レッド・ウィンド
納屋に差し込む白矢のような朝陽が、シジルゲートから出た途端に意識が抜けたように眠りに落ちていた神流を照らす。納屋の中の埃を浄化するように白い光がアチコチで煌めく。
眠りの世界に落ち心地好く寝息を立てる神流の瞼が動いた。
「んあ?、朝だよ。ちゃんとした異世界の現実だ。……日本語になってるか?」
服に付く乾燥した藁を手で払い立ち上がった神流の表情は疲れを含む精悍さを見せている。
神流は首を鳴らし異空間での出来事を思い出す。
━━アイツ、俺の話を殆ど……ほぼ全部聞いて無かったな……。
脱力感と共に堕天使と称する悪魔と体面して交渉し戻って来れた事実に喜びを噛み締めていた。そして、小さな達成感と自信を胸に得ていた。
「まぁなんとか無事に草と土埃の匂う納屋に帰って来れた。それを喜んでよしとしよう」
━━変態悪魔に凌辱されて殺されなかった俺の日頃の行いと幸運を讃えよう。
「ええと、じゃあさて、ミホマさん達に朝食ても作るか」
意気揚々と納屋の扉に手を掛けると神流は躊躇する。思考を巡らすが面倒臭くなり、そのまま出た神流は足がスッと止め進むのを止めた。
━━上が気になるというか、屋根の上に誰かが居るのが何故か見なくても解る。
神流が緊張を宿しながら既に確信していた、その方向を見上げると
「やっぱり旦那には穏形の息が効かないのね」
納屋の屋根の上に朝陽を浴びる人影が立って見下ろしていた。神流は目を細め、その人影を睥睨する。
━━頭と顔を白いターバンで巻いて隠していて素性が全く分からないが、山賊か盗賊の類いに見えるな。
神流は逆光になる日差しを手で隠す。その人物の姿は上半身は襟つきシャツとベスト、腰には短刀を差しており、緩いワイドパンツの裾をブーツに入れた軽装の斥候のように映った。
「山賊か? 仲間を取り戻しに来たのか?」
1対1でも素人の神流には分が悪い。しかし、黙って殺られる訳にはいかない。身体に走るピリピリと痺れるような緊張を制しながら、スッと腰の鉈に手をかける。
「ちゃいますよ! あんなチンケな奴等と一緒にしないで下さいよ。アッチが山賊だったら出た瞬間に攻撃してるっすよ」
「お前の事は厩舎を出る前から気付いてたから、逃げる心の準備はしてたよ。待ち伏せするなんて何の用だ。敵じゃないのか?」
「そうっすよ。命なんて狙わないんで安心して下せい」
━━どこの下っ端モドキだ。……なんか軽いな、俺の緊張感を返せ。というかアレコレ有りすぎて胃潰瘍になってもおかしくないぞ、もう。どうやって追っ払うかだな。
腰の山刀に添えた手は離さず迎撃の姿勢は崩していない。
「何の用って、旦那が崖下の川で谷の悪魔と戦うのを見たんですよ。すぐに嬲られて焼かれて引き裂かれて即死すると思ってたんす」
「おい物騒な想像してんな。せめて助けようと思え!」
屋根の人物は腰を曲げて神流に顔をグッと向ける。
「それがですよ。あの爆風や炎の嵐の中で、たった1人で谷の支配者である高位の悪魔を倒したんですよ。そりゃあ崖の上で覗いてたアッチは驚いて小躍りしました。その勇敢で強い腕に一瞬で一目惚れですよ。敵どころか旦那の力になろうと思って付いてきたんですよ」
━━逃げまくって逃げまくった末にな……。
「だから、誰が旦那なんだよ。俺の年齢も解んないのか」
「じゃあ、親分にしましょうか?」
━━時代劇かよ。調子良い事を言ってるな。
「勝手にしろ。お前なんか信用出来るかよ。死にそうな時に助けなかったくせに。青山羊悪魔メンの宝石狙いじゃないのか?」
「なっ何を仰いますやら違いますよ。それに単独で悪魔をブッチめる旦那に、何回も手助けとか逆に失礼じゃないですか」
ダーバンの盗賊は、しどろもどろで汗をかいてる。
「はん? 何を訳の分からない事を言ってんだよ。コソ泥は帰れ!」
トンッ
突然、盗賊が屋根から高く跳躍した。
「ーーなっ!」
シュルルッバサァッ!
