一方通行の正義
噴水を背に腕を組み怒声を上げながら、黒光りする鎧が近付いて来る。その黒騎士ヴェインはデカい怒鳴り声に反して細身で少し小柄だった。身体に装着しているのは、肩や膝に狼の造形がされた特注の鎧だった。
聖桜は、体制を崩し剣を杖にして膝を地面に着いた。後ろではルーニャがイーナを介抱している。
「ーークレイ……シェラメーテ・レイダース」
「おいっ「師団長殿」が抜けてるだろうが! 貴族街を血で汚す気か? この野郎」
「……くっ」
掴み掛かる勢いで迫り兜の奥で怒気を強めた両眼で睨み付ける。
静かに距離を取るレッドは短剣を納め成り行きを見つめていた。ヴェネチアンマスクをしている自分達は確かに怪しい。事の成り行きを説明するには分が悪かった。
ヴェノンは謂れの無い怒声を浴びせられ、自分がする必要の無い弁明をしなければならない状態に不条理と不満を感じ怒りすら覚えていた。しかし、選ばれし各200人もの黒騎士達を統率する師団長に逆らう訳にもいかず、渋々に事の成り行きを説明し始めた。
「私は不正を正そうとしたのだ。この奴隷共が、不審な行動を……」
「ああ!? てめえは、選ばれた黒騎士だろうが! 簡単に斬ろうとしやがって! このド新人が! 黒騎士は無礼討ちを控えるという訓示を知らねえとは、言わせねえぞ! しかも、手加減されてるのに気付かねえで剣を振り回してて、みっともねぇんだよ」
「なっ何だと!?」
表情が変わった男の目には、冷気と混ざる醜悪な殺気が宿ろうとしていた。
「ーーあぁん?」
鼻で息を噴き出したシェラメーテは、地面から拳より少し大きい石を拾うと空中に軽く投げた。
ーーギャリリィィン‼‼
刹那、両の腰から一瞬で抜かれたダガーが、黒い残像を見せて空中を交錯すると、シェラメーテが目の前から消えていた。
地面に落ちた石は、見事に五つにスライスされて滑らかな断面を晒していた。
ーー冷や汗を掻き動揺する男の耳元で突然、声がする。
「おい、自分の力量も解らないで咬みついてくるなら、顔を切り刻んで男前にしてやるぞ!」
至近距離で、命の綱を握る死神の声が鼓膜を震動させた。青ざめて横を向くと、シェラメーテが肉食獣のような恐ろしい顔で、鋭過ぎる八重歯を見せ喰いつくように威嚇していた。
「ううっ!」
「いつでも殺れるぞ」という意思表示を受け、ヴェノンの心臓の拍動が急激に、おかしくなり心地の悪い冷や汗が、首の後ろにダラダラと流れた。命を失ってまで逆らう事は出来ない。しかし、怒鳴られた事も力ずくで従わされる事にも、納得がいかなかった。
(ひとつの悪を滅するのに1つの命が、失われるのは当然の結果である。悪を処断するのに周囲に被害が及んだとしても、プロセスより結果が大事なのである。何故、悪が滅ぶ事を賛美せずに小さい被害を誇張するのだ? 小人には崇高な考えが理解出来ないのであろうか?師団長という立場に在りながら何故に物事の本質が解らぬ)
男にとって自分の行いは全て正義であると信じられていた。黒騎士の男ヴェノンは気勢にたじろぎながら、シェラメーテを見る目に非現実の靄が覆った。
ーーパンパン
貴族街の大気が停滞し緊張する中、手を叩く渇いた音が響いた。
気配を悟られず、言い争う2人の近くに現れたのも黒騎士だった。兜を脇に抱える黒騎士は色素の薄い白い瞳が印象的で、肩まで伸びる濃い茶色の髪が、眉に掛かると払いのけた。
現れた男が着装してる鎧は、かなり特殊で至る所に呪文のようなものが施されている異質な物だった。男は造形の変わらぬ笑顔を同僚に向け続けている。
シェラメーテが、不快感を丸出しにして兜の中からキッと睨み付ける。
