待ち望み続けた懺悔
刻々と深い憂鬱の藍色を投影する夕暮れが、哀しい静けさの残照を街に被せていく。
◇南の貴族街ゲート
レッドは、聖桜に肩を貸しながら、サクサク貴族ゲートへ歩いていくヤハルアの後について、ゆっくりと歩いていく。
来たときに居た衛兵や黒騎士の姿が見えない。歩きながら周囲を警戒しているが、先導する人物の存在感が大き過ぎて警戒することすらバカらしく思えてしまう程であった。肩を貸す聖桜の顔には血の気がなく額には汗が滲んでいたが、息使いが少し快復したように思えた。
ゲートに近付くヤハルア・グランソードを見てゲートの衛兵が、緊張した笑顔で迎える。
「ヤハルア様、御通行ですか? どうぞどうぞ戒厳令は解除されたので、私達が叱責されることもありません。して、その抱えられてる子は?」
「アハッ、じゃあ気軽に通らしてもらうよ」
「書類もそうですが、あのう……その連れの者達は……」
ヤハルアは、イーナを優しく抱えながら笑顔で門衛の肩を叩いた。
「この子達は、僕の教え子達なんだよ。もう行くからね」
「あっああ……左様ですか。お気をつけて……」
衛兵は、ヤハルアに敬礼してゲートから送り出す。あっさりとゲートを素通りして平民街に入った。
「先生、あの門衛の顔が、ひきつってたわよ」
ヤハルアは微笑んだ。
「そうかい? 気付かなかったよ、アハッ」
呆れた様子のルーニャは、ヤハルアの顔を見上げて質問する。
「あと、地下に戻って何してたんですか?」
ヤハルア・グランソードは思わせ振りに片方の目を瞑った。
~***
◇少し前の地下神殿大広間
誰も居なくなった地下神殿の大広間の篝火は、無惨な景色を照らしていた。パチッパチッと虚ろに響く空間に変化が訪れた。
中央の地面に影が生まれる。
ーーズゥゥゥ
影から黒い司祭服に包まれた者が、せり上がって出てくる。異質な模様の 司教冠の下から、オウムの低級悪魔は陰鬱な嘴をのぞかせた。手に持つ錫杖の先には、水晶の髑髏が在り紫の染糸の房で妖しく飾られていた。
ーーその悪魔が出現途中で引っ掛かった。
「グギ!? 何だ? 転移魔方陣が損壊しているのか? 直せ!」
「コオーーッ」
背中から、くぐもった声を上げ沸き上がる黒い魔物の影が、引っ掛かった魔方陣の位置に両手を翳すと少しずつ損傷した箇所が修復されていく。
身動き取れない中で、煙の匂いに混じる芳醇な血の薫りを感じ取り周囲を見渡すと神殿前の大広間に拡がる異常な状態に気付いた。
ここで何か起きたのだ。呆然と散らばる黒い塊を目を凝らして見ると邪教徒の無惨な死骸だと分かり息を飲んで嘴をカタカタと鳴らし出した。
「ーーこれは!? 何だこの邪教徒共の死体の数は?」
オウムの悪魔は嘴で宙を探るようにつついた。
「まさか……まさか、まさか、まさか! マルファス殿の魔素が感知出来ぬ。……アエーシュマ様の像の魔力も消えている」
「グホオォォーー!」
背中に憑いた邪悪な影が伸び上がり吠える。
「修復が終わったのか、其どころではない。鎮まれ鎮まるのだ」
ズズゥゥゥ
影を制して全身を魔方陣から出すと
「いったいどうやって? ……………一刻も早く、あの御方に報告しに行かなくては!」
悪魔の司祭は顔をギィィとしかめ、不気味で歪に輝く髑髏の錫杖を頭上に翳した。
「ーー!?」
その刹那、自分の腹から突き出る剣の先に篝火が、反射しているのに気付いた。遅れてドロリとした青い血が噴き出し床を血の池にしていく。その剣が徐々に上に上がり黒い司祭服と一緒に胸を裂き背中の影ごとオウムの悪魔の頭蓋骨を両断した。
「ぐぎゃァーー!!」
「グボハゥァーーッッ!」
伸び上がる影は、画のように絶叫して形を崩し大気に霧散した。オウムの悪魔司祭は、自分の血溜まりに崩れ落ち司祭の上衣を濃厚に紅く染め大広間の塊の1つと化すと端から、砂のようにザサァと崩れていった。
ーー聖者の剣アーサーは音速で1回転して刃に付着した悪魔の血を払うと、浮遊したまま階段に向かい宙を蹴るように加速し階段を垂直方向に上がって消えて行った。
ーー*
「アハッ、アーサーにチョッとした頼み事をしたんだよ。チョッとしたのをね。意外に早く片付いたから良かったよ」
ニヤッと笑うヤハルアに子供扱いされたのを頬を膨らまして抗議する。
「ルーニャ、お友達にお別れしないで良いのかい?」
お別れを促すとルーニャは、ラミアの石の首飾りを取り顔を晒すと腰の袋に入れる。
「私は、いずれ大魔術師になるルーニャ・ウネよ。困ったら頼りに来なさいよね」
ドヤ顔のルーニャは、やりきった感を出していた。
レッドに肩を借りていた聖桜が肩を外し自分で立つと振り返り吐息混じりに御礼を言う。
「レッドありがとう……私は、もう大丈夫よ。イーナをお願い」
レッドは目で了解し、ヤハルアに向けて頭を深々と下げてからイーナを受け取り胸で抱えた。
「ヤハルア様、お救い頂き感謝します。この恩は必ず御返しします」
『御「礼なんか要らないよ。他人行儀だなんて僕は悲しいよ。教え子を助けるなんて当然なんだよ。なぁアーサー」
「!!」
頷くように鞘が燐光を放つ。真剣に沈黙しているレッドに笑顔を向けた。
「じゃあ、言伝てを頼むよ。Kボーイ君に近いうち食事にお邪魔すると言っておいてねぇ、アハッ」
被せるようにルーニャが口を開く。
「今度会ったら、ちゃんと説明してよねレッド」
「何をっすか? チミッ子には、解らない大人の世界の事っすよ」
「何よそれ~」
聖桜は頭を下げ、レッドは笑顔で手を振りルーニャとヤハルアを見送った。
━━***
◇ルーゲイズ邸地下
顔の青ざめた老人のような男は檻の中で、机に座り無機質な壁に向かい手を組んで誰かに語りかけていた。
「ああシトレーヌ、エミーリア、ニールス、私を決して赦さないでくれ。この愚かな私を呪ってくれ」
ーーいつまで此処に……いっそこのまま死んで仕舞えば楽になる。いや、子供達に会うまでは死ぬことは出来ない。コレが悪魔と取引した私の末路か、コレこそが狙いであったのか?
