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堕天使マニピュレイション異世界楽章   作者: 愛沙 とし
一章
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黒いマネキンと亀裂


 神流の瞳が覚悟と自暴自棄の間を一瞬彷徨い揺蕩うよう見えた刹那、稲妻のように青白い焔へ無造作に手を伸ばして入れた。


 ━━!?


 光を発し猛る焔に触れようとした瞬間、手前で透明な造形物に手が触れて止まる。


「んっ!?」


 逡巡する間もなく少し遅れて、触れている平面の何かが飴のように砕けた。そのままの勢いで燃える戦闘馬車に直接手を触れた。


「危っ!」


 割れた硝子と火に同時に触れたような錯覚に咄嗟に手を戻そうとするが、その手が熱を感じる事は全く無かった。反射的に外そうとした腕を止め押す方向に力を入れる。


 神流(かんな)の手が力を込める直前から、戦闘馬車は水平方向に動き出す。


「おおっズレる」


 掌が触れると慣性に勢いがつき氷上を滑るようにスライドしていく。元の場所から完全に立ち退いた。


 ━━!


 すると青白い焔がより糸のように戦闘馬車へと引き込まれていき完全に消失した。


 インドラの力が宿っていた結界の破砕、そして中心から封印そのものが退いた事により石柱の蝋燭が虚空に巻き上げていた炎は、猛々しさを失い遺跡を仄かに照らす原初の火へと姿を戻していた。


 異空間を染める闇は濃くなり、黒々とした深淵を覗かせている。

 青白の焔に包まれた戦闘馬車の悠久の時を過ごしていた場所に目を疑うような変化が起きていた。


 ━━━━!!


 空間を支配する闇の中、神流(かんな)はハッと覚醒するような目覚めの思いに駈られた。垂直に真っ直ぐ立とうと足に力を込め目の前に意識を向けようと顔の向きを定めた。


 視界の端に何か黒い靄が映った。ゆっくりと目を向けると空中から黒い腕が生えていた。それは女性のように細い、腕だけにも関わらず存在を主張するように指をしなやかに動かして見せた。


「……えっ?」


 瞳孔を開いたまま視線を床に降ろすと太股までの両足が樹立している。まるで床から足だけが飛び出してるみたいに。黒い靄の腕と両足は完成を目指すかのように全身像を露に物質化していく。


 ━━!?


 神流(かんな)は目を疑った。眼前には死を司る天の巨人が一瞬で出現し仁王立ちして居た。呼吸が止まり金縛りにあったように動けなくなる。


「……へっ!?」


 それは身の竦む程の錯覚だった。


 瞬きして目を凝らすと神流と同じ背丈位の女性の姿だと解った。燃え尽きたように炭化した人影が姿を現しスラリと聳立していた。

 

 いつのまにか額を濡らす冷や汗を拭い大きく息を吐いた。黒い靄から物質化した女性は黒いままだった。頭から爪先まで焼き焦げた熱を発し木炭のようにひび割れ黒々していた。


『久しい』


 ベリアルの声だった。唇にはヘアクラックが入っていく。


「……」


 炭化を思わせる漆黒の姿のままベリアルは動きを見せず、感慨に浸っているようにも見えた。いまだ、関節などの節々からは痛々しく煙が上がっている。解き放たれたベリアルは黒いマネキンのように顔もなく衣服も着用していない。それは喜んでいるのか感動しているかも察する事は困難を極めた。


