悪魔伯爵の終着点
ルーゲイズ邸の執務室ではハルファスの異様な能力によって緊迫した状況が続いていた。
目の前に拡がる絶望的な光景を前に邪教徒は流砂の砂粒程の動揺すら表さない。自分の崇拝する主人から受けた至高の命令を遂行する為に全神経と命の総てを捧げていた。
石の壁を背にし周囲を取り囲むガーゴイルと禿鷹のゾンビ達から繰り出される攻撃を石の盾と異形の触手で防いでいた。石肌の尖る爪が盾を削り隙間からは、腐臭を漂わせる嘴を届けようと荒く伸びてくる。
受ける邪教徒は無言のまま、爪や嘴を真っ向から押し返し、盾を斜めにして流し、触手で捌き時には弾き飛ばす。
声も上げず、まるで戦闘人形のように盲目的に命令を遂行している。意思とは無関係に肉体に埋め込まれた魔の力を惜しみ無くひたすら振るっていた。その背後の石壁の床には重傷のシ フィリャ プゥティィロが血塗れで蹲っている。
ーーハルファスが神流の魂液と心臓を抉ろうとする赤と藍色の三叉槍の動きが止まる。すると石突きの目玉達がギョロロと活動しだし穂先の口々が呻き始める。
「クルッ!? アエーシュマ様に会っただと? 嘘などををつけば、もっと己自身が苦しむ事になるぞ!」
「嘘じゃねえよ。二人で密会したんだ……ぐっ、チョッと締め付けが苦しくて喋る事が出来ない」
「……少しだけ緩めてやれ。クルルッ死ぬ前にあの方が何を仰っていたか漏らさず話すのだ」
巨大な魔鳥の手の締め付けが緩和される。
神流は人の悪い笑顔でハルファスに教える。
「ゲホッ…………アイツ、罰ゲームみたいに十字架に張り付けにされてたぜ」
「何だと!! クルルルルーーッ!?」
「薬物中毒野郎らしく訳の解らない悪態を喚き散らしてな。針治療のサービスまで無料で受けてたぞ。……あんな野郎は、一生あのままで隔離されてれば良いんだよ!」
「クルルルルアッ世迷い言を!? やはり戯言かっ! アエーシュマ様を下にみた罪は軽いものではないぞ! クルッ、もう簡単には殺さん微塵に切り裂いて生きたまま酸で溶かしてくれよう!」
觜を怒りの色に染め替え、鬼の形相を見せたハルファスが三叉槍を床に突くと大理石の床が砕け穴が空いた。
━━どうせ死ぬならやってやる。
神流は、ほんの少し出来た隙間を使い手首だけでベリアルサービルを抜いて自分の鳩尾に差した。
「ふんすっ!」
「クルルルッ何をゴソゴソしている? 足掻くな! 魂液を取り出す前に腹を裂いて苦痛の呪いを施して痛みの快楽を教えてやる。お前にとってささやかな幸運があるとするならば、それが永遠に続く事は無いというだけだ。ならば、永遠と感じるよう苦しめ苦痛に狂い果ててから丁寧に刻んで挽き肉して念入りに酸の唾液で舐めとり……」
「ーー【幻想の剣】!!」
簡易詠唱が響いた瞬間に輝く魔法の光がブゥォンと音を立て神流の腹部を貫いた。高密度の光の刀身が具現化していく。魔鳥の巨大な手の甲を易々と突き抜けてハルファスの胸に切っ先が深々と突き刺さった。それと同時に強力な【麻痺】の効果が刀身から強烈に派生し全身の自由を掌握する。
ーー巨大な魔鳥の腕は痙攣して硬直する。そして、呪いの三叉槍を持ったまま固まるハルファスが嘴をカチンカチンと鳴らして震えさせていた。
神流は、ベリアルサービルの刀身がハルファスを貫いた事をサーチで感知していた。
「ハーッ、よく刺さったな。俺のポンポンは穴開きにならず無事みたいだ」
━━俺まで麻痺したらどうしようかと少しヒヤリとした。だが、俺には弱く他は超強力という調節みたいのが出来た。死ぬ事と比べたら大した事はない。
「まさか薬物中毒野郎の名前を使う事になるとは情けない限りだ」
「クッ……ククル?……これはどういう事だ?」
痙攣するハルファスに動揺と焦りが色濃く浮かぶ。
