朝の風景 1
神流達の住む陽当たりの良い居宅は平民街で言えば豪邸の類いだ。大通りを隔てた目と鼻の先には、比べることも憚られる華やかに整備された綺羅びやかな貴族街の街並みが拡がっている。
建物の外観も内観も西洋建築に近い造りになっており、大きい浴場を備えた建物の脇には厩舎が併設されている。
神流とレッドは寝室を出て、掃除の行き届いた廊下をのんびりと歩きながら階段の下り口に向かっている。
「お前も腹減ったか?」
「クアッ」
肩のトカゲに顔を向けて聞くと返事をするかのように大きく口を開けて軽快な鳴き声が返ってくる。その様子を冷めた目で見ていたレッド・ウィンドから、クレームが入る。
「隣の完熟レディを差し置いてそんな獣トカゲと何をやってるんすか?」
「完熟だと後は腐るストーリーだよな?」
「何をトチ狂った事を、一番美味しく熟れてる内に、美味しく頬張って食べるんすよ。腐るまで放置する気なんすか!」
レッドが顔をギリギリまで近付けて声を張り語調を強めた。年齢相応の子供っぽい表情で頬を膨らましている。自分より爬虫類のトカゲを優先しかねない神流に女性の主張をぶつけた形だ。
「朝から大声出すなよ。圧が増して苦しいだろ。病み上がりなんだから少しは察してくれ」
「旦那、年寄り臭くねっすか?」
━━そりゃそうだろ。俺の実年齢はお前の倍近いのだ。年寄りを敬え。
レッドの膨れた頬に両手を当ててペインと押し返して離す。神流はムスッとしたレッドと階段を降りて行く。
「プゥちゃん、掃除の邪魔をしないで」
踊り場から、元気な声が聞こえてくる。
声の主は肩に掛かる栗色の髪を細かく振るわせるイーナだ。イーナの持つモップの先が、動く度に瞬時に白虎の亜人であるシ フィリャ プゥティィロが飛びついてビタッと止めている。
注意される度に一応手を止めるが、モップが動くとウズウズと背の白毛をフワリと逆立て飛びついてしまう。
白色の柔らかな毛を生やす手の平の肉球が俊敏に動きモップの毛を逃がさない。その動きは飼い猫となんら変わらなかった。
モップを握る手に力を入れ頬を仄かに紅潮させるイーナは、グイグイ上下に揺らして「離して」と抵抗している。プゥティィロは、それも楽しんでいる節がある。
「もうっ! 遊ぶならセオと遊んでてよ」
「その動きは、獲物と似てて湧き出る大いなる本能が我慢出来ないね」
「我慢しろ」
神流がプゥティィロの首の後ろをつまんで持ち上げた。プゥティィロは抵抗せずブラーンと脱力し空中のままクリンと首を神流に向けた。
「大兄様、やっと起きたね。プゥティィロの村だったら怠け者のアダ名が付けられるね」
「俺を、どの角度から眺めたら怠け者に見えるんだ視力を入念に計ってもらえ。朝から遊んでる癖にどの口が喋ってんだよ。イーナの大事な仕事の邪魔するな」
神流が手を放すとクルクルッと白い鞠のように回転しながら、着地して指示を待つかのように顔を見上げていた。見つめるプゥティィロ放置して、神流は膝を軽く折って淡い茶色がかった黒い瞳で尊敬の念で見つめてくるイーナに挨拶する。
「おはようイーナ、御苦労様」
「お早う御座います御主人様。とてもとても心配してました。御身体は良いのですか?」
「お陰さまで回復したよ」
プゥティィロに指を指す。
「コイツが仕事増やしてるみたいで、ごめんな。キリの良いところで朝食の支度をしたいんだけど」
「大兄様その指、噛んでいいね?」
「御主人様、ワタシ平気です。謝らないで下さい。ワタシ、すぐに朝食の準備に行きます」
「頼むよ」
━━なんて前向きなんだろう。ほっこりする。
イーナがモップを持つ手にキュッと力を入れて早足で階下に向かおうとする。神流は階段を降りようとするイーナを呼び止めた。
