神の啓示とメトロノーム
べリアルの発する声が深い闇に溶け込む濃厚なバターのように響いた。
【全ての指輪をその手中に収める事で、汝の道は開けるだろう】
「こわっ何か勝手に喋ってる!? どういう川柳だ?」
『教えると約束しただろ? 神託、神の啓示とも言う。それを伝えただけだ』
「意味から解らねぇ」
『可哀想に』
「はぁっ?」
━━まっまさか、バカの扱いをされた? 解らない方が悪い的な空気は何なんだ? 文化も人種も違うのに、さも当たり前に話すコイツは知能の高いバカなのか? 頭の悪い微妙な出来杉君を……。
「解き放ってしまったのか……?」
「超高次元精神生命体」の活動する別次元の話は、細かい補足があったとしても神流には理解の外である可能性が高かった。動揺し苛立つ神流の返答を受けたベリアルは静止している。
「はぁ、超眠いマジ帰りたい。いや帰らせろ早く出せ監禁悪魔」
『…………………………』
「……このっ!」
神流が息を呑んで声を掛けようとすると、ベリアルは瞳の存在しない顔を神流にペキペキと向けていき首を傾げて首に亀裂を増やす。
『僕は悪魔ではない堕天使だ。解らない事は無いだろう、僕以外の指輪は空だという事だ』
「今頃かよ。戻りすぎだろ!」
『僕以外の指輪は空だということだ』
『……もしかして強制イベント系か?」
『すべて君の自由だ。僕が君に強制する事は出来ない』
ベリアルの身体は、これ以上亀裂が入ればガラス細工のように砕けてしまうだろう。しかし、恐れや焦りという雰囲気をベリアルは微塵も表さない。
その印象は喜怒哀楽というものが欠けているがかなり強い。神流は炭化し燻る関節の煙を見る。痛々しく同情する気持ちが微かに湧いた。
「自由って言われてもな荒唐無稽だよな。自由って……」
ベリアルが神流に被せるように話し出す。
『君に関して言えば、僕が最初に感じた君の寿命は尽きかけていたが今は人間の範囲内の寿命だから安心するといい』
「全然意味が解らねぇ! 説明下手か? そもそも俺の話は聞いてるのか?」
『ここはつまらない。僕の宮殿に招待するとしよう』
話に付いてこれない神流を放置し、べリアルは関節をボロボロと崩しながら石の蝋燭柱に灯る炎の竜巻に手を翳した。見いる神流が口を開こうとすると、大きく水平線を描いてマジシャンのように姿を消した。
━━なっ消えた!?
瞬きをする神流に一瞬遅れて蝋燭も戦車も跡形もなく消失し純度の高い無の闇へと還る。
「マジか……油断してた」
━━俺が出る前に置いて行かれた。やられたよ、見事に騙されたのか。
神流の意識に絶望に似た空白が生まれる、その直後世界は一変し光が溢れる。
━━
「ぬおおっ眩しい目が! 目がぁ!」
惨めな悲鳴を上げていた神流が涙ぐみながら瞼を開くと
「うなっ!?」
ーーそこには1km四方の空間に昼のように明るいアラビアの街並みのような風景が存在していた。
世界遺産のような味のある古代の街並みが眩しさに涙ぐむ神流の眼に映っている。しかし、人や生き物は居らず気配も賑わいも聞こえない。静寂が支配する有限巨大空間には、おみやげ物屋や骨董品屋のような市場や赤レンガの旧市街等等もまったく見えない。
依然と地面に転がり目を擦る神流の目の前には、宙に浮かぶ豪奢な大理石の階段が存在しファンタジーまっしぐらな巨大な空中大宮殿の入り口へと続いている。
「眩しくて目玉が無くなるかと思った。…………リアル版の箱庭みたいだ」
『そのまま上がって来てくれ』
空から声が降ってくる。
「何処から喋ってるんだ? 助けたのは俺なのにアイツは何か偉そうだ」
━━まるで嫌味な教師のようだ。それにしても眠気がすごい。ここで横になったら寝れる。此所の地面で寝れる。
「暗闇ワールドの時に寝て仕舞えば良かった……」
朝から1日中動き続けていた神流の疲労は相当なものだった。
「何でもありならエスカレーターくらいつけろよ。歩かせてばかりいやがって!」
『僕の美観に合わない』
「はっ?」
べリアルにバッサリと切り捨てられた神流は渋々階段を上がり宮殿の入口に辿り着いた。宮殿には扉も壁も見えない。神流はピロティの金細工の葉の模様がこれでもかと施された大理石柱を眺めながらスタスタ歩いて行く。
宝石を鏡のように張り付けた息を呑むような豪華な回廊を抜けると違う空間様式が目に入る。
王室の大礼拝堂のような厳かな内部は白と金で統一され、どこまでも吹抜けになっている。神流は進みながら正面を見据えた。
━━玉座には知らない奴が座っているが、さっきの黒焦げ悪魔で間違い無いだろう。
「お前が、黒焦げだったべリアルか?」
『ようこそ、僕の宮殿へ』
黒い宝石の散りばめられた金細工の玉座。その至高の背もたれに優雅な王女のように全身を預けて足を組む女性の双眸が神流を愉しげに見据える。
神流は視線に躊躇うことなく声を掛けた。
「お前が黒焦げだったべリアルか?」
『ようこそ僕の宮殿へ』
座っているのは少女であった。
無機質なトルコ石のような瞳に微光が反射している。
瑠璃色の光彩を見せる濃紫の唇、その端を上げ小さい牙を見せると意地の悪い笑みを浮かべた。
一目見れば、誰もが意識せずにはいられない涼やかな美貌だが、小さな体に内包している青山羊悪魔を凌駕する恐怖と威圧感が漏れ出て冷たい波紋となり神流の心臓に届いていた。
「………………オイ、その格好はなんだ?」
『精神体やアストラル体である天使や堕天使に決まった形は無い。あるとしたら人間と呼ばれる人形の創った偶像だ』
「…………」
ベリアルの見た目は悪魔と言うには少し掛け離れていた。年齢は17~18くらいで、顔立ちは整っており瞳はターコイズブルーの輝く光を瞬かせる。
━━どこかのハーフアイドルにいそうな容姿をしているな。雑誌でも買ってるのか?
ベリアルのしっとりした長いアッシュグレーの髪が、白皙の肌の見える胸元にサラッと落ちて髪質の良さを窺わせる。
装いは黒いメタリックカラーの際どいチアガールのユニフォームを装着している。へそ出しのトップス、スリットの入るミニスカートにはスワロフスキー風の魔石がストライプ状に並んでいた。
クロスさせている脚には妖しい光沢を放ち過度に装飾されたスニーカー風の靴を履いている。
━━何処で得た知識なんだよ? 情報が混ざって錯綜し過ぎだろ。悪魔だから小悪魔的って事か、ふざけた悪魔だ。悪魔にへそは必要無いだろ。
「何で、チアガールのコスプレなんだよ。こんだけアラビアンな空間なら、アラビアのベリーダンス的な衣装じゃないのか?」
ベリアルは答えず神流の様子を小動物でも見るように観察してる体を崩さない。
「…………」
べリアルの意図が読めず居心地が悪い上に疲れからくる睡魔が、メトロノームの波のように神流を揺らしていた。




