朝の風景 2
大きな窓から差す強烈な朝陽がテーブルクロスに反射し食器や食材の陰影を強めていた。
テーブルの中央に置かれた鍋からは塩気を含んだ湯気が陽炎のように模様の描かれた天井に上昇していく。
神流は徐に鉄で出来たフライパンの木蓋を取り、ジューッと焼けるベーコンの塊達をトングで大皿に移す。その上からフライパンを斜めにして複数の目玉焼きダララと滑らせて被せるように落とした。
皿の上でふっくらと香ばしい湯気を立たせているのは炙られた白パンだ。素早く器用に移動しながら、スープ皿に白菜のスープをつぐという作業プロセスも神流はこなす。時折「あちっ」と言いながら均等に皿に盛っていく。
神流にしてみれば昔の給食当番の延長みたいな物だが、プゥティィロからすると神流の動きが舞踊に見え眺めるタイガーアイが煌めいていく。棚の上から調味料を出して中央に置くと自分も席に着いた。
「こんなとこだな」
プゥティィロの顔面には待ち兼ねた表情が浮かび続け、彼女の胸に内包された歓びは行き場を失い弾けようとしている。
その表情が見えた神流は僅かにフォークの先をベーコンの上に居座る目玉焼きの黄身に突き刺し……数瞬の躊躇いをつくり表面を裂いた。
トロリと零れる濃厚な黄身に席に着いている者は始まりを告げる快楽的音響を錯覚する。存在感を執拗に醸す朝食達の在り様は、どの胃袋に格納されるか品定めをしているようにも思えた。
「にっ、肉! 肉が玉子と一緒に焼けてる。皿ごと噛みつきたい匂いね!」
厚ベーコンと卵の匂いに反応したプゥティィロは尻尾をビンッと立てて椅子に立ちあがる。
テーブルの上に並べられた料理を羨望の眼差しで眺めながら鼻と小さな虎耳をピクピクしている。口の端からは溢れんばかりの涎がダムを決壊しようとしていた。
「涎っ! 皿は噛んじゃだめだぞ。……まぁ良い出来だしな、その気持ちも解る。フライパンで絶妙な焦げ目がつくように卵黄を絡めて焼いて仕上げたんだ」
━━シロが涎を垂らすと掃除するのはイーナだからな。そろそろ始めよう。
「「「「いただきます!」」」」
━━
「待て、ストップ! シロ止まれ!」
「いただきます」が終わるや否や飛び出しそうな獣の瞳でロックオンした厚切りベーコンを素手で手掴みしようとしたプゥティィロを神流は制止した。身体にかけた急制動の負荷をものともせずクリンと顔を神流に向け傾げる。
「何ね大兄様?」
「何、じゃない。少しは空気を読め。置いてあるフォークかスプーンを使え、いっぱい並べてあるだろ」
「何言うね大兄様、フォークとスプーンを汚したく無いから手で食べるね」
「……手はどうすんだ?」
「舐めるね」
「ダメダメ却下」
神流は再度プゥティィロに忠告する。
「いいから家の中では手で食べるな」
「何でね大兄様? 赤猿も汚してるね」
プゥティィロが小さな指で差す先では見事にテーブルクロスを汚しながら食事をするレッドが見える。
「そうよ差別よ」
━━うるさいな。
「……あと食べ歩きもダメだからな。お前が屋敷の中で食い散らかした果物の汁や皮とか食べカスで汚したとこをイーナが掃除して回ってるんだぞ。フォークやスプーンを使えない訳じゃないんだろ?」
「掃除が終わってなくて、すみません御主人様」
「いや、そうじゃなくて…………あのな聖桜、お前が筋トレばかりしてるからイーナが大変なんだよ」
「なによっ、やる事やってるわよ」
開いた口のまま止まるプゥティィロに再度神流が言い聞かせる。それを横目にイーナと大人しくなった聖桜は黙々とスープを口に運び食事をしていたが
「亜人は床で食えっす」
「レッドは口出すな」
━━ああ、もう頭を過る波乱の予感が面倒だ。
プゥティィロは神流の教え通りフォークを握りザクッと厚切りベーコンに突き刺して獲物のように持ち上げると、躊躇いなくかぶり付いた。
肉汁と油で汚れたテーブルクロスを視界に入れた神流は
━━フォーク使ってるしな……。
「むぐぅガゥガゥ、肉の塊ね。脂が甘いね好みの脂ね」
捕らえたベーコンに一息でかぶり付き頬張るプゥティィロは、奥歯に掛かる重厚な歯応えに至福の感動をしている。
「美味しそうな匂いよね。うちの朝はベーコンエッグが定番だったのよ」
腰上まである見目良い黒髪を後ろで束ねて垂らす神宮寺聖桜は、湯気の上がる厚いベーコンをナイフで薄くスライスしていき取り皿に乗せる。
「日本の定番は味噌汁と御飯だよな」
「何時代の話? 朝、チョコレート1枚とかポテトチップス一袋の子も普通に居るのよ」
聖桜がスライスしたベーコンと玉子を器用に白パンに乗せて挟むと、髪を掻き上げてから口に入れる。
