姫の髪止め
谷に差し込んでくる白く穏和な日射し声を出せず固まるローレスを照らし大きな影を足元に映し出した。
不意に足下から聞こえた透き通る白銀の光彩を思わせる高貴な声が響いた。
「うっ、ローレス……谷を支配する悪魔は?」
「キャナリアス様、御体は平気でしょうか? 私も今さっき意識が戻ったので詳細は定かでは有りませんが、高位悪魔は何処かに去った模様です。部隊は既に形を成していません。被害はとても甚大です」
ローレスはハンカチをキャナリアスという女性騎士に手渡す。それを受け取り、しなやかに顔に付着した血糊を拭い落とす。
「ありがとう、でも私の事はよいのです。討ち逃しましたか……。これで御兄様に……」
女性騎士は傍らで顔と鎧を大量の血に染めて眠る美青年を見つけると、白皙の表情に疲労感と陰りを見せた。
「ああ、スチュワールト、貴方まで逝ってしまったのですね」
「…………親衛隊は身を呈して命を捨てるのも仕事です。任務を全うした弟を誉めてやって下さい。それが手向けとなります」
「…………」
言葉を失う女性騎士は沈黙してしまう。ローレスは神流に目配せをする。
「少年、この方は御偉い方だからな。言葉と態度には、かなり気を付けてくれよな」
「えっ? 解った。けど話す事なんて特に……」
神流は頷いて戸惑う。沈黙する女性騎士は神流に気付いた。
「彼は?」
ローレスは頭を掻いてしばし迷ったが紹介する。
「えーと、弟とキャナリアス様の2人を介抱していた立派な少年です。名前はえーと……」
「神流だ」
「この者はカンナという少年だそうです」
神流は2人に皮革の水筒を差し出した。
「川の綺麗な場所で汲んだ水だけど飲む? 飲みますか? 口は1度も付けてないから清潔ですよ」
「気持ちは嬉しいけどな……そういうものは……」
「頂いて宜しいかしら」
「えっ?」
驚くローレスをよそに神流から革の水筒を受け取った女性騎士は、躊躇う事なく口を付け川の水を涼しい流れのままに喉に降ろした。口の中に水の余韻をかすかに残し水筒を返却し礼を言った。
「訳あって身分は明かせませんが、キャナリアスとお呼び下さい。身を尽くして介抱して頂いた善意に心からの感謝を申し上げます。これを……」
兜をの隙間から翼を模した白銀の髪止めを神流に手渡した。
「えっ身なんか尽くして無いですし、こんな高価そうなの貰えないですよ」
「私には必用の無い物です。お嫌ですか?」
女性騎士の瞳に物憂げな悲しさが浮かぶ。
「いえっ、嫌じゃ無いです。とても有り難く頂戴します。物凄く有難う御座います。じっじゃあ貰っただけじゃなんなので、他のヤバそうな人の所を支援しに行きますね」
気恥ずかしくなった神流は深く頭を下げてから、その場を去り他の負傷者の手助けをしに向かって行った。神流の背中を見てキャナリアスという名の女性騎士は儚げに呟く。
「皆、死んでしまったのですね……」
「全滅と言っても過言はありません。生きている者も1割の半分に満たないでしょう。即座に撤退して王都に帰るべきです」
「王都に戻っても私の場所が有るかも解りません。一層のこと、ここに留まり谷の悪魔に命を奪われた方が御兄様達を後悔させる事が……」
ローレスは女性騎士に面と向かって進言した。
「キャナリアス様、姫を護って命を落とした弟の魂の尊厳を御守りください! ……それに貴女様の望みは叶いませぬ」
少し間を開けて話の続きを始める。
「信じ難い話ですが。谷の悪魔は消滅したらしいのです。……あのカンナという少年が自分が討ち倒したと言っておりました。嘘の可能性も有りますが、偽りなく本当の話でしたら、いくら待っても谷の支配者である高位の悪魔は戻って来ません。……もしかしたら、私達との激戦で瀕死となった高位の悪魔に少年が運良く止めを差したのでしょう」
ローレスは頭と額を何度も掻いて、頭の中で話をまとめてから続きを語り出した。
