魔鳥の囀ずりと過労
薄い暗がりの執務室に狂ったように響く不気味な鳩達の十重二十重の雄叫びが神流の鼓膜を刺激し脳神経から精神を侵食しようと襲った。
強力な魔力を伴う悪魔の超音波が、恐怖で脳を溶かそうと室内で反響し続けている。
人間が苦しみ藻掻く様を見物するかのような陰鬱で甲高い笑い声が大気に混ざる。
「クールッルッ」
「うるさいうるさい!」
両耳に指を突っ込み防御する神流が叫ぶ。 ハルファスの異常な演出で恐怖の数値計が正常に反応する。しかし、執務室に入る前に既に 【脳防御】【冷静】 の刻印を済ましている神流には騒音としての効果しか発揮されていない。
「クルルッ耳など塞いで我慢などするな。我に、お前が目を剥き泡を吹いて狂い行く様を喜劇のように観せてくれぬか?本当の恐怖の苦しみは愛の苦しみに似ている。そして世界を苦しみに溢れさせる事は愛を溢れさせる事と同一なのだ。我には解るのだ。お前は心底苦しみたいのだ。愛の苦しみで狂いたいのだ。さぁ抵抗などせず赤子の揺り篭で眠るように終わりのない苦しみに身を任せるのだ」
自分の口説に酔いしれたハルファスの声が、指で塞いだ鼓膜にキーンと響き不快な振動を内耳に伝える。特に悪影響のなかった神流は不愉快そうに片手を耳から放して気になった頬を撫でている。
━━おっ!?疲れててもニキビの心配はしないで良さそうだな。凄いな成長期の肌質は。さっき刻印しておいた【身体強化】の影響なのかも。……其にしてもしつこい鳴き声だな。
「マジで雑音波」
暗がりの室内にハルファスの声が再び舞い降りた。
「━ー!?クルルルッ狂わず意識を保つか、やはり只の人間では無いようだな」
床を彷徨き回り喉がはち切れんばかりに鳴き喚く鳩の大群がシン……と鳴き止み静寂を創りだす。
「どうした? もう嫌がらせは終わりなのかよ」
「クルゥ?怒っているのか。怒るという行為は時間の無駄なのだ。心を疲弊させれば、魂が渇き魂液の潤いも失われていくのだ」
━━やはりコイツはゴリマチョのマルファスと同じように人間など取るに足らないという自信家らしいな。
「演説はもういいんだよ害鳥悪魔! 早く出てこいよ。お前の駆除依頼が市役所に殺到する前に」
ストレスを感じ声を荒げる神流にハルファスは低くしゃがれた声で告げた。
「何も考えず恐怖に気が触れていく苦しみに身を委ねれば、塵のような魂でもアエーシュマ様の一部となり永劫の覇業に貢献させてやったというのに…………クルルルル、余興という言葉があったな。せっかく死にに来たのだ。矮小な魂を持つ愚かな来訪者に対面くらいはしてやろう」
床の鳩達が一斉に灰神楽のように羽ばたきデスクに向かう。豪奢な椅子にベタリと着地しては次々と溶けるように融着して積み上がると不気味な人型を形成していく。
ウッと目を伏せる間に異質な体表が泥人形のようにグネリグネリと整形され顔が生まれ鼻筋を通す。その顔の青白い皮膚と貴族の紺を基調とした正装までをドクリと蠢く体液で創り出した。
貴族服を来た精悍なブランスト・ルーゲイズ子爵の姿をしたハルファスが、満足そうにデスク上で手を組んで此方を見据えた。
「うわっ気持ち悪いな。アイツの物真似かよ」
━━似てるというか本物よりハンサムだ。何か腹が立つ。
「クル、我を人外の者と知る招かれざる人族の小さな客よ。まぁ聞け、産まれては一瞬で寿命を迎え死んでいく哀れな人族。それに比べ無限とも言える時の流れに住む我は、目的は有れど時間を持て余すのだ。すぐ散る命が我に何を訴えるのか聞きたくもある」
「じゃあ、自分の手で自分の首を思い切り絞めて死んでみてくれ」
「クルル、せっかく時間を与えても、まともな会話にすらならぬか。仮に勇者が我を倒しても300年も有れば我は復活する。我を倒そうとする行為はむだでは無いか? ソレヨリ我を見よ。見た目は人族と何一つ変わらぬだろ? 驚くのだ、喝采せよ」
ブランストの姿をしたハルファスの人の面持ちとは明らかに違う表情が不気味さに拍車をかける。
「無駄とかじゃねぇよ。よく自慢気に変身出来てると思ったな。悪魔が表面だけ貴族の真似しても違和感だらけで、騙される方が悪い位の出来なんだよ」
ハルファスは、ブランストの顔を90度近く傾げ不自然に開く口から疑問を呈した。
「真似等ではないのだ。我は地獄では伯爵である。永劫の時の流れの中で一瞬の火花のように消えていく人間よ。我が恐怖の力で狂わぬのは何の能力だ? 神官如きで耐えられる代物ではない程に強力なのだぞ」
━━駄目だ。会話してる時間が全く無駄だ。聞いてるだけで頭に変な波動が来てたのは精神攻撃されてたのか。
「人間を真似した変な口調も三流以下の役者みたいだな。 解らないことはネットで調べろ」
「先程から訳の解らぬ言葉を並べてるということは、精神の一部は破壊が出来ているようだなクルル」
