魔の石像と騎士
ブランスト・ルーゲイズ子爵の肖像画を見上げる2人に静かな声が後ろからかけられた。
「貴方達は何処から……」
還暦はとうに過ぎたであろう白髪の執事が、神流の視線の先にたっていた。顔に刻んだ年輪のような皺と垂れる白い眉は老犬を連想させた。老執事は力無く憐れみを含んだ声でつづける。
「何処から侵入したか知らないが、金目の物を少し盗ったら命を失う前に立ち去りなさい」
全てを諦めた表情をする老執事の言いたい事を神流は解っている。泥棒の心配をする見知らぬ老執事に少しの好感を持った。
「心配は不要だ。盗人ではない、ルーゲイズ夫人を助けに来た」
白髪の老執事は少し驚いた顔をしたが、また諦めた表情に戻り俯くと小さな溜め息を吐いた。
「お止めなさい、命を無駄にするだけです。今なら間に合います。その扉からお逃げなさい。ーー!?」
事情を知る神流が装着するヴェネチアンマスクの奥にある双眸が、憐憫の情の色を強め老執事を見据えていた。それを見て悟った老執事は語り出した。
「お話しましょう……シトレーヌ様の部屋の前に鎮座する2対の石像は、見知らぬ不審者を焼き払い石の毒爪で引き裂く凶悪な魔物なのです。この屋敷に居た30人の屈強な兵士は総て、その石像の魔物と対峙した際に無惨に命を奪われました。あんな魔物と戦うのは命を捨てるようなものです」
「…………」
━━ウ~ン、確かに無駄な危険は避けたい。初めてじゃないし倒すことに変わり無いが、どうするかな?
少し思案した神流は、広間の隅に飾られた板金鎧の人形に向けて指を指した。
「あれを貸してくれ」
~***
━━
廊下を全身板金鎧の騎士が、槍を持ってゆっくりとゆっくりと慎重に進んでいく。目的の部屋に近付くと腕が6本生えた巨大なガーゴイルの石像が見えてくる。
槍をスーッと上げて穂先をゆっくりと1体の石像の額に向けると紅い光が目に宿り石像が動き出した。構わず刺突をするが、額に弾かれ槍先を握られると一瞬で折られる。
鎧の騎士は撤退を始める。廊下を逆に戻ると追い掛けてくる石像が一直線に炎を吹き出した。一瞬で炎の奔流に飲まれる鎧が、紅いコークスの色に染まり騎士は倒れた。
焼け死んだかに思われた鎧の騎士は、何とかフラフラと立ち上がりみっともない逃走を再開する。それを認識した石像は、確実にトドメを刺して息の根を止めるべく執拗に追い掛けて行った。
ーー*
内装が焼け爛れた廊下を全身板金鎧の騎士が、銅の剣を持ってゆっくりとゆっくりと進んでいく。目的の部屋に近付くと腕が6本生えた巨大なガーゴイルの石像が見えてくる。
剣をスーッと上げて剣先を石像の額に向けると蒼い光が目に宿り石像が動き出した。構わず刺突をするが額に弾かれ剣先を握られると一瞬で刀身を折られる。
騎士は撤退し廊下を逆に戻っていくが、追い掛けてくるガーゴイルの石像が放った鋭い毒爪が斜線を描き鎧の背中に金切り音と共に三条の傷を付けた。
背中を抉られた騎士は吹き飛び音を立てて倒れた。背中で毒がブクブクと泡立ち死んだと思われた騎士は、震えながら立ち上がり逃走を再開する。蒼い目を光らせたガーゴイルの石像は毒爪で命を狩り取ろうと騎士に殺しの照準を定め追いかけていく。
やっと廊下を抜けた鎧の騎士を後方から両腕を伸ばして捕まえると万力のように締め上げる。歪な音を立てながら腰からグシャッとくの字に折れて物言わぬ屍と化した。蒼い目を妖しく輝かせるガーゴイルの石像は、役目を終え元の位置に戻ろうと振り向いた瞬間、後ろから男の声がした。
「自動追尾型の弱点はAIだな」
カーテンの影から神流が現れる。石像が振り向こうとすると
「《落とし穴》」
足下の大理石が開いて作ってあった落とし穴に滑落していく。
背中の羽をバタつかせ飛ぼうとすると、シャンデリアに乗っていたプゥティィロが、跳躍し天井を蹴りつけると一筋の矢のように降下し石像の頭に一撃入れて10メートル下まで叩き落とした。
クルクルッと後方宙返りをして床に着地をして神流にポーズを決める。
「良くやったな」
プゥティィロの頭を撫でて誉めると尻尾をピコピコ振り回していた。