「……まさかそんな事が!?」
「……しかしですね、嘘だとは言いませんが誰もその戦いを見ていませんし証明する術が有りません。……ここは、谷の悪魔に瀕死の手傷を負わせ仕留めるあと一歩の所で逃げられた。として王都に堂々と凱旋しましょう。後々、谷に悪魔が出なくなっていれば証明されますし、暫くして出たとしても瀕死の傷を癒して復活したと言えるのです。貴女様が此所で朽ち果ててしまっては、死んでいった弟のスチュワールトも騎士達も兵士達も魂が健やかにヴァルハラに行くことが出来ませぬ」
「……そうですね。私に命を託した者達の英霊に報いねばなりませんね。この身が王都で朽ちたとしても」
「…………姫」
~*
瓦礫を退けて埋まってる何人かの兵士を動けるようにし水を飲ませていく神流。兵士達に畏まった礼を言われ大きい水筒を貰った。安心し気を良くした神流は意気揚々と空になった水筒に新たな川の水を汲みに行く。その途中、
「ううっ……」
「!?」
金の刺繍がされた背中が無惨に焼けて、うつ伏せに倒れる騎士の呻く声が耳に入った。神流は手を添えて優しく声を掛ける。
「平気か? 起きるの手伝うし水飲むなら、今汲んで来るから……」
バシッ!
神流は手の甲で頬をはたかれた。
「私に汚い手で触るな平民が! うぐうう、すぐに医療術士を呼んでこい!」
━━何だ? 日本人的な感覚で、困ってる人に手を差しのべていたつもりだったんだけどな……怪我でイラついてるのか。
不思議と怒りを覚え無かった。頬に手を当てるとジンジンとした痛みと熱を感じている。神流がその場で固まっていると、騎士は激昂する。
「聞こえておらぬのか? グズめ!」
「へ」
寝ながら剣を抜いて神流の頬に刃先を刺そうとした。
キンッ!
剣の刃は細身のレイピアで止められて弾かれる。
「助けてくれる人に対して、なんて事をするのバカ」
「そうだぜ。いくら貴族様だって、子供を刺していい道理は無いぜ。死人を増やすのか?だぜ」
白い胸当てを装着するスラリとした細身の女性騎士が、神流に振るわれた凶刃を止めていた。白い兜から溢れた金色の長い髪が遅れて胸元に降りる。
その後ろから、外したボロボロの鎧を片手で持つ大柄で白髪混じりの中年騎士が意見に同意した。すると
「ええい! うるさい! 医療班を連れて参れ!」
倒れる騎士の男は、大声を上げて2人に噛みついた。口笛を吹いた大柄な騎士は呆れたように反論する。
「ヒュー、おお怖。この惨状で殆んど皆死んでるのに医療班なんてどこにも残ってねえぜ。そんだけ怒鳴れるなら大した怪我じゃねえぜ」
振り向いた男は、顔に大きな切り傷を負っていた。神流の肩に手を掛けて声を掛けた。
「ボウズごめんな。代わりに謝らせてくれ。助力は有り難いが、後は自分達でやるぜ。ボウズにだって、家族を護る戦いが有るんだろ?」
「えーと、助けてくれて有り難う。…………途中で申し訳無いけど、帰らして貰うよ」
━━そうだ、マホとマウに食糧を届けて食べて貰うのが、今の俺に出来る戦いだ。
神流は後ろ髪を引かれながら、別れを告げ手を上げてその場を去って行った。腕を組む大柄な騎士は、隣の女性騎士に目配せをし顎で神流を指した。
「あのボウズ、ただ者じゃないぜ」
「どうして?」
「あのボウズ、この悪魔の谷に装備も無しで1人で訪れてんだぜ。それによ、この壊滅的状態を見たのにとっとと逃げねえで、残って人助けしてるなんて頭のネジが外れて落っこちてるとしか言えねえぜ」
「バカな事言ってないで、負傷者救済するわよ。折角手伝ってくれてたのに1人減らしちゃって相当なバカじゃない?」
「バカ、バカ言うんじゃねえぜ。俺は一回り以上、年上だぜ」
習慣化してるかのような男のボヤキが小さく木霊していた。
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