青白き交渉と糸
交渉のテーブルに着いた神流に対して条件を提示するように促したベリアル。気の進まない神流は遺跡の中央に佇む青白の焔の中に眠る戦車を数瞬見澄まして思考を巡らした後に静かに切り出した。
━━勿論、断る方向で。
「仮にお前を助ける事が出来たとしても火の台風を吐いたりトライデント的な槍で人間を殺すんだろ? そういうのは人として無理だし、俺が共犯になって捕まっちゃうだろ?」
『誤解しないでもらいたい。この状態でも遣わされてる身でね、人形を殺すのは禁則事項に指定されてる』
━━ちょくちょく難しいワードを混ぜてくるのは、交渉を有利に進めようとするスキルだ。簡単に折れてはいけない。相手の思う壺だ。イニシアティブは俺が握る。
何時でも山刀を抜けるように握っていた神流は状況的に意味を為さない事を悟る。張り子の虎である臨戦体制を解き意識を交渉のステージに戻す。
「なあ、ルールだから殺さない? 何処の会社のルールか教えてくれ。正味の話、誤解も何も信用度がゼロに近いのだよ現在進行形で。お互いとても残念だが…………今回は縁が無かったと思って諦める方向にして俺を外に出してくれ」
『ふむ……力を制限されてる僕は既に枯渇しそうな魔力を削って君に助力し続けている。無力な存在となっている僕は君が心当たりが無いと言い張る人でなしでは無い事を健気に望むばかりだ』
━━何が健気だ。…………んっ!?
神流は心臓に楔が触れたようにドキッとしていた、心に動揺が極彩色豊かに濃厚に浮かんだ。
ーー神流は気付いてしまった。頭の中で途切れ途切れになっていた糸が繋がろうとしていた。
円環を作り青白い焔の灯りを護るように佇む巨大な石の蝋燭達は、まるで神流の心の揺らぎに呼応するように虚空まで送り出す紅蓮の炎に紆濤を入れて強めていた。まるで待ち侘びた来訪者を気遣うように。
意志を固めて交渉のテーブルに腰を据えた神流だったが動揺の渦中に呑まれていた。認識が記憶に辿り着き、何度も指輪に呼び掛けた心当たりの場面が浮かんでいた。
━━自然な感じで聞くんだ。飽くまでも自然にそれとなく。
唾液を無表情で飲み込んだ神流は、内情を悟られないよう一応の確認を取ろうと試みた。
「魔力ってなんだろうな? ……狼の時のガブガブとかじゃないよな?」
『そうだ』
━━ジャストミート! くっ完全に心当たりがあるわ。しかも、一個じゃねえ。
張りぼてのポーカーフェイスに亀裂がピシリと入る。
「…………青山羊悪魔メンのアレとかも?」
『君が一番解っているのではないか。他にも言語として提示するのが負担になる位の助力を続けている。そのお陰でシジルゲートを繋ぐ魔力を指輪から溜めるのに尚更時間が掛かってしまった』
「しっ知らなかったなぁ。忙しくて気付かなかったな。いや全く……本当に…………」
神流のポーカーフェイスの仮面は、 亀裂だらけになり動揺と焦りを隠す事も事実を誤魔化す事も不可能となっていた。
━━心当たりが有りすぎて困ったぞ。契約とかマジで嫌なんだが、助けるだけじゃ駄目かな? ここで逃げるのはマズイのだろうか? ハンコ押さないと駄目か?万事休す。
神流は目が泳ぎ挙動が怪しくなった。
「ええっと何だっけ…………!?」
━━━━ちょと待てよ、指輪っ、指輪から?