「イーナは何が食べたい?」
「えっ!? あのっ卵を柔らかく焼いた料理が大好きです。いえ、御主人様が作った物なら何でも好きです。あの、先に釜戸の火と食器の準備をしに行きます」
イーナは控えめに答え頭をさげると、モップを持ってトテトテと階下に降りていった。
━━だし巻き風の玉子焼きの事かな? あれで、良いなら何とかなりそうだ。
神流の手にいつの間にか、ぶら下がっているプゥティィロが口を挟む。
「プゥティィロは草食獣の肉が好きね。植物は歯に引っ掛かるし元気出ないねニガニガのシナシナね」
「誰も亜人には聞いてねえんすよ。タダ飯食いのクセに」
黙って見ていたレッドが心情を隠さず、プゥティィロに嫌味を言う。プゥティィロはレッドを一瞥して口を開く。
「赤毛の猿は、プゥティィロを1度でも捕まえた後に偉そうにするね。動きが遅すぎて冬眠から覚めた蛙熊かと思ったね」
「!!」
レッドの耳が怒りで紅潮していきスーッと腰の後ろに手を持っていく。
プゥティィロは肉球から再生した爪を少し出し脚に意識を集中する。
「止めろ二人とも朝から何やってんだ! 喧嘩するなら飯抜きだ!」
神流は声を大にして二人を制止する。
「レッド、お前は誰かと喧嘩しないと死んじゃう病なんじゃないか? カルシウムが足りてないから、魚の小骨食べろ。それと関係ない顔してるけど、シロ、お前も当事者だからな。というか手を離して降りろ」
神流は皮肉を込めてレッドとプゥティィロを嗜める。
「違いますよ。アッチの優しさと愛は旦那の為にしか使えない病なんです。因みに魚の小骨は喉に刺さるんで遠慮するっす」
レッドは場所を構わず身体を神流に寄せて行こうとする。
「大兄様、プゥティィロまた強くなったね。見たらビックリするね」
ブランコのように手を離して曲芸のように手摺に立ったプゥティィロは片足で鶴のように構えを見せる。
━━これは駄目だな。嗜めた直前のやり取りが無かったように話す2人を見ていると、注意した自分の威厳の無さに辟易する。
溜め息をついた神流は手摺に立ってポーズをとるプゥティィロに目を向け直す。
「シロ、お前も此処に居る間はファミリーだ。ファミリーなら仕事するんだぞ。イーナのお手伝いしろよ」
「あの栗の精みたいなのより、プゥティィロの方が速く高く跳べるね」
神流はジロリとプゥティィロの顔を見ながら、反対の人差し指を立ててプゥティィロの小さな額に当てた。
「家の中では強さは関係ない。いいかシロ、イーナの手伝いが出来ないなら俺の家族ではない。さよならするぞ」
「!」
プゥティィロにの瞳に動揺の色が浮かび焦りだす。
「おっ大兄様、プゥティィロは評判の働き者ね。栗の精を見つけたらドカンと手伝ってやるね」
焦りを見せながら小さな胸を叩いている。
「約束な。戦士だったら守れよ」
「そうねプゥティィロは戦士ね。分かったね。任せて欲しいね」
━━嫌な予感がしたが、まぁいいか。一応、俺の言うことを聞く姿勢ではあるし、仲間を失ったアイツの境遇を考えると余り強く当たれない感じだ。
「レッド、食材探し手伝うか、それとも食堂に先に行ってるか?」
「お言葉に甘えて食堂で旦那の手料理を待ってるっす」
「甘えるのかよ。まぁいいや、そうしてくれ」
神流は手を軽く上げヒラヒラすると、階段を降りて行ったイーナの後を追って階下に向かう。階段を降りるとロビーの壁際で剣の型を練習する神宮寺聖桜が視界に映った。
その動作は素振りではなく、太極拳のようにゆっくりと剣を流して振り下ろしたり振り上げて、剣の軌道を確かめている。どちらかと言うと剣舞に近い、それでも額には大量の汗を浮かべ部屋着の肩はしっとりと濡れて湯気を上げていた。
神流が近付く前に聖桜は気配に気付き振り向いた。
