静寂の後始末
貴族街の空は一刻程で明けようとしている。その準備をしているかのように濃度の高い夜の空気を鎮めていた。
静寂を取り戻した執務室に乾いた音が響く。余熱でジジジと赤く溶けた床の大理石はプゥティィロを綺麗に避けるように拡がりパキパキとひび割れ燻っている。
「はぁーーあ!」
神流は溜め息を疲労と共に大きく吐きだす。ーー額から滴り落ちる血の雫と床に垂れて凝固した血液まで全て綺麗に親指の指輪に吸収されていた。
━━鳥類悪魔……あいつらラスボス的な強さじゃね? 何体も悪い悪魔を退治したんだから、この国の王様にはスーパーデビルハンターとして勇者的な扱いをして欲しいものだ。
神流は指輪を見つめて首を傾げて呟く。
「何とか達成出来たが、この害鳥退治は全く割りに合わない。しばらく鳥肉料理は御免だな。マジで」
神流は、そのまま横倒しになりそうだったが、床に突いたダマスカスルージュを杖のように使い持ち堪える。
顔をプゥティィロの方に向けると血に染まり紅い毛玉みたいなプゥティィロを触手で抱き上げた邪教徒が静かに立っていた。邪教徒の左腕は夥しい血に濡れて出血していた。根元から抉れ皮だけでブランとぶら下がっている。
「良く護ってくれた。その腕……残念だが、もう手持ちのポーションが無いんだ」
「その御言葉だけで我が身に余ります」
邪教徒は自分の怪我など気にもせず主である神流からの労いの言葉に心酔して深く頭を下げる。
「まず止血だよな」
神流は、二人と自分に【止血】【自然治癒】と【快活】の刻印を付与する。
額の傷口、千切れかけている腕、獣毛に滲む切り傷、その全てから出血が治まり引いていく。
「どうなってるか解らんが、こんなもんか」
自分の額を指で撫でて確認すると踵を返してハルファスが座っていたデスクの後ろの壁の前へと歩いていき足を止めた。骸骨の壁の前に立ちおもむろにベリアルサービルでサーチを始めた。
「ふぅ……うん? ここか?《石杭2》」
ダマスカスルージュを床に立てて詠唱すると大理石の床がドクンと隆起していき勢いよく伸びる二対の石杭が、骨で構築された壁に激突し渇いた音と共に破砕する。すると崩れた壁の向こうに重厚な鉄の扉が現れた。
閂を外して扉を開けると異臭が鼻をついた。部屋の中の冷たい床には、寝息をたて雑魚寝する子供達で埋め尽くされていた。所々に散らばる残飯のカスやゴミが衛生状態の悪さを如実に見せる。
子供達の十分の一程は【堕天使融合】で街全体に施した【友好】の刻印が刻まれている。
そのお陰で最初から存在を簡単に把握する事が出来ていた。
━━インチキ誘拐ポッポめ……。
神流は倒したハルファスに何度目かの殺意を覚えたが意識を部屋に戻す。
━━見た感じは全員が平民や貧民の服装の子供で、貴族の子供は確認する事が出来ない。どうして子供だけ此処に居るのか考えたくもないな。貴族の子供が居ないのは拐い易さの問題なのだろう。
「さて、どうするか」
室内に入り思案する神流に気付き目を覚ます子供やグズって泣き出す子が現れる。
━━!
神流が部屋の隅に座る少年を見つけると目の動きを止めて凝視する。
その少年は小学校低学年生位で貧民街で見掛けた服装をしていて年齢は小学校低学年に見えた。そして、胸に小さな子を抱いている。
「チョッとゴメンな」
ーー神流が寝ている子供を踏まないように避けながら、小さい子を優しく抱きしめて縫い付けられたようにじっと座るその少年の元へ行き片膝をついた。腰のベリアルサービルに手を当て柄を握ると少年の顔が緩慢に反応し静かに神流の顔を見上げる。
「その子は…………」
「ボクの弟だよ。お兄ちゃんのボクがちゃんと護ってあげなきゃいけなかったのに…………だから、ゆっくり寝かしてあげようと思ったんだ」
「………………」
泣き張らして赤くなった眦と涙袋が全てを物語っていた。氷細工のようにひどく脆く儚い微笑みを浮かべた。そして、冷たくなり動かなくなった弟の顔を見守るように眺めている。
「ジョシュ、お兄ちゃんが護ってやれなくてごめんな」
「ーーっ」
沢山あった悲劇の内の一つだと解っていたが、神流の胸は無形の鉄条網で絞められたように苦しくなっていく。胸が詰まり精神負荷が飽和状態になっていく中で絞り出すように声をつくった。
「……くっ、遅くなってゴメン、早く来れなくてゴメン……ゴメン……」
神流は少年に頭を下げ謝罪をする。自分の不甲斐なさ無力感、悔しさ、悲しさ、虚しさ、色んな想いが交錯し心臓の鼓動の間隔を狭めた。一筋の涙が瞼から溢れ頬を伝って床に垂れる。
━━もう嫌だこの世界。なんでこんなことが……全てを壊してやりたい……。
━━
親指の指輪が燐光を瞬かせると神流の心は平静を取り戻し早まった心拍数は正常に戻っていく。
━━悲しみも調整されるのか。ベリアル……嫌な魔法だよな。悪魔と深く繋がるこんな俺にもまだ涙が流れるのか。悔し涙なのか悲しみの涙なのか知らないが、涙って人間の心がちゃんと残っている証しだよな。俺が一人の人間としてやれる事はやらないと。
神流は涙を拭ってベリアルサービルを子供達に向ける。
「【安心】【友好】【快活】」
刻印を全員に付与し終わるとまだ寝ている子供達も起こした。子供達は「帰りたい」や「お腹すいた」「おうちに帰れるの」と口にする。神流は優しく語りかける。
「皆で一緒に帰ろう」
子供達を全員連れて外に向かおうとすると声がした。
「ーー酷いではないか!」
振り向くと憤り息を切らしたらブランスト・ルーゲイズが膝を曲げて立っていた。
━━下で待っていればいいのに。わざわざ階段で上がって来たのか。
「酷いではないか地下に置き去りにするなんて!」
━━うん、シロが完治したら蹴飛ばさせよう。
見るとその後ろには着替えを済ませた人達が不安そうに並んでいる。
「…………」
━━間一髪マルファスの凶悪非道な儀式や実験の餌食にならなかった幸運な人達だ。魔物の死骸を見て何が起きていたか大方察したのだろう。
「それでハルファスは倒せたのか? どっどうなったのだ?」
神流はブランスト・ルーゲイズを一瞥して無視をした後に口を開いた。
「……その人達に説明は済ませたのか?」
「うっうむ、……凶悪な悪魔の犠牲になる寸前であったと」
「ハイ? お前のせいが抜けてるだろ! ハァ、丁度良いお前の家の金庫に案内しろ」
皆を待たせてブランスト・ルーゲイズに屋敷際奥にある金庫室に案内させる。歩きながら廊下で倒れている執事やメイド風の邪教徒モドキ達に【隷属】を撃ち込み【麻痺】【睡眠】【伏】を解除した後に命令する。
「執務室の奥に薬とか入って無いのか? 後、食べれるものを持って行って、みんなに配れ。客として扱えよ」
起き上がった執事やメイドの邪教徒達は返事をして神流に一礼すると命令に従いスタスタと去って行った。神流はブランスト・ルーゲイズ子爵に先導させて進んでいく。
ーーしばらくすると豪華絢爛な長い廊下の奥に鉄格子の扉が見えてきた。