 ━━俺、放置されてる。だって人間だもの。


 ベリアルの内部では渦巻く力の奔流が生まれ、声という音を作る為に口元に亀裂が入っていく。


『それは、忘却と死を孕む甘美なもの』


『それは、非在、数多の輪廻を包み込む懐かしきもの』


『それは、詩句となり鍵となり鏡となるいと柔きもの』


『それは、盲目の羊と人形に染み透り讃えられるべきもの』


『おお、闇よ! 無限の漆黒に染まるその愛おしき存在よ。今こそ見るのだ! 僕が触れている純潔な闇を』


 神流(かんな)は堕天使と自称する呼び主の全身像を目にし率直な感想を述べた。


「…………良かったな、黒焦げモンスターのべリアルの全貌が明らかになって」


 神流(かんな)とベリアルには地獄の炎と天国の爽やかな涼風程の温度差と精神と言葉の距離が存在していた。


『…………僕はモンスター等という下等生物では無い』


 ベリアルがテノール調のような声帯に冷気を孕ませ毅然と神流(かんな)の言葉を切り捨てる。


『僕はルシファーの次に神に創造されし熾天使であり、天上にあっては、ミカエルよりも尊き位階にあった天使長の1人だったんだ』


「……へぇ、そうなんだ」


 ━━知識は全く無いから解らないが、昔は役職持ちのお偉い天使様だったという事だろうか。天使が何の仕事してるか検索する手段もないから困る。


 ベリアルが姿を見せた際に巨大な恐怖を受けた神流は、腰の山刀の柄に手を添えて緊張を緩和しながら挙動を注視している。


 インドラの結界から解放されベリアルが出現した時から、闇の大気も自分を取り巻く圧迫感も如実に変化していた。ベリアルの濃厚な力は神流が感じ取れる程までに空間に影響を与えていた。


 当然のように神流(かんな)の身体に変調を(きた)していた。背筋や四肢には過剰な力みが加わりギシギシと鳴り始め、想像を超越する危険な存在に正しい生体反応を起こしている。


 ━━無駄にひびらせやがってマジで。


「現状は黒焦げの天使なのか、黒焦げの悪魔なのか?」


 べリアルは答えず沈黙している。その異質な姿とは裏腹に自然体でリラックスしている。神流(かんな)にすら興味を持っているとは言えなかった。強いて言えば人間は蟻を恐れない、それと同じ感覚なのだろう。王が全世界を征服したような余裕、そういう次元に置き換えることも出来る超然とした態度だ。


 間接をボロボロに崩しながら細い腕がゆっくりと上がっていき神流へと近づいてくる。


 ━━チョッと怖い。だれか、助けてくれSOS。


 神流を指差し声を鳴らした。


『サタネル』


 身体中に深々と亀裂が入っていく。崩壊寸前にも関わらず、ヒビ割れる胸を大きく張り人間の音域に存在しない声を発し空間を震わせる。


『地獄より舞い戻りし神の使いの事だ。人間の言葉で説明するならば「超高次元精神生命体」が一番近い表現だろう』


「ーー地獄!?」


 漆黒の元天使長が、蝋燭の灯りを仄かに浴び高らかに神流に向けて言い放った。すると、治まっていた石柱の蝋燭の火が逆巻く紅蓮の炎へ戻っていく。そして、更に力強く紅蓮の竜巻と化し暗闇の全てを紅く色付けていく。


 べリアルは威厳を見せ付けるように神流(かんな)に向けて指差しポーズをとっている。その最中、体中がパキパキと亀裂を伸ばして割れていく。足下に落ちる炭の欠片は床に呑まれて沈んでいく。


 不思議と神流(かんな)に絡み付く幾重もの緊張の糸はいつの間にかほどけていた。


「……いろいろ大変だな。眠いから、そろそろ帰ってもいいか?」


『精神体の僕を疲れさせるとは恐れいるよ』


 漆黒の元天使長が身体を崩しながら、片手を上げていき呆れるような動作を見せた。


『恥じらいもなく漏れ出していた恐れや不安の感情は、随分と払拭されたようだね。まぁ元から無意味な警戒や抵抗をしようと模索する辺りは人間らしいと言える』


「……人間の少年なら当たり前の反応だろ。お前が警戒や抵抗でどうにかなる物ならいくらでもしてやる。悪魔に弄ばれる人間の身にもなれ。まず人として……悪魔として御礼を言え」


『僕は物などではないし堕天使だ。恐怖や死に抗う人間の様子には聳り立ってしまう思いだよ』


「もう何なのお前は?」


 眠気のせいで、神流(かんな)は悪魔と会話しているという違和感が仕事を果たしていなかった。


 ━━?


 唐突にべリアルが言葉を紡ぎ始めた。


【全ての指輪をその手中に収める事で、汝の道は開けるだろう】


深海のように濃淡な闇の奥にベリアルの声はより一層と馴染んでいた。


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