夢から始まる日常風景
神流は夢を見ていた。ボヤける薄曇の隙間から記憶の場面が見えてくる。
━━自分の部屋が見える、すげぇだらしない格好で寝転がっている。停電になり扉を開けるとベリアルのシジルマークが見えたんだよな。焦ってビールを一気飲みしてベッドに戻って寝たら、直ぐにボンヤリした女性の……。
『フフ、いつもどうでもよい夢を見てるね君は』
知った声に反応すると場面が暗転する。視界が開くと闇の中にただ1人で立たされていた。
━━いや、立っている……まだ夢の中にいるんだよな?
神流が目を凝らすと視界が鮮明になっていき椅子に腰掛ける姿のベリアルが現れる。
シジルマークのロゴがついたシルク素材のフォーマルドレス風のチア服を着ていた。そして、過度な白銀調のレリーフの施された豪華な椅子に荘厳に座っており、ターコイズブルーの双眸を過度に潤わせ薄い冷気を含んだ美しい笑みを浮かべている。
際どい太ももを魅せ片膝を必要以上に高く上げ組み換えると頭に付けられたピンクトパーズの髪飾りに触れ悪魔柄のティアラへと変形させ創り変える。
『まずは、マルファスとハルファスの討伐おめでとうと言っておこう』
「お前は……夢の中にまで勝手に出てくるな! 俺の夢で偉そうにすんな」
『僕と君の境界線が弱まった事によって、たまたま欲情に駆られて入り込んでしまったのさ』
床まで垂れるほどに伸ばしたベリアルの保湿性の高い髪の色のアッシュグレー。その髪が、一本一本メッキ加工されたように輝きを放ちだした。
「そこだよ!「入り込んだ」まさに犯罪者の心理だ。プライバシーを守れ! ピーピングデビルから昇格したのか?」
『貧相な夢を見ていた癖に僕にあれこれクレームを入れるなんて、呆れるという行為を僕にさせたいとしか思えない』
見た目は少女なのに存在感を高め威圧する傲慢な胸を張り、神秘の空を映したトルコ石を思わせる理知的な|瞳で神流の琴線を刺激するように射抜いた。
「……あのなぁ何で俺の夢なのになんで、お前だけ偉そうに座ってるんだよ?」
『君のイマジネイションの能力値が悩ましいほど低いせいだろうね』
「くっ、どうやって俺の夢に入り込んだ? 手口と防犯方法を教えろ」
『簡単な話さ、君が使う【堕天使融合】は僕(僕の力=ベリアル本体)の一部を引き出して君のエーテル体に融合させて使う。それを短い期間で乱発したことによって、君のエーテル体に僕の意識がほんの少し強く溶け込んだ。それも普通なら君の体に在る僕のシジルマークに時間をかけて戻っていくが、その前に意識を失ってしまった。それだけの事、むしろ悦びを見せない君に対して失望の衝動が大海の津波のように大きくなってしまう。なぜ無実の僕が失望などという負の感情を持たないといけない? 僕を抱き寄せ涙を流しながら謝罪の抱擁をするべきだ』
━━怒りで呆れるしかない。
神流に言い放つとベリアルは天使のような仕草で優しくボリュームのある輝く髪を掻き上げ、悪魔の如き無表情を基調とした美貌で神流の挙動を観察している。
「人の夢の中で、うるせぇんだよ! 使い過ぎると……夢まで自由が無くなるのか、でっ、何しに来たんだよ。呪いでもかけるのか」
『かけて良いなら、前のように僕を感じて性感帯が反応し続ける強力な呪いをかけさせて欲しい』
「アホか断る! ふざけんな!………………でも、お前は俺をからかいにくるだけの嫌な野郎じゃないよな? 用件はなんだよ?」
『僕は野郎などではない。この僕が君に素直にお礼を言いたくてね。君からの貢ぎ物に対してね』
