愚かなる者の命の誓い
ーー降り下ろした精霊紅魔鉱剣の刃先がルーゲイズの首を掠めて地面に刺さった。
遅れてルーゲイズの艶の無い後ろ髪の一部が、バラけて地面に落ちると解体された山鳥の巣を思わせた。神流は詠唱を始めていた。
「《床降下最下層》!」
精霊紅魔鉱剣が怪しく紅い光を放つとバターのように壁際の地面が緩み檻の床が、緩やかに加速しながら下がっていく。
口を大きく開けて驚く邪教徒と目をキラキラさせるプゥティィロは、魔法の昇降機が織り成す光景に目が釘付けになっていた。
地下2階3階を変形させながら、神流が破壊し尽くした地下5階の実験室に辿りついた。
死を覚悟していたルーゲイズは、何が起きたのか解らず周囲に視線をやる。溶けるようにスライドする壁が視界に入ると驚愕と放心状態を混ぜた複雑な表情で口を呆然と開いていた。神流はズレたヴェネチアンマスクをつまんで直すと両膝を着いたルーゲイズを一瞥する。
━━この男、チョッと往生際が良すぎるな。こんな奴の為に俺が人殺しとか冗談にしても出来が悪い。監禁のせいで頭が自暴自棄にでもなったのか。まぁ総ての原因はこいつなのだから狂ったとしても自業自得だけどな。
一瞬で表情を切り替えた。
「まだ殺さないでやるから付いてこい」
呆れていた神流から発せられたのは凍るような冷ややかな声だ。蔑んで見る細い目には一切の感情の分子が含まれていない事は明白であった。
「穴が落ちたね!? 大兄様はやっぱり大魔導人ね!」
神流を見上げて白虎の亜人プゥティィロが色めいて興奮している。
「なんだそれ?」
━━さっきまで、毛を逆立ててニャーニャー威嚇してたくせに刻印無しで、この変わりようが凄いな。
神流の表情は、柔和になり小さい亜人の子を見下ろした。
「穴じゃなくて床な。お前、飯も食ってないのに何で元気なんだよ?」
「プゥティィロは戦士ね。プゥティィロはずっと元気ね!」
「解った解った……何でもいいよ」
━━真面目に聞いてたら、気が抜け切ってしまうわ。
神流達は実験室の扉を開けてマルファスを倒した部屋に再び訪れた。
部屋の篝火は、まだ消えずにオレンジの明かりを供給していた。マルファスとの激戦の痕跡も残っていた。完全に破壊された寝台と邪神の石像、抉れたように焼け溶けた床、神流が創った石の壁の残骸等々、生々しい戦いの軌跡がそこに在った。
配置された燭台の火が、空気の流れに揺らめくと壁に埋め込まれている魔石が、反射し燐光を拡散する。残っていた寝台には、先ほど応急処置をした者達が寝息を立てて静かに寝ている。
邪教徒とプゥティィロは、寝台を見ても床で絶命して転がる邪教徒達を見ても対して動揺しない。
神流は、トボトボ付いてくるルーゲイズを睨むように振り向いて冷たい杭を打つように口調を強める。
「此処で何が行われていたか位解るだろ!」
「詳しい事まで知らないが、悪魔達が身の毛もよだつ残虐な儀式をしていた。こんな所に居れば、さっき話をした巨大なカラスの悪魔がやって来て皆殺しにされるかも知れん。早く逃げて私の本邸に向かって欲しいのだ」
━━どの口で言ってるんだ? 家族の為に命は捨てれても、他人に対して自分の責任を感じる神経は皆無のようだ。解った、俺はコイツの事を凄い嫌いになれる。
「お前が呼び出した悪魔達の仕業な。|全ての責任はお前にある《・・・・・・・・・・》。それに奴ならもう居ない」
神流はプゥティィロに目をやり頷く。さっき方便で喋った悪魔とプゥティィロの仲間達が戦った設定を壊さないように守っていた。
「えっ何故??」
皮肉を浴びせても無風のように動じない面の皮の厚いルーゲイズのリアクションの1つ1つにストレスを感じ始めた。ルーゲイズを無視して寝台のある部屋を後にし神殿に戻っていく。神殿に散らばる邪教徒の死骸を見たルーゲイズが、足を竦めて息を飲んだ。
━━俺が何をしたのか、やっと気付いたのだろう。
「……何て事をしてくれたんだ! ハルファスが私の家族を襲っているかも知れないではないか!」
神流に両手を広げて大声で抗議をして食って掛かった。
━━ダメだコイツは。限界になるかも。
神流はプゥティィロに目を合わせる。
「おいシロ、こいつの事を蹴ってみろ」
ーーフォンッ
一瞬で宙に跳ね上がったプゥティィロが、ルーゲイズの背中を蹴って後方にクルンと1回転して着地した。ルーゲイズは前に転倒し這いつくばる。
「こんなの御安い御用ね、大兄様」
ーーおお、レッドより身が軽そうだ。変な喋りは気になるが放って置こう。
意図していた蹴りとは違ったが、見事な身のこなしを見て驚いた神流は表情を戻す。
「ひっ酷いではないか!」
這いつくばり抗議をするルーゲイズに棄てるように吐いた。