神流の頭に1つの記憶が浮かんだ。それは指輪がマホとマウから何かを吸出し続けたトラウマの光景がだった。それが青山羊悪魔を倒した時に起きた光景と交差する。
━━吸い込む……。
「…………指輪から魔力を溜めるって、どういう意味だ」
『そのままさ、回復できる魔力もあれば、外部からべリアルリングを媒介にして補給する事をいう。僕は、今の状態だと回復に時間が掛かるから後者だ』
「……それは何処からだ?」
『君が接触したり君の周囲にいた人形全般、殺した獣、命を失った人形達、滅した悪魔カプリコーンからだ。それらの生気、魂液、魔元素等を充てがい君への助力で足りなくなってしまった魔力を補いシジルゲートを開いた』
「まさか!?」
━━指輪が吸い込んでいた白いモワモワか!?…………少しだけ、ほんの少しだけ良い奴かもと思った俺が馬鹿だった。
悪魔や山賊はともかく、ミホマ、マホ、マウから生気を抜いていたと解ると凄まじい怒りを目元に這わせ豹変した。
血液の温度がグングン上がっていき、こめかみの血管がピシッピシッと浮き出る。青白い焔の明かりが反射する顔が紅く火照っていく。神流は怒りを隠さずに見えないべリアルを睨み怒鳴りつけた。
「クソ悪魔! 2度と俺の家族や知り合いの生気や寿命を吸うな! 危害を加えないと約束しろ! それが出来ないなら話は無しだ! 一回殴らせろ!」
『僕は堕天使だ。全て了承しよう』
「あっ!?…………くそっ胸くそ悪い!」
憤りのの激情に駆られ過ぎて胸が詰まり肩で息をしていた。顔には憤怒の色が濃く残っていた。ベリアルが間を開けず要求を受け入れた事で、怒りのやり場に困り釈然とせず怒りの余韻が胸に残る。落ち着きながら呼吸を戻す神流は文句を言うように続ける。
「それとその「人形」ていうのが、「人間」の事ならややこしいから人間と言え。あと世界を火の海に的なのもダメだ!」
興奮が残る神流の横顔は火照りが残っていたが、至近距離で業火とも言える青白の焔に明かりを受けて冷静な表情に見えた。
戦車を包み込む青白い焔からは熱を感じる器官に不具合が起きたのかのように熱さを感じていなかった。神流は焔に炙られる空気を深く吸い込み、乱れた呼吸を落ち着けながら話を再開する。
「今、俺が言った事を全部を1000%守るなら、俺の命や寿命を取らないなら、仕方なく何となく嫌々なんだけど契約だけなら考えてやる。守れないなら俺をとっとと外に……」
『「此所に了承した」約束ならいくらでもしよう。君と僕に合意が結ばれた。早急に僕の上に在る牴牾しいインドラの結界を破壊して焔の戦車を退かして欲しい』
━━合意書が無いけど? これって引き返せない駄目な流れだな。
あっさり了承され、攻守逆転したように要求される肩透かし状態になっていた。それでも神流は最後の抵抗を見せるように解りませんのポーズをし出来ない事を伝える。
「あのなぁ、学生状態の俺が結界なんていう得体の知れない物の壊し方を知るわけ無いだろ。大人だとしても無理無理。馬車も燃え上がってるし動かすどころか触れただけで、俺が燃え尽きてサヨナラだ。やはり残念の流れだな」
『フッ……おっと、笑うのは失礼だったかな。燃えたりはしない。手を翳して触れる。ただそれだけしてくれればいい。赤子とて難しい事ではない。滞る事なく鍵の役目を果たしてくれないか』
神流の了解を得ずとも、合意の条件は満たしたとするベリアル。
合意の直後から依然と足の下に居るのに遥か高みの上から目線口調が、神流への返答に香草のように添えられていた。
「言いたい放題か?」
━━勝手に合意してこの態度か? 簡単じゃない事を簡単に言うのは嫌われる上司の典型だ。いや、上司でも何でもない赤の他人、いや他モンスターだけどな。顔を見なくても冷笑しているイメージが伝わってくる。日本人は感謝と労いが無いと、仕事が捗らないと言っておくべきだった。
改めて青白の焔に包まれる大きな古代の戦闘用馬車を見据える。
━━子供のオモチャで「熱くない火」みたいのがあったよな。それと同じならいいんだが。騙されてて触ったら丸焦げも有るかも知れない……。
ベリアルは無言のまま急かしたりしない。
━━若干バカにしてるのが解る。
「チョッと静かにしてろよ! うーーん、勇気が……はぁ触りゃいいんだろ! 燃えたら火傷の慰謝料を沢山請求するからな」
ヤケになったように神流が戦闘馬車の間近まで数歩の距離を詰めた。腕を伸ばせば触れる距離だ。髭の生えていない顎を片手で触り散漫になっていた意識を戦闘馬車に向けると青白い焔に手を入れた。