悪魔色という表情を創りだす彼女は、二面性を思わせる美術品のようであった。露出の高い均整の取れた手足も透き通るほどに美しい。その両手を軽く拡げた。
「貢ぎ物だと?」
『大きな魔力は勿論嬉しいが、人間の完全な肉体は貢ぎ物としてしか得ることが出来ない貴重な物だ。しかも自分から要求する事は禁じられていた。だから僕は美しい女性の肉体の一部が欲しいと話した。君が僕に渡したのは美しさの欠片もない魔に侵された年老いた女性の死体だった。しかし、完全体を手に入れた僕は喜びの感情が芽生えそうになるほどだった。ーー其だけではなく二千体以上の魔に侵された人間と魔物の死体を貢ぎ物としてシジルゲートへ送ってくれた。悦び、感激、感謝の感情を持った気がしたよ』
━━約束したやつか。あと処分に困った伝染病になりそうな大量の異臭死骸もぶちこんだっけ。
『だから!』
ベリアルのチア服が溶けるように細くなり艶めく白い素肌がピンクを帯びて露出がどんどん増えていく。とうとう局部や乳房は髪のみで隠された状態になってしまった。
『全てをさらけ出して魅せてお礼がしたい』
「帰れ! 1度死んでくれ」
ベリアルの変化が止まる。
『僕が聞き間違える事は無いが、声の音質が悪いとノイズで違う言語と認識する事はあるのかも知れない』
「然り気無く俺の声をディスってんじゃねえ。帰れと言ったんだ! 此処が何処だと思ってんだ! 俺の夢! 早くお礼がしたいなら、とっとと帰って自分の家で待ってろ。俺をゆっくりと寝かせやがれ!」
『君の怒りっぽい所、巨大な引力に身を任せて僕は引いてしまうよ』
ベリアルのターコイズブルーの瞳の潤いと青みが強まる。
「ダメダメ不法侵入は不法侵入! お前は沢山余ってる脳ミソから俺を怒らせない方程式と答えを研究して見つけ出しておけ」
『ああ、残念もう時間が来てしまったようだ』
ほぼ裸のベリアルがボヤけていく……。
**
ーーカーテンの隙間を抜ける和紙のように鋭い朝陽が神流に1日の始まり告げ昏睡からの覚醒を促した。
深い暗闇の中で蜂蜜を混ぜた泥に浸かるように眠っていた神流に光の栞が挟まれると眠りの世界が中断されていく。
光の重さに抵抗しながら目蓋を開いた。
「………………なんて無駄な睡眠時間を過ごしたんだ」
呆然としながら目を覚ますと光の余白に見覚えのある天井が見えた。
━━夢はともかく、どうやら俺は厩舎のオルフェの前から自分のベッドに運ばれていたようだ。何となく身体が重いが、意識を失う前に感じていた山のような眠気と疲労感は全て肉体から抜け落ちている。
「生きてる……当たり前か……ベリアルこのやろう」
親指に嵌められた黄金の指輪を睨み付ける。ベッドの横のテーブルには水の入ったガラス製のコップが置いてあった。
━━
違和感を感じシーツの中を覗くと……
「へっ? 裸じゃないか。着替えは何処だ?」
━━
神流がキョロキョロと部屋を見回していると扉がスーッと音を立てずに開く。水の入ったコップを持つ軽装のレッドが朝陽を受けながら入ってきた。普段から音を立てない所作が身に付いてるレッドにとっては呼吸をするのと同じように普通の事であった。
動揺の吐息をした神流は紅く編み込まれたポニーテールがレッドの背中から、チラッと見えるといつもの風景だなと視線を落ち着かせる。
「旦那、やっと起きたんすか? まる2日間も死んだように寝てましたよ。ぐっすりと寝ながら死んだのかもと思って心配したんですよ」
レッドは瞳を潤ませ神流の手に水が跳ねないよう、ゆっくりとコップを渡した。時たま見せる親和性を含む丁寧な仕草が、妙に彼女を大人びて見せる。