「なんすか定番って?」
スプーンに半熟の目玉焼きをバランスよく乗せたレッド・ウィンドは一気にそれをスライドさせ口に運び込む。
「むっ!」
噛むと半熟の黄身がトロリと口の中に溶けていき舌の上に流れて絡まり味覚を揺さぶるように刺激する。
「グマッ!? チョッと黄身の表面がピンクだったり生なのが怪しいすけど柔らかくて旨いっすね。もう飲み込んじゃいました」
「調味料もあるぞ。塩とか胡椒とか」
「アッチは、このままで美味しく頂くっす」
「あら? 塩胡椒は美味しいのに。イーナはどうする?」
年齢不相応の大人のような落ち着きと甲斐甲斐しさを見せる高校生の聖桜。
「モクモグ、ム? まだいい」
食事の邪魔にならぬよう髪を糸で結わえたイーナは、香ばしい白パンの端をモソッと口に含み香りを堪能するようにモグモグと咀嚼している。
イーナの前の皿の上には、ほわりと溶け出すバターが1人分だけ置いてある。
その傍らには、とっておかれたよう蓋をされた皿があった。中には神流特製のプレーンオムレツ風玉子焼きが蒸されながら控えている。
━━イーナは好物を最後に食べるタイプなんだな。玉子焼きの皿が前にあるだけで機嫌が良いのが見てとれる。
レッドは美味しそうに柔らかい白菜を掬って食べ出すが、白虎族のプゥティィロは白菜の匂いを嗅ぐとそっぽを向いた。
しかしーー
「その獣肉嫌いね? 喰わないならプゥティィロが優しく食べてあげるね」
白菜を食べるレッドの皿に残る肉を奪おうとプゥティィロのフォークが素早く伸びる。
カィンッ!
プゥティィロのフォークがレッドのスプーンに弾かれ上に飛ばされる。
プゥティィロはノーモーションでタンッと椅子から跳ねるとフォークを掴んで回転しポスンッと椅子に座り着地した。
「働かない毛玉亜人に分ける肉はねぇんすよ。図々しい、アッチに仕留められる前にスゴスゴと出ていけっす」
レッドはプゥティィロを見ずに言い放つ。
プゥティィロはレッドの態度を一瞥すると
「赤毛猿は食べるのも巨岩亀みたいに遅くて面白いね」
━━
シャッ!
レッドの投げた卓上ナイフがプゥティィロの背凭れにビィィンと刺さった。
プゥティィロは既に空中に跳んでおり、爪をニョキっと出し壁を蹴って跳躍しようとしていた。
「ーー止めろっ!!」
神流の声が卓上に響いた。レッドが二本目の卓上ナイフを投擲する構えを瞬時に止める。プゥティィロは滞空で体勢を戻し、刺さった卓上ナイフを脚で弾いてポフンと椅子に座る。
「いい加減にしろ。シロ、人の皿に手を出すな。レッド、食事用のナイフを投げるな。ちゃんと味わって食え」
「なんすか、丸飲みなんてしてないっすよ」
「赤毛猿が遅いだけね」
神流がジロッとプゥティィロを睨む。
「!、おっ大兄様、人の皿は要らないね。おかわりをお願いするね」
「イーナか聖桜に頼め」
━━飯位、静かに食えないのかよ。
「もう用意してあるわよ」
盛られた薫製肉の皿を持った聖桜がプゥティィロの鼻先に近付けてからテーブルに置いた。
「セオっ!やっぱり優しいねマグマグッ」
「過保護っす」
「クアァッ!」
神流のポケットから首を出したトカゲが存在を主張する。
「あっ忘れ……ちゃんとお前の分もあるぞ」
神流はフォークでレッドの皿から肉を取ってトカゲの口の前に持っていく。
「あっ!?」
大きく口を開けたトカゲの口に降下させると全部すんなり入っていく。
「丸飲みかよ。レッドみたいだな」
「なんすか人のおかずを取っておいて、朝からトチ狂ってますね」
自分の皿の肉も含め6枚の肉を丸飲みで平らげたトカゲの腹は鞠のようにパンパンに張る。
「ハハッそのメタボシルエット、ディズニーかよ。風船みたいに飛んじゃうか?」
「ゲプッ」
━━
みるみる内に腹が凹んでいき天井を見上げた。
ボゥッ!
天井に届きそうな小さな火を吹き出した。
「火事!?」
「あっ掃除した天井が焼けちゃう!?」
「魔獣の子なの?」
「アッチが退治してやるっすよ」
皆がどよめく中、大きめの薫製すじ肉をかじるプゥティィロが口を開く。
「ハグッ竜ね、小竜とか幼竜言うね。この肉、強敵ね」
「へえ、コイツが竜なのか?どこが?」
「生まれたばかりは、そんな姿もあるね大兄様」
口を開けた神流はトカゲと思い込んでいた幼竜に目を向ける。トカゲと思われていた幼竜は気にもせずポケットの中に戻り眠りについた。
「……ポッケの中でファイヤーをゲロるなよ。それより、ルーゲイズ邸での事を説明するから少し静かに聞いてくれ……」
コンコンコン
ライオンの形をしたブロンズ製のドアノッカーが扉を叩く音がエントランスホールから響いたのはその時だった。