━━猫科なのに犬みたいだな。
穴の中では2体の石像が爪を立てて壁面を上がって来ようとしていた。神流は穴に向けてベリアルリングを向ける。
「根刮ぎ奪え」
穴からベリアルリングに向けて魔力の流れが生まれる。石像のガーゴイル達の動きは緩慢になり表面に亀裂が入っていく。ダマスカスルージュを抜いて穴の脇に刺した。
「《石鰐4匹》」
穴の壁から生えた石で出来た4匹の鰐の顎がガーゴイルの石像に食らい付いた。
「なんかチョッと不細工だな」
━━イメージを伝える練習が必要な気がする。てか本物の鰐を生で見たことがないから、これが限界。
魔力を抜かれた石像は簡単に咬み砕かれていく。バラバラになった石像を確認して落とし穴を元に戻す。まだ本調子では無い手首を見ると神流の顔に濃い疲労の色が浮かんだ。
━━手首が少し回復したかな? この調子なら鳩野郎に気付かれる前に戻れそうだな。
隠れていた老執事が顔を出した。
「本当に2体とも倒してしまうとは……貴方様は勇者です。これでシトレーヌ様を連れ出せる。心より感謝を申し上げます
「甲冑と大理石のテーブルは駄目にしちゃったけどな」
鎧の継ぎ目から砕けた大理石がポロポロと漏れてくる。
神流は|ダマスカスルージュを使ってプレートアーマーに大理石を流し込んで人形にして操作していた。
鎧の片足は必ず床に着いた状態でないと動かない操作の難しさに簡単な練習が必要な程だった。
更にベリアルサービルで魔力サーチをしながら動かす困難さをパントマイムのように自分も動いてイメージのズレをカバーしていた。
~**
ルーゲイズ子爵夫人シトレーヌの部屋は大部屋になっているが、細かい所まで白を基調とした流麗な装飾がなされ清楚な佇まいを見せていた。部屋には傍付きのメイドが2人常駐し、なごやかな雰囲気を満たしていた。
「お紅茶になります」
清潔なテーブルクロスにティーカップが丁寧に添えられる。しなやかな手付きで日記を書いていたシトレーヌの顔に微笑みの感情が浮かぶ。子供達と自由に触れ合えるという今は存在しない、つつましい幸福に想いを馳せていた。すぐに微笑みは消えていき悲哀の陰影が瞳を揺らした。
ーー扉がノックされる。
「お入りなさい」
執事に連れられて入ってきたのは、見知らぬヴェネチアンマスクの若い男と白い虎の亜人であった。
傍付きのメイドが前に立ちはだかると日記を書いていたシトレーヌは、合図をして下がらせる。そして、臆することなく紅茶のティーカップを持つと前に出て老執事に質問する。
「マレック、こちらの方達はどうやって此所に?」
目に生気を宿した老執事は、その質問を待っていたかのように答える。
「シトレーヌ様、待ち望んでいた勇者様で御座います」
神流が直ぐに訂正する。
「違います。俺達は旦那と取り引きをしただけだ。地下室に旦那と子供達が居るから一緒に迎えに行って欲しい」
「!」
神流の言葉の意味を理解した瞬間に落雷の衝撃を受けた表情で固まるシトレーヌの細い指先から、ティーカップがスルリと抜け落ちた。
純白の絨毯がアールグレイの描く模様に染まっていく。動揺を見た神流は声を掛ける。
「少し待ちます?」
「いえ、すぐに参ります」
全てを察したシトレーヌは神流達と共に地下室に赴いた。
階段を降りると異臭漂う地下室の奥で仁王立ちをする邪教徒がすぐに見えた。神流が目の前に行くと深く頭を下げて脇に避ける。
目で合図をすると老執事のマレックが、壊れた扉を開けて脇に立つと直ぐにシトレーヌが中に入っていく。
「シトレーヌ!」
涙に濡れていたブランスト・ルーゲイズ子爵が、妻との再開に歓喜し両手を広げ抱き締めようと妻に歩み寄る。
━━
ブランスト・ルーゲイズ子爵の横を華麗にスルーして通り過ぎた。夫人は子供達を抱き締め頬を当てて抱擁を交わす。
「私の子供達、もう絶対離さないわ」
シトレーヌは存分に子供達と触れ合った後にスラリと立ち上がる。そして、表情を180度変えるとブランストに向けて歩み寄る。
ブランストは今度こそ再開の抱擁をしようと両手を大きく拡げた。歩み寄るシトレーヌの白くしなやかな手が拳を握り流麗に動いた。
ーーバキッ!