「あら、調子は良くなったの? トカゲともお友達になれるのね」
「ああ、十分寝かせて貰ったよ。トカゲは拾い物でペットみたいなものだ。……お前は侍になって岩でも一刀両断するつもりなのか?」
聖桜は、汗に濡れる長い黒髪を掻き上げて散らす。
「貴方も練習したら? 私は強くなる必要性を感じたのよ。運動にもなるし趣味にもなるわ。私がデブになったら困るでしょ」
「何故俺が困るんだよ。太るのは自己責任で100%自分の問題だろ。それより、シロはお前の知り合いなんだろ。練習ばかりしてないで、アイツがイタズラしないように面倒見ろよ」
「シロってプゥティィロの事? あの子は私が御世話になった村の族長の娘よ。恩人の娘を無理矢理大人しくさせるなんて私には出来ないわ。それにレッドでも捕まえるのが、難しい位の動きをするから無理よ。ねぇ、あの子は貴方と一緒に血だらけだったのは何故なの? 以前に比べて、動きが全然違うんだけどプゥティィロに一体何があったの? もしかして貴方が何かしたの?」
━━あの戦闘でレベルが上がったとかか? ……ん? 正論ぽい話の流れだが質問返しで遠回しに面倒くさがってシロの世話を避けてないか。
「変な言い訳は止せよ。付き合い長いんだから言葉で諭せばいいだろ。アイツの身体能力の事は俺にもよく解らない。レベルが上がったんじゃないのか? お互い朝食の時に情報のすり合わせをするからちゃんと顔を出せよ。イーナにばっかり仕事をさせないで手伝えよ。食堂に汗だくで来るなよ」
「何よその言い方……分かったわよ」
「……」
━━あーあヤダヤダ反抗期、お父さんとお母さんの苦労を察すると大変だよな。レッドは皆と協調しないし聖桜は放任主義だしシロは……ハァ。
神流は倉庫に向かい食材を探して卵のザルを持ち上げる。
「火を使うからお前はココにでも入っとけ」
トカゲを指で摘まんでポケットに入れると肉と野菜を脇に抱えて持ち厨房に向かう。
釜戸に火を起こしてるイーナに合流する。
「イーナ、俺が居ない時は食事をどうしてたんだい?」
「はい、倉庫から火を使わないパンや野菜や果物を食堂に運んでおいて、食べたい時に食べるようにしていたんです。無駄にならないように無くなったら、補充する形にしていました」
「そうか苦労かけたね」
「いえ、もっと頑張ります」
イーナは手をキュッと握った。
「あと、聖桜に手伝うよう言っておいたから、大変な仕事は分担してやるといい。それとイーナのところにシロが来たら、幼稚園児でも出来そうな凄い簡単な仕事を、教えてあげてくれないか?」
「はい、分かりました。御主人様」
━━違う意味でも頼もしい、適材適所だな。イーナをこの家に呼び寄せて良かった。さて料理に取り掛かろう。一汁一菜くらいはしたい所だ。
鍋の底に塩を摘まんで降り入れて、削ぎ切りにした白菜と薫製肉を敷き詰め水を入れて蓋をして遠火にあてる。
黒いフライパンに厚いベーコンをスライスして入れる。火が通ったら玉子を入れていき半熟の目玉焼きになったらベーコンエッグが完成する。
次は割った玉子を軽くといて少し流し込み固まってきたら木のへらで寄せて、残りを流し込んで巻いていきプレーンオムレツ風玉子焼きも出来上がる。
煮たった鍋を火から降ろし、白パンをスライスして軽く炙る。それらを器に盛り付けてイーナと神流は食堂に運ぶ。
食堂に居たレッドが料理皿を並べるのを手伝う。浴場で汗を流してきた聖桜も合流しフォークやスプーンを配っていく。
神流が運んで来たスープの鍋を中央に置き蓋を開ける。
匂いに釣られて来たプゥティィロは、何かしようとキョロキョロして聖桜とイーナの後ろをついて歩いている。
料理が全てダイニングテーブルに並び、皆が揃った所で朝食の時間が始まった。




