ベリアルの吐息
『1つ言っておこう。僕は他の有象無象などの生き死に等に感知しない』
神流の頼みと切実な願いを粉砕かのように真っ向から拒絶したベリアル。無機質で命を感じさせないその瞳は湖の深い蒼に溶けるように冷ややかで鋭い光を帯びていた。
「……何でだよ」
『気紛れに助けるのは契約者である君のみだ。それも僕の琴線に触れ食指が動いた時のみと覚えておいてもらおう。時の流れの異なる、この時空間宮殿に身を置いても殺気や魔力の起こりや流れは解ってしまうのは確かだが、魂や命を失う行為は慎んで貰いたいものだ』
━━結局、俺以外には何もする気が無いから、自分の命を守るために皆を放置して逃げろって意味か?
「全然聞けねえ。お前に助力を求めた俺が間違ってた。死んでも皆を守ってやるよ。よく見とけよ冷血インテリ悪魔、帰るから扉を出せ!」
ベリアルに憤る表情をぶつけ足の裏に力を込めて立ち上がろうとする。
『……』
するとベリアルの冷たい色をしていた瞳が淡い青葉のグラデーションの揺らぎを見せた。小指を優しく折り曲げてアッシュグレーの軟らかい鬢の後れ毛を持ち上げるように掻き上げていた。ふわりと浮かぶ艶めく髪が煌めく音を奏でながら背中に掛かる。
『僕の元に訪れた賢明な判断が報われても良い因果かな』
「……良いって事か? 何か有るのか?」
神流が向き直るとベリアルが腰掛ける背凭れ等が豪奢な肘掛け椅子へと変化を始めた。揺蕩うような表情を浮かべ続け沈黙を見せるベリアル。視界に神流が入る余地は無い。
「くっ!」
ベリアルの喋り方や仕草は人間の心根を手を這わすように逆撫でする。緊張と不快が入り交じる気分を神流はあじわっていた。帰ろうとした瞬間に可能性を言葉で示唆され、動揺しもどかしくなっていた。
━━1度拒否されたのに言葉に反応した自分が情けない。しかし、皆の命が賭かっているし、力を借りる手前我慢だ。今でも駄目なら直ぐに戻るつもりなのは変わらない。
「どうなんだよ?」
神流が無要求の答えを促すと無表情のまま濡らしたように艶めいたベリアルの唇が猶予を見せて開いた。
『君には、既に僕の力を譲渡しているが少し足そう』
神流は密着してきたベリアルを押し返す。
「もう少し具体的に言えよ」
『僕との契約によって君の喉には力の象徴でもある僕のジジルマークが刻印されている。それにより、吸収、放出、操作、感知すら出来ずに眠り続けていた肉体の魔力経路の一部が解放されている』
「はっ!? 無断で勝手な改造してんなよ、取れ! 今すぐ戻せ!」
神流は驚きと怒りに声を荒げ延び上がる。自然体を崩さず、その様子を眺めたベリアルの睫毛には光の粒子が絡み七色に煌めきを放っていた。それが揺れると光が散るように消える。
『君は自分を誇ると良い。僕の原初形態の刻印を普通の人間に施した場合、気が触れたり魔力が暴走して内部が裂けたりするが、依然として君は生き生きとしている。僕のお陰で見事な生命体に近付いたのは言うまでもない』
「実験体の魚じゃねぇんだよ! 今すぐ取り外せ! 真剣に急いでんのに、この野郎!!」
『僕は野郎ではない。こんなのはどうだろう」
フワッと腕を流し人差し指を立てると爪先に小さな黒い球体があらわれた。それが縦横に渦を巻き始めるとヘドロのわたあめのように大きくなっていく。
━━うぁキモグロい。
掌サイズまで大きくなると動きを停止した。するとモゴモゴと内側から波打ち動き始めた。小さな手や口がビチビチと無数に生えると小さく苦しみの産声を上げ出す。
━━!?