「うるさい黙れ。檻に戻すぞ!」
神流に一喝されたルーゲイズは、居心地悪そうに下を向いて病人のようにブツブツ呟いている。
「大兄様、何でプゥティィロの事をシロと呼ぶね?」
「アダ名だ。最初と最後が合ってれば良いだろ」
「アダ名?」
「仲の良い人を呼ぶときに使うんだ。お前白いし別に良いだろ?」
「仲よし!? 大兄様とプゥティィロは仲よしね」
ゴキゲンのプゥティィロの頬は上気し薄く赤らみを見せた。両手を合わせて握り下からクリンとした猫のような瞳で神流を見上げていた。
神殿から大広間に出ると神流の知る様相とは、かなり変わっていた。
「…………」
メンバーが誰も残って居ないその大広間には、篝火が明々と照らすカラスの兵隊達の装備と邪教徒の死骸が依然として埋め尽くすように転がっていた。ルーゲイズは汗が浮かぶ額を拭くハンカチ持ちながら口を大きく開けて絶句した。
「何と…………」
「此処はとても臭いね」
プゥティィロは両手で鼻を覆っている。無言の神流は光景に違和感を感じていた。
━━
見覚えの無い何十もの歪な魔物の死骸が、増えている事に気付く。別の大きな戦闘が繰り広げられていたことを新たに添えられた死骸が物語っていた。
「どっから増えたんだ? あの男爵もバリバリ参戦してたのか?」
ヤハルハの屈託の無い満面の笑顔が浮かんでくる。手で空中をバタバタと払って掻き消した。
神流は、ベリアルサービルを抜いて覚醒させると大広間の内部をサーチした。
「ーー彼処か」
邪教徒の死骸を跨いで歩いていきオウムの悪魔が、アーサーに倒された場所で立ち止まった。
ルーゲイズを呼び確認をとる。
「魔方陣は此所か? お前の屋敷に繋がっているんだな」
「野鳩の悪魔ハルファスは確かにそう言っていた。この辺りに存在していたと思うが、困った事に記憶が定かではなく正確な位置は覚えていないのだ。本当に残念でならない」
役に立たないなと思いながら、手を上げて少し離れていた邪教徒とプゥティィロを呼び寄せる。
神流は周囲の死骸を見回してるルーゲイズの心臓にベリアルサービルの切っ先を静かに向けた。
「お前に聞きたい事がある。この屋敷と地下に忍び込んだ者に拷問を行った事はあるか?」
「わっ私はれっきとした子爵だ。拷問などという低俗な事はしないし依頼したこともない。そもそも此所に侵入することなど常人には不可能だ」
「【正直】」
ルーゲイズの心臓に刻印が撃ち込まれる。
「本当だな」
「わっ私は嘘など言っていない。……そっそういえば、昔に1度だけ潜入してきた者がいた」
額に浮いた汗をハンカチで拭い上目で神流に視線を向けた。
「話せ」
「10年程前に貴方と同じ外套を羽織った赤茶色の髪をした男が、檻の外から私に助けようかと助力を申し出てきた。私が、家族を人質に取られ逃げる事は出来ないと断ると頭を下げて走り去っていった。覚えているのは、それだけだ」
神流は、しばし目を瞑り情報を整理する。
レッドの父親で間違い無さそうだ。途中でカラス兵達か邪教徒達に捕まって拷問され、紫の【黒い小箱】を移植された線が一番強そうだな。
「…………首の皮1枚繋がったな。殺さずに家族の元に連れて行ってやる。だが、お前には俺を裏切ったり害をなそうとしたら死ぬ魔法をかける。それでいいなら膝をつけ」
ルーゲイズは、迷わず血糊で汚れた地面に両膝をついて神流を祈るように手を組んだ。
「1度は捨てたこの命、家族と会えるなら惜しくはない。貴方を裏切る事は、この命運尽きるまで無いと此処に誓おう。いや、誓わせてくれ」
握るベリアルサービルに軽く力を入れる。
「【快活】」
ルーゲイズの心臓にベリアルの刻印が刻まれ身体を活性化させていく。
「お前は自分の愚かな行いを家族にまず謝罪しろ。その後に被害者救済もさせるからな。楽な道じゃないからな!」
「了承しよう。この呪いに誓って」
━━誓いが好きな奴だな。まぁ絶対に被害者救済は、やらせるつもりだったから、沢山誓ってくれて構わない。
ルーゲイズを立たせ邪教徒とプゥティィロと手を繋がせプゥティィロの手を神流が取る。通る時や出先でバラバラにならない保険を掛けておく。ベリアルサービルの柄を地面に当てて覚醒させると魔法陣が燐光を放ち顕現する。
━━シジルゲートと同じだろ? 何となくだったが動きそうだな。ダメだったらベリアルに頼んでやらせようと思ってたけど。
指で触れたがシジルゲートのように触れただけでは吸い込まれない。ルーゲイズが中心に立たないと転送されないと助言を入れてきた。4人で中心に立つと徐々に身体が沈み始めた。
「底無し沼みたいだな」
神流が酷い感想を言い終えると4人の姿は魔方陣に沈んで消え去った。




