただけだ』……使える? アイツが俺にこの魔導武器を手渡した意味。
━━
━━賭けるなら。
下半身に激痛が走る最中、髭の無い顎に触れベリアルサービルの柄を持つ手に力を込める。黒い瞳孔を開き刀身を凝視した。ベリアルサービルを両手に持ち替え鋒を下に構え咆哮した。
「心臓でも命でも何でもやるから俺に力を貸せぇ!」
━━
予兆は仄かだった。心臓の奥、魂の更に向こうで力が渦を形成しようとした刹那、奥底の渦の中心に眠る魔力が闇の中で瞼をカッと開くように目覚めベリアルサービルに反応する。刀身が淡い白光を発し神流の魔力によって覚醒した。
━━喉が燃えているな。
喉の奥に佇むシジルマークがベリアルサービルの目覚めに応じて強烈な光を発して輝き出していた。
シジルマークから流れ出す蜂蜜のように濃密な魔力は体内の経路を通り抜けてベリアルサービルへと繋がった。瞬間、刀身に刻まれたシジルマークから更なる光が溢れ魔剣と神流の身体全体を包んでいく。
━━光ってる、不思議な感覚だ。この山刀は元々あの悪魔を、ぶった斬ったポテンシャルを持っている。
「おい石悪魔、お前が青山羊悪魔メンより強かったなら俺の命を持っていけ。奴より弱けりゃ……俺の勝ちだぁーーーーっ!!」
悪魔像の足の甲へベリアルサービルの切っ先を向け根元まで突き刺した。土に立てたかのように柄まで刺さる刃を弧を描くように横へと流し引き裂いた。裂けた所からポロポロと崩れ始める悪魔像の足。
「ーー!!」
悪魔の像は痛みを感じたかのようにくぐもった声を漏らし、神流を踏みつけていた巨足を上げる。腕を床について隙間から抜け出した神流が腰を擦りながら立ち上がる。
「やられる気持ちが解ったか。腰痛とか色んな痛とか……どこか折れてるかも知れない、あちこち痛えよ。くそったれ」
「……侵入者ハ」
悪魔像は信じられないと足元の神流へ顔を向け
「コロス」
ギィイン……!!
激しい金属音が響いた。振られていた巨大な手斧をベリアルサービルの刃でしっかりと受け止めていた。しかし、その威力を殺し切れず背中の壁まで弾かれ叩きつけられた。
「ぐっ痛い、身体中が痛い。やっぱ受けたら駄目だ」
━━でもバリバリも無いしさっきより全然マシだ。
痛む背中に片方の目を瞑り、直ぐに壁を肩で突いて離れ体勢を立て直し迎え撃つ神流。逆の腕を引いた悪魔の石像から打ち下ろされる鉄拳。ボクシングのストレートというにはスピードは遅く空手の突きというには緩慢だった。しかし、石の硬度と重量を併せ持つ脅威で有ることに変わりはない。
━━!
軌道を変えずに真っ直ぐに迫る巨石の拳が神流の髪をハラリと掠めた。
━━過剰なんだよ。威力がな。
ヒヤリとしながらも反復横飛びの要領で攻撃を躱した神流。魔石で出来た床が大きく砕ける。それを一瞥すると破壊の余波に身を投じるように突っ込んだ。
「当然、斬るだろ」
半分埋まる悪魔像の手首を飛び込み様に一刀し、返す刃で何度も斬りつける。斬り口はボロボロと崩れ結合力を失う。今まで同様に悪魔の像が力任せに引き抜こうと腕を引く。ーー割れ目がバキキッと拡がり……砕けた。巨大な拳だけ残して腕を引き上げる悪魔の像。
異変には気付くが痛覚も複雑な思考能力も内蔵されていない悪魔の石像。パターン化された動きしかせず動きを読むのは困難では無かった。軌道を予測し落下地点から外れていき小回りを効かせ最小限の動きで躱す。神流はそれだけを心がけていた。
━━狙いは悪くない。人型は万能では無い。考えずに巨大な一撃を放てば体が開く、壁や地面に拳や足が埋まれば隙は出来る。そして引き抜く時に多きな摩擦が起こり間接に多きな力が生じる。そこを狙ったつもり。
「侵入者ハ……潰ス」
「それを定年まで続けてくれ」
━━!
警戒していた逆の手が動き出していた。乗用車と同じ大きさの手斧が狂暴な質量のまま刃を立てて振り下ろしていた。神流は躱して避ける方向を決めていた。ギリギリ射程から外れるように腕の外側に回り込む。挟み撃ちを防ぎ腕の死角にも入れる。一振りで絶命確定の戦斧は、敵が当たらないように躱して避け続けるという戦いを想定していない。
巨大な斧の刃が魔石の床を真っ二つに砕き豪風を巻いた。背中で避けたのを感じた瞬間に神流は身を転じる。
バシュン!
激しい素振り音が響いた。巨大な戦斧を持つ手首を縦に斬り裂いた。一瞬で大きな亀裂が入っていく。神流の手の平にも衝撃は伝わっていた。
「クリティカル入ったな、おかわり!」
もう一閃振り抜いた。亀裂は綺麗に拡がり肘の手前まで砕けた。手斧の先を床に突いたまま落下して砕ける音を土埃と共に響かせる。
「はぁはぁ、お次はこっちに」
浅い呼吸に軽い興奮を覚え、床に足を突いて躍動するように反転し体勢を直す。
「侵入者ハ死スベシ」
━━!
「早っ!!」
悪魔の像は死角に入った神流をしっかりと確認していた。床ごと廻廊ごと神流を潰して滅っするつもりだ。渾身の力で振りかぶった寒気立つ巨大ハンマー。それが大気を震撼させながら唸りを上げて振り降ろされた。
その恐怖の巨塊が自分に迫るのを隙間から見上げていた。戦慄し冷や汗の粒が乱立するのを背中に感じる神流。その一撃は受ける事が出来ない、躱す事も回避する事も出来ない、悪魔像の全身全霊の一撃であった。
ーー爆発音を響かせて魔石の床を撃ち抜いた。
━━
嵐のような衝撃が収まると巨大なハンマーの枝はグニャリと捩じ曲がり武器としての役目を終える。そのハンマーの下の瓦礫から神流の学生服の裾が虚しく見えていた。