「魔女共の見張りは、どうしたんだよ?」
「戒厳令が解かれたのさ。居館には、しっかりと残してるよ。それより私の部下を許してやってくれないか? 友人のよしみで」
男はスッと近寄ると軽く手を上げて合図をする。
「誰がてめえとダチになったんだよ? 気色悪ぃ! 狂犬の躾位しておけ!」
「「戦場の狂牙狼」と呼ばれて名高い君と似た呼び名を貰えるとは部下も光栄だと思うよ』
「ケッ勝手に呼んでるだけだろうが! 胸クソ悪ぃ!」
空気をスカす男騎士が、登場した途端に調子が崩れ怒気が抜けていく。男に対する怒りも、茶髪の同僚がどうにかするだろうと興味を無くした。シェラメーテは、後ろを向いてレッドの方に歩み寄る。目の前まで来ると兜の面を上げて頭を軽く下げた。
猛る黒騎士は女性だった。
火を孕むと錯覚させるような瞳が、柔和になり微笑んだ。
「アタシはさぁ、クワトロ騎士団で師団長してるシェラメーテ・レイダースっていう者だ。ウチの馬鹿がバカして悪かったな、手加減までしてくれてなぁ」
「女性!?」
薄々声で気付いていたが本当に黒騎士の師団長が女性だとは思っていなかった。
「ああそうなんだよ。女ってだけで面倒だよな。女って面倒臭ぇよな」
「いっいえ、仲裁に心から感謝します」
レッドはしっかりと何度も頭を下げてから、踞るイーナを介護しているルーニャに赤いポーションの小瓶を渡した。
そして、息切れした聖桜に肩を貸した。
後から来た黒騎士が濃い茶色の髪を揺らしながら、剣を抜いたまま佇む黒騎士の元へ近付いていく。
「アスターチ師団長殿、これには訳が、が……」
ーードンッ
鎧の鳩尾に兜をぶつけた。男は一瞬、呼吸が出来ず息が詰まる。
「ウッ!」
独断即決は良くない。報告して指示を仰ぐべきだったな、ヴェノンよ」
「そこの奴隷が不審な……」
ーードズンッッ!
もう一度強く腹に兜を打ち付けた。ヴェノンは前屈みになる。
「うううっ」
「違うだろ? はいかいいえ、だろ? 貴族街で対した理由もなく血や死体で汚したら貴族共と執行部を敵に回していたぞ。俺の顔を潰す気なのか? ヴェノン・トリニダートよ」
吸い込まれそうな白い瞳に恐怖を感じさせる輝きが生まれる。
「いっいやっ、そんな事は思っていません」
「なら今後の行動で示すべきだな。遺恨を残さぬようシェラメーテに謝罪してくるんだ」
瞳を元に戻したアスターチはイーナに目を向けた。
(確かに奴隷達に不審な点は有る。シェラメーテには、悪いが保険を掛けさせて貰おう)
アスターチは小さい腰袋から黄色く尖った小石を取り出すと謝罪を受けてるシェラメーテに見えないように投げた。踞るイーナの背中にスピードを上げ一直線に伸びていく。
ーーキンッ
石が真っ二つに分かれて地面に落ちた。
赤褐色の乱れた髪が風に靡いた。遅れて登場したヤハルアは、灰色の瞳に不快感を浮かべたまま石を踏み潰した。
「これ毒の魔鉱石だね。…………穏やかじゃない事をしてくれたね」
「!!」
「まさか!?」
ヤハルアに気付いたシェラメーテとアスターチに緊張が走る。触れたら傷を負うと錯覚を起こす程に研ぎ澄まされた気が、ヤハルアから放たれ周囲を撫でた。
「……この子達は僕の教え子だから、審問や査問は無しで行かせて貰うよ。さぁ皆行こうか」
皆に声を掛けて、その場を離れようとしていた。
「なっなんだと貴様!?」
ヴェノンは、いきなり出てきた華奢で不遜な少年が師団長にとる横柄な態度に腹が立ち。剣の柄に手を当てて突っ掛かかった。
「おい、小僧が生意気な」
「止めろ!」
ズドッドグォンッッーーッッ!!!