「出来てねえよ!単純に皮肉と嫌味だ」
神流の怒声に反応しないハルファスは、揺ったりと喋っているが、神流の胸や肩や 顳顬の表面で小さな火花が複数浮かんでは弾けて散った。
「ー━!?」
━━ベリアルからの援護が入るということは、ハルファスから何かしらの攻撃を受けているという事実だ。
「会話するふりしてチョコチョコ攻撃してんじゃねぇよ! インチキ鳩ポッポ」
怒鳴る神流は思い出したように鞘に収まるベリアルサービルを覚醒し身体に柄を当て【霊視】を刻印する。
「見えた! 最初からやっとけば良かった」
部屋の闇に紛れた幻体の魔物鳩を数匹、確認する事が出来た。したり顔で此方を眺めるハルファスの頭上に浮遊し嘴の先に小さい光を浮かべ魔法の攻撃をしてきた。
━━会話しながら油断させて攻撃してくるとか、卑怯で心底クソ悪魔っぽい。
「クルルゥ、こんな死の呪いの攻撃で慌てふためくとは情けない。本来なら我が相手にするまでもない小者なのだが、我の真の姿まで知っていて歯向かう愚かな小者に直々に手を下してやるのも一興である」
「死の呪いか。そんな事だろうと思ったよ馬鹿野郎!」
神流が精霊紅魔鉱剣を抜いて攻撃体勢に入ろうと身を屈めた。
対応するかのようにハルファスが眼球をグルグルと異様に回転させると幻体の魔物鳩が分裂し倍に増える。
「んっ!?」
神流は縦横無尽に位置を変えて襲ってくる幻体の魔物鳩の攻撃を素早い動きで避けながら精霊紅魔鉱剣の刀身で受けて防御する。
━━この精霊紅魔鉱剣の刀身は、魔法の攻撃を避ける盾としても使えるようだな。
神流の身体には【呪詛耐性】【即死耐性】も施してあった。
━━ベリアルがサポートしてくれてるとはいえ、万が一でも貫通被弾して死んだらシャレにならない。出来れば全てを回避したいところだ。
ーーだが、雨霰のように迫る死の呪いを全ては避けられず隙間から被弾して絶え間無く火花を散らしていた。たまらず神流は精霊紅魔鉱剣を持ったまま迷わずベリアルサービルの柄を引き抜いて切っ先を幻体の魔物鳩に向けて刻印を連弾する。
「【霊的苦痛】!【霊的麻痺】!【霊的苦痛】!【霊麻痺】 !・・・・・・」
刻印が着弾した幻体の魔物鳩は次々と嘴を大きく開き苦悶の表情のまま墜落していく。奇しくも剣豪宮本武蔵のように二刀流で構えていた。
「何と不可解な魔力攻撃、人間の分際で我が眷属の幻魔獣を蹴散らすとは」
「お前も思いきり蹴散らすに決まってるだろ!」
神流は攻撃の流れでハルファスにも刻印を撃ち放つ。
「クルッ、己で食らうのだ」
━━!?
ハルファスの顔が割れるように開き空間が刻印を呑み込むと、神流の眼前の空間が開き撃った刻印が飛び出てくる。
「いっ!?」
咄嗟にダマスカスルージュを縦にして刻印を受ける。
「あぶねっ!」
━━反射魔法か? テレポート? 刻印の攻撃を返されたのは初めてだな。迂闊に撃てなくなったぞ。マルファスにも効かなかったし刻印万能伝説は俺の中で終わった。
神流の動揺を見透かすようにデスクから消えたハルファスが瞬間移動して神流の正面に立った。
「ーーなっ!?」
「クルゥゥゥ、こんなのはどうだ」
ルーゲイズ子爵の姿をしたハルファスが神流に向けて、これ見よがしに人指し指を立てる。ハルファスの周囲の複数の空間に歪みが生じる。神流は剣の届く間合いに入ったハルファスに対してチャンスとばかりに斜め下から片手で精霊紅魔鉱剣を斬り上げる。
ーーガギィ!!
剣の軌道の空間が歪みオオハシの魔獣が顔を出して牙の生えた嘴で精霊紅魔鉱剣の刃を噛んで止めた。すぐ横の空間からもオオハシの魔獣が神流の顔面を啄もうと顔を出した。
「ーーッ!【麻痺】」
刻印を撃ち込み痺れているオオハシの魔獣から精霊紅魔鉱剣を引き抜いて斬り倒す。迫る嘴を躱し後ろに下がって距離をとった。
空間から現れ床に着地したオオハシの魔獣が、ギシギシと大きな嘴を鳴らしている。
「上手く凌ぐではないか、そんなに離れて居ては我に攻撃する事も触れる事も出来ぬぞクルルルーー」
「必要ない」
膝をついて精霊紅魔鉱剣を大理石の床に突いた。
「《石槍9》!」
床から競り上がる石槍にオオハシの魔獣達は串刺しになっていく。ハルファスの足元からも垂直に貫く角度で複数の石槍が伸びる。
「クルッ煩わしい!!」
ハルファスの咆哮で数本の石槍に亀裂が入り砕けるが、残った石槍の鋭い突きがハルファスに吸い込まれ深々と貫いた。
精霊紅魔鉱剣を抜いて後ろに下がり距離を取りながら、次の攻撃に備える。マルファスとの戦いの反省を生かし慎重に動向を監察する。
━━さっき地獄の伯爵とか言ってたな。マルファスと同じ位の強さなら、どうせ倒せて無いんだろ。ああ、身体を強化しても眠気は余り取れない。どう考えても超過勤務な気がする。
「はぁ」
━━俺の深夜残業戦闘は、まだ終わらないようだ。