『これは「呪魂喰い球」という。相手に投げ付けるだけで魂に食らいついて絡み付き即死を暗示する呪いを流し込んでいき対象者の命と魂を奪い成長する』
「だから……?」
『これを君に進呈しよう。僕の魔刻印を宿す今の君だからこそ絶命せずに触れる事が出来るんだ。君の身体を棲みかとし勝手に戻ってくるとても便利な低級悪魔生命体だ。有りがたく両手で受け取り地面に膝を折って、存分に僕に対する感謝の意を体現するといい』
「いっ!?」
ベリアルが爪先の黒い異質な生命体を神流に差し出した。
「近い近い! そんなビチビチ要らない要らない! 生理的に触れる訳ねぇだろ! お前、俺の話を聞いてたか? 誰かを殺す話を1ミクロンでもしたかよ? まず俺の喉のを元に戻して、皆を安全に助けられる物が在るなら出せよベリえもん」
『……よく喋る。感謝するなら舌をもっとつき出して、僕の足を舐めるように礼を述べる事を赦そう』
「何処に感謝の予兆を見つけた? 要らねえと言ってんだよ。少しは真面目にやれ!」
『僕には真面目も不真面目も存在しない。真意だ』
「尚、恐えよ」
ベリアルがラメ入りの毒々しい光沢を見せる爪先で、黒く呻く物体を爪で弾くとボシュッと霧散して消滅する。
「もうっ……だからさぁふざけてないで……」
『君の腰にあるオモチャを僕に手渡すがいい』
「聞けよ!」
ベリアルは神流の話をまるで聞いていない、というよりは相手に気を遣い耳を傾けるという概念が無い。
━━無視され馬鹿にされるのは我慢出来るが、俺には時間が無い。逃げるにしても、守るにしても早く戻って準備しないと山賊達がいつ来るか解らない。
「マジで急いでるのに……」
不満を漲らせ全身全霊の力を込めて非難の視線をベリアルに浴びせながら、ミホマに借りている山刀を乱暴に差し出した。
涼やかな表情のベリアルは襟のラインを弄りながら、渡された山刀を摘まんだ。そして、山刀の側面に顔を向けると艶めき熱を孕む息を「ふぅ」と刃に纏わせるように吹き掛けた。漏れるような吐息が刃に届くと妖しい模様が浮き上がるように装飾されていく。
「ーーおおっ!?」
すると、刃先が妖しく紫に光り、錆び色の刀身にベリアルのシジルマークが浮かび上がる。薄く不気味な波紋のような模様が浮き出ると刀身も少し伸びて滑らかに歪曲していく。
不気味さが全面的に誇張された山刀の切れ味は、すこぶる悪そうに神流の瞳に映る。
『このオモチャを魔導具にした。「べリアルサービル」と名付けよう』
呆然とする神流をよそにベリアルは綺羅めく息を虚空に向けて小さく吐いた。
異質な力で魔導武器と呼ぶ呪具を創り出したベリアルは純度の高いトルコ石を思わせる瞳に微光を宿らせ、立ち尽くす神流を俯瞰し続けている。
━━いつまでフリーズしてんだよ。
『まだ不満を聞いていないが、あるなら述べたらどうだろう? 稚拙な君には不満や愚痴が良く似合う』
「……はぁ?」
ベリアルは呪具に変化させたベリアルサービルの刃を神流に見せ付けるようにヒラヒラと揺らしている。神流は鬱陶しげに眉根を顰めて言い返す。
「どうなったか説明を受けて無いのに不満もクソもあるかよ。強いて言うなら借りてる山刀が、お前に呪われてハロウィン仕様になった事を持ち主に謝るのが俺なのか?という不満なら普通にある」
ベリアルは神流がその場に居ないかのように、潤いのあるアッシュグレーの横髪に触れ、輪郭を隠すように伸ばしていきカールさせる。
「お前が俺の話を一ミリも聞いて無いのが不満ランキングの上位なんだよ!」
『……………………折角僕が主張の機会を与えたのに余りに些末な内容に、奇妙な君の存在を忘却してしまいそうだったよ』
「いいから早く説明しやがれクソ悪魔」
『僕は堕天使だ。現世の大気に舞う単細胞生物や目に見えない菌類でも理解出来るように僕が指教しよう』
苛つきを見せる神流は首を傾げ頭を掻きながら、舌打ちを我慢して先を促す。
「ハイハイ光栄だから早く、早急に、簡潔に説明してくれ」
『その付いてるだけの粗末な耳で、僕の喉が発する高音と低音の艶かしい細部に至るまで感じ取りよく聞く事だ。君がこのベリアルサービルを握り鋒と意識を攻撃対象に向け詠唱すると僕の刻印の効力が放出される。僕の刻印が対象に刻まれると魔法の効力が発動する事となる』
「ーー魔法?」
『そう魔法だ。そうやって驚く変顔も今の僕には斬新に見える』
神流が驚く様子を慊焉たる色を瞼にに含ませたベリアルが眺めていた。