アスターチが止めたが遅かった。前からは鳩尾を殴られ、背中からアーサーの鞘の一撃を腰に受け気絶していた。鎧の前後は陥没していた。聖桜は、ふらつく視界で見届けた。黒騎士の男が崩れ落ちて倒れていく様を見て溜飲が少しだけ下がった。
ヤハルアは嗤った。
「アハッ、教育って大事だよねぇ。解ってくれたかな? さようなら」
ヤハルアは、ルーニャに声を掛けてイーナを胸に抱える。5人は、北にある貴族ゲートの方へ消えていった。気絶して大の字で倒れるヴェノンを2人の師団長が見下ろす。
「バカが、またバカしやがった。アスターチどうすんだ? この救い用の無いバカ」
表情を変えないアスターチは答える。
「このまま放置するのも、ヤハルア男爵の言う教育ではないかな? それと……」
「ハッ悪ぃ野郎だ。じゃあ、アタシは行くぜ! ついてくんなよ」
シェラメーテは、噴水の石像を飛び越えて消えていった。
ヴェノンを見下ろすアスターチの双眸には殺意と呼ばれる黒い意識が、明確に宿っていたがフッと霞のように消した。
「殺すのはいつでも出来る」
(躾るのに鞭が必要な犬は要らぬのだ。……シェラメーテ、せっかちな女だ。戒厳令解除後はアグアに行きジェリー達と合流だと伝えようとしたんだがな)
「些末な事だ」
師団長アスターチ・エフラハイムは、シェラメーテが、飛び越えた噴水を眺めた後、倒れている黒騎士ヴェノンを一瞥して姿を消した。
━━━***
◇時は少し戻る
キマイラを倒した神流は、周囲を見渡す。
「もう居ないよな?」
最初に倒した邪教徒の元へ歩いていき、べリアルサービルを向ける。
「【快活】【隷属】」
「うっううっ」
「まだ生きてるんだろ、悪魔像と鍵を渡せ」
邪教徒が差し出す悪魔像をダマスカスルージュで真っ二つにしてから、鍵の束を受けとる。
「この階の檻の……中には誰も……居ません、既に生け贄として……」
「そんな事は聞きたくない、黙れ!」
━━犠牲者には悪いが、詳細を想像したくなかった。
声を荒げた神流の顔は薄い朱色に染まった。横たわる邪教徒は命令に従い沈黙している。不快感を露にした神流は、徐にべリアルサービルを抜いて起動させると握り込んで刻印をサーチした。
━━フゥ、下層の皆は問題なさそうだな。……んっ?刻印した邪教徒が全滅している。どういうことだ? 邪教徒だから、見過ごせず倒したのか?
神流は、更に意識を集中して意識をレッドの刻印に飛ばす。
(Rレディ、チョッといいか? ……レッド、レッドさんレッド社長……精度が悪いのか、もっと練習しないと駄目なのか?)
(聴こえてますよ旦那。もっと優しく囁いて下さいアッチへの愛の告白を……)
━━普通にカチンときた。
(………お前、ふざけてるな? 切って聖桜かイーナと話すから、もういいや)
(だっ駄目っす。それだけは~領主様)
(誰が領主だ。手短に話すぞ、皆は無事だよな? 邪教徒を全員、殺したのか?)
ーーバターン!
蟷螂の魔物と化した邪教徒が、聖桜のダマスカスロングソードで一刀両断される。絶命し地面に崩れ落ちると砂埃を巻き上げた。
(邪教徒が暴れて強くなったんすよ。それで手下の邪教徒は、全滅したっす。あっ今、蟷螂の邪教徒を倒しました。)
(蟷螂の邪教徒? で、平気なのか?なんなら、すぐ戻るぞ!)
(余裕っす。全然平気ですよ。それと、旦那の友達が来ています。地獄の軍団長っす。遊ぶようにバッサバッサ邪教徒を抹殺してますよ)
(えっ!?)
神流の頭に赤褐色のボサボサ頭と興味津々の灰色の目をして屈託のない笑顔で、距離をグイグイつめてくる青年の笑顔が浮かんだ。
━━ヤハルア男爵か、味方なのは嬉しいが…………苦手だなぁあの人。
(レッド、ヤハルア男爵に正体がバレるのは気にしなくて良い。俺は此方の通路で地上に上がるから、お前達は屋敷に戻れるなら元の階段で戻ってくれ。それと、男爵と俺は友達じゃないからな。失礼な発言して無礼打ちされるなよ)
(了~解っす。)
レッドが軽く応えると神流からの連絡は途絶えた。
「━━」
篝火の炎が映えるレッドの鳶色の瞳は近付く蠍の魔物の歪な影を補足していたのだった。