受け取ったコップの水を一気に流し込んで飲み干し、空のコップをレッドに返却する。
神流はシーツから手を離し伸びをしながら、レッドに向き直ると自分を心配する相棒の顔に目を向ける。
「フーッ、随分寝てたんだな。心配してくれたのは、どうも有難う。だけど、何で俺は裸なんだ?」
ジロリと朝陽を反射する鳶色の瞳を直視する。すると分かり易い反応が戻ってくる。
「べっ別に裸でもいいじゃないすか。旦那の変な服が血と汗と涎と土と干し草でスゲェ汚れて臭かったんで脱がして洗っておきました。今は干して乾かしてんすよ」
━━変な服、スゲェ臭い、何か引っ掛かるな。
「…………お前が洗ってくれたの?」
「旦那をベッドまで一生懸命運んで丁寧に丁寧に服を脱がしたのはアッチで、その後はチビッ子がゴニョゴニョ……細かい事は良いじゃないですか」
━━洗って干したのはイーナだな。
「そっそれとアチコチ怪我だらけだったんで、ポーションと薬草を沢山塗って、その後に薬草を溶かしたお湯を染み込ませた布で体を拭いておきました」
━━塗った薬を拭き取ったという事でいいのか。
「それ以外は何にもしてないよな?」
レッドの目が軽く泳ぐ。
「えっ? アッチが心配のあまり冷たくなった旦那の身体を素肌で温めようとベッドに潜ったら、セオとチビッ子がギャーギャー騒いで引っ張り出されたっす……」
━━ナイスだ。二人に何かお礼しないとな。
「だから夜中にチョコッと忍び込んでゴニョゴニョです」
━━ゴニョゴニョの所は何なんだよ?
「……ハァ、まぁいいや、色々と聞きたいんだがシロは何処に居る?」
「シロ? 旦那と一緒に寝てたチッコイ白虎亜人の事ですか? 亜人なんだから厩舎で十分だって言ったのに、セオが勝手に旦那とアッチの愛の屋敷の中に入れたんですよ」
━━そうか初耳だ。
「いつからお前との愛の屋敷になったんだよ?」
「あの毛玉が屋敷の中をドタバタ走り回ってうるさいし毛が落ちるし迷惑してるっす」
━━元気になったのか。なんか解る。
「毛玉って、お前どうせ掃除しないだろ。そんなの捕まえて一言注意すればいい話だ」
「無理っす。アッチと同じ位に素早くて捕まえらんねぇす。仕留めるなら話しは別ですけど……そんなことより、厩舎から旦那をここまで運んで寝かせたのはアッチなんですからね。誉めて下さい。約束のチューを利子つけて払って下さい」
「へっ? ゼロ金利で無担保、無期限の筈だけど? とにかくありがとよ、俺の着替えを持ってきてくれ」
しかめ面をしたレッドの頬を両手でペシペシする。
「俺の着替えを早・く・持って・き・て」
クラヴァッテで買った平民服を持ってきてもらい着替えを済ませた。ベッドから立ち上がるとベッドの下から小さな影が現れた。
「クアァッ!」
「あっ厩舎の馬房に居たチビトカゲっす。旦那の頭の上に載ってたから追っ払ってやった筈なのに、いつの間に部屋に入ったんすかね?」
紅い編み込みポニーテールを揺らし腰の短剣に手を掛けたレッドから、逃げるように神流の背中に周りスルスルと頭の上に登った。
「レッド、俺が拾って連れてきたんだよ。朝から物騒な事はしなくていいよ。それとお前は頭の上はやめてくれ。糞とか絶対するなよ」
神流に掴まれ肩に降ろされる。
「ソレも飼うんすか?」
「ああ、なつかれたようだし仕方がないな。それより沢山寝たら腹減ったよ。朝食にしないか?」
「クアッ」
「そうっすね」
神流はトカゲを肩に乗せレッドと共に朝陽の溢れる寝室を後にした。