くるくると縦回転しながら、ターバンの布をバッと引き抜いた。神流をしなやかに越えながら身を翻し、音を立てることもなく着地して正体を露にする。
「声が高いと思ったら、やっぱり女だったか!?」
神流は唖然とする。声から女性ではないかと推測していたが間違いではなかった。
ターバンを外して見せた素顔は少女のそれであった。年の頃は15~18歳位で目鼻立ちのくっきりした褐色の少女が神流前で胸を張り、自分の存在をアピールするように自信あり気に立っている。
鳶色の瞳は大きく見開き、完熟トマトのように真っ赤な髪は、腰まで編み込まれたポニーテール仕様だ。紅い鞭のように風に大きくしなった後に背中にブランと落ちた。女盗賊は勝手に喋り出した。
「コソ泥だなんて人聞き悪い「トレジャーハンター」ですよ。アッチの名は「レッド・ウィンド」通称ハイドレディっす。以後お見知り置きを」
━━どういう自己紹介なんだ。頭に入らない。
神流は腰の山刀から手を離して臨戦体勢をゆっくり解いた。
━━戦いを仕掛けても勝てない気がする。寧ろ勝てない。無駄な争いは避けよう。
「……お前は俺に協力するって事でいいんだよな?」
「モチロンですよ旦那♪」
「魚吊るすの手伝え」
「はいっ! へっ?」
~*
***
数キロ離れた空き地では賑やかで騒がしい声が飛び交う。
ーードカッ!
額に深く刺さり食い込んだのは投げられた手斧だ。
額から伝う温い血が冷めた少年の顔を赤く流れる。
「大当たりーー」
「相変わらずうめぇな、ギャハハハッーー」
手斧や短剣が複数刺さる樹木、その前に直立する少年の頭の上には馬の生首が乗せられていた。
「……ハッハッ……ハァッ……」
小刻みに呼吸が揺れる少年。両足が端を持ったスプーンのようにわなわな震え足元から力を抜けていく。力無く内股に地面に座ってしまう。
手を叩いて粗野に嗤う屈強な男の眦には大きい斬り傷の痕が残る。手斧を投げた目付きの悪い男の片耳は半分千切れている。男達は山賊だった。
「もう一回だ。立てよ」
「もっもう止めて下さい。役に立ってるじゃないですか? 何でこんな事するんですか?」
「面白えからだろ、馬鹿か馬鹿か」
「おい早く手斧を抜いて頭に乗せて立て、シラケちまうとおめえの顔に当てたくなるだろ!」
「うっ……」
血の気の引いた表情の少年は馬の額から手斧を抜いて自分の頭の上に再度乗せた。近くでは力自慢が素手で殴り合い甲乙をつけていた。
その様子をニヤニヤと腕を組んで立って眺めるのも上半身裸の山賊だ。その2人が声を潜める。
「さっき、歯抜けのスミスと告げ口のベッソが頭ん所に行ったみたいだぞ」
「馬鹿だな機嫌悪いぞ」
「機嫌良い時あるか?」
「ねえな、いつも怖え……ん」
その会話を止めたのは血の流れる顔を押さえ歩いてくるスミスと一緒に歩くベッソだ。
「どうした?」
「グリルの兄貴の話をしたら、曲刀の先っぽで頬をブッスリやられた……」
「うええ……」
頬を押さえる指の隙間から血がポタポタと垂れる。ウンザリした2人に痛みで歪んだ顔を向ける。
「お前等とベッソでグリルの兄貴を捜しに行けだってよ。俺は血止めしてくる」
「うええっ」
~***
薄白げな朝陽が山小屋にあたり穏やかに反射している。小屋脇の朝露に濡れていた草達は緑の生命力を見せて揺れる。
神流はレッドの前に開いた魚と紐を置いた。
「干物にするから全部、軒下に吊るしといてくれ」
「…………。」
レッドをそのまま放置して山小屋に食事を作りに戻ると、山賊の荷物を漁ってから台所に向かい黙々と料理を始めた。
「まずスープか」
昨日の残りの魚のスープを鍋で一煮立ちするまで温める。沸騰したらスープ皿に移していく。持ってきた小さく切ったパンとチーズを軽く焼いてからスープに載せて持って行く。
「おはよう御座います。早起きしたんで、朝食を作って持って来ました」
皆、起床していた。神流を温かく迎える親和の心がそよ風のように流れる。
神流は小さなテーブルの上に溢さないようスープ皿を並べていく。
「お早う御座います神流さん。……まぁ朝食まで、ありがとうございます」
「熱いんですけど冷めないうちに、どうぞ食べて下さい」
神流は笑顔で湯気の立つスープを薦める。
「うまーーっ!」 「あ、パンとチーズだぁ。美味しい」
━━それにしても俺なんかの料理を美味しそうに食べるなあ。調理師の勉強をしとけば良かったかな。
「2人ともまだ熱いからフーフーして食べるんだよ」
神流はミホマに改めて向き直る。
「あのですね、ミホマさん。捕まえた盗賊や山賊はどうしてるんですか? 警察とか兵隊とか近くに居るんですか?」
「街か村まで行かないと衛兵は居ないんです。犯罪者を連れて行くと治安報償金が国から貰えると思います」
「すいません、食事中に変な事を聞いて……」
「いえ、何でも仰って下さい」
神流は少し躊躇ってから話し始める。
「……それとですね……是非、魚を干したいというアルバイト希望みたいな人が来まして、手伝ってもらっています」
「そうなんですか」
「私も手伝いたい」
「マウもバイト~」
「ありがとう、すぐに終わるから手伝わなくても大丈夫だよ。しっかりとミホマさんのお手伝いを頼むよ。それとミホマさん、これを」
ポケットに手を入れる神流は瞳に笑顔を浮かんでいた。