シトレーヌの拳に痺れるような痛みが伝わる。ガツンと殴られたブランストの頬は火照り、鼻孔からは鼻血が赤いラインをつくりポタポタと床に垂れる。
更に鼻を押さえ呆然とするブランストの左側の横顔を、ボクサーがフックを打ち込むように平手で張り倒した。
乾いた音が響きブランストの鼻血が宙に舞い白く細い手先に血の滴に濡れると、いつの間にか傍に居た老執事のマレックがハンカチを手渡していた。手を必要以上に拭いてからハンカチをマレックに返した。
シトレーヌの凄まじい怒気が整った鼻筋の辺りに這い口元にまで達している。瞳は静かに怒の火を宿し目じりを険しくさせていた。
「貴方は子供達にまで危険に晒して何をしているのですか!
憤然とした面持ちで、顔の底に溜め込んだ憤りを制していた。そして、ガラッと表情がやわらぐ。
「でも本当に無事で良かった」
シトレーヌの目尻に優しさが浮かぶ。
「ほっ本当に本当にすまなかった。2度とこんな事はしない。この通り許して欲しい」
鼻から垂れる血を押さえ膝を着いて頭を下げた。そして、神流達を見て紹介する。
「この方達に窮地を助けられたのだ。恩には報いねばならない」
「…………」
神流は当然だなと思いつつも、あまりにも惨めな構図に溜息をついて『治癒』の刻印を解らないように撃ち込んでいた。
神流はシトレーヌに視線を向ける。
「もう此所に巣食う魔物も悪魔も滅したから、旦那さんを連れてクワトロ要塞に戻りますよ」
「……そうですか、子供達を助けて頂いて感謝が尽きません」
視線を鼻血を垂らす夫に向ける。
「貴方、ご迷惑を掛けてはいけませんよ」
意表を突かれたブランスト・ルーゲイズが慌て始める。
「わっ私は帰って来たばかりなのに戻らねばならぬのか?」
「寝惚けんな、まだ何も終わってない! 悪魔がまだ居るし終った後の残務処理と引き継ぎをちゃんとやれ。また会えるんだから早く別れをしろ」
シトレーヌが神流に歩み寄ると手から指輪を外し手渡そうとする。
「何も出来ませんが、これを」
「えっ?」
━━指輪はもう要らないんだけど。
うんざりとした表情が盛れ出てしまう神流、其に気付いたシトレーヌが一言添える。
「この指輪はルーゲイズ家に代々伝わる印章になっています。ルーゲイズ家ゆかりの者という証明にもなります。どうぞお持ち下さい。そして、私から1つお願いが御座います」
神流は黙って耳を傾けている。
「夫の身嗜みを直す時間を少しだけ頂けないでしょうか?」
ーーグゥゥ~グゥゥゥゥゥゥ~。
プゥティィロの腹の音が響いた。
「……良いですよ。その間、食事と水を頂きたい」
食堂に行き簡単な食事を御馳走してもらう。テーブルに並んだのは、白パンとチーズそして、温めた豆のスープと焼かれたスライスベーコンだった。
「むぐぅぅぅ、がぅがぅ」
プゥティィロはベーコンとチーズを頬に入るだけ詰め込んでいる。邪教徒にも食事を与え食べさせる。すると神流のポケットがゴソゴソ動きだした。
「クァァゥ!」
「起きたのか、完全に忘れてたよ」
ポケットから食事の匂いに釣られたトカゲが顔を出した。神流はベーコンを摘まんで口に持っていく。すると、口を大きく開けて食い付いた。ミルクを貰い飲ませてみると腹がパンパンになるまで飲み干していき満足するとポケットの奥に戻り眠りに着いた。
━━食っちゃ寝トカゲかよ。コイツ、此所で捨てて行こうかな。
「お口に合いますか?」
シトレーヌが顔をしかめる神流に聞いてくる。
「十分合っています。小休止出来て助かった」
マレックに連れて行かれたブランスト・ルーゲイズ子爵が、暫くすると正装して戻ってきた。髪もセットされ髭も無くなり一回り以上若く見える。
食事を終え地下室に戻ると神流は、天井の転位魔方陣に無印の刻印を撃ち込んでみる。魔方陣が浮き上がり発光して発動を始める。来たときと同じように中心に集まると身体が浮き上がり転位魔方陣に吸い込まれていく。ブランストは名残惜しそうに家族に手を振っている。
神流達はシトレーヌに寄り添う子供達と老執事に見送らながら、天井の魔方陣に消えていった。