老いた男は席を立ち深々と溜め息をついてから、老朽化したソファーに体を預けた。伸び放題の髭は男の年齢を一回り多く見せていた。傍らにある大量の手紙は、何度も読み返したせいでシワとなり涙のシミで滲んでいた。
定められた空間で終わりの見えない時を消費する男にとって、このシワシワの手紙が手枷足枷の鎖であると同時に残された一縷の希望であった。
檻の扉が無造作に開いた。
「これを喰エ」
用人風の邪教徒が食事を持ってきた。
ーー最初の頃は無礼な物言いに怒鳴りつけた私だが、もうその気力すらも無い。邪教徒の見た目は普通だが、目には生気の光が宿っていない。純粋な人間で無いのはとっくに判っていた。
「妻と娘は無事だろうな?」
「仕事をしていれば無事だ」
ーー机に食事の皿と水を置くと机の上の手続き用の書類を取り、いつも通り鍵を閉めて出ていった。これが日々の光景であった。
そこで目を疑う事態が起こった。
ーー外に出た使用人邪教徒が別の邪教徒に拘束された。現れた外套を被るマスクの男が、短剣を向けると使用人は崩れ落ちていく。しかし、マスクの男に何か言われると、使用人は再び立ち上がり上の階へと戻って行った。まるで催眠術でも掛けられたかのように。邪教徒と小さい白虎の亜人を従える異質なその男が、檻の中にゆっくりと入って近付いてくる。
「大兄様は魔法使いね?」
「チョッと静かにしててくれ」
ーー得体の知れないヴェネチアンマスクの若い男が、白虎の亜人に何かを言い付けてから私に語りかけてきた。私は待ち望んだ機会を逃したく無かった。
「そこで何をしている」
「わっ私はルーゲイズ子爵だ。訳あって囚われている」
ーー私が名乗ると何故だかマスクの奥にある目付きは、険しいものとなった。男が無言でいるのに耐えられなくなり藁をも縋る思いで、助けを求めた。
「私は悪魔に監禁されている。私の領地に在る本邸で、悪魔に妻と子供を人質に取られているのだ。金ならいくらでも払う。屋敷に在るものも持っていって構わない。家族を助けてはくれないか?」
ーー私が怒涛のように必死に現状を説明し助力を乞うたのとは、対称的に男は重そうに口を開いた。
「……最初に言っておくが、お前には悪い印象しか無い。お前の願いを聞くのに対価は当然貰うが事情次第で断る。それでもいいなら、まず檻に拘束された経緯を詳しく話せ。俺には嘘を看破する力が有るから、嘘をついても無駄だがな」
ーー不審なマスクの男から高圧的に言われたが私には選択の余地が既になかった。
「私に何かしらの恨みを抱えているのなら、罵倒や謗りそして、制裁なら甘んじてこの身に受けよう」
「いいから早く話せ」
ーーヴェネチアンマスクの奥にある双眸が冷気を孕んだ気がした。今の私が張る子爵としての虚勢など意味を成さないのだろう。見つかったら確実な死が待つこの場所に堂々と居る時点で、ただ者では無いのは火を見るより明らかであった。
「……解った。私の命と誇りに誓って、偽り無く私の罪を話すと約束する」
ーー私は誰かに懺悔をしたかったのだ。
ルーゲイズは、皺の増えた目に力を宿し懺悔を神に告白するように話し出した。
ーー10年程前、私は領地の近いオーリライト伯爵に軍需物資の不正横流しの情報を探られつつあった。このままでは私財や領地の没収を免れないと困った私は、小飼いの呪術士達を本邸の地下室に呼び寄せた。オーリライト伯爵を排斥するために愚かにも悪魔召喚の儀式を行ってしまった。長時間の危険な召喚だったが、儀式が成功し扉が開くと強力な悪魔が召喚された。
ーー召喚した野鳩の悪魔は、契約を済ませると私の要求に直ぐに応じ緑豊かなオーリライト伯爵領に赴いた。踊るように疫病を撒き散らし伝染病を流行らせた。感染せず元気に働く者には、使い魔を放ち堕落へ仕向け農作業を止めさせ人の往来を絶えさせた。
豊穣な気候に緑を育む広大なオーリライト伯爵領は、数日で瞬く間に荒廃していった。