神流は驚愕し震えるハルファスを捨て置いて麻痺した巨大魔鳥の指を肩で少し抉じ開ける。もう片方の腕で精霊紅魔鉱剣を何とか引き抜くと隙間から床にキンッと突いた。
「《石槍鰐9》」
詠唱と同時に床がメリメリと勢い良く隆起し石の鰐が力強く生まれる。その鰐の顎がプウティィロと邪教徒を襲うガーゴイルとゾンビの禿鷹に躍り掛かり食い千切り倒していく。
石の鰐が180度の極限まで口を開き、ガーゴイルの胴を鋏むように食らいついて噛み潰す。禿鷹のゾンビは、その強烈な顎の力に為す術もなく骨を噛み砕かれ、床にバラバラに死骸を散らした。
腹部に刺さる光の刀身の力を解かず、頭部から垂れる血の雫を気にも止めず魔鳥の手の中のまま神流は叫んだ。
「シロォーー!!」
床に蹲るプウティィロが痛みを堪えながら顎を上げて神流の声に反応する。
「お前は戦士なんだろ。仲間の仇を取らなくていいのか? そのまま寝てるか?」
「ーーーー!?」
ーープウティィロは出血し続け血染まる片腕を押さえて幽鬼のようにフラフラと立ち上がった。全身の毛が針のように逆立ち淡く輝く青い瞳孔が狭まっていき喉を震わせ吠えると同時に跳んだ。
━━
「ガル"ゥ"ァ"ァ"ァー! 螺旋両爪撃!!」
部屋を揺るがす獅子のような咆哮が響き白と紅が交ざる一筋の矢が流れる。
両腕を伸ばして手を合わせ、きりもみ回転しながらハルファスの脇腹に両爪を突き立てた。ハルファスの脇腹から血飛沫が舞った後、青い血液がドロリと垂れる。ーーその刹那、プウティィロの残った爪が根元から完全に砕け散り両腕が鮮血に染まり弾けた。
「グウッ……馬鹿め!! ……我が身には強力な反射、物理攻撃半減、死の宣告付与、武器破壊等が至るところに……施してあるのだ。……亜人無勢が調子に乗るな」
「プウティィロは……戦……士……」
プウティィロは血溜まりの床に顔をつけて意識を失った。
「……よくやったなシロ」
「クッ我の身体がどうにも動かぬ。……わっ我は……貴様に助かる機会を与えたではないか……みっ……見逃してくれぬか?」
ハルファスは完全に自由が奪われた事を悟り、手の平を返す。神流が無言で骸骨の埋め込まれた壁を見やると子供サイズの骨が視界に入った。冷気の籠る声でハルファスに質問する。
「拐った子供達はどうした?」
「クッル、我は……子供など知らぬ。此処で……貴族の真似事をしているだけなのだ……邪教徒共が何をしてるかも……知らぬのだ。そうだ……改心する。何でも望みを叶えるから、莫大な富と宝石や金の山を与えよう。数え切れない女を集め快楽の境地を教えよう。愚衆達からの名誉や王にさえする事が我なら出来る。人間なら誰でも夢に見るような事だ。我と手を組みその手に掴もうではないか?…………ここは見逃してくれぬか?」
神流は刀身に【正直】の効果を付与する。
「我にしてみれば……当然の事なのだ。クルルッ……子供の肉は柔らかく旨いのだ。……邪教徒に拐わせ一部は……信者の儀式で簡単に死んでしまう。残りは監禁して……闇の聖杯を置いて……泣き叫ばせながら喰らったのだ。この場さえ凌いだら……奸計、謀略、悪魔の暴虐を駆使して八つ裂きにしてくれよう。クルルルアル??」
「もう黙れ! ……地獄のクソ伯爵だっけ? お前が大事にしてる薄気味悪い石像は粉々に壊しておいたから喜べ。地獄に行ったら、ゴリマチョガラスのマルファスが居るから、焼き鳥同士で反省会でもしとけ」
「クル? ……マルファスを屠ったというのか?……その上アエーシュマ様の石像を本当に……貴様……貴様ぁぁグル"ル"ア"!! 磨り潰して殺してやるわーー!!!」
ハルファスが嘴の根元や身体中の節々から青い血液を噴出させ空気を割るような咆哮を上げた。壁に亀裂が生まれゾンビの禿鷹が数匹、壁に吹き飛び潰れる。青黒い血管を極限まで浮き上がらせ、空間を削り取る紫光の羽を無理矢理に顕現させて身動きの出来ない神流に放とうとする。
「……そんなに騒ぐなよ。お前に殴られた頭が、痛くてグラグラすんだよ。流石、悪魔伯爵のパワーだ。出血もかなりしてるし、首がボキンと取れたかと思ったわ。被害者を大量生産したお前のくだらない宗教ゴッコも此処で終わりだ!」
ーー鳩尾に当てたべリアルサービルを握る手に力を込めると、瞬く間に妖しい光が生まれ熱光と化した。
「全て燃やし尽くせ【変換・地獄の業火】!!」
神流の血に濡れる手が紅い燐光に包まれていく。一瞬の白光の後、光る刀身が朱と金色の彩りで周囲を赤く染めていき、鍔の根元から弾けようと燻る獄炎が一気に沸いて神流の腹部を貫いて吹き出した。
貴族として君臨していた鳩の悪魔の身体が、地獄から呼び出された禍々しい業火によって瞬く間に包まれていく。光る刀身が朱と金色の彩りで、周囲を赤く染めていくと鍔の根元からも弾けようと燻る獄炎が一気に沸いて吹き出した。
「ーーこの炎はっ? 熱いっ熱いではないか! やっ焼けるぅ! ゲグェェェェェ!!」
神流を握る巨大な腕から極大の炎が瞬時に拡がり向こうの空間に居る巨大な魔鳥は、一瞬の光で灰となり白い炎を巻き上げて蒸発した。それと共に空間の出入口も閉じて消失する。
神流の身体もアッという間に獄炎に包まれるが、その炎に護られるように火傷すら負わない。
「我等の……積み上げた全て……まだまだ死ねぬぅガァァァ」
ハルファスの胸を貫く刀身は、赤、橙、青、白、灰色、黒と炎のグラデーションの焔の波を魅せながら絶叫するように核融合と同じ温度まで急激に上がる。手に持つ三叉槍が飴のようにしなり垂れ下がると気化して消えた。
「……貴様を……貴様を殺すまで死"ね"ぬ"の"だ"ア"ア"ア"ア"ーーーー!」
「炭火じゃないが絶妙な火加減だろ? 子供達が受けた苦しみの分は味わってから燃え尽きろ。お前らには焼き鳥の姿が似合うよ」
神流が腹部で仄かな熱を感じさせる剣の柄に力を注ぐと弾けるように漆黒の光が黒い炎から生まれる。
高温でクリア化し半透明になった外殻と嘴は、溶けるように崩れて灰と化した。その灰すら獄焔の黒い炎に呑み込まれると瞬く間に炭化し端から蒸発していき超高温のプラズマ化する。
矮小で力の無い人間に倒される屈辱感に悶え、現世にしがみつこうとする底のない執着心と神流に対する黒い殺意で炎に抗うハルファスは、黒炎に包まれ伸び上がった。身体を失い炎の気体と化したハルファスは神流の背中に手を伸ばし頭を掴もうとする。
「!?」
神流は腕を頭の後ろに持っていき親指の指輪を首の後ろに据える。
「ベリアル、遅いディナーだけど全て喰らい尽くしてくれ」
神流に呼応した指輪の中から魔の引力が発生する。
忌まわしい黒炎に焼かれ気体と化したハルファスの身体は、急激に発生した指輪の引力に伸ばされ抵抗もできずに、螺旋状に吸い込まれていく。
「我の力が……ゲグル"ァーー…………」
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神流の腹と背中も獄炎に飲まれているが、不思議な熱を遠くに感じるだけで焼け上がる事もなく無事であった。
ベリアルサービルを解除すると刀身は光の粒子となり大気に霧散していく。あれだけ荒ぶる火力を誇った獄炎だが神流の身体に熱光の余韻すら残ってはいない。
神流の額から垂れ落ちる血と床に落ちた血液まで全て綺麗に吸収した指輪は満足そうに力強く明滅していた。
強烈な魔鳥の締め付けとハルファスの暴行で満身創痍の神流は思うように力の入らない足を震わせて、どうにか上体のバランスを保っていた。
口の端から伝う血を拭うと折れた奥歯を床に吐き出した。ギーンと耳鳴りが残りクラクラと消えない眩暈を感じながら指輪を睥睨して呟いた。
「ーー慈悲を仰いだのはお前だったな」
死が色濃く漂っていた空間に静かに響いた。




